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登場人物 カイ ラス ディック ケイ …とりあえず、最初に思ったのはそれだった。 カイが里帰りするって言うんで、1人旅は危ないからと、無理矢理エレミアまでくっついてきた。カイは1人で行きたいと言い張っていたが。ちょうど同じ方角に用事があるというディックと、旅に出てみたいというケイも一緒についてきて、結局は4人旅になった。 カイの村は、エレミアの街から半日程度だと言う。エレミアについたのは、まだ早い時刻…言ってしまえば朝ではあったが、これからの予定のこともあるし、とりあえずは宿をとることになった。昔、エレミアに2〜3年いた頃に定宿にしていた宿……は、ちょっとまずいんで、そうじゃない宿をとる。昔の知り合いがうろついていないあたりを探して。看板もろくに見ちゃいなかったが、このあたりに建ってる宿なら、そうまずいことはないだろう。この街を離れたのは、そう昔のことじゃない。土地勘もあるし、ひととおりの事情は知っている。そして、俺たちが宿をとるのを見届けてすぐにカイは村へと向かった。 カイが宿を出ていったのを見送って、俺はたった今とったばかりの部屋を取り消した。 「ああ、悪い。さっきの部屋、やっぱやめる」 「…ラスさん? ……何を考えてます?」 多分、俺の考えてることなんか分かってるだろうに、ディックがそう訊いてくる。 「…わかってんなら訊くなよ。追いかけるに決まってんだろ。……本当なら、あいつは大手を振って村に戻れるような立場じゃない。それでも戻ろうとするなら…一悶着あるに決まってるからな」 「そう…ですね。実は…私も同じ事を考えてました。カイさんの村というのは……例の事件の時に…」 言いかけて、ディックはふと気づいたように声をひそめた。背後に立つケイの様子を窺う。が、ケイはカウンターで店の主人と話し込んでいるらしく、気づいた様子はない。それに安堵して、ディックが話を続けた。 「確か…原料を作っていたとか……?」 ディックが言っているのは、夏の初めにあった麻薬事件のことだ。カイの村はその麻薬の原料を作って組織に流していたらしい。それがらみのこともあるし、カイはあの村で人を…自分の母親を殺している。母親殺し…それだけで、村を追われるには充分だ。何故…あえて戻ろうとするのか……。いや、理由なら、多分知っている。カイを追いかけて連れ戻そうとしていた男がいたらしい。確か…ヒースとか言ったか。生きているヒースには、俺は会ってないが。結局、別の事件に巻き込まれてオランで命を落としたあの青年のことを、カイは気に掛けていた。多分、今回の里帰りもそれが原因だろう。 「…無事に戻ってこれるなら、ついていくまでもねえけど…。カイも、ついてこないで欲しそうだったしな。……けど、何か嫌な予感がするんだ。だから、俺は行く。……おまえはどうする?」 「…私も行きます。ケイさんには……村までの道が物騒らしいから送っていくとか何とか言えば…」 「だな。…ケイにはここで待っていてもらおう。ヤバイかもしれないってのに…連れてけねえだろ」 カイを追うのは…さほど難しくはなかった。エレミアの街から出てすぐは、道も開けてて見通しが良かったが、少し経つとあたりは木々がまばらな森になっていたから。身を隠す場所があれば、尾行は楽になる。それでも、街なかで尾行するよりは、多くの距離を必要とする。同行しているディックが尾行に不慣れなこともあって、距離はいつもより多めにとった。日が中天を過ぎてかなり経った頃、俺とディックは村の入り口にたどり着いた。だが、カイは既に村の奥に入ったあとだった。 「ここがそうか……」 「ですが…この……惨状は?」 一面、焼け野原になった村…いや、村の跡地を見て、ディックが呟く。家はいくつか残っているようだが、人の気配はあまりない。 「…多分、例の事件がらみだろうな。…おおかた、麻薬組織のほうから……」 と、そこまで言いかけた時、脇の木立から猛烈な気配…殺気に近いそれが吹き付けてきた。ディックもほぼ同時に気がついたようで、とっさに剣に手をかけ、身構えている。