No. 00137
DATE: 1999/10/01 03:54:58
NAME: リヴァース マスター
SUBJECT: 秋の夜長(其の二)
「晴れてくるな……」
マスターの言葉に、リヴァースが辺りの風の流れを読む。シルフたちの姿は見あたらないが、靄が僅かながら動くのが判る。心なしか霧雨の密度も薄くなっている。
「そうだな」
しばらく辺りに目を向けていたリヴァースは、ぶっきらぼうな口調で返す。
先ほどの、語りに乗せられたことを気にしているのか、それとも根がこうなのかこの者の表情は硬い。マスターはそんな様子に気を止めるわけでもなく、マイペースに馬を引いている。リヴァースは彼の横には並ばず、馬のやや後ろ斜め、蹴られない位置を保ちつつついていくのであった。
会話はそれで途切れる。先ほど味覚と温泉のすばらしさを語った口はどこへ行ったのか、マスターはそれ以来口を閉ざしたままである。リヴァースにしてもこの男に聞いてみたいことは山ほどあるのだが、問いかけようとはしない。何か不和を感じているようだった。それを確かめるか、はたまた目のやり場がそこに行っただけなのか、この沈黙を苦痛とも楽とも言えぬ表情で、彼らの背を眺めていた。
マスターの背中を眺めていても面白いわけがないので、自然と視線は馬に行く。馬の背には自分たちの荷物以外にも大きな麻袋が乗せられている。先ほどの村で貰ったようだ。「なにも帰りも寄る村であるならそのとき貰えばよい」と疑問に思うが、それも何かの配慮があってのことだろうと推察し、確認はしない。大陸を巡ってきた経緯の持ち主である以上、そこ浅な質問をしてはこちらの器が知れてしまう。何も大器に見られたいとは思っていないが、何故か構えずにはいられなかった。
やがて、靄の流れが速くなり、視野が広がる。それとともに色づいた葉をつけた白樺の林が自分たちを囲んでいることを告げる。村先で見かけた色合いより濃く、黄や赤に染まった木々の葉が美しくももの悲しくも思わせる。気温は低いままだが、切れた雲の間から日射しが差し込んでくる。もうしばらくすると夕暮れであった。
その景色を見て、リヴァースは思わず精霊たちに語りかけていた。
春の芽吹きのような躍動感は感じられぬものの、実を結んだ木々や草花が満足そうな意志が、ドライアードを介して伝わってくる。この山が豊かな証拠だ。
リヴァースの無機質だった顔が、穏やかな優しい表情となり、時より笑みも見せるようになる。マスターの存在を気にしなくなったのか、忘れてしまったのかは判らないが、気分が晴れやかになったのは間違いようだ。
そんな彼は、後ろで理解できない言葉を口ずさむリヴァースを一度だけ盗み見る。その目には、精霊と対話できる者への憧れと諦めの色が伺えた。
野伏せ(レンジャー)としての道を進みはじめてから、自然と対話することが多くなり、植物や風の精霊と対話ができればどれほど良いものか何度も思っていた。一度となく精霊使いにコツややり方をよく見せて貰い、学び取ろうとしたことがあったが、性格か素質がないのか精霊の存在を感じ取ることができなかったのだ。
原因は後者であると決めつけていたが、教える精霊使いは皆前者を指す。野伏せとしての忍耐力をもってすれば精霊と対話する忍耐など似たようなものと思いこんでいたが、その辺りに原因があると彼は未だ気がついていない。とはいえ、それに気がついたからといって精霊と交信できる保証はないのだが。
結局の所、マスターには野伏せとしての活動に精霊と交信できる能力が備わればより動きやすいと利便さで判断しており、エルフたちが捉えているような友という感覚が理解できなかったのだ。滅んでしまった古代王国の魔術師のごとく奴隷のように精霊を従属させる術など、彼の前に現れた精霊使いの中では誰一人いなかったのである。
理念と教え方がかみ合わなければ、結果が導き出されぬように。
しかし、マスターは精霊と交信できないといって嘆く男ではない。
「精霊に頼らなければ姿を潜めることもできないのであれば、真の実力ではない」
などと勝手な解釈で自分を納得させ、野伏せの技を磨いたのである。
「使えるに越したことはないが、ないからといって身動きがとれないというわけではない」
それが彼の精霊力を諦める答えであった。
村の建物が見えてくる。日が沈むにはまだ早いが、山間となると山にかげるだけでぐっと暗くなる。あちこちの家々からは夕飯の仕度をする煙が立ちのぼっている。
「さぁ、着いたぞ。荷物を担がないと心も疲れないだろう?」
酒場で見せる笑顔でリヴァースに語りかけてくる。
「ああ、そうだな。助かった」
条件反射な返答をしたが、「心も」という台詞が引っかかった。しかし、言われてみると当たり前のことだったが、荷物を担いでないことでリラックスできたのは間違いない。精霊と戯れることができたのも心々的疲労が蓄積されなかったからでもある。
一人旅でありがちな重い荷物は、肉体的疲労だけに留まらず、精神的な疲労にまで及ぶ。とくに今日のような悪天候は注意するべきであったのだ。でなければいざというときに集中ができず、危険な目に遭うことだって考えられる。
(そのぐらい承知していたはずなのにな……)
まだまだだな。と感じると共に、心の中で感謝の意を込める。
ここの村に入り、気づいたのは硫黄の臭いである。マスターが温泉と口にしただけのことはありそうだ。これなら来た甲斐があるかな? とリヴァースは思った。
