No. 00096
DATE: 1999/09/12 02:09:39
NAME: リヴァース
SUBJECT: 今日も旅人は閑雲の下で
〜旅中の手記より、抜粋〜
【新王国暦 511年 7の月 新月より3日 晴れ 蛇の街道】
「どこまで続くんだーーーっっ!!!」
とりあえず叫んでみる。後から無駄な体力を消耗した、と後悔することは承知の上である。無論、一人でないと、こんなことはしない。
―――蛇の街道。南はオランから、ミードの脇を、エストン山脈を縫うように続く山中の道。蛇のように蛇行していることから、その名がついている。
周りの背の低い木々にさえぎられること無く、容赦なく頭の上で太陽が照りつける。少し足を止めると、噴き出すように汗が流れる。
えんえんと続く登り道を歩き、さあこれで終わりかと、視野の開けたところに出てみるが、目に入ってきたのは更に上方へと続くうねり道。メインの街道であるから、うまくすると通りかかった商人の馬車に乗せてもらえたりもするが、こういうときに限って、馬一匹通りがからない。ただひたすらに、歩く。
北へ行けば涼しいだろうという安易な考えは、まず打ち砕かれた。雨季のため、所々舗装のはげた道はぬかるんでいて歩きにくいし、蚊も多い。何より、暑い。一日中歩いていられるか、と嫌になるが、そうするより他はない。目の前をうねる赤黒い道を、ただ、にらみつけながら、歩みを進める。
・・・あー、暑い。なんとかならんか。なんともならない。
【新王国暦511年 7の月 上弦の月 雨 蛇の街道】
雨のため、ろくに進めない。峠に達し、エストンの山々に囲まれながら、目下の風景を一望の下に置いたときは爽快だったが、下りに達したとたんに土砂降りだ。
大きな街道沿いには、たいてい、ある一定の距離をおいて、旅籠がおいてある。屋根と水場があるだけの質素な物から、町にある宿屋と変わらない大きさのものまでさまざまである。料金は設備によってまちまちだ。無料のところや、善意の寄付を募るだけのところもあるが、最低限、夜露がしのげて、飲み水が補給できるぐらいのものはある。一人ではいちいちテントを設営するのも面倒だし、なにより露に濡れずにすむというのは、それだけで非常にありがたいことなのだ。
そういうわけで、街道沿いを歩く限りでは、この旅籠を利用している。
で。今日泊まったところだが。
屋根のある小屋になっていて、かび臭いながらもちゃんと毛布がおいてあった。ところが、雨が降っていて、朝方冷えたのもあり、これを拝借したのがいけなかった。
次の日から数日、とてつもなく不快な痒みに悩まされることになる。毛布のなかに、見えないほどの小さな虫が無数に巣食っていたのだ。おかげで、服のわずかな隙間から入り込んだ虫に噛まれた手足が、赤くはれ上がっている。そこに雨の湿気が蒸して、痒くてしょうがない。薬草を探すも、そう都合良く手に入るものではない。関節から指から、こんなところにまで、と思うようなところまで、噛まれてしまっている。手が届かない。
ああ、苛つく。
【新王国暦511年7の月 上弦の月より4日 曇り時々晴れ 蛇の街道】
蛇の街道も、峠を越えてこの辺りまで来ると、なだらかな下りが続き、ずいぶんと楽に感じる。
ただ、靴が破れた。
4年以上も履いているものだから、そろそろ寿命かもしれない。軽くて水はけが良くて、気に入っていたのだが。
1日中歩いていると、足の先に荷重がかかり、大地の精霊がそこに溜まって、爪が巻いてくる。これが足の指の肉に食い込んで、放っておくと激痛を伴うようになる。一種の使い痛みだ。そうならないように、踵のほうに重心をかけて歩く歩き方が身についていた。しかし、これが災いして、かかとばかりが磨り減ってしまった。そこから水が染み込むようになり、踵に力が入らず、歩きにくいことこの上ない。
次の街といえる町までは遠く、どうしたものかと考えあぐねていた。すると、旅籠で一緒になった商人が、自分の商品の皮を使って、応急に修理してくれた。金を払おうとしたら、いらん、と跳ね除けられた。
これが、町の中ならば、それが仕事でもあるので、代金は払ってもらう。しかし、旅中にあるならば、旅人はみな、同じ境遇にあり助け合うもの。いわば家族だ。そして、家族からは金は取れん、とのこと。
そういう考え方を甘い、と取る者もいる。が、ときおり見ず知らずの者から受け取るこのやさしさこそが、心に染みる。大した事ではないのに、人間も捨てた物じゃないな、などと思う。
近くの農家の娘が、自分のところで取れた野菜や果物、そして果実酒を売りにきた。旅人は土地に縛られた彼らの数少ない収入源であり、こちらとしても、干し肉や乾いたパンではなく、新鮮な食物が口にできるのはうれしいことだ。 自分の持つ情報も伝えながら、ドワーフのように頑固に口をへの字に曲げた商人相手に、久しぶりに酒を片手に、話に花を咲かせることができた。
【新王国暦511年 7の月 満月より1日 晴れ トカイ】
トカイという村がある。蛇の街も終わり近い、想い人の街道、麦の街道へと別れる先から逸れて、2日ほど行ったところにある。村といっても、名前に反して農地の合間に30戸ほどが軒を連ねる、本当に小さな部落だ。街道から外れ、わざわざこの谷あいの辺鄙な村に足を運んだ理由は1つ。
―――ワインがうまい。
街道町の宿で飲んでいた葡萄酒が気に入り、産地を聞いた所で主人から教えてもらった。その仕入先であったトカイの村が、知る人ぞ知るワインの隠れ里なのだそうだ。
