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No. 00005
DATE: 1999/12/18 02:37:25
NAME: ケルツ&フェリアス
SUBJECT: 下水道調査(一日目)
背後から、その日、七度目の溜息が聞こえる。それにつれて、目の前を照らしていたランタンの灯りが上下に揺れ、フェリアスも心中でやはり七度目の溜息を付いた。彼の連れの――つまり、ランタンを持ち、物憂げな瞳で何やら考え込んでいる様子の青年の――思考の在処は 推測するまでもなく分かった。「おい」と声をかけると、青年は思いだしたように目を上げる。金色を帯びた双眸に、火が反射して虚ろに光った。
(ケルツとかいったか)
元通り照らし出された、水面に目をやりながら、先刻の会話を思い出してみる。フェリアスが方々から集めた継ぎ接ぎの地図を見て、ケルツの紡いだ一言。「神官の住みそうな場所というとどの辺りだろうな?」つまり、ケルツもあの赤髪の魔術師の捜索を目的とした者だ。リヴァースからもそのことは聞いている。
フェリアスとしてはそれを止めるつもりも、進んで手助けするつもりもなかった。もともと、冒険者達に知識的な協力を期待しているわけではない。様々な資料を集めてまわる労働力だと考えれば、多少の考え事くらいは大したこともない。
(・・・しかし、出来れば、意識の拡散はご遠慮願いたいものだ)
黄白色の、泡のような植物をぎこちなく硝子瓶に入れているケルツの後ろ姿に、自分がやった方がまだ良いのではないかという一抹の焦燥を覚えつつ、フェリアスは地に置かれたランタンの影を辿る。
つんと鼻を突くような――その程度の悪臭ではないのだが、地下に降りて半刻以上、すでに嗅覚は麻痺している――水の匂い。水底では流れのある下水も、上から眺めると黒い鞣し皮のように静かに、壁に添って左右に伸びている。地面は苔に覆われ、水面から離れたところでは白く乾き、靴の爪先で蹴ると剥がれた。耳に届くのはランタン油の吸い上げられ、燃していく微かな音。そして、不意にその沈黙を破る小動物のたてる音。盗賊としての修行を受けたことのある者の常として、或いは冒険をする者の警戒の常として、フェリアスは不意に目の端をよぎった白い影に思わず振り返った。後ろ足で立ち上がり、ひげを細かく震わせながら白い小さな固まりが落ち着かな気に様子をうかがっている。どうやら鼠らしい。異常に大きな耳と、錐のように細く退化した赤色の瞳が見えた。
(変異種だな)
心中で呟き、ケルツに音を立てないようにと目配せをして、独特の足運びでそろそろと近づく。危険を考慮し、足に巻き付けておいた固い組み紐が悪かったのかもしれない。あと少しというところで、足下で苔が乾いた音をたてた。鼠が、その大きな耳をぴんと立て、方向を測るように長い尾を一閃させる。早速気取られたか、と舌を打つ彼の後ろで硝子の割れる音が響き、同時に脇を赤い矢が走り、一瞬後には目の前の鼠は炎に包まれていた。
「サンプルの価値が下がったな・・・」
もはや白い毛並みを持たないその動物に向かって、フェリアスは溜息を付いた。ケルツはといえば、覆いの割れたランタンの最後の火が燃え尽きるのを、つまらなそうに眺めている。先程、火蜥蜴が飛びだしたそれは、もはや持ち運べる形を成していない。
(ついでにランタンすら壊れた)
そう付け足して、フェリアスはケルツを振り向く。
「先に注意していないのが悪いのかもしれないが・・・」
其処で言葉を切ると、ようやく自分にかけられている言葉だと気が付いたかのようにケルツも視線をフェリアスへと向けた。また、彼自身の思考の淵へと落ちていたらしい。怪訝な色を浮かべるケルツの表情にうんざりとしながらもう一度繰り返す。
「先に注意していないのが悪いのかもしれないが、なるべくならサンプルの価値を下げるような行為は辞めてもらえるかな?」
注意が聞き届けられたかどうかを確かめもせず、もう一度ランタンへと目を移すと、手に持ったダガーに向かって紡ぎ慣れた呪を施す。一端、闇に沈みかけた周囲の風景は青白い魔法の光によって再び色彩を取り戻した。それを掲げるように持ちながら、フェリアスは頭の中に何度も描きえがいた地図を辿る。その地図の空白地帯へと向かいながら、地下の構造について書き記した書物の一箇所を繰り返す。
・・・地下には下水道の他、古代王国の遺蹟、崩れた昔の都市の跡など、さまざまな建造物が存在する・・・其処は日のさす地上を離れざるを得なくなった者の住処でもある・・・
(地上を離れざるを得なくなった者、例えば、暗黒神官・・・)
さらに幾つかの地点での採取を終え――幸いなことに、その作業を阻むほどの大した障害は現れなかった――帰り道へと引き返す頃、不意に後ろから付いてくるケルツの足音が消えた。振り向けば、青年は目を細めるようにして暗い流れのさらに遠くを凝視している。どうしたとフェリアスが声をかけるよりも先に、ケルツが呟きを残して傍らを駆け抜ける。
「今、あちらで明かりが見えた」
魔術の明かりの範囲からその姿が消え、暫く後に少し離れた場所で、彼の呼び出したらしい光の精霊がぽっかりと宙に浮くのが見えた。フェリアスはケルツの先程の視線の先へと目をやった。続くのは暗闇。彼の云った明かりなど、欠片も見えない。オランの地下にすむ住民達の話が頭に浮かび、それは一瞬後には暗黒神官達の名へと取って代わった。思考することもなく彼の足も同様に、こちらは音も立てず、湿った地面を蹴っていた。先を行く青年を止めるために。
追いついたのは、幾つかの角を曲がり、さすがのフェリアスの記憶も薄れはじめる込み入った下水の突き当たり近くだった。さらに目の前に広がる暗闇へと目を向けるケルツの腕をつかむ。ケルツが口を開いた。
「私を離せ。あの灯りの行方を突き止める必要がある」
さっきまでの無表情な瞳から一転、睨むようにフェリアスを正面から見つめる。朝、下水に降りて以来青白いほどだった顔は紅潮し、ぶつぶつと途切れるような特徴的な話し方の無愛想な面影は姿を潜めている。フェリアスはその変化に多少の驚きを感じながらも、その手をゆるめない。
「それがお前の探している者だったとして、今、何が出来る?一人で行くのなら行けばいい、そうすればこの調査の必要もなくなる。あの魔術師は警戒した敵に殺されて終わりだ」
脅しに近い言葉とは気付きつつ、そう吐き捨てるようにいうと、ケルツが息を飲むのが分かった。
「調査に参加しているのなら、多少はこちらの言い分を聞いてもらわなくては困る…先刻のことにしろ、今にしろ」
つかんだ腕を離し、相手の顔も見ずに押し殺した声で云う。苛立ちを含んだ視線がフェリアスの横顔をなぞる。一瞬の後、暗い水面と同じ色へと変わった双眸の主は、大人しく或いは無表情に黙し、その視線を逸らした。
安穏としない思いでそれを眺め、その日最後の溜息を付いて、フェリアスは掲げた灯りと、己の記憶とを頼りに地上へと向かう道を探しはじめた。
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