No. 00151
DATE: 1999/10/20 00:51:41
NAME: アトゥム、リヴァース
SUBJECT: 曙に舞い立つ鳥たちの唄
闇の中を見通す彼らの目に、焚火の赤い光が浮かぶ。人間たちがいる。あれを襲えば、食料が手に入る。産まれた子供たちも、腹が減ったとうるさく泣きわめくこともなくなる。ゴブリンのリーダーは、右手に持った弓を握りしめた。
蛇の街道。舗装のされて無いうねうねとした急峻な道が続くので、旅人たちには評判の悪い街道である。しかし、このあたりは、山地帯も終わり、街に近づいているせいもあって、なだらかな道のりが続いていた。
ゴブリンたちは、その街道沿いにある小屋に野営する旅人たちの所持品を強奪するために、木陰に潜んで、様子を伺っている。焚火の光は、先ほどより小さくなっている。おそらくもうすぐ人間達は眠るのだろう。寝入りばなを襲って殺せば、難なく食料を奪える。
そろそろ、突撃の叫びを上げようかと身構えたころ。彼らのかさついた尖った耳に、旋律が響いてきた。
春の陽、緑の芽が顔を出す。水のせせらぎ、やさしい風。
花飾りをつけた妖精たち、輪になってくるくる踊る。
きらきら輝く昆虫たち。おや、何か楽しいことがあるようだよ。
ほぅら、出ておいでよ。暗い土の中から。
それは、彼らが注視していたのとは別の方向から流れてきていた。
誰がこれを歌っているのだろう? どうしても、その姿を見てみたくなった。一時、奪うべき食料のことは忘れて、歌の方向へ移動していく。
気勢をそがれた彼らの背後から、ぼんやりとした雲が襲い掛かった。
強烈な眠気が襲ってくる。不意を打たれ、ばたばたと、仲間のゴブリンは倒れていった。
そして、歌が聞こえてくる先に、突如として赤い光が沸きあがる。炎は蜥蜴の形となって、リーダーの鼻先を掠め、傍らのゴブリンを焼いた。仲間がのた打ち回る。腰を抜かして、リーダーがへたり込んだ。
「おまえら、半分は、寝た。次は、全員、焼き殺す。」
自分たちの言葉で、眩しいランタンの光をあらわにした歌の主が語りかけてきた。
夜目の利く彼らの前には、闇に溶け込んでなお黒い髪と目、尖った耳の持ち主の姿が映った。半妖精だ。ゴブリンを焼いた炎が、下生えの草に移るのを見て、顔をしかめている。
「何で、襲おうと、した? 食料か?」
魔法で自分たちの仲間を眠らせたほうの人間、問い掛けてきた。炎の光を受けて鉄の色に光る楽器を持っている。こちらの髪は、鮮やかな赤にみえる。この者も、人間の癖に、妖魔の言葉を喋る。
リーダーは、まくし立てた。彼らゴブリンは、住処を奪われた一団だった。北の人間達の戦により、野が荒らされ、狩猟していた森に獣がいなくなった。そのままでは食べていけないので、獲物を求めて南下してきた。しかし、先住の者がいて、縄張りというものが存在した。同族で食糧を求めて争いとなり、結局、逃げるように南へ、南へ、と降りてきたのだった。
「もってけ。足らん、だろう、が。」
それを聞いて、魔法を使った人間は、持っていた食料の一部を放り出した。
「自分たち、強いが、食料、これだけ。あさって、商隊、通る。われわれよりずっと、物持ち。おまえ達、腹いっぱい。」
半妖精が、再びゴブリンたちの言葉で言った。後から来る商隊を襲えというのだ。
人間の魔法により、寝入った仲間を振り返って、ゴブリンはざわめいた。こいつらは自分たちを殺すという。魔法を使ってくる得体の知れないこいつらよりも、あとからのうのうとやってくる人間を襲った方が、ずっと安全で見入りは大きいという気になった。
しばらくわやわやといいあっていた後、ゴブリンたちは二人の旅人を残して、去っていった。
「いやぁ、平和的に、話し合いでカタが着いてよかった。」
