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No. 00033
DATE: 2000/01/23 01:47:35
NAME: ウォレス
SUBJECT: 堕ちたる魂
ヴァラーとの密約を交わし街に戻るとはや、日が暮れて薄暗くなっていた。
暗い決意を秘めて黄昏の街並みを歩くウォレスは死そのものを具象化したようだった。
家に帰りつくと、いつもより早く帰ってきたウォレスに素直に喜ぶアンジェラの姿があった。
ウォレスはただいまの挨拶もそこそこに自室に引きこもる。
懐には確実な死を予感させる鋼鉄の感触が冴え冴えと感じられる。
ウォレスはまだ迷っていた。
”姉さんを殺す必要はあるのか?私が姉さんの前から消えるだけで十分なんじゃないのか?”
それに反論する考えが心の中に湧きあがる。
”私が消え、何らかの事件に関われば姉さんは私を放っては置かないだろう・・・・・・。
それに私はすべてを魔法に捧げたのでは無いのか?・・・・・彼女の存在は私を縛る。彼女の愛情は私を窒息させかねない。
それでも私は姉さんを愛している・・・・・・・・。そんな私が姉さんを殺せるのか?”
しかし今、ウォレスの心を占有しているのは