No. 00124
DATE: 1999/09/28 15:51:46
NAME: スカイアー、ノカルディア
SUBJECT: 炉から産まれるたからもの
秋の高い空に、白いうろこ雲が広がるある日。
オランに帰参したばかりのスカイアーは、オランの三角塔にほど近い、武器屋の前にあった。木彫りの看板には、大きな字で、〔ノカルディアの工房〕と彫られている。
彼は、オランに戻り、自分のものとなった友人の剣を鍛えなおしてもらうため、顔見知りである鍛冶屋の元へやってきたのだった。
その剣は、セーヴェルと言う、彼の友人の父親の持ち物であった。それを、その息子でマイリーの神官戦士である、ティエルノがそれを持ち出した。しかし、ティエルノは戦の最中に死んだ。ティエルノの友人であったスカイアーは、剣を遺され、セーヴェルにそれを返そうとした。しかし、セーヴェルは、スカイアーにそれを託した。
友人の剣はそのままでは、スカイアーにとっては軽すぎるので、焼き直しをしてもらうために、ここを訪れたのである。
木戸をくぐると、さまざまな形の刀剣、矛槍、メイス、などが、所狭しと並べられている。値札を一瞥すると、どれもこれも、他の店より値が張ることがわかる。
「もう仕事に戻っていいんだってば。アンタは心配性なんだから」
カウンターの裏で、赤子に乳を飲ませている女が、痩せた男と会話していた。
「おっと、いらっしゃい」
スカイアーが入ってきたのに気が付いて、男が顔を上げて言う。
「おや、あんたは! あはは、こんな格好で失礼だね〜」
ノカルディアは、スカイアーを見て、笑った。
「無事に出産されたんですね。おめでとうございます。男の子ですか?」
以前スカイアーが彼女に会ったとき、彼女は身重だった。
「ありがとうよ! 女の子さ。五人目にして、初めてだよ。嬉しくってね〜。あたしゃ、この子を、後継ぎにするのさ。泣き声も一番おっきくってね。ほら、この乳を飲む勢い。先が楽しみだろぉ?」
授乳のためとはいえ、女が惜しげなく豊満な乳房をさらしている。スカイアーは赤面して目を逸らした。
「女の子を後継ぎと……、いえ、あなたらしいですね」
スカイアーは苦笑した。
「断影、といいます。これを、鍛え直ししてほしいのです」
スカイアーは、己の剣を、差し出した。
「影をも、断つ、ね。そりゃまた、たいそうな名前だ」
ノカルディアは、それを受け取りながら、少しおどけて言った。
《ラブレイ-481-》と刻印がしてある。
「……エレミアの、刀鍛冶だね」
ノカルディアの顔が、真剣味を帯びた。
「ご存知でしたか」
「同業者のことはちゃんと勉強してるさ……で済めば、気は楽なんだけれどねぇ」
ノカルディアは、剣から視線を外さずに、言った。
「ったく、相変わらずいい仕事を遺してるよ。あたしの、死んじまった叔父きはさ」
意外な繋がりに、スカイアーは顔を上げた。
ノカルディアは、エレミアの鍛冶職人の家で育った快活な娘だった。鍛冶には人手が要り、一家氏族総出でその職に当たることも珍しくなかった。ノカルディアの父は体が弱く、ラブレイは弟子に後を継がせた。
ノカルディア自身は鍛冶には無関心だった。そもそも、女が手を出す分野でもなかった。花屋の嫁になるのが、夢だと言い切っていた。しかし、彼女が恋愛の末に選んだ夫は、エレミアに研修にきていたオランの武器屋の主人だった。彼の妻に相応しくなるように、と、彼女は鍛冶師である叔父に、製鉄と鍛冶のノウハウを請うた。叔父は、一般的な知識を授ける程度のつもりであったが、彼女は元々、凝り性だった。溶けた鉄を打つ熱さ。どろどろとした無形のものが、形をなしていく喜び。いったん始めてみると、これが楽しくてしょうがなかった。女性鍛冶師と言う、前例の少ない道を開拓する喜びもあった。周囲が咎めるほどに、のめりこんだ。叔父の才能は、彼女に開花した。