背後の丘陵地の階段状の畑に、白葡萄がところせましとなっている。これからの駆り入れ時を待ちながら、農夫たちがのんびりと、陽光の下で土の手入れなどをやっている。秋の収穫祭には、ささやかながらこの村の伝統料理が振るまれ、色とりどりの民族衣装に身を包んだ少女たちが、ワインの豊穣を、大地の女神に感謝する。小さいながらも、マーファの祭壇が畑を見守っている。
各々の家には、独自のワインセラーがあり、各年のワインの試し飲みをさせてくれる。気に入れば、手持ちした瓶や皮袋に、その場で熟成樽から直接入れてもらえる。産地ならではの手法であり、値段も格安だ。
仕事を早めに切り上げ、家の外で飲んだくれている赤ら顔の男達に誘われて、しこたま飲んだ。この地方ならではの、気温差の大きい気候と豊かな土、あたたかな陽光が育てた葡萄は、独特のやわらかい甘さの香りをかもし出してくれる。樽から直接注いで飲んでいるので、ワインの中が運搬によって振られ、風の精霊のいたずらによって、すっぱくなることも無い。本来の味が楽しめるのだ。
さて、この地方特有のものに、貴腐ワインというのがある。ある年、ワインにする白葡萄の保存庫に水がたまり、葡萄が腐ってしまった。しかしその葡萄でワインを作ってみたところ、これまでにない独特の甘さのワインができたのだ。以来、同じ条件を再現して葡萄を腐らせ、手間をかけて、従来のものとは別次元の美味さのワインとして作られている。プリシスや、遠くはムディールの王侯貴族の婦女の間で、幻のワインとしてひそかな人気を集め、この村の貴重な収入源になっている。
しかし、ここ近年、この腐りがどうしてもうまくいかないという。時には激しく腐敗し、以前の香りと旨みにならないどころか、不快な腐臭がつく。原因はわからず、ワイン師たちは頭をかきむしっていた。
幻の貴腐ワインとやらを是が非でも賞味してみたかったので、原因について調査してみる。
すると、葡萄を腐らせるために使う溜め水を引いている、森の奥手の泉で、人間の屍体が見つかった。周辺にゴブリンが出る、というので、普段は村人は近寄らないところだ。かろうじて遺体に残っていた所持品から、プリシスの者だと見て取れた。おそらく、ロドーリルとの戦から逃れてきた難民が、ここで力尽きたのだろう。
近くにロドーリル方面から抜けてくる獣道が存在しているらしいが、なれた山師でも迷うほどの道で普通は誰も使わず、警備も居ない、とのことだった。死体が腐り、それが泉のなかの水の精霊の機嫌を損ねていた結果、貴腐がうまくいかなくなっていたのか。...あるいは、ここで死んでいるということを、この遺体が気づいてほしかったという呪いだったのかもしれない。遺体を丁重に葬り、花を捧げる。これで今年の貴腐はうまくいくだろうと、村人たちは喜んだ。
ただ、ここまで難民がきていたということは、このちいさな平和な村が戦禍に巻き込まれる可能性があるわけだ。それを考えると、胸の内を不隠な棘が刺す。
ささやかな協力の礼にと、持ちきれないほどのワインをくれた。徒歩の一人旅なので、そんなに荷物を増やすわけにはいかなったのに、ついつい受け取ってしまう。皮袋にいれると香りが落ちるから、と、瓶の方を持たされた。これが道中重かった上に、途中で割れてしまって、荷物中にワインの匂いが染み付いてしまった。やはり旅中は、余計なもは持つものではない。
【新王国暦511年 7の月 満月より5日 晴れ セゲド】
蛇の街道を終え、ミラルゴへと向かう想い人の街道、北上してプリシスに至る麦の街道との交点に達する。この近くにある、セゲドという、こじんまりとした町に着いた。地図にも無いような小さな町とはいえ、城壁と門があり、夜には閉まってしまう。プリシスの城壁を作る工人が集い、できた町というが、本当のところは定かではない。そう長くもない中心街を歩いていると、宿はすぐに見つかる。旅籠でない、まともな寝床は久しぶりだ。ドミトリー(大人数部屋)があいていた。一人部屋は、ときにはドミトリーの数倍もの値段になる。週や月単位でとるのならば安くもなるが、旅中、一夜の宿にすぎない場合は、節約のために、たいていは大人数部屋にベッドを取る。無論、どんな輩がいるかわからないので、荷物の管理はしっかりやらねばならない。が、多くの場合、同室の者とはすぐに打ち解け、旅先の貴重な情報が得られたりする。
さて、今晩、同じ部屋になったのは、西部諸国からきたという、男女一組の冒険者だった。男はガルガライス、女はリファールからとのことだったが、昔から一緒にいるわけではなく、出会ったのは東方だという。お互い一人旅だったが、なんとなく気が合って一緒にいるとのこと。荷物の運搬といい、治安といい、冒険者でなくとも、一人よりは多いに越したことはない。旅先で相棒を見つけるのはよくあることだ。
お互い、歩んできた経路が似ていたせいか、話は弾んだ。明日、ムディールの大商隊が朝方に通過するから門が混み、町を出るのは朝一番にしたほうがよい、と教えてくれた。気のいい連中だ。別にこの町に見所も無いし、足止めを食らうのもなんなので、明日は早起きすることにする。
さて、やわらかいベッドで身体を伸ばせるのは、それだけでうれしいことだ。しかし、明日、早く起きねばと、眠りがいつもより浅かったからか。
夜中、目が覚めた。
荒い息遣い、衣擦れの音、切れ切れの喘ぎ声。さっきのカップルの。
―――貴様ら、人が寝てる横で、ヤるな。
眠れんじゃないか。
しかも4回。
昼間歩き回っていたらしいのに、どこにそんな体力が残っていたのだろう?