こきこきと、肩を鳴らしながら、アトゥムが言った。彼は、人間としては例外的に、妖魔を友達に持った経験があった。話せばわかる、というのがポリシーであり、妖魔というだけで問答無用で切り結ぶのは、彼のやり方に反した。
「にしても、後から来る商人を、犠牲の羊にするたぁ。迷惑するだろうに。」
アトゥムは、同行のリヴァースに言った。
彼らは、蛇の街道の終着点近くで居合わせた。アトゥムは、吸血鬼騒ぎで都会が嫌になったといって田舎に向かう貴族の護衛を終え、オランに戻る最中だった。その彼に、プリシス方面から南下してくるリヴァースが鉢合わせたのだ。
「縁もゆかりも無い奴らが、どうなろうが知ったことか。それに、商隊ともなれば、それなりの護衛は雇ってるだろう。おまえが雇われてたようにな。だから、かわいそうなのは、ゴブリンどものほうかもしれん。あるいは、ゴブリンどもに護衛が撃破されると、後から街中からの護衛の依頼が増えて、冒険者の需要も増す、と。」
「違いねぇ。それより・・・」
さっきの歌は、さすがだなと、アトゥムはリヴァースの竪琴を指して、いった。吟遊詩人が旋律に乗せてつむぐ魔力のひとつで、聴いた者の、奏者に対しての好奇心を呼び覚ますものだった。多対ニでは、いくらゴブリンが相手とはいえ、いずれ不利になる。ゴブリンの気配を察してから、リヴァースが姿を消して別個所に動いた。そこで、彼らの気勢を削ぎ、戦力を分散させるように案じたのだった。団結していた意思も、いったん崩されると、脆い。
「やっぱり、おまえには楽団に入ってもらうからな。」
アトゥムはオランにいるころより、自分だけの音楽を追求した詩人たちのグループを作ろうとしていた。貧民街の子供らに、音楽を教えて、すこしでも彼らに生きる楽しさを供給していこうという願いがあった。その楽団に入るよう、リヴァースに誘いをかけていた。
「...群れるのは嫌いだ。」
返してリヴァースは言い放つ。
「狼だって、狩りの時には、群れをなすぞ。」
アトゥムは詰め寄った。
「生きるためだろ。別に歌うことを、生活の糧にしてるわけじゃない。」
「嘘つけ。おまえだって、小銭かせぎしてんだろ。」
アトゥムは、オランにいたとき、リヴァースが自分の宿代を浮かせるために、決まった時間、安宿の酒場で演奏しているのを知っていた。
「吟遊詩人に必要なものはなんだと思う?」
返して、不意に、リヴァースが問うた。
「歌に込める情熱だ!。」
アトゥムは即答する。
肯定も否定もせず、ハーフエルフは続けた。
「さも見てきたようにでっち上げる表現力。他人はおろか、自分すら騙す演技力。喜劇師ようになめらかな頭と口の回転。そして、おべんちゃらを恥としない厚顔さ、などなど。」
そう、リヴァースは読み上げる。
アトゥムはあんぐりと口をあけた。
「そんなんじゃねーだろっ! それは、いかに観客を喜ばせて御捻りを貰うかだ。」
「それが、吟遊詩人の食う術だろうが。で、残念ながら、わたしにはあまり縁がない。だから、プロたり得ないのさ。」
そういって、リヴァースは竪琴を脇におき、座り込んだ。
「んじゃ、なんでおまえ、唄を歌うようになったんだよ。」
釈然としない様子で、アトゥムが尋ねた。
リヴァースは不意に、顔を上げた。
ぽっかりとした月が、疎林にかかる。標高が低くなったとはいえ、秋も深まり、夜は冷え込む。ひやりと頬をなでる風を感じる。
あの月に似た、吟遊詩人がいてな、と、ハーフエルフはぽつりといった。傍らに置いた竪琴につけた、梟の彫刻を弄びながら、リヴァースは過去を綴る言葉を紡ぎはじめた。
◆◆◆◆◆◆
ムディールを旅しているときのことだった。当時、二つの懸念があった。