元々、ドワーフが作った武器を扱うのみだった、オランにある夫の家は、結婚後、裏手の庭に、借金をして、工房を作ることを決めた。「冒険者の国」と呼ばれるオランだが、需要が大きい反面、競争も激しい。カンジタは、自分達の店ならではの特色が欲しいと望んでいた。自分達で、客一人一人の要求に合わせて、客に合った剣を作ることが出来れば、と考えていた。鍛冶の知識と技術を身につけた嫁は、その役を果たした。主人の家族は喜び、店の奮起をかけて、店の名は、嫁の名に変えられた。一軒ながら、口伝えで店は流行りはじめ、人を雇い入れ、オランでも有名な武器屋となった。ただ、客が増えると、それだけ一人一人に時間をかけていられなくなる。その分、値段の高さでも、有名な店となってしまった。
「このままでは軽すぎるので、ちょうどいい重さになるように焼き直ししていただけたら、と」
スカイアーの言葉に、ノカルディアは明るい顔をしなかった。
剣を軽くするのは、ある程度は容易である。しかし、重くするのは、剣に余分に鉄を加えることであり、融解させても元の鉄と材質が変わることは避けられない。下手をすると強度が落ちる。
「難しいね」
説明し、ノカルディアは首を捻った。
「あれを使うといいよ」
それまで、やり取りを黙って眺めていた、隣の男が、そう言った。
「あんた……」
「もう仕事が出来ると言ったね。エルシニアが胎にいるときに調合したあの鋼粉なら、元の剣にもしっくりと馴染む。あとは元の材質を見極めることだが、それを用いたのは、お前の叔父、お前の師匠さんだろ? お前なら出来る。やってみるといい」
彼は、ノカルディアの夫、カンジタだった。工房には入らず、主に客の相手と経理、材料調達の交渉などをやっている。一見存在感がないが、工房に無くてはならぬ人物である。
ノカルディアは、妊娠中、鑿が振るえない時期に、叔父の遺した指南書を紐解きながら、鉄と炭に、さらに他の鉱石を調合して、強度を高め、鍛え直しに適した砂鉄を試行錯誤していたのだった。
「こりゃあ、復帰早々、魂かけてやんないとね」
ノカルディアはぐっと拳を握って、笑った。
「かぁちゃん、奥で呼んでるよー」
そのとき、裏へ続く廊下から、一人の少年がやってきた。
「きな」
ノカルディアは立ち上がった。夫に娘を預け、スカイアーを手招きして、作業場へ入っていった。スカイアーは少年に会釈し、後に続いた。
「そこーーっ!空気足りてないよ!!もっとリキ入れて、踏みなッ!」
入るなり、彼女の声が、屋内に鳴り響く。それを聞いて、ふいご(炉に空気を送り込む道具)を踏んでいた、体格のいい力自慢の男達の背筋が、電撃を受けたように、しゃんと伸びる。
工房の中では、黒っぽい衣装を着た10人以上の男女が、汗を拭いながら働いている。ノカルディアが入ってきたことによって、その彼らに緊張が生まれたのがわかる。膨大な量の薪が積み上げられ、奥には真っ赤に熱せられた、臼を逆さにしたような竈が見える。込められた熱気の中、突如、炉から立ち上る水蒸気に、スカイアーは思わず身構えた。
砂鉄を、水路に流し、その比重によって選別する。三日四晩不眠不休で炉を燃やし続け、ふいごを踏み続けると、砂鉄はようやく溶けて、鉄の塊となる。これを〈けら〉と言い、武器・防具を始めとした、農機具、料理道具など、鉄に関わる全ての製品の基礎となる。通常、この過程で耐量の鉄を得るためには、伐採、運搬、炭焼き、砂鉄採集、ふいご踏み、鍛冶、鋳物などの諸知識が必要であり、大規模な設備と人数を必要とする。また、大量の木炭を得たり、鉄の水冷を行うために、水と樹木が必要となる。割合としては、一の鋼を得るために、四の砂鉄と三の木炭が必要になる。一回の製鉄を得るためには、山一つが必要だとさえ言われている。