朝、自分が出る頃、彼らは気持ちよさげに、ぐーすかと眠り込んでいたのを見ると、刺したくなった。おおらかなのは結構なんだが。
ったく、西の連中って奴は。
【新王国暦411年 7の月 下弦の月より2日 曇り一時雨 麦の街道入り口】
蛇の街道から、麦の街道に入る。プリシスへとむかう主要な道だ。その名の通り、大地母神の守りを受けた豊穣な穀倉地帯から取れる麦を運んでいた街道だ。しかし、度重なるロドーリルからの侵略を受け、プリシスから彼の国に向かう地域では、白刃の街道という穏やかならざらぬ呼び名がささやかれはじめている。
伝え聞くロドーリルの情勢。以前もそこに足を踏み入れたことはあったが、目的なしに訪れたいと思うところではない。
地図を眺め、ロドーリルをパスして白刃の街道を逸れ、マハトゥーヤ山脈の麓を行く道はないかと模索する。
戦地を避け、ここからバイカルへ抜けようと思うのだが、何分、いい地図がない。プリシスの領内まで行けば、妖魔の森を避け、地元民が使う道を教えてもらえるだろうと考える。
北側は戦時中だけあって、検問も厳しいが、南側の領内は静かなもので、入城にも、今のところは特に問題は無いという。
想い人の街道の方を辿ろうかともしたが、ロドーリルに攻略される前に名高いプリシスの城壁を見ておこうと、観光気分でそちらへいってみることに決めた。。マハトゥーヤ山脈から流れ出でる、マーファの乳と異名を取る、流れの白いサドリル河というのも見てみたい。
プリシスの領内はもうすぐだった。
いざ方向が定まれば、あとは気が楽なものだ。
街道からすこし外れたところに、小さな川が流れていた。上流の方に小さな集落が見える。今夜はそこに宿を取ればいいだろう。
土手に腰をかけ、しばらく弾いてなかったライアーを取り出す。梟の彫刻を指で弾いてから、ゆっくりとした音階の曲を奏でる。夕日が辺りを赤く染め始めた。
片雲足早に流れ 陽光薄片と化す。
湿った大気にはウンディーネの気配。重い風が、頬をなでる。
旅路を急ぐ。
一夜のみの宿。見慣れぬ肌と目の色。解せぬ言葉。
旅人が残してゆくのは、足跡と、幾ばくかの金のみ。
何のためにここにいるのか。何のためにここに来たのか。
自分は見知らぬ人。人の営みからはずれた、者。
自分が来ずとも、流れは変わらず。自分が居ずとも、気にとめる者無し。
鉛色の己の存在の光が、むなしき思いの靄に曇る。
ふと向けられた、好奇の目と、歓迎の手。浴びせられる質問。
一杯のエール。温かいスープ。
ほんのささいな安らぎが、重い霧を昇華する。
寂しさの精霊は、笑顔により蒸留され、心にぬくもりの結晶を残す。
形はかわれど、ある物は同じ。違いはあれど、感じるものは同じ。
人は確かにそこにいる。
明日の街と、変化と、出会い。
それがこころを押したてる。
―――なんだ、坊主、聞いていたのか。どこからきたのかって? 南の方、かな。蛇の道をずーっと下ったところにある、オランという大きな街だ。・・・もっと話を聞かせろ、か。ここの近くに宿はないから、自分の家に来い? かーちゃんのキドニーパイは、絶品、ね。
・・・一夜の歌に対して、寝床と暖かい夕食か。悪くない取引だな。
そう急かすなよ。逃げはせんから・・・。
そして旅人は、歩みを進める。
明日、また、懐かしい顔に会えそうな気がする―――。
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