ある理由から、精霊使いとしての限界を感じていた。感情と向かい合うのが怖かった。感じるということを拒絶しようとしていたためであり、精神の精霊に接触できなかった頃があった。
もう一つの悩みは、声の質だった。いくら低めに声を抑えるよう気をつけていても、元の声をごまかすにはやはり限界がある。それがもとで、わずらわしい思いをすることがしばしばだった。自分の音域はもともと高いほうであった。低域の声が欲しかった。
そんなとき、ムディールの下町、貧民窟に近いうらぶれた酒場で、一つの唄をきいた。
我、愛するよ、山中の月
烱然として、葉落ちた林にかかる
我は、人を捨て、捨てられた
世を捨て、世に捨てられた
幽独の人、憐れむばかりに
月は、光を衣襟に灑ぐ
我が心、月の如く
月も亦た、我が心の如し
心と月、二つながら互いに相照らし
静かなる世、長しえに相尋ぬ
限りない哀愁を含んだ、それでいて、朗々と響き渡る、低い声。締め付けられるような気がしながら、ムディール独特の楽器である琴に乗せられたその声に聞き入った。その琴には、木製の梟の彫刻が飾りとして付いていた。酒場の安っぽい外装も、不思議にその歌に似つかわしかった。うらぶれた外見の貧民たちも、一緒になって耳を傾けていた。
それから数日、その酒場に通った。歌人はいつも、心をそぞろめかせる曲を奏でる。その唄を聴いていると、なにかをつかめそうだった。
しわがれがちの低い声から男性であると思っていたが、何度か聞いているうちに、歌人は女性であることに気がついた。どうすれば、女がそこまでの低音を出せるのだろうか、と激しく興味が沸いた。
しかし、話し掛けるきっかけもつかめず、その姿が見えるか見えぬかのところでじっくりと耳を傾け、曲が終わると、幾ばくかの銭を置いて帰るだけの日が続いた。
ある日、歌人が数曲演奏し終え、閉店も間近になったころ。他の客はすでに帰り、店内には自分と歌人2人になった。話し掛けようとしたが、足が進まない。自分が他人に興味を持つということを認めたくなかった。自分も店から出ようとしたとき、歌人は琴をおいて、おもむろに竹笛を取り出し、吹き鳴らし始めた。
ドアを閉めた手が止まり、一度街路に向かった足が逆を向く。もう一度、扉を開く。どうしても、その顔をもう一度覗き込んでみたくなった。後から気がついたが、それは、好奇心を沸き立たせるという呪歌だった。
何用か?と歌人は問う。何日も自分を食い入るように見ては、銭だけおいて帰る旅人に、逆に興味をもたれたのだろう。あるいはうっとうしく感じ、直に追い払おうとされたのか。
歌人は、すでに老齢といっても差し支えは無くみえた。
やや逡巡してから、歌人の持つ低い声がほしい、といった。
「そう簡単に、己の固有の声の質など、変えることができるものでもはない。高音部が出ぬように、すなわち、黒い森のカラスのように、声をしわ枯らすのが、せいぜいじゃ。」
歌人は、顔を上げず、そっけなく言った。
「まずは、潰すか?」
そういって彼女は、懐から、紙に包んだ白い粉を、さらさらとグラスの水に入れて溶かした。
しばしそれを見つめる。かなりの量が入るが、粉は全て溶けて、透明な液体が残された。唾を飲み込む。彼女は無表情にこちらを見ている。
試されているのか、覚悟を問われているのか。
そう思うと、負けん気が出てきた。
しばし、逡巡した後、首を振ってから、一気にそれをあおる。
喉に流し込んだ瞬間に、むせた。喉が焼かれたように熱くなる。空気と水を求めて、喘ぐ。
「...ばか者が。」
あざけるように詩人は言い、今度は水だけの入ったグラスをよこした。引っ手繰るようにして、それを飲み干す。
ひりつく喉で声を出してみたが、特に変わった様子は無かった。先ほどの粉は、単なる塩だったらしい。
「なんでこんなことを...」
