No. 00126
DATE: 1999/10/09 23:42:48
NAME: リヴァース マスター
SUBJECT: 秋の夜長(其の一)
夏が長いオランであっても10の月にもなると、朝晩はかなり冷え込んでくる。オランの北方に位置する地域の木々は、すでに色づき始めてさえいる。
木々の紅葉は綺麗なものであったが、この日はあいにくの天気である。本降りともなれば雨宿りをして一日過ごそうかという気にもなるのだが、霧雨程度であるならば行ってしまおうと思わせる、そんなすっきりしない空であった。
「なんとかならんか、この天気」
ムディール特有の絵柄の織り込まれたマントを羽織り、男とも女とも取れるような声で毒づく。霧雨程度といっても、これがくせもので意外と濡れるものなのだ。気温も低く水分も大量に含むためマントが重いし、疲れやすい。一人旅であるならなおさら気が滅入る。
「やはり雨宿りして過ごすべきだったか?」
と昨晩の寝床にした木の上の快適だったことを思い出し、後悔の気持ちが沸き上がる。だからといって戻る気にもなれず、湿った景色を眺めつつ詰まらないことばかりを考え歩を進めるのであった。
街道脇には道しるべがあり、この先に村があることをひっそりと伝える。この天気では街道を行く旅人にすらすれ違わない。「やはり、動いたのは失敗だったか?」またも詰まらないことを考え、目に入った標識の木目を伝う水滴が、さらに寒気を誘う。
「次の村で宿でも取るか」
冷えた体で野宿は避けたいところ、街道沿いなのだから宿ぐらいはあるだろうと少しばかり元気が出てくる。
しばらくして先ほど案内されていた村が見えてくる。霧雨と靄に包まれた村は神秘的でもあったが、不気味さも漂わせていた。
この天気である。村人たちは家の中に閉じこもっていることだろう。そう考えていた旅人は、近づくにつれ人のざわめきを聞き、首を傾げるのであった。
「市でも開いているのか?」
村に入ると、中央広場に天幕が張られていることに気がつく。
「なるほど、雨など関係ないのだな」
賑わしいことは良いことだ。このうっとうしい空模様をはね飛ばすくらいの活気があってくれよ。そう願わずにはいられなかった。
ともかく、今晩の宿の場所を聞こうと村人たちに近づいていく。
どうやら、行商が立ち寄っているようだ。といっても商隊などではなく個人商らしい。一人を村人たちが囲んでいるのが見える。
「行商などこの街道沿いなら珍しくもないだろうに……」
行商が珍しく人垣が出来るとなると、扱う品物が珍しいということだ。曇っていた気持ちが好奇心に追いやられる。
集まってきているのは中年の女性たちである。中に旦那と見られる男性の姿もあるが数は多くない。にしてもどうも様子がおかしい。商談をしているというより、世間話を興じているように見られる。
好奇心が疑問に取って代わり、いったい何の集まりなのだと村人の脇から顔を覗かせてみることにした。
「お、リヴァースじゃないか。奇遇だな」
リヴァースと呼ばれた旅人はギョッとした。こちらが顔を確かめる前に覗いた瞬間に呼ばれたからである。緊張と焦りが背中を走り抜けると共に、視覚情報がやっと脳に到達して安堵に変わる。
「ま、マスター……なんで……」
安堵に変わると共に別の疑問が沸き上がる。オランの街で店を構えているはずの主人がこんな場所にいるのである。いったい店はどうしたのか? 潰れたのか? 追い出されたのか? などという勝手な想像がリヴァースの頭を駆けめぐっていた。
「こっちに来ていたんだ」
村長の家で昼食を呼ばれながら、マスターが会話を切り出す。
すでに自分の身元は彼の口から語られ、村人も万歳するかのごとく歓迎してくれている。異様な空気に呑まれつつ、言われるがままに食卓についていた。確かに腹は空いているのだが、自分の意志を省みない展開が少々気にくわない。これが見ず知らずの者たちばかりであるなら違うだろうが、ここにはマスターがいる。彼が全ての主導権を握っているのだ。
マスターの問いに、ぶっきらぼうに答える。
「ああ、もうすぐオランに寄るつもりだ」
