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No. 00127
DATE: 1999/09/30 02:31:06
NAME: フレデリック
SUBJECT: ヤンターの恩
フレデリック:神殿に所属せずに活動するファリス神官。当時は神官見習い。
ヤンター :エレミアの神殿に所属するファリス神官。
フレデリックがヤンターに恩を受けたのは、今から一年ほど前のことになる。
まだ神官の位を得ず、見習いとしてオランの神殿に仕えていた時分、エレミアの神殿に仕えている友人から連絡が届いた。正式に司祭の位を得たとの報告と、嫁をもらうとの報告であった。彼にとっては後者の方が衝撃的であり、また喜ばしかった。これは是非とも祝いにいかねば、と出向いたことが事の始まりである。
友人の司祭の承認の儀式のとき、ヤンターも参列していたが、このときはまだ顔を見かける程度の間柄でしかなかない。
無事儀式も終え、明日はいよいよ結婚式である。
めでたいこと続きで、気分が浮かれており、司祭になったばかりの独身最後の友人とその仲間と共に街に繰り出していた。
もっとも、互いに神に仕える身であるのでハメを外したり、醜態をさらすような真似はしない。あくまでファリス信者の中から見ては騒いでいる、楽しんでいるという程度である。
端から言わせれば、「なんと辛気くさい騒ぎ方だ」と罵られそうだが、彼らにの耳には届かない。節度ある楽しみ方で満足できるし、他人に迷惑をかけることがない。むしろ堅物のファリス信者が少量であるにしても酒をたしなむ姿は市民にとっては新鮮であり、身近に感じる一時でもあった。
冒険者や盗賊などの一部の者達にはよりいっそう煙違われるだけであったが、全体の数にしてみれば僅かでしかない。司祭の結婚という話しを聞き、「祝らせてくれ」とたちまち人垣ができ、騒ぎとなる。
ここで「おごれっ」とたかりに来ない辺りが、司祭という格なのだろう。神に仕える者にたかるというのは信仰心のない者たちだけであり、逆にたかろうというものなら司祭でなく、一般人から白い目で見られることになる。
それでも酒に飲まれ、信仰浅き者たちから酒を勧められたりはするが、それを丁寧に断りつつ、店を辞す辺り司祭としての風格が伺える。
いつか、彼のような人望厚き司祭になろうとフレデリックは心に誓う。
帰り道、押さえていたつもりであったが酒が過ぎていたようで、足下がおぼつかない。それを見て、「今日ばかりはファリス神も寛容でしょう」と司祭は微笑む。その言葉にまたも司祭の姿を見ることになる。
主賓である彼の方こそ、酔うべきはずなのだが、ふらついているのは自分たちばかりであると知り、恥ずかしくなる。
そんな格の違いを見せつけられ、いつまで経っても見習いである自分に情けなく感じる矢先、通りの先で人垣が出来ており、なにやら騒がしいことに気がついた。
「喧嘩でしょうか?」
司祭の言葉で、一行の気が引き締まる。酔っていてもファリス信者と言うべきか。
人垣を分け入ると、そこには昨日神殿で見かけた信者、のちにヤンターと名を知る男と、土方の作業着と思われる服装をする青年が頬を赤らめて座っていた。口の端には僅かに血も付いている。
どうやら殴られた後らしい。それもたいそう強くだ。
「いきなりなりしやがるっ!」
「盗みを働く者へ正当な罰です」
青年の目を見据え、神官は答えた。
「はっ、神官さまか。何を証拠に人を殴るんだろうねぇ」
うろたえるそぶりも見せず、わざとらしく青年はほこりを払い落とし、にらみ返してくる。自分は無罪であると言わんばかりの自信を持って。
そのまま言い争いに入り、回りから「手っ取り早く殴り合え」と野次が飛ぶようになる。
神官は、罪を隠すことがより罪が重いと説き、頭ごなしに謝罪させようとしている。青年は盗ったものがないのに盗人と決めつけられては堪らないと大声で叫ぶ。
見かねて司祭が仲裁に入るが、このときの神官は余計なお節介だと言わんばかりの表情となる。それをフレデリックは見逃さなかった。
結局、その場は身体検査をし盗品を持たぬことから青年は無罪として扱われた。司祭の癒しにより怪我は治されたもののプライドを傷つけられたとして噛みつかんばかりの罵声を神官に浴びせ去った。「いずれ、詫び金をもらいにいくぞ」との言葉まで残して。
それでも神官は、自分の過ちを認めようとせず、堂々とその場を去っていく。「神は正しきを見ている」
との言葉を残し。
ヤンターとの印象は最悪なものであった。どうやら神殿内でも彼の行き過ぎた行為に手を焼いていると聞く。その噂に納得し、あのような者でも神官がつとまるとはエレミアも品がないと内心思っていた。