俺も一歩下がって、剣の柄に手をかけた。 木立から現れたのは、棍棒を手にした男だった。大柄で、かなり鍛えられた肉体をしてはいるが、戦いの経験そのものはないらしい。 「貴様ら、何者だっ! この村には、よそ者はいれねえんだよ! とっとと出ていきやがれっ!」 言いながら、棍棒を振り回してくる。構えは無茶苦茶だが、威力だけはある。とりあえず、気にくわねえとは言え、村人相手に剣を振り回すわけにもいかない。 (…さて、どうしようか?) 無茶苦茶に振り回すだけの棍棒から身をかわしつつ、ディックと目で会話する。ディックが小さくうなずいた。 (眠らせますか…?) どうやら同じ考えらしい。それにうなずいた瞬間、風にのってかすかな声が聞こえてきた。そして、もう一つ。……血の匂い。シルフが遠慮がちに運ぶそれは、ごくわずかな…だが、聞き違えるはずのない声。間違えるはずもない匂い。 (カイの声…? それに…この匂いは…) 「てめえらっ! ちょこまかと逃げるんじゃねえっっ!」 横薙ぎに振るわれた棍棒を、身を沈めてやり過ごしてから、ディックに声を掛ける。 「わりい! ディック、あと頼む!」 そう言い置いて、俺は、カイの声が聞こえた方向に走り出した。あんな、勢いと力だけの攻撃では、ディックに傷ひとつつけることはできないだろう。それに、ここで俺が背中を向けて、背後から攻撃されてもかわす自信はあったし、それ以前にディックがそうはさせないだろう。あいつの腕なら信頼できる。そしてその信頼を裏付けるかのように、ディックが俺の背中に声を掛けた。 「行ってらっしゃい。お気をつけて」 走っていった先で、俺が見つけたのは、以前は畑だったらしき場所で槍を手にして立ちすくんでいるカイと、その足もとに倒れている1人の男だった。そして、血臭の元もそこだった。カイの服が血で濡れている。……どこか怪我を? 走り寄ろうとして、気がついた。…返り血だ。血溜まりの中に倒れている1人の男。…襲われて……反撃したのか? 「……カイっ!?」 ついてくるなと言われていたことも忘れて、俺は声を上げていた。カイがゆっくりと顔を上げる。そして、俺の姿を見つけると、びくりと肩を震わせて、そのまま走りだした。血に濡れた武器を右手に下げたまま。 「…カイっ…!」 追いかけようとした俺の耳に、別の声が聞こえてきた。 「………う……あ……」 足下の男だ。まだ息があるらしい。助かりそうもない深手だが、事情を聞くくらいの役には立ってくれるだろう。 「…おい。おまえ、今あいつを襲ったんだろ?」 うつぶせに倒れたままの男を足で蹴り起こしながら訊いてみる。切れ切れに男が答えた。 「……う……く……この…悪魔の子め……きさまさえ……き…さまさえ…いなければ…村…は…ぐっ…」 血とともに吐き出されたその言葉。結構……いや、かなりむかついた。…悪魔の子だと? あいつが何したってんだ。 それだけ言って、男は事切れた。…助けようとは思わなかった。だが、死体を見下ろしてふと気づく。……襲われて反撃したとは言え…カイが殺したのか? 俺は腰のダガーを抜いて、死体の首筋を切り裂いた。すでに事切れた死体を切り裂いても、出血はほとんどない。申し訳程度に流れ出るどす黒い血。…これでいい。 あらためて、走り去ったカイを探す。…が、姿は見えない。 「…逃げた…よな、さっき……」 溜め息とともに、思わずそう呟く。…やっぱり、ついてくるべきじゃなかったのかもな。カイは見られたくはなかったのかもしれない。自分の故郷を。…故郷での自分を。 それでも、さっきも現に襲われていたし…。やっぱり危険なことに変わりはない。どっちにしろ、もうここまで来ちまったんだ。今更、ぐちぐち考えてもしょうがない。カイを探すほうが先決だ。 ……とは言え、すっかり見失っちまってるな。あたりには人の気配もないし…。 ふと、1軒の家が目に入った。焼け残って、形が残ってる家でも、そのほとんどは無人のようだ。が、村の中心近くに立つその家からは、人の気配がする。 立つ位置とその大きさから推測して村長の家だろう。なら、事情を聞くにはうってつけだ。 推測は当たっていた。