上ずった声で、抗議するように言う。すると、歌人の持っていた竹笛で、思いっきりドスリと腹を突かれた。再び蹲る。
「今打った腹の底に力を入れて、声を出せ。」
それだけ言うと、歌人は去っていった。
体よくあしらわれただけかとも思ったが、翌日から、真夜中の演奏が終わった後、唱唄いの手法や心意気について、ぽつぽつと語ってくれた。
「詩はよいものよ。」
到底、覚えきれない文句でも、詩にすると、不思議に頭に残る。おさない頃、母親に言われた言葉は忘れていても、歌ってもらった子守唄は、いつまでたっても口ずさめたりするだろう。(自分には、子守唄を歌ってくれるような者はいなかったが)
優れた音楽は、何らかの感動や心理的変化、あるいは、鼓舞などの肉体変化を呼び覚ます。軍歌を聞くと勇気が出る、リズムを聞くとそれに乗りたくなる、それを、音楽による魔力の伝播とみる。旋律に魔力がこもるというのは、そういうことであり、呪歌は、そこからうまれたのだろう、という。 言葉や音楽は、もともとそれ自体魔力を持つものらしい。言霊というものの存在を信じる者がいるように。魔力は言葉に宿り、変化や感情を呼び覚ます。呪歌のさい、歌詞は直接魔力にかかわらないが、意味をこめることにより、旋律の魔力の助けともなる。
呪歌によっては、望郷の念、好奇心、勇気などを起こさせたり、魅了したりする効果もある。人の心の動きに、かかわっている。呪歌を掘り下げる事はすなわち、人の感情、こころの動きをつかむ事にもつながりうるのだ。
当時、感情の精霊を操るのに限界を感じていた。それを打破するのに、なんらかの感情を生起させる呪歌は、手がかりになると思った。それを教えてくれるよう、願った。思わぬところで、この歌人は自分の迷いの霧を払ってくれると感じられた。
ただ、詩や旋律の作り方など、具体的なところは伝えてはくれなかった。それは、自分自身で最もよいと思ったものを見つけ、感じたままに作り上げることからはじめるのがよいとのことだった。
声質を変えるのは、やはり容易ではないという。腹の肉を鍛え、発声法を変えてようやく、数音階下がる程度だとらしい。それでもその違いが、印象としては大きい。
街の市場で、安物の竪琴を購入した。詩人と同じ、琴にするのが良かったのだろうが、まったく同じ物というのもなんとなく癪に触ったし、竪琴のほうが小型で軽量で、持ち運びには便利そうだった。
詩人の下に足繁く通った。
ただ、授業料はしっかりと請求された。老齢の女歌人も、貧民相手に歌だけで食っていくのは、一苦労らしかった。
町外れに出て、発声練習をしたり、腹筋を鍛えたりしていた。教えられたとおり、下腹に力を入れ、呼吸を腹に溜める。ほかに、発声をはっきりさせるためのムディール方言の早口言葉や、限界まで声を大きくしていく練習をしてみたりする。
が、数日やそこらで、成果が出るはずもない。とおりがかった人間に、頭がおかしいのかと心配されたこともあった。
本当にこんなことで、望む声が手に入るのか訝しかった。そう歌人に言うと、ならばやめよ、との一言でかたずけられた。日々は過ぎていった。
ある日、饐えた酒場に似つかわしくない、身なりのいい一人の男が現れた。何かの因縁があったらしく、彼女を力ずくで連れ去ろうとした。 無論、自分をはじめ、その店の常連たちがそれをとどめた。歌人はすでに店の顔となっており、彼女の声に1日の安らぎを求めていたものも少なくなかった。結果、貴族は追い返された。酒場に歓声があがった。
その夜、少なからぬ迷惑をかけた事を店主に詫びたのち、歌人はぽつぽつと、自分の身の上を語り始めた。