しかし、その後の話しで、彼が神の声を聞き、奇跡を起こせるというのは信じがたい事実であった。
フレデリックは自分の信仰の方が彼よりも勝っているのではないかと思い、何が神に認められぬのか思い悩む。
そして、彼には近づくまいと誓うのでもあった。
翌日、結婚式を無事終え、振舞酒で盛り上がる中、神殿の外から騒がしい声が聞こえてくる。どうやら複数の者たちが誰かを追っているようだった。
幸いにも新郎の司祭には騒ぎに気づいてないようで、お偉いさん方と話し込んでいる。
こんなときでも席を抜け出してしまうのが秩序を守る使命を負う信者の性なのか、それは見習いであっても薄いものではない。
友人の結婚式に祝いに来たのにも関わらず、抜け出してしまうにはわけがあった。それは尊敬できない振る舞いをするヤンターに聞こえ、自分には聞こえない声の差がフレデリックを動かしていた。
「秩序を守る=信仰にかなう」それを信じて。
騒ぎの声は、離れてしまったが追いかけてはいけそうであった。
しばらく走ると、全速力でこちらに駆けてくる子供とぶつかりそうになった。歳は10歳くらいであろうか、みすぼらしい恰好をしている男の子であった。
「大丈夫か……」
声をかけて気づく、子供の懐の中にはソーセージが山ほど詰め込まれていた。先ほどの騒ぎの元は彼が原因に違いないと感じる。
スラムに住む子供たちの存在は前々から知っていたが、盗みの現場を目撃するのははじめてであった。
「叱らなくてはいけない」
法を司る性なのか、過ちに対して処罰という図式は変えがたいものになっているらしい。彼もまた例外でなく、悪いことをした子供に罰を与えようと動いたのであった。
逃げるより先にフレデリックの手が子供を捕らえた。
幼き頃から道を踏み外しては取り返しの付かない大人になってしまう。彼の脳裏にはそれだけが渦巻いていた。
暴れる子供を押さえつけようとして、手を噛まれる。その激痛に力を緩めてしまい逃げられる。
「だめだ、ここで逃がしては……秩序を乱す大人に育ってしまう」
その思いだけで彼は子供を追いかける。
地の利は子供にあったが、逃げてきた時間が長すぎた。逃げ延びるだけの体力はすでに子供には残っていなかった。ついに観念して向き直る。
息を切らして追いかけてきたフレデリックに、敵意剥き出しにしてにらみつける。そして死んでも離さないぞと言わんばかりに大事そうに懐の食料をぎゅっと抱きしめる。殺されても構わないと思って盗んだ品に違いない。それだけ子供も必死なのである。
「さぁ、そんな悪いことはしちゃいけない」
フレデリックは両手を差し伸べ、近づいた。
「いけない!」
背後から声がした。その声に気を取られる前にフレデリックの手に針を刺したような冷たい感触を受ける。
キラリ光る刃物。それは子供の手にあった。
自分の手から流れ落ちる血を見て、冷静さを失ったのはフレデリックであった。声をかられていたことも頭にない。
「ここまで道を踏み外していたのか!」
刃物で斬りつけてしまう、そんな恐ろしい子供になってしまっている。その思いが彼の冷静さを奪った。そして拳を作らせ、振りかぶらせる。
そのとき、ゴンッ! という鈍い音と共に、石が路地に転がった。
拳を振り上げていた彼の頭に直撃したのだ。彼は倒れ、側頭部から血がにじんでいる。
突然の出来事に、状況を理解できないフレデリックは、頭を押さえながら辺りを確認する。彼の目に映ったのは、かかりわりたくないと誓ったあのヤンターであった。手にスリングを持っている。
血が頭に上るのが感じられた。窃盗をしていると確定している子供、しかも傷害まで犯している相手を捕らえず、自分を攻撃してきた理由が判らなかったからだ。
「昨日とやることが違うではないか!」
憤りが膨れ上がり、敵意はヤンターに向けられた。
しかし、ヤンターは彼に構うことなく子供の方へ近づき腰をかがめる。
刃物を突きだし、震える手をそっと握り、声をかける。
「もう大丈夫だ」
そして、子供を抱き寄せ懐に抱え込む。
「怖かったな。もう心配するな。大丈夫だから」
フレデリックは、訳が分からなかった。
「その子は罪人だぞ」
「追いつめたのはあなたの方ではないですかな?」
「お前だって、昨日追いつめていたではないか! やることがちぐはぐじゃないか!」
手の痛みも忘れ、怒りにまかせ叫んだ。
「大人と子供を同じように扱うのか?」
背中で罵声を浴びせられていたヤンターは、振り返りざまににらみつけた。
その言葉と瞳に見据えられ、我を見失っていることにフレデリックははじめて気がついた。