村人たちの歓迎はなく、「また来たんかい」「よう来なすった」と反応はまちまちであったが、排他的でもなかった。顔見知りでもあるようで、別段何か変わったことが起きるわけでもなかった。
(なんだか拍子抜けだな)
冒険者の店の主人であり、その風体と物腰からかなりの逸話を持つ身だと推察していたため、先ほどの村とのギャップが気になった。とはいえ、それを面と向かって聞くわけにもいかない。
マスターは世間話を交わしたあとで麻袋の包みを開け、「下の村から」と林檎を受け渡した。どこにでもある村同士の交流の場、そのままである。
(遣いだったのか)
リヴァースは合点がつき、聞かなくて良かったという安堵も生まれる。
(しかし、この男、世話好きというか、よく動くものだな)
代金も受け取っていないことを見て感心していた。しかし、その思いは覆されることになる。
林檎を受け取った村長が、「泊まりなさい」と彼らを招いたのである。
その村長の家で村人たちに聞かれないように彼が言ったのだ。
「こうして、相手のためにと思って働けば、相手もその気持ちを汲み取ってちゃんと返してくれる。それを利用するって言っては聞こえは悪いがな。イヤな訳でもないから遣いも買って出るし、招かれれば喜んで受ける。それを期待してないと言えばウソだが、こういう田舎ではな、こうする方がいいんだよ。カネが絡むと、仕事としての間柄にしかならないからな」
そういって、にっと笑ってみせる。
(まったくこの男は……)
彼の言うとおり、冒険者はとかく金に執着しやすい。その場限りであればあるほど現金に動いた方がよい。そうでなければ逆に生きてはいけないからだ。しかし、彼を見ていると冒険者というより、「隣町のおじさん」そんな言葉が似つかわしく思える。皮鎧を着ていてさえそう思わせてしまうのだから冒険者とは呼べないと思う。本人は現役だと言い張っているが、怪しいものである。
冒険者はとかく田舎では嫌われる傾向がある。それをこの男からは感じさせないのだろう。それも生きていく上で身につけた生存術なのだろうか?
そう思うと、ますます下の村での出来事を聞きたくなる。ここが隣村であるならば、噂ぐらいなら届いているだろう。本人が語らなくとも、教えてくれるかも知れない。
そう結論づけたリヴァースはこの村ではじめて自分から口を開いた。15年前の出来事について。
反応は芳しくなかった。噂は届いており、ここにいる男が何をしたかも知っているようであったが、会話に華が咲かない。
村長とその近縁に当たる者達は、口々にその当時の話をし出してはいるが、それは声を潜めての会話であった。
そして一人の頭の禿かかった男が口にする。
「あんさんには悪いが、やっぱり信じられねぇんだ。ここの村にはなんとも被害がでないのに、下だけ怪物に襲われるなんておかしいべさ」
その言葉を皮切りに、口々に「変だ」「おかしい」と言うのであった。ただ、マスターの人柄を知っているためか、彼を非難する言い方にはならない。しかし、多数の怪物が押し寄せたにも関わらず、この村が無事であったことの方がおかしいと言っているようだった。中にはプラキ神の加護があるからだと言っていたが、神殿もない村にどうして加護が降りるのかという意見が出て、言い合いになる。
とても当時の状況を聞き出す雰囲気ではなくなってしまった。
マスターは作り笑いをしながら、村人たちの相手をしていた。その笑いがいつものものでないことに気がつきリヴァースは後悔をするのであった。
幸いなのが、酒の席での論争だということと、互いに本気になって言い合っているわけではないと言うことだ。後で聞くことになるが、娯楽がないため些細なことでも誇大してぶつけ合うことで憂さを晴らしているらしい。それを聞いて「迷惑な話だ」とぼやいた。
リヴァースは酔いを醒ますために外に出た。
辺りは真っ暗であり、僅かに家の明かりがこぼれて見えるくらいであった。その明かりももやに包まれ光を伝えきっていない。
その後を追うように、マスターも外に出てきた。
彼の姿を見て、ばつの悪そうな表情になるリヴァース。
しかし、その表情は暗闇に呑まれ彼には認識できなかった。だが、雰囲気で察したのか「気にするな」の一言をかけてきた。
「……少し歩くか」
マスターはそう言うと、返事も待たず歩き始める。
これではついていかない方が悪いような気にさせられる。先ほどの件もあり、おとなしく後をつけていく。
「あ、すまん。明かりくれない?」
思わず、リヴァースは膝の力が抜けそうになる。
「やっぱ、見えなくてね」
マスターの威厳のある口振りは跡形もなく、ただの困っているおじさんでしかなかった。
心の中で悪態をつきながら、リヴァースは光の精霊を召喚した。
フッと暗闇が払われ、辺りが照らし出される。
酒のせいか身体が火照っているから良いものの、結構冷え込んでいる。酔い覚ましには寒すぎるくらいであった。
明かりができるのを確認してから「こっち」と指さしてマスターは歩き始めた。
しばらく歩いた後、彼は口を開いた。
「15年前なぁ。下の村にコボルドやゴブリンの団体が移り住んでな、危機に瀕していたんだ」
歩きながらマスターは、そう語りはじめた。
(つづく)
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