若い頃、彼女は遊女だった。そのときに、ある貴族の相手をした。貴族は、相続争いに、身内同士でいがみあい、財産を相続したはよいが、心身ともに疲れていた。彼女はもともと芸妓に秀でていた。貴族は彼女の唄に、安らぎを見出し、彼女のところに足繁く通った。 彼女は貴族の子を身ごもった。それを知った貴族は、彼女を身請けしようとした。彼の身内の者は、卑しい身分の女に執心する彼をなじった。彼女は相続争いに己が巻き込まれることを疎んじた。彼女は、鉱毒を飲み、子を堕胎し、遊女もやめ、貴族の前から姿を消した。彼女の声がしわがれたように低くなったのは、その直後のことだった。毒の影響かも知れなかった。それ以来、ずっと貴族は彼女を求め、探していた。
先ほどやってきた者がその貴族だったという。
貴族が再び彼女の前に姿をあらわした前述の日の数日後、まったく突如として、彼女の声が出なくなった。
原因不明の出来事に、彼女の声を求めて集っていた皆はいぶかしがった。先日きた貴族が怪しいということになった。
昼間、路地裏で彼女とその貴族が会っているのを見たというものがいた。その者の話によると、貴族は彼女に触れながら、暗黒神への祈りを唱えたという。
それを聞いて、貴族の家を割り出し、そちらへ向かった。
貴族とまみえはしたが、彼は文字通り、聞く耳を持たなかった・・・聴力を失っていた。歌人の声を奪う呪いの代償として、自分に伝わる全ての音を閉ざしたのだ。
貴族は、歌人が手に入らぬならば、その唄など無くてもよい。歌人の歌が聞けないのであれば、己の耳にもはや用はない。ただ、思い出だけあればいい。そういって、彼は竹笛を見せた。昔、彼が、歌人に贈ったもので、二人で会うときは、いつもそれを歌人は吹いていたという。そういえば、歌人が奏した呪歌は、笛によるものだった。呪歌はその詩人につき、一つの楽器でしか奏せないものという。
貴族は、身内同士の利権争いに疲れ、慰めを求めて卑しい身分の女を愛した。敵だらけの彼は誰からもそれに対して非難された。その中で、貴族が、自分の想いに自由になり、自分の事を正当化してくれる、暗黒神に救いを求めたということには合点がいった。
しかしそれのことと、己が自由であるためにその執心を他人に押し付け、束縛してよいとは結びつかない。
不意に激情が湧き上がり、怒りの精霊が目の前を真っ赤に染めた。
呪いには、それを解く鍵がどこかにある。が、神殿に金を払えば、呪いを解除してもらえる。授業料として、借金をしてでもその金は捻出しようと思った。暗黒神に身をやつした貴族を、至高神の神殿に突き出せば、安くさせることができるかもしれないという勘定もあった。貴族の持っている暗黒神のシンボルを衛兵に出せば、貴族を襲った暴漢にも申し開きが立とう。
酒場で知り合った歌人の聞き手たちと協力して、貴族の護衛を跳ね除けた。そして、怒りのままに貴族と戦闘となる。
暗黒魔法に苦しめられはしたが、自分の精霊魔法と、仲間の剣は、貴族を焼き、斬った。
後から知らせを受けてやってきた歌人は、傷ついて横たわる貴族を見ると、無言で立ちすくんだ。しばし、哀れみの視線を投げかけたあと、その場に落ちていた竹笛をとり、吹き始めた。それは、昔貴族が彼女に贈ったというその竹笛だった。
長い長い間。通報を受けた衛兵が駆けつけてきても、彼女はずっと吹き続けていた。
自分たちとの戦いで傷ついた、貴族の傷が、緩やかに塞がっていった。 癒しの呪歌だった。それは、慈しみの唄にも、聞こえた。そこにいた皆は、衛兵たちまでもが、その歌に宿った優しい感覚に、自然と身をゆだね、聞き惚れていた。
貴族が暗黒神に身をやつしていたことが暴露されたこと、また、没落貴族の権勢を維持するために行われていた脱税の証拠などが発見され、自分たちの為したたことは正当化され、不問となった。貴族は捉えられ、獄中に入れられた。
