No. 00019
DATE: 2000/01/07 08:26:58
NAME: スカイアー、リヴァース
SUBJECT: 【下水道調査1日目】寡婦の家
新王国暦511年11の月 18の日早朝。
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賢者の学院の、下水道生態調査の依頼を受けて、冒険者たちが、下水道入り口に集った。 籤をひいて2人ずつのグループに分けられ、それぞれの職能に応じてメンバーが調整され、東西南北の各地区が割り当てられた。
各自、地図やサンプル容器などが配布され、調査担当の魔術師、フェリアスより、注意事項が説明される。データに信憑性を持たせるためには、細かい地点の記入、水温や流れの方向、周辺状況などの状態の把握等が欠かせない。その辺りの必要性を冒険者連中が理解しているのか、というのが、魔術師の不安要素でもあった。研究者と現場の者たちでは、視点は自ずから異なる。フェイリアスは、両方の目を兼ね備えた、象牙の塔に篭もりがちな学者にしては、珍しい者であった。
彼ら冒険者たちのうち、剣士のスカイアー・ロックウェルと、精霊使いのリヴァースは、西地区 ――― 常闇通りから商業地区の地下、すなわちもっとも古く混み入った地点を担当することとなった。
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むっと篭もった臭気に、リヴァースは顔をしかめる。
濁った水と、ぬめる石畳に覆われた空間。人の生活の便宜を図るためになされた所業により、閉ざされ腐り弱められた精霊たち。
最初は悪態もついていたが、じきに、それすらも漏らさなくなり、ただむっつりと眉を顰めるだけの、不機嫌な様相となった。言ってもせんなきことであると、気がついたからだ。
冷え固められた石の中に存在を閉じ込められた地霊。踏み入れば踏み入るほどに、風の精霊が行き渡らず、滞った空気。濁った水から感じられる水霊の嘆きは不快そのものである。自分の存在すら、腐らされそうになる。精霊使いの彼にとって、歪められた精霊力に覆われたこの空間は、不快そのものだった。今なら、狂った精霊すら呼び出せそうな気になる。
ただ、精霊界から灯りのために連れ出してこられた光の精霊が、ゆらゆらとおぼつかない光を発して足元を照らしながら、飛ぶ。
ハザード河の中洲が正面に見える個所から、彼らは下水道に潜り込んだ。盗賊ギルドに近い地区であったので、シーフであるリティリアが手に入れてきた地図のほうが、この付近は詳しい。
その地図を見やりながら、スカイアーは前方に立って進む。むっつりと押し黙ったままのリヴァースに対しては、何も言わない。彼は人の性格を推し量り、それに対する最も無難な態度とることを、本能的に心得ていた。目的に対して割り切っているのか、悪臭と不衛生さに対する不満も露にはしない。むしろそれすらも、精神修養の一環であるとみなしている。この男にかかっては、普通の者なら鼻白む苦境も、己を鍛えるための好機となる。良く言えば朴直、悪く言えば、朴念仁である。
多少匂いはひどいが、遺跡に潜るよりはよほど安全だ。妙なまじない業の仕掛けがないからな、とこちらは同行者に比べ、すました顔で達観している。
「賢者の国も、一歩地下に潜れば、伏魔殿と化す、か。」
途中遭遇した、蝙蝠の群れを剣で追い払って、スカイアーは呟く。他の新しい時代に建設された地域は、しばしば清掃もされ、まだ清潔に保たれているのであろうが、この辺りは、使用されているのかいないのか、古くから棲み付いた生物たちにまみれている。水苔や軟体動物のほか、目に見えぬほどの小さな生き物が、驚くほど多様に巣食っている。清水よりは、有機物にあふれた水のほうが、生物にとって餌となるものは多い。汚れ、というものは、生物にとっては格好の良い環境なのである。悪臭や色や病気など、それが、人間にとって都合が悪い面が強調されるので、印象が変わるだけなのだ。
そして、その都合のよさを求める自分勝手な輩どもは、己達のなした所業の手前勝手な不自然さに対してぶつくさと文句を言いながら、その結果を明示するものを採集する。
街という集合自体が、そもそもの不自然なものだと、かつての知り会いの精霊使いが言っていたことをスカイアーは思い出す。しかし、その不自然さにみな、住処と生活の利便と娯楽とを求めている。人間の業というもので、他に与える影響力の違いが問題なのだろう。そして、それを声高に言って変革を要求するには、人の形成した社会は、大きく複雑に過ぎる。そして、みな、それを言い訳にして、現状に甘んじる。
その矛盾に耐えかねたのか、単に閉鎖された空間に圧迫されたのを厭んだのか、彼らはよく喋った。
初めて父よりユスの木を渡され、剣を学んだこと。次に「尽き手」と称されたモラーナの剣士に師事したこと。かつての仲間のこと。スカイアーは、己を語るのにも、実直だった。中原の情勢についても彼は通じており、種が増える数の論理を説いたりし、学のあるところも示した。含み無いそのありように、リヴァースは、どこか羨望めいたものを感じた。
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次に訪れた魑魅魍魎は、蛞蝓だった。巨大な。
己より小さいものは押しつぶしにかかってくると聞き、生理的嫌悪感に耐えかねたリヴァースは、処理を剣士に一任した。二人で得物を振り回すには狭いとか、さっきの蝙蝠をかたずけた腕なら大丈夫だとか、理由をくっつけながら、精霊使いは傍観を決め込む。
わずかな光を感知するのか、灯りのために呼び出している光の精霊に、蛞蝓は苛立ちを示す。スカイアーは、長剣を揮い、強かに殴り付ける。異形の怪物とて、怯みという態度からは対極に位置する動作。腰を落とし、その一振りがまた自らの血肉となると見なすがごとく、剣を薙ぐ。
しかし、蛞蝓の動きは止まらず、逆に、青紫色の体液を撒き散らしながら、突き進んできた。スカイアーはそれを交わす。同時に鋭い突きの形に、剣士の手から放たれた切っ先は、怪物のわき腹の皮の薄くなっているところを貫く。蛞蝓はのた打ち回るも、ややもしないうちに、びちびちと痙攣して、動かなくなった。
剣肌に張り付いた粘液をぬぐうスカイアーを尻目に、これが自分の役目といわんばかりに、リヴァースは状況を報告用紙に記入する。
ずびゅるるるるるる!!