故に、この工房では、基本となる鋼の殆どは、ドワーフの集落から仕入れている。そして、鍛え直しや焼き直しに必要な鉄のみを、〈けら〉から精製しているのだった。
「この際だからね。徹底的に、アンタの手にしか合わない剣に、鍛え直してみせるさ。それでお友達さんは、モンク言わないだろうね?」
引き出しにしまってある、鈍銀色の粉を見せながら、ノカルディアは言った。
友人の持っていた剣が、自分に合った剣に、自分だけの物に生まれ変わろうとしている。スカイアーの中には、奇妙な後ろめたさと嬉しさが同時に湧き上がり、複雑な心境ながら、高揚していた。
「それより、御代のほうが、心配ですね」
スカイアーは、冗談めかして言った。
「叔父きのゆかりからは、金は取れないよ、と言いたいところだけど、こっちも食扶持かかってるからねぇ」
ノカルディアも、笑った。
女鍛治師は、スカイアーの身長や足の長さ、手の長さなどを測った。最適な刃の長さを決定するためである。
さらに、彼女は、スカイアーに、さまざまな亜鈴状の鉄の塊を持たせ、上下するように言った。その筋肉の動きと疲労の度合いを見ることにより、スカイアーの正確な筋力を測ろうという寸法である。
これは、剣自体の大きさだけではなく、重量軽減のための血溝をどの程度にするのかにも関わってくる。軽くなれば長時間振ることが出来るが、その分威力は劣る。
さらに、彼女は、どういった用途に用いられるのかも、特定を求めた。人間相手か、野獣などの怪物相手か。騎馬で用いるのか、野戦になるのか。それにより、剣の尖り具合や刃の方向が異なってくる。一対一の鎧を着た人間を相手にする場合は、突き刺した方が相手の戦闘力を奪えるが、野獣相手や乱戦では、力に任せて叩き切った方が、効果的なのである。
スカイアーは、怪物、魔物を相手にすることを前提とした実戦、冒険向きの仕様に、と頼んだ。答えてから自分は、騎士でも、傭兵でもなく、これからも冒険者としての生き方を選んだのだと言うことを、再認識した。
「あんたの一番身近な神様は、なんだい?」
ノカルディアは信仰について聞いてきた。マイリーだと、スカイアーは答える。それが刀剣に関係あるのか、と聞く。ファリスの神官様には、柄に十字を入れると、喜んでいただけるしね、と言うのがその答えだった
剣をノカルディアに託し、スカイアーは工房から出た。生まれ変わる自分の剣を手にする日が、待ち遠しかった。
◆◆◆
数日後。剣の出来上がり具合を尋ねに、工房を訪ねたその帰り。
工房から外へ出ようとしたスカイアーは、自分をそっと見つめる影に気がついた。初めて来た時、ノカルディアを店に呼びに来た少年だった。4人いると言う彼女の息子の一人なのだろう。 長男が、冒険者に興味を持って困っている、という話を、彼女から聞いたことがあった。
スカイアーは、腰を下ろし、目線を合わせた。
「先ほどから、こちらを見ていたが、剣士に興味があるのかな?」
と柔らかく問い掛けた。彼は、子供が好きだった。
「べっ、べつに」
少年は、ばつが悪そうに、ふぃ、と目をそらした。
その様子が年相応にかわいらしく思えた。
「おじさん、冒険者なの?」
少年はふいに顔を上げて、聞いた。
「違う」
スカイアーは即答する。
子供の顔に、落胆が浮かぶ。
「『おじさん』ではなく、剣士の『スカイアー』だ」
スカイアーは軽く笑った。
「お母さんから、聞いているよ。話を聞きたいかい?」
子供の瞳が、ぱっと輝いた。
今日は、ラーダの学校も休みだった。
カンジタとノカルディアの長男、シュードの気分は、久し振りにとても浮き立っていた。学校の友達とやっている、「ゴブリンと盗賊」ごっこなどとは、比べ物にならない、本物の冒険者のお話!