奇跡の力を借りずに、冷静さを取り戻せただけ、信者としての修行の成果だったかもしれない。
その後、盗んだ店に謝りに行き、代金を支払う。神官と共に現れたために、店の主人は怒りのやり場をなくし、代金がもらえれば構わないと言って引き下がった。
スラムの子供には、人を傷つける怖さと痛さを教え、相手を傷つけると報復を受けることになる。フレデリックの例を言ってみせて聞かせる。
盗みの根本は、貧しさからであるので、子供を神殿に誘ってみる。
少なくとも盗みをして追っ手から逃げる毎日ではなくなる。
その言葉を信じ、子供は神殿についていく。
傷をヤンターに治してもらい、意気消沈して二人の後をついて行く。彼の中にあるヤンターに対してのわだかまりはまだ溶けていなかった。
「その顔の様子からでは、昨日の一件のことでですな」
ろくに表情も確認してもないのにヤンターはそう切り出した。
「あの青年は捕まえました。証拠を押さえましてな。今頃牢屋行きです」
その言葉はあまりにも衝撃的であった。
昨日あの場で、証拠無しと無罪放免になったはずなのに、どうして証拠など押さえられるのだろうか? フレデリックにはわけが判らなかった。
ヤンターは、仕方ないと言わんばかりの顔をして、一から説明してみせた。
青年の口調からして、証拠の品を手にしていないことは明かであった。逆に言えば、あそこまで大仰に無実を言うのはおかしいと見て、あの後もあの場で張り込んでいたのだ。
その晩、人通りがなくなってから青年があの場所に戻ってきて、側溝の蓋を開けるのを目撃する。盗んだ品をそこへ隠していたのだ。ちょうど殴られて倒れていた場所に当たる。盗んだ物を手にしたとき、その場を押さえただけのこと、とヤンターは当たり前のように語った。
「なぜそれを知りながら、その場で側溝を探さなかったのですか?」
「あの場では、見つけても言い逃れするだけです」
そう言ったヤンターの表情は、心なしか笑っていたように見える。フレデリックははじめて彼のすごさに気がつくのであった。そして彼は言葉を続ける。
「あの者にはあのまま罪を認めて欲しかった。だから食い下がったのです。あの場で捕まえる程度なら、保釈も容易だったでしょう。ですが、彼は罪を隠して自分を無罪と偽った。この罪は大きい。だから即刻衛視に引き渡したのです」
彼の言いたいことはよく分かった。衛視とファリス信者はなんらつながりはない。政に関わらないために、衛視の邪魔もしなければ協力もしなくてよい間からである。罪人を捕らえるのは、秩序を乱すという教義上の問題で、衛視の役に立とうという気はないのだ。そのため、判決もファリス神殿内で行われることがほとんどであり、衛視が指名手配でもしてなければ、それ相応の罪を償わせれば釈放さえしている。それに引き替え、衛視、つまり国側は罪人に対する扱いはひどく、窃盗一つで何十年も牢屋に入れられたり、エレミアではガレー船の漕ぎ手となることもしばしばである。罪を犯したら人権はなくなると言うほど扱いはひどいのである。だからといってファリスに捕らえられる方がよいというものでもないが、少なくとも信者から見れば衛視たちよりは慈悲があると思っている。
ヤンターには青年が罪を認めてもらい、慈悲が下るようにし向けたのであった。
「そこまで考えていたとは……」
フレデリックはヤンターの底の深さを知るのであった。それに比べ、自分は先入観で人を判断し、噂を鵜呑みし、あまつさえ子供に拳を振るうところであった。
「子供自体が犯す罪は罪ではありません。それをさせる大人や社会が罪なのです。こうした子供たちを放っておくと冒険者などという訳の分からない者たちになってしまうのです。あのような者たちのようにしてはならないのです」
静かに、力強く答えるヤンターの言葉に、疑問を感じながらも反論する気はすでになかった。彼にとって友人である司祭よりも強い存在になっていた。進むべき方向を正してくれたのだと感じていた。
ヤンターとの出会いが、教典などから学ぶ信仰と、信仰を貫く神官の姿勢との違いを受け、自らの信仰という道を進む決意をさせたのである。
大変な経験をして神殿に戻ってきたときには、式のパーティは終わっていた。
それから三日後、フレデリックは神の声を聞くことになる。
それにより、ヤンターが彼の信仰の恩人となる。
「己の見つめる正義を探せよ」
フレデリックは、そう受け止めた神の言葉を得て、オランの神殿を抜け、フリーで活動することに決めるのであった。
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