一息つく間もなく、来訪者が再度出現する。
黒い、粘液質の液体。一見してただの水面に浮かぶ汚れと見過ごしそうなそれは、しかし、確かな敵意を持って、彼らを襲った。
液体は、スカイアーの右足に絡み付こうと、跳ね上がった。とっさに身を捻って避け、剣士は飛びのく。 飛沫を浴びた金属製の肘当てが、じゅう、と、刺激臭を帯びた臭いを発した。
酸か。
収めたばかりの長剣を抜くが、剣撃に転じるのを留まり、先ずは様子見に徹する。
ずびゅ、こぽ。
ふたたび、その液体が、首をもたげた。自分と同化させてやろうという、おぞましいまでの欲望を感じ、スカイアーの首筋の短いぬばたまの髪が、ざわめく。
攻撃に出ないスカイアーに業を煮やして、リヴァースは、光の精霊を新たに召還し、その物体にぶつけた。
きゅびぃぃぃ、と、胎児が軋り上げるような気持ち悪い声を、酸の蒸気とともに、「それ」は発した。
耳をふさいで蹲りたい衝動。背筋がふつふつと泡立ち、油汗が浮かぶ。それをこらえながら、再度リヴァースは純粋なエネルギーである光霊を放つ。
きゅりぃ、マんマぁー。
一瞬、液体が、口に似た器官を形成した。
そして、意味のある言葉を発した。
ばしゅっ、と黒い液体は、光球を受けて、大きく飛び散った。そして、それらは、周囲の濁った汚水に飲み込まれ、消えた。
自然界の為すまともな理屈から生まれたものでは、到底ありえないようなそれ。生けとしものに対する憎悪を持ちながら、同時に何かを渇望していたような意思。そして何より、彼(か)の物の口より発せられた、言葉。
まるで、母を欲する、言葉を覚えたばかり嬰児のような。
何かに生み出されて、棄てられ、ずっとこの瘴気の中を漂って、自らもその一部となり、なおも、産んだ者を求めるような。
奈落の底から響いたようなその声は、二人を戦慄させてあまりあった。
スカイアーは、その無念を供養するように、黙祷し、印を結んだ。
リヴァースのほうは、そんな気にすらなれなかった。液体の発した言葉を受け取った自分の尖った耳を、忌々しく思った。次代の命を育てることができない自分を意識しながら、ただ、下腹と胃の上を抑えながら、侮辱された生命の残骸のもたらした嫌悪感と吐き気に耐えていた。
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次にたどり着いたのは、分岐点だった。
左側が下流であり、そちらに進む。
ねっとりとまとわりつくような闇の中に、ただ、瓦解した壁だけが、前方に立ちふさがっていた。石の色の変化の様子から、崩れたのは最近であると判別された。瓦礫の下から、尚も水の流れは続いている様子であった。無理をすれば、崩れた石壁を退けて通り抜けられもしなくもなかったが、彼らに石工の真似事までする気は無かった。
いちだんと水の濁ったその個所については、報告のみに止めておき、別方向へ転進した。
途中、今回彼らが、見入りに合わぬ調査に参加するの発端となった人物―――今も、オランの地下の何処かに、暗黒司祭に囚われて眠っている魔術師・ファズとの関係について、語った。
ファズは、ケルツやディオンといった若い者たちからも、妙に好かれていた。いいかげんに見せかけている性格の割に、要所では芯の通ったところを持っているのだろう。
スカイアーは、彼とともに、言葉が通じない、貨幣すら知らない、世間から隔絶されて育ったとしか思えないような子供の世話をしたことがあった。子供の方も、ファズに随分となついていたらしい。しかし、そこに今回の事件が起き、ファズは姿を消した。中途半端なままに、今回のような世話を焼かせるなと、一言、叩き込んでやりたい、というのが、スカイアーの言だった。
リヴァースの方は、ファズの弟、ルフィスと浅からぬ因縁があった。リヴァースはルフィスに、信頼を与えた。笛の吹き方を教えたたり、木漏れ日の下で昼寝したりと、他愛ないことが安らぎだった。ルフィスは砂漠に去ったリヴァースを追ったり、母の形見の指輪を託したりもした。お互いに生きる理由を与え合った。しかし、ルフィスは、暗黒神の教えを受けた兄に、殺された。
リヴァースは、三兄弟の生き残りとなった魔術師ファズに対して、ルフィスと同じものを見出していた。人との関係に対する純粋さ、ややもすると自虐的な思考に走る危うさ。放って置けないものを、感じていた一方で、人を気遣った上での明るさ、人好きの良さなど、ルフィスとは別の個人としても、惹かれるものを、持っていた。