店に冒険者が訪れるのはしょっちゅうであり、ときおり彼らから武勇談を聞いては、自分も冒険者になるんだ、と言っていた。それを聞いて母親は、冗談じゃない、冒険者なんて、あんなごろつきのやくざな危険な連中になられてたまるもんか、と大反対した。その、やくざな人達が、オトクイサマなのに、と少年は不思議がった。
スカイアーは、誇り高い騎士達の話、名立たる戦士達の物語を、身振り交えて、朗々と少年に語った。その度に、シュードは拳を握り締めて、感動するのだった。
少年はどんどん、話にのめり込んでいった。スカイアー自身の話も聞きたがった。スカイアーは多少照れくささを覚えながら、自分の話を語った。
ロマール・レイド戦役のような、血生臭い話は出さなかった。戦争の実態を語るには、少年の夢はまだ、純粋すぎた。少年にとってスカイアーは、英雄であり、吟遊詩人であった。
話をしながら、2人は、エイトサークル城までやってきた。この日、広場で、騎士の公開の訓練試合が行われる。小規模のものだが、一般大衆の前で行われる試合は、騎士達にとって自らの腕を試す絶好の機会であるし、民衆にとっては娯楽ともなる。
周囲には大きな人だかりができていた。少年は、少しでもよく見ようと、なんとか背伸びをしようとしている。それを見てスカイアーは、ひょいとシュードを担ぎ上げ、肩に乗せた。
剣士に肩車され、少年は喜んだ。試合はずっと、見易くなった。
しかし、目の前の試合よりも、先ほど剣士様が語った、冒険話の方がずっと面白かった。スカイアーは、騎士の剣筋について、一つ一つ説明した。それを聞いても、火花を散らす騎士たちがどのぐらいすごいのかわからなかった。しかし、それを解説できる、自分の下にいるこの剣士様の方がずっと凄いんだぞ、と思った。
日が暮れて、シュードはスカイアーに別れを告げ、家に戻った。こんな遅くまで、何処ほっつき歩いてんだい! と、母親の怒鳴り声が響いた。仕事を終えた母親の腕の中で、相変わらず赤ん坊が眠り込んでいた。剣士様との話の高揚が、一気に冷めていく思いだった。
夜。皆が寝静まった頃。誰もいなくなった工房を、シュードはふと覗いてみた。
テーブルの上に、鞘に収まった長剣が置いてあった。 シュードはそれを手にとって、そっと抜いてみた。鍛えあがったばかりのものらしく、柄は使い込まれた様子であるのに、剣身は新品同様に見えた。ずっしりとした重み。質素ながら重厚で、淡い光をうけて黒光りする刃。柄を合わせると、両手いっぱい広げたほどにもなる。少年は魅入られたように、それを見つめていた。
昼間の剣士様は、見せてはくれなかったけど、きっとこんな剣を持っているんだろう。自分もいつか……。
少年は、剣を鞘に戻した。
かぁちゃんは、あたらしい、大事な仕事を引き受けて忙しい、と言ってた。この剣が、それなんだろうか。
一日ぐらい、一晩ぐらい、いいよね・・・
少年は、剣を懐に抱え込んだ。そして、そのまま、裏口の扉をそっと開け、家から出て行った。それがスカイアーの剣だとは、少年は知らなかった。
月だけが、それを見ていた。
シュードは、こっそり剣の練習をしようと、街中をうろうろしていた。広場はまだ、人気がある。誰にも見つからない場所で、と、あちこちさ迷っているうちに、裏道に迷い込んでしまった。
目立つ剣を持って、子供がうろついている。そこにごろつきたちが目をつけてきた。
「どうしたんだい、少年剣士様? たいそうなモノを、おもちですねェ」
彼らは、失業したばかりの船乗りだった。先行き不安からの苛立ちを、周囲に当たり散らさずにはいられなかった。
「ちょっと見せていただけませんかね?」
彼らは、少年の剣に手をかけようとした。鞘に収まった剣は、素人目ながら、業物に見えた。
奪われる、と思い、少年は、必死で抵抗した。
「こいつ!」
思いもかけない過剰反応から、ごろつきたちは、むきになった。
シュードは逃げようとしたが、回り込まれて、腕をつかんで引き倒された。小石が頬に食い込んだ。
剣を抱え込んで離さない少年を、ごろつきたちは気を失うまで殴り蹴りし、その剣を奪い去ってしまった。
翌朝、シュードは通りかかった配達中のパン屋の主人に、冷たい石の上で倒れているところを発見された。意識の戻ったシュードは、大変なことになった、と蒼白になった。シュードは、後生だから、親に連絡しないで、自分で帰れるから、と言った。