驚いた事に、彼女の声は、戻っていた。
彼女が自分のために、自分の贈った笛を奏すること。それが、貴族のかけた呪いを解く鍵となる行動だった。ただ、貴族は彼女が再び自分の元に戻るということのみを望んでいたのだ。叶わぬ望みであると知りながら。呪いをかけるという憎しみは、彼女への愛情と独占欲の裏返しだった。
しかし、彼女は、一人で居ることを希望していた。彼女は、一人のためではなく、多数の貧しき者たちに、自分の想いを伝えることを好んだのだった。
彼女が欲したのは、多勢に接するための自由だった。
彼女は、一人の目を楽しませるためだけの、宝石箱の玉石ではなく、皆に平等に降り注ぎ、かそけき光を投げかける月だった。
我が心、月の如く、月も亦た、我が心の如し
心と月、二つながら互いに相照らし、静かなる世、長しえに相尋ぬ。
最初に聴いた彼女の歌が思い起こされた。
貴族も貧民も、皆の頭上に浮かぶ月たらんとするために、彼女自身は孤独であらねばならなかった。彼女は、誰のものにも、なり得なかった。
ただ、後に彼女は、獄中に入った貴族に、しばしば笛を吹きにいったという。
なんのことはない。自分は、彼女の唄が好きだっただけだった。思ってみると結局は、低い声を手に入れることも、感情の精霊を巧く使うことも、どうでもよかったのかもしれない。ただ、彼女の哀愁に満ちた声が、皆から失われるのが惜しいと思った。また、貴族の執着に、自分に対してそれを抱く過去の盲執の悪魔を重ね合わせた。だから、貴族に対し、あんなに怒りを抱いたのだ。
そして、それがもとで、感情に走った自分を、認めたくなかった。
彼女はそれを、察してくれた。
「梟は、昏いところでだけ、鳴く。夜にだけ、哀愁を詠う。闇の中、人は眠っていて、それに耳を傾けない。そのときにだけ、月のもとで、鳴く。明るいときには、人のいるときには、鳴かぬ。...人のいるところで、一見感情を出そうとせぬおぬしのようにな。
じゃが、唄にとって必要なのは、その感情なのだ。感情の伝播が、感動となる。梟の丸き眼で、真実を見つめ、伝えよ。まことの己の姿、己の感じたことをな。」
歌人は、自分の琴についていた、梟の彫刻を手渡してくれた。
「おぬしが、梟ではなくなったら、返せよ。」
歌人はそう言った。
その彫刻を、自分の竪琴につけた。梟は、唄を歌うとき、いつも自分を見つめている。
自分が最初に作った伝承歌は、二人の恋唄だった。
執着することが愛と考え自分すら縛り付けた男と、声という翼をもがれながらも羽ばたき、月になった女の。
初めて作った歌であり、表現の技法も歌の技術も、まったく稚拙なものだった。
案の定、評判は、あまりよくなかった。辛気臭い唄を歌うな、と野次が飛んだ。
が、自分にとっては、作ったこと、自分の感じた事を表すことに意味があった。だから、それでよかった。
◆◆◆◆◆◆
あれから、10年とすこし過ぎた。
歌人は死んだと、風の便りに聞いた。高齢であったし、堕胎のときに無理をしたせいもあったのだろう。もともと、何かの病を得ていて、長く生きる事はできなかったらしい。
まだ、梟の彫刻は、自分のライアーを飾っている。
そう、リヴァースは言を結んだ。
「わたしは、夜鳴きのままだ。歌としての技術を取得して金を得るための能力を得ても、おまえのように情熱を歌い、伝え、他人の感動を呼び覚ますことは、まだ、できてない。」
そういって、リヴァースはアトゥムから目を逸らそうとした。
そのとき。
リヴァースはおもむろに、それまで話に乗せて爪弾いていたライアーを、アトゥムに向かって投げつけた。
ぐひゃ。