ただ、リヴァースは、ファズを拘束する暗黒司祭の、友人であるレドと、彼は殺さぬ、という口約束を交わしていた。敵を素直に倒すだけだと、考えることが楽でいいと割り切ってはいた。しかし、レドが言った。
「彼もまた、孤独なのだ」と。
自分には司祭を斬ることはできない。友とその友。孤独な者を、二人作るから。彼らが司祭を切り捨てる側になったときに、その間に立ちふさがるかもしれない。 ...結局思惑に翻弄されてるだけかもな。そう彼は自嘲げに言った。
暗黒司祭については、むしろ、スカイアーのほうが、はっきりした考えをもっていた。一切の容赦をしない。でなければ、自らの命が危ういだろう。一刀において切り捨て倒すほどの気概がなければ、魔術を用いる者相手に立ち回れない。同情や憐憫は、不要のものである。邪魔をするなら、そのリヴァースも、斬る、と。
その心の強さこそが必要であり、熟練の剣士たらしめている気質であるのだろうな、と、リヴァースは思った。
結局、右の方向は、地図にある別個所へ結びついただけだった。
提示された報酬に対して、割の合わぬことはなはだしい、という感慨が、お互いが同じく胸に持つところであった。
地下にいて時間の感覚もなくなっていたが、空腹の具合や疲労から、いい加減、日も暮れていた時頃だろうと推察し、その日の調査を終えることにした。
閉ざされた空間での対話をへて、地上への光を再び見たとき、スカイアーは一人言ちた。
――― 生きるとは縛られもがくことに他ならぬ。それは、ここにいるリヴァースだけではない。私も然り、と。
秋の夕暮れの冷涼な大気の下のハザード河の水は、それでも、下水道の濁ったそれと、大差無く、感じられた。
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以下、報告書のコピーを添付。
【調査者】
スカイアー・ロックウェル/リヴァース
【サンプリングリスト】
地点A:河口出口近く
水・・・透明
植物・・・苔、水草
動物・・・アリ、蝿など地上とほぼ同じ
地点B:地図B-4
水・・・透明黄〜黄土色
植物・・・苔、藻類
動物・・・ネズミ(小)
・
・(略)
・
地点G:地図C-6
水・・・懸濁、悪臭アリ。
動物・・・蝙蝠4匹。うち一匹、眼球らしい物を額に有する。変異体か。比較のため、持ち帰る。
悪臭あり(饐えた有機臭)
地点I:地図C-8
水・・・濁る。腐敗臭。
植物・・・苔が石畳に密生。滑りやすい。
動物・・・ジャイアント・スラッグ一匹出現。重量大。特に変わったところはないため、死骸は持って帰らない。
蛆虫が多量に湧く。
地点J:地図C-8
水・植物・・・Iに同じ。
不定形の生物が汚水の中より出現。粘着質の液体の塊。酸を発する。軋り音のようなものをだす。意思らしきものがある。光の精霊により、撃退。
【所見】
全体的に河口より奥に行くに際して、水の濁度、悪臭の度合いは大きくなる。地上より水の流入する個所は、比較的清潔に保たれている。水の流れのない淀み、隅の地点で、汚染が激しい。
生態は、動物は蝙蝠、鼠、植物では藻類、苔などに代表される。以外に多種多様な生物に満ちている。詳しくは別紙の分布図参照。
特筆すべき物として、C-6地点の蝙蝠は、額に眼球らしい物があった。サンプルとして提出しておく(死骸)。
また、地点Jにて遭遇した酸を発する不定形生物は、報告者の知見に関する限り、未知のものであった。不死生物ではないが、動く物に対するなにからの感情と、生みだした者を求める意思があるようであった。自然の生み出した生物とはかけ離れた違和感があった。地下深くにあるという古代王国の遺跡と何らかのかかわりがある可能性があると思われる。
なお、地点Jの奥は地図にない。マッピングした物を別紙に示す。右奥M地点は瓦礫が崩れ行き止まりであったが、水は奥のほうへ流れていた。その瓦礫に、J点で遭遇した黒い粘液状の物が付着しており、その地点の奥側には調査価値があるものと思われる。
A〜M点で採取した水などのサンプルを同時に提出する。
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