村長だと名乗る老人が目の前に現れた。 「……おぬしは? 何用じゃ?」 「ちょっと事情があって…このあたりで人を捜してる」 なんとなく…カイの名前を出すのはまずいような気がしてそう訊いてみる。村長が苦笑した。 「…この村にはもうほとんど、村人など残っとりゃせんよ。立ち寄る人間もいないしな。…見てみい、この焼け野原に人などいないわい」 「これは……いったい、どういうことなんだ? 焼き討ちにでも遭ったような…」 「ふはは…ま、似たようなもんじゃ。おぬしの探してる人間はここにはおらんじゃろ」 「……正確には“人間”じゃねえさ。ハーフエルフだ。……あんた、村長なら知ってんだろ? この村に昔住んでた、紫の髪のチェンジリングだ」 思いきって聞いてみた。それには、予想以上の反応があった。村長の顔色が変わる。あたりをはばかるかのように、気ぜわしく視線を動かす。そして、囁くように尋ねてきた。 「おぬし……何者じゃ? 何を知っておる?」 「…多分、ほとんど知ってるよ。焼かれた畑で作られていたものもな」 「……なかで…話そうではないか。老い先短い年寄りの愚痴を聞いてもらおう。…おぬしがあの娘のことを知っているのなら…伝えておきたいこともある」 「そうか…カイが…あの娘が戻ってきたか……」 俺を座らせて、自分もその正面に腰を下ろすと、村長はそう呟いた。なんとなく…何かを匂わせるような話しぶりだ。 「…あんた、あいつのこと何か知ってるのか?」 聞いてみる。が、村長はふと目を逸らした。そのまま立ち上がって、近くの棚に手を伸ばす。そこから一冊の本を取り出した。 「これは…おぬしも知っているだろうが……この村は麻薬の原料を作っていた。そのことに関する記録じゃ。…読んでみるか?」 その本を受け取って、ざっと目を通してみる。が、目新しい事実はない。…あの事件はもう終わったんだ。 「こんなもんに興味はねえな。俺が聞きたいのはあいつのことだ」 その問いかけに、村長が目を伏せる。その時、扉を叩く音がした。 「失礼します。…どなたか、いらっしゃいますか?」 ……ディックの声だ。追いついて…結局、俺と同じ考えだったってことか。 「…入れてやってくれないか? 仲間だ」 それにうなずいて、村長が立ち上がって扉を開ける。ぺこりと頭を下げて、ディックが入ってきた。 「ラスさん? ここにいたんですか。ちょうどよかった。……ところで…カイさんは?」 「それを今、このじいさんに聞いてんだよ。何か知ってるらしいからな」 座れよ、と、目と顎で示したが、ディックは辞退した。そのまま、壁によりかかる。…警戒してるんだろうな。 その様子を見ながら、自分も再び腰をおろして、村長は大きな溜め息をついた。 「あの娘……あの娘が生まれてしまったのがそもそもの間違いじゃったのかもしれん」 囁くようなその言葉。 (…間違いってな何だよ。このクソじじいが…) 言葉にこそ出さなかったものの、舌打ちは漏れる。 「あの娘が生まれて…村は動揺した。…当たり前じゃな。人間の夫婦からハーフエルフが生まれたんじゃから。おまえさんもハーフエルフならわかるじゃろう?」 「そりゃ…わかる。……けど、それを理由にすんじゃねえよ」 …このクソじじいが。そうやって、自分のやったことを正当化するつもりかよ。 「まぁ、年寄りの話は最後まで聞いてくれ。…あれは……実はわしの孫娘での。おぬしは怒るだろうが…体面上、わしはフェイナ…ああ、これは娘の名前じゃが……カイの母親とは縁を切ったんじゃ。……このことは…カイは知らぬことじゃがな」 …多分、村長を見る俺の目はひどく冷たかっただろう。自分が言われるのならば…混ざりものだとか、ハーフだからとか…そういう事を言われるのは慣れている。実際、俺がハーフエルフなのは事実だから。それに、そのことを卑下するつもりもないから。…けど、カイはまだ乗り越えてないはずなんだ。生きてきた年数も違うし…何よりも、受けた愛情が違うのだろう。その原因が…体面だの世間体だの…そんな言葉で自分の血縁を切って捨てたのが…このクソじじいだ。 「フェイナの夫は…もう1人いた自分の娘を連れて、村を出ていきおったわい。