何故か、「帰る」という言葉ははばかられた。むしろ、脳裏では寄るのをよそうかとさえ考えている。別にマスターのことが嫌っているわけではない。しかしだ、この間のハースニールといい、今日のマスターといい、どこかおかしい。旅先でこうも知り合いに会うものなのか? 出会いの喜びは確かにあるのだが、素直に受け入れられないリヴァースなのであった。
腹が脹れることによる安心感からか、会話が進むようになる。感じていた疑問をぶつけることで会話が弾み、マスターの一面をかいま見ることになる。
どうもこの村はマスターに恩があるようなのだ。随分昔の話だそうだが、そのときできた交流を今も大事に続けているだけのこと。と彼は短く語った。先ほどの天幕のやりとりはこの土地の風習の一つで恩を受けた者は贈り物をする。それをマスターも受け入れ、贈り物を受けるという恩を、また贈り物という形で返す。それをしていたのだ。この土地はそうすることで互いに恩を感じ合い、交流を絶え間なく続くようにしているのであった。とはいえ、15年以上も前にできた交流を未だに続けられるというものなのか? 人より長命なハーフエルフでさえその時間の重さは途方もなく感じる。それと共にどのような恩を彼から得たのか知りたくもなった。
また、店に関しては「店員に任せてきた」という責任感放棄とも受け取れる一言で片づけられてしまった。どうも、こうした数泊の旅は以前からもあるらしい。
(なんて主人だ)
とは思いつつも口には出さない。それよりも残された奥さんや娘さんはどう納得しているのだろうか? という興味もわいてくる。
「泊まらないのか?」
思わずリヴァースは上擦った女のような声色を出してしまう。おまけに普段では口にしない一言が出てしまった。この霧雨の中、ここに泊まらず先に進むと聞かされてつい本音が出てしまったのである。口にしてから後悔をするがもう遅い。どうもこの男が相手だと自分のペースを保つことができない。口にした後でにらみつけてみる。
「ああ、それより一緒にどうだ?」
今の声を笑いもせず、視線を気にすることもなく同行を持ちかけてきた。
マスターが言うには、この先の村に用事があるらしい。なんでも木の子(茸)を取りに行くというのだ。それに温泉もあるぞと付け加えられる。
リヴァースは逡巡した。これ以上マスターに関わっていては終始自分のペースを狂わされる。これはかなり気持ちが悪いことだった。
しかし、そのためらいを見とってか、マスターは語りだした。秋の味覚と温泉の良さを。
酒場の主人ということだけあって、冒険譚から世間話まで、どんな話題にしても「聞かせる」語りをしてくるのだ。先が判っている話しであっても、その話し方であれば、何度でも聞きたい。そう思わせる語りなのだ。マスターはこれを仕掛けてきた。
しかも、絶対に「行こう」とか「来ないと損するよ」などという言葉は使わない。必ず、決意させるのは相手に任せるのである。散々、情景まで思い描けるほどの描写までしておいて、決定権は相手に委ねるのである。行かないと損をすると判らせておいて、「行きませんか?」と問うてくるのである。拒否権を必ず与えておくのだ。そうしておけば、何か不満があったとしても自己の意志で来た以上相手の責任とは言えないのだ。
「もちろん、木の子や山菜が採れないことだってある。しかし、今日みたいな天気の次の日はわさんか木の子が生えるんだよなぁ」
デメリットもちゃんと説明する。あくまでさらりと流す程度で、注意深く聞いていなければ聞き逃すような会話の折り込み方である。プロと言うしかない。
やり口が汚いと思いつつも、彼の語った味覚、情景が脳裏について離れない。(……この男わぁ……)
結局、マスターの語りに乗せられるという形で、同行を申し出ることになるのであった。
経緯はどうであれ、この男と過ごすのは楽しそうにも思えた。それにこの村を救った話しも聞き出せることだろうし。そんな企みを思いつつ外に出る。
彼の愛馬が主人の姿を見つけて嬉しそうにいななく。
互いの荷物を馬に乗せ、二人は霧雨の中、山間に向けて歩き出すのであった。
(つづく)
 |