お客様の大切な剣を奪われてしまった。パン屋さんと分かれてから、シュードは途方にくれた。何とか取り戻さなくては。
そうだ、剣士様! 昨日会った、スカイアーなら、きっと協力してくれるはずだ。
少年は、朝靄のなか、教えてもらった剣士様の宿へと、走っていった。
ノカルディアは、息子が一人いなくなっていることに気が付いた。そして、お客様から預かった、大切な剣も、消えていた。
「……あの、馬鹿たれが……ッ……」
母親は、頭を抱えた。
◆◆◆
オラン市街の東端、港湾区域(商業区域)。その中心部を南北に突っ切る一本の大路がある。これを南に下ると、東南、西南の二方向へと分岐する。東南方は街の外へ、すなわち大門をくぐって〈雲の上の街道〉へと繋がる道であり、数日の行程を経て港湾都市カゾフへと至る。もう一方、西南方の道は、ハザード川に沿って街区を貫き、やがて真っ直ぐに南へと伸び、門を隔てて近郊の村々へと続く。この西南方の道のり、すなわち大路の分岐点から門までの間を、ブラックアイズ・ストリート……目黒通りと呼ぶ。この通りと街道にでる道の間に、五大神の一柱、幸運と交流の神チャ・ザを奉ずる大神殿があることは有名である。
そして、その神殿の近辺に、石造りの街並みで知られるオランには珍しい、木造建築の店が一軒、立っている。
店の名は〔きままに亭〕……、そこに、シュードが昨日出会った剣士、スカイアーがいる筈であった。
店の前に辿り着くと、シュードは大きく息を吐いた。街の西端から東端までを一気に走ってきたため、胸は早鐘を打って痛み、足は震えていた。
「ここに……、剣士様が」
初めて見る冒険者の店の雰囲気に、シュードは緊張を覚えていた。
冒険者の店。ごろつき同然の人間が集まる、危険な場所。
ノカルディアの言葉が、チラリと脳裏を掠めた。
(今から、自分はその店に入ろうとしているんだ……)
シュードは唾を飲み込んで、もう一度店の入り口を見た。頑丈そうな木製の扉には、「営業中」の札がかけられている。早朝であるからか、店の中からは、特に人の声は聞こえてこない。
呼吸を整えると、シュードは思い切って扉を開けた。
カラン、カラン。
扉に付けられた鈴が軽やかな音を立て、来客を告げる。
予想していたよりも、ずっと綺麗な店内の様子が、シュードの目に飛び込んできた。
カウンターの奥に立っていた男が、顔を上げた。精悍な顔付きに、顎にうっすらと髭を生やした中年の男だ。
「よう。早いな、坊主」
その男……、〔きままに亭〕店主、マックス・マクシミリアンは、少年を見ると、気さくな調子で声をかけた。
シュードはおずおずとマックスの前へ歩み寄った。
「あ、あの……、ここに、スカイアーさん、いますか?」
「スカイアー?あぁ、まだ上で寝てるな。半刻もすれば、稽古とやらで起きてくるが」
「お願い、今すぐ、呼んできて!」
「うん?」
小さな体を乗り出して訴えるシュードに、マックスは一瞬、訝しげな表情を見せたが、やがて、柔らかく笑うと、顎鬚をさすり上げながら言った。
「ワケありって顔だな。わかった。ちょっと待ってな」
それから……。
シュードは落着かない様子で、椅子に腰掛けていた。目の前には、マックスの妻ユークリッドが入れてくれた熱いミルクが、仄かな湯気を立てているが、シュードはそれに全く手を付けていなかった。喉は渇いていたが、とても飲める気分ではなかった。
ユークリッドは二言三言シュードに話し掛けたが、少年が全くの気もそぞろであるのを見ると、背中のエミールをあやしながら、厨房へ戻っていった。
それから、階段を降りてきたスカイアーが、シュードの名を呼ぶまでの時間は僅かなものであった。だが、少年には、それの時間がとてつもなく長く感じられた。
「シュード」
その声に振り向き、剣士の姿を確認したとき、シュードの顔は泣き出さんばかりに歪んでいた。
「わざわざ、訪ねてくるとは……、どうしたのだ?」
目線を合わせ、問い掛けるスカイアーの胸に、シュードはしがみ付くと、声を上げて泣き出していた。
それから、一刻の後……。
スカイアーとシュードの二人の姿は、港湾区域にあった。シュードより剣を奪った船乗り達の居場所を突き止めるべく、聞き込みを続けているのである。
一緒に行く、と言うシュードを、スカイアーは敢えて帰そうとはしなかった。シュードが、自分なりに責任を果たそうとしているのを、妨げる道理はないと考えたからである。