……まあ、フェイナがカイに…おっと…すまんかった。これではただの愚痴じゃな」 そういえば…カイが母親を殺したことは…確かディックも知っていたはずだな。そっと、そばに立つディックの表情を見る。…が、そこからは何も読めなかった。 「愚痴はもういい。あいつ……カイは、ここに帰ってきてる。さっき、見失ったんだ。あいつがどこにいるか、見当はつくか?」 「…帰ってくるとはな。……おそらくあそこじゃ。ここから少し行った…丘の上。そのふもとに、あの娘が昔住んでいた家がある。……あの娘が母親を手に掛けたのも……そこじゃ。……ひとつ、聞きたい。おぬしはあの娘とどんな関係じゃ?」 「…縁を切った、と言ったな? じゃあ、カイとてめえは赤の他人だ。関係ねえだろ? 切り捨てて置いて、今更何を知りたがる?」 何かを…多分、村を…守るために、このじじいはカイを切り捨てた。それを責める権利は、多分カイにしかない。俺が責めることじゃない。 けど…切って捨てたなら、もうこのじじいには、何の権利もない。 「いや……今更…か、そうじゃな……。その本…これも何かの縁じゃ。おぬしにやろう。…読んでみるがいい。そして…好きにするがいい」 その本、と、村の記録を指さして村長が言う。けど、もう終わった事件に興味はねえな。過去のことなんか……。そう思いつつも、このじじいがカイを切り捨てた過去にはこだわってるくせに、と…心のどこかで声がする。 確かに…過去を切り捨てることなんか出来やしない。俺だって、こだわっちゃいないと言いながらも、未だに昔のことをひきずっている時もある。人間だろうと亜人だろうと…変わりはしない。寿命の違いはあっても、過去があって今がある。その流れは決して変わりはしない。 「村が焼かれたのは…あの娘のせいだと言う村人も多い。まあ…残った村人の数も知れてるがの…」 村長が呟く。 「あんたも…あいつのせいだと思ってるのか?」 「確かに…一因にはなってると思うがの。…運命の歯車はいつ回りだしてしまったのか。その答えを知ることは限りなく不可能に近い。……そうじゃろう?」 詭弁だな。言ってやがれ、このクソじじい。 「ああ、そうだ。……わかってるなら、安直な答えにすがるのはやめろよ。それがそもそもの間違いだろうが」 「…じゃが、みながみな、おぬしのように強いわけではない。何かのせいにしなければ、やりきれんこともある。…わかってくれとは言わんがの」 別に…強いわけじゃない。強くなんかない。このじじいは、俺の何を見てこんなこと言ってんだ。 「強い…ってか。てめえの弱さを他人のせいにしてるようなやつには言われたくねえな。……あんたの言うこともわからなくはねえが……やっぱ、わかりたくねえな」 わかるとかわからないとかじゃない。…認めたらおしまいなんだ、そんなことは。 「…ラスさん…!」 俺が放り投げた本に目を通していたディックが声をあげた。指さす箇所に目を走らせる。 『510年、麻薬畑が発見される。発見したのは村人の1人。チェンジリングのハーフエルフ。組織よりの命令。処理要請。…組織からの要請。親を麻薬漬けにして殺させろ。さもなければ、村ごと滅ぼす』 ……な…んだって? じゃあ…全ては村の……このじじいの企みだったってのか? 更に、その下の記録を読み進む。 『しかたなく、計画を実行。だが、失敗。カイが村を出る。…だが、この方が良かったのかもしれん。が、村人の全員を犠牲にするわけにもいかず、追手を差し向ける。1人は、村の青年、ヒース。あとは、迷い込んだ冒険者らしき者達…両方とも音沙汰なし。…7の月、初め。村が焼き討ちに遭う。生き残った者は少数』 それきり…記録は跡絶えていた。焼き討ちの結果が、この惨状なのだろう。 (自業自得じゃねえか……) そう思った。だが、ディックは我慢できなかったらしい。いきなり、読んでいた本を投げ捨てると、その勢いのままつかつかと歩み寄って、村長を殴りつけた。 「…お前は…っ! 自分の娘をっ……孫を……っ!!」 倒れ込んだ村長の胸ぐらを掴み上げて、ディックが更に拳を振りあげる。避けようともしないで、村長が言った。 「…そうじゃ……確かに動揺もしたし…苦しみもした。