くぐもった叫びを、アトゥムは背後から聞いた。ゴブリンが、弦楽器の直撃を受けて、つんのめっていた。衝撃で、傍らに落とした棍棒を拾おうとしている。話に聞き入っていたために、アトゥムは、背後からまさに撲らんとするゴブリンの接近に気がつかなかったのだ。
「邪魔すんじゃねぇ!」
赤毛の青年は、それを踏んずける。
「一度目は許してやったけどよ。そんなに食料が欲しいなら、自分自身の手足でも食うか?」
彼は、そのまま、剣を突きつけて、ゴブリンを覗き込みながら言った。渡した食料では、到底足らなかったらしい。もっと持っているかもしれないと、彼らは再び襲ってきたのだ。
剣を上げると、ゴブリンは、卑屈な態度で、逃げていく。
ため息をついてそれを見送ったあと、アトゥムは足元に転がったリヴァースのライアーを拾い上げた。弦や調律部に異常はないが、ゴブリンにぶつけたときの衝撃のためか、梟の彫刻が、根元から割れてしまっていた。
「あーあ・・・折れちまったな。」
それを拾いながら、アトゥムはいった。
「おまえさ。前に、オレの楽器でオレの頭を殴った時だって、裏返せばお前の情熱の証だろ? 今、大事な楽器を投げくれたのだってさ、普通の奴はしねぇと思うぜ・・・。」
アトゥムは、妖魔を友に持った自分の信念が受け入れられず、それに命をかけることができるという事を示すために、自殺を図った事があった。その折、彼を回復させ、死の淵より連れ戻したリヴァースは、命を粗末にした彼に激昂し、散々暴力を振るったのだった。
アトゥムは、梟の彫刻を、リヴァースに手渡した。
「 梟も、夜明けだろうが昼間だろうが、歌えるし飛べると思うぜ。鳴く喉はもってるんだからさ。ようは、やる気があるかだろ。」
物言わぬそれを受け取り、見つめながら、リヴァースは、しばし沈黙した。
「...お前の言うとおりなんだろうな。」
唄。どろどろと無数に渦巻いている言葉の奔流が、蒸留され、澄み切った結晶となったもの。
感じたこと、迷い、メッセージ。普段、状況とか、照れとかいったものから伝えきれないものを、唄には凝縮して含ませることができる。
唄の本質は、それを乗せた言葉と旋律による、感動の伝播であるのだろう。しかし、自分が唄に求めていることは、相手に感動を伝えることではない。ふだん押さえ込めている自分の感情を、素直に表すことができるようになる。自分のこころの表現の手段。自分にとっての唄とは、それにすぎないのだ、と思った。
「いーんじゃねぇの、それで。みんな、歌いたいから歌うんだ。」
アトゥムがあっけらかんと言った。
「お前が自分をどう思ってよーと、お前の唄とか、旋律とか。おれは気に入ってんだ。でなきゃ、楽団に誘ったりしねぇって。」
自分のために過ぎないものであろうが、周りに与える影響というものは確かにある。
「とりあえず、お前はおれに、借りを返せ!」
冗談めかして、アトゥムはいった。
「――― これを返しにいくかな・・・。彼女の墓に。」
しばらく考えこんでから、リヴァースは言った。それは、夜鳴きの梟を脱する、という宣言に聞こえた。アトゥムは微笑んだ。
「おう、そうしろ。」
声が弾んだ。
「・・・その墓もムディールにあるのだが。」
しかし、意地悪げに、リヴァースは言った。アトゥムは、気がついたら雲のように漂い、いなくなっているリヴァースを、なんとかオランに連れ戻そうとしていた。
「待てコラ。おまえ、すぐオランに戻るっていっただろが!」
アトゥムがそれに返して、叫んだ。リヴァースの闇色の目は、笑っていた。
夜明けの近い森に、鳥の声が響く。最後の梟の声に、早起きの小鳥たちが、唄をあわせる。秋の最後の薄い緑にけぶる朝に、鳥たちのハーモニーが響こうとしていた。
<ENDE>
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