「女将が鍛えた剣は、船乗りには分不相応なものだ。この界隈ではさぞ目立つに違いない。根気よく尋ねていけば、きっと見つかる。心配することはない」
道々、スカイアーはそう言ってシュードを励ました。
店に並べてあった剣を持ち出し、それを奪われた……、としかスカイアーは聞いていなかった。その剣が、己のものであることなど、露ほども考えは及ばなかった。
船乗り達は、途方に暮れていた。
子供から、からかい半分に剣を奪ったはいいものの、その扱いに悩んでいた。彼らが腰に差している棍棒や短剣と違い、実戦本位で作られたその長剣は、ずっしりと重く、持ち運ぶにも一苦労だった。
店に売り飛ばすにしても、船乗り風情が持ち込む品としては、明らかに不相応な代物である。見せた途端に、盗品と知れるだろう。彼らのような人間から物を買い取るような店の主ともなれば、僅かな恩賞欲しさに衛兵に密告することも頻繁なのである。
更に言うなら、金が欲しい人間は、他に山といるのである。そう言った連中は、その日の食事代にしかならない数枚の銀貨を渡されただけでも、剣を抱えて裏路地に座り込む船乗り達のことを、ぺらぺらと語るものであった。
法外な金額を吹っかけようとした者もいたが、質問者であるその剣士の眼光に射竦められ、それ以上言葉を紡ぎだせた者は一人とてなかった。
「この先だな。行くとしよう」
つい先頃、それらしき連中がこの奥へと入っていった……、それを聞いたスカイアーは、シュードを促して、入り組んだ裏路地へと踏み入った。
最初に、シュードが船乗り達を見つけた。
「あいつらだ!」
指を差し、シュードは大声で叫んだ。
その声に、船乗り達は振り返った。昨日の少年と、その前に立つスカイアーを見て、思わず浮き足立つ。
「な、何でぇ、てめえは!」
「名乗る必要はない。お前達が持っている、その剣に用があるだけだ」
スカイアーは一歩進み出て、彼らを睨んだ。明らかに実戦慣れした様子のスカイアーの雰囲気に呑まれ、彼らは後退りをしたものの、一人があることに気づいて言った。
「おいっ、相手は丸腰じゃねえか。ビビるこたぁねえっ」
男達は一斉に、目を剥いた。見ると、確かにスカイアーは寸鉄も帯びていない。
「野郎、ハッタリだぜ」
その言葉に、全員、凶悪な目つきになる。人数が多いことと、得物を携えているのがこちらだけと分かった途端、強気になったのであった。
一番驚いていたのは、シュードであった。
「スカイアーさん、どうして、剣を持ってこなかったの!」
シュードの声は必死であった。
対するスカイアーの答えは、恬淡としていた。
「故あって、今は手放している」
そして、一拍置いて、シュードを見やり、優しく笑った。
「付け加えるなら、このような連中相手には必要ない。剣が勿体無かろう」
スカイアーは、拳を構えることもせず、船乗り達へとゆっくりと歩を進めていった。
当然、男達はいきり立った。最初に威圧されただけに、殺気が倍増していた。
「舐めやがってッ」
スカイアーが丸腰であることを見抜いた男が、腰から短剣を引き抜くと、猛然と突き進んできた。
「得物もなくて、受け止められるものかよッ」
男が短剣を突き出そうとした瞬間、スカイアーがすっと動いた。男が得物を握り締めていた右手側に一歩、半身の姿勢で踏み込むや否や、男の手首を掴んでこれを下方へ押し下げ、同時に顔面めがけてもう一方の掌底を鋭く叩き込んでいた。体勢を崩したところに激烈な一手を受け、男は気を失ってずるずると崩れ落ちた。
すぐ傍にいた二人目の男が、棍棒を振りかざして迫ったが、それを振り下ろすよりも早くに、スカイアーに懐に飛び込まれ、逆手を取られたかと見えたときには宙に放り上げられていた。男は受け身を取り損ね、一つうめいて悶絶した。
ともに、体術の要領であった。武術を語るにおいて、剣槍術と体術は不可分の関係にある。武術を学ぶことは、すなわち人体の理を学ぶことであった。
スカイアーは、素早く屈んで棍棒を手に取ると、今度は己から飛び出した。体の動きには一瞬の遅滞もない。予め、そう動こうと考えていたかのような滑らかさだった。
これが、長年実戦に触れてきた人間の膂力なのだろうと、シュードは興奮に身が震えるのを覚えた。
棍棒を手にしたスカイアーは、突風のごとき勢いで、残る者達に躍り掛かった。三人目は、短剣を振り回す間もなく、脳天を打たれて昏倒し、四人目は手首を打たれて棍棒を弾き飛ばされたところに突きを受けて鼻を砕かれ、仰向けに絶倒した。