…どんな人間だろうと…自分が治める村の者を……しかも、自分の孫娘じゃ。…チェンジリングでさえなければ、この膝に抱いたであろう孫を、わしはこの手にかけようとしたんじゃ…!」 「言い訳など聞いてない! お前たがどれだけ悩もうが苦しもうが、犯した行為は…っ!!」 完全に頭に血が上ってるらしいディックを、俺は止めなかった。いや…どちらかというと、出遅れただけだったのかもしれない。ただ、『処理』の文字を読んだ時に、村長への怒りを感じるより先に、全身の血が引いた。力が抜けた。…それだけの違いだ。俺とディックとは。 村長の胸ぐらを掴んだままのディックが何か怒鳴っているが、それよりも俺には気になることがあった。……扉の外に人の気配がする。村人か? よそ者の様子を探りにきたか……。 音を立てないように立ち上がる。そしてそのまま扉まで移動した。…殺気は感じられない。いつでも武器は抜けるようにして、俺は一気に扉を開けた。そこに立っていたのは…カイだった。 「……カイ? おまえ……」 青ざめたまま立ちつくすカイに声をかける。が、カイはディックを…いや、ディックに胸ぐらを掴まれている村長を見つめるだけだった。 「聞いて…いたのか? 今の話…」 「……本当…に? かあさんの……じゃあ…おじい…ちゃんなの?」 カイの姿を見て、ディックは村長から手を離した。よろけて、その場に膝をついた村長が、それでも顔をあげてカイを見つめる。 「…本当は…名乗ることなどおこがましいが……許してくれとは言わん。肉親だとは…思ってくれなくてもいい…わしはそれだけのことを、おまえにしてしまったのだから。……ただ、もしもおまえに会えたなら、言おうと思っていた。……おまえは、その手を血で汚したことを悔いているだろう。そのことに…傷ついているだろう? だが…血は洗い流せる。わしのしたことの…言い訳にするつもりはない。…ただ、おまえには信じていてほしい。その血は洗い流せると」 そう言ってうつむいた村長に、ためらいがちにカイが歩み寄った。 「…おじいちゃん? ……ありがとう…でも……本当に洗い流せるのかな…? だって…さっきも…わたし……」 村長の目の前で、ぺたりと座り込んでカイが呟く。泣いてる…かと思ったが、近づいてみると…涙はなかった。諦めたような、弱々しい微笑み。 「…カイ、さっきの村人のことなら……おまえは殺してない。俺が行った時にはまだ息があった。手当すれば助かったはずだ。…あいつにとどめを指したのは俺だ。…ぐだぐだ言ってやがったから、ひと思いに片付けてやった。……だから、おまえは殺してない」 俺の言葉に、ディックが反応したが…口は出さなかった。来る途中で死体を見て気づいたんだろう。ディックなら…戦士の目なら気づいたはずだ。致命傷がどの傷なのかは。あえて何も言わずにいてくれたディックに、心の中で感謝した。 ただ、俺はカイに教えてやりたかったんだ。もう、おまえはその手を汚さなくていいと。俺の自己満足でしかないのかもしれないけど。それでも…守る、と言ったんだ、俺は。…カイを守ると。傷つけない、と。 カイは…気づいただろうか? 自分がつけた傷が致命傷だということに。…伏せた顔からは何も読みとれなかった。ただ、かすかにうなずいた。 「……うん……ありがとう……おじいちゃんも………」 囁くようなその言葉を耳にして、村長が力無く首を振った。 「おじいちゃんとは…呼ばんでいい。…許されようとは思わんから…。それでも……ありがとう」 …今となっては遅いが、どちらがよかったのだろうと思う。俺はこのじいさんから話を聞いた時に、カイには知らせたくないと思った。祖父からさえも縁を切られ、命まで狙われたと知れば、カイが傷つくだろうと思ったから。けど…カイは聞いてしまった。そして…肉親が見つかったことを喜んで……いや、本当に喜んでるんだろうか? 少なくとも、怒りや絶望は感じられない。それでも…人の感情を精霊の働きだけで判断することなどできないから…。 俺は…ただ、溜め息をつくしかできなかった。 |
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