一人目を倒してから、何十も数えないほどの早業であった。しかし、最後の一人……剣を持った男が行動を起こすには余裕のある時間であった。
「むっ」
スカイアーの表情が一変した。
男が、長剣を引き抜いて、シュードめがけて駆け寄り始めたのだ。恐らく、少年を人質とする腹積もりであろう。長剣は、明らかに男の手に余る代物ではあったが、ギラリと黒光りする刃は、少年を威圧するに十分であった。
シュードの表情が強張る。「ゴブリンと盗賊ごっこ」で自分達が振り回していたような棒切れとは違う。命を奪うために作られた、本物の剣。しかも、実の母が手ずから鍛え上げた剣だった。それが己の身に迫ろうとしている。
シュードの腰が思わず引けたとき、
「逃げるな!」
スカイアーの叱咤する声が、シュードの耳朶を打った。ハッとして、スカイアーを見る。
スカイアーは厳しい表情であった。それは、シュードが初めて見た剣士の顔であった。そして、スカイアーの瞳を見た刹那、少年は彼が告げようとしていることを瞬時に理解していた。
二人の視線が交錯したのは一瞬であった。
「えぇーいっ!」
シュードは飛び出すと、目を閉じて、男に体ごと、思い切りぶつかった。ろくに振れそうにもない剣を構えた男が、それをなぎ払える筈も、まして避けられる筈もなかった。
ぐっと男の体が後ろに傾く。押し倒されそうになるのを堪えようとしたとき、腰に鈍い痛みが走り、足がよろりと崩れた。
「うわわっ」
そのまま、男は倒れ、石畳に後頭部をしたたかに打ちつけた。
「でかした!」
スカイアーの声に、シュードは目を開いた。己が組み敷いていた男は、白目を剥いて気絶している。
「これ……」
シュードはスカイアーを見た。剣士の表情に厳しさは既になく、少年の見慣れた柔らかい笑顔が浮かんでいた。
「君がやったんだ。お手柄だ、シュード」
「……僕の?」
「あぁ、そうだとも」
スカイアーは力強く肯いた。
実は……。
シュードが体当たりを仕掛けたと同時に、スカイアーが手にした棍棒を男めがけて投げつけていたのであった。シュードの体重では男を押し切ることはできない、とスカイアーは瞬時に判断を下し、男の体勢を切り崩したのである。
その一連の動作は男の体に隠れて、シュードに気づかれることはなかった。
スカイアーはシュードを立たせると、衣服の埃を払い、軽く頭を撫でた。
「これで、一人前だな。シュードも」
スカイアーの掌の温もりを感じながら、シュードは嬉しさと気恥ずかしさとがない交ぜになった感情を覚えていた。それは胸を熱く、心地よくさせた。
「さあ、剣を持って家に戻ろう。女将も心配している」
そういいながら、スカイアーは男の傍らに転がっていた剣を、シュードに渡そうと拾い上げようとした。
その時である。
「くたばれぇッ!」
背後から、それまで隠れていた最後の一人が、カトラスを抜いて踊りかかってきた。
本当は最後まで隠れて見ているつもりであったが、一対多の状況でここまでやられては、面子が立たないと考えたのである。さらには、不意打ちにせよ、ここで自分がこの剣士を仕留められれば、後で仲間に大きな顔が出来る、そういう思惑もあった。
シュードが「あっ」と声を上げる間もなかった。
スカイアーの背中めがけて白刃が振り下ろされようとした刹那。
剣光一閃……。
それは、まさに流れるような動作だった。
スカイアーの剣が鮮やかな弧を描いていた。振り向きざまの一刀であった。
カトラスよりも遥かに速く、刃が男の眉間に迫る。それが叩き付けられる直前、スカイアーは僅かに手首を返した。
男は剣の刃ではなく、腹の部分で眉間を打たれ、カトラスを取り落とした時には既に気を失っていた。
剣の重心の正確さ、返ってくる衝撃の少なさに、スカイアーは驚嘆していた。
重さ、振り易さ、返し易さ、持ち心地……、それら全てが、望んでいた通りの具合であることが、ただ一振りしただけで理解できていた。その剣は、まるで己の手の一部であるかのように、しっくりと馴染んでいた。
「随分と手入れの行き届いた剣だな。さすが、女将の仕事だ……うむ?」
スカイアーは、手にしたその剣を、まじまじと見た。刀身に刻まれた文字に気づき、表情を改めた。
刀身の形状がある程度変わり、徹底的に磨き上げられていたために見違えそうになったものの、そこに切られた銘だけは変わりがなかった。
《ラブレイ-481-》……。
スカイアーはそれを見て、
「なんと……」
と呟き、新生した己の剣との意外な再会に、呆然としていた。
シュードは、そんな彼を不思議そうに見やった。
◆◆◆
ノカルディアは、容赦が無かった。
「お客さんのモノに手ぇ出して!!なんて子だいッ!!」
傷だらけで戻ってきた息子に、問答無用で、往復の平手打ちをくれた。
そのまま、母は、奥に引きこもった。俯いた息子だけが、残された。
「お前がいなくなっていた間だな……、かぁちゃん、乳がでなくなってたんだぞ。お前が、心配で」
入れ替わりにカンジタがやってきて、息子に、そっと声をかけた。
「エルシニアは泣くし、かぁちゃんも仕事どころじゃないし。大変だったさ。このまま、お前が戻ってこなかったら、店が潰れるんじゃないかって思ったな」
パン屋の主人から、息子が傷だらけで倒れていた。そう聞いたまま、一日経っても息子は見つからない。
「剣が心配だったんじゃ……」
息子は拗ねたようにそう返した。
「かぁちゃんの口からは、お前の名前しかでてこなかったな」
母親は、末娘だけを愛してる。あとは、子供より、店が大切なんだ。他に3人もいるんだから、自分はいなくったっていいんだ。そう思っていた。シュードは、肩を震わせた。
「痛かったか?」
赤く腫れ上がった息子の頬を撫でながら、カンジタは言った。
「かぁちゃんは、もっと、痛そうな顔、してたぞ?」
シュードは、寂しかったのだ。普段から、店にばかりかかりっきりの母親。ただでさえ忙しくて構ってもらえないのに、エルシニアが生まれてからは、彼女のことばかり。
産後の大切な母の仕事。それを台無しにする気は無かった。ただ、ちょっと、手間をかけさせて、注意を引きたかったのだ。 シュードは、俯いたまま、顔を上げることができなかった。
「ごめんなさい」
母親が引き篭った寝室のドアの前で、シュードはぼそぼそと言った。
暫く、沈黙があった。
「ごめんなさい。もうしません」
もう一度、シュードは言った。
ドアが開いた。
「この、馬鹿たれが」
ノカルディアは、シュードを、力いっぱい、ぎゅ、と抱きしめた。そこにいる、ということを確かめるかのように。
「かぁちゃん、痛い」
「おまえみたいな馬鹿たれは、これぐらいでちょうどいいんだよ」
母親は、力を緩めなかった。その膝が、少年の涙で、濡れていった。
ノカルディアは、平身低頭でスカイアーに詫びた。身内が客の物に手を出した上に、それが盗まれたのである。職人としての信用が皆無になったと言っても過言ではなかった。
しかし、剣士は気にする風もなかった。
「済んだことです。どうか、顔を上げてください」
スカイアーは手にした長剣……〈断影・改〉と名を新たにした己の剣を見やり、そして、ノカルディアの隣で頭を下げさせられていたシュードに、笑って見せた。
ノカルディアは、シュードの傷の手当てをしてもらうために、町医者クスコを訪ねた。スカイアーもそれに同伴した。
「相変わらず、あなたのお子さんは無茶をするね、元気がいい証拠ではあるが。」
クスコは、全身傷だらけ、青痣だらけになったシュードを見て、そう言った。一方のスカイアーは、あの乱闘にも関わらず、傷一つなく、塗り薬すら必要としなかった。
やんちゃ坊主を抱え、自身も仕事柄、生傷の絶えないノカルディア一家は、クスコとマリナの、町医者の兄妹にしょっちゅう世話になっていた。マリナには、お産の面倒も、見てもらっていた。
「これ・・・この火傷が、いちばんひどいわね。これも、戦っているときにやられちゃったの?」
シュードの腕を取って、軟膏を塗りながら、マリナが尋ねた。
「いや、これは・・・。」
ノカルディアは、恥ずかしそうに、頭を掻いた。
「これ、かーちゃんに焼きごてやられたんだよっ。」
シュードが顔をしかめながら言った。
周囲に笑いが、沸き起こった。
後日談として。
シュード坊やが、冒険者スカイアーに憧れて、自分も彼のように!と決意を新たにしたのは言うまでも無い。シュードは弟たちに剣士様から聞いた話と、目の前でみた活躍を説いて回り、しまいには、兄妹でパーティを組んで冒険者になるんだ!と両親の前で宣言してしまったのである。
それを聞いて、剣士は、
「すまん、女将・・・」
と心の中で詫び、天を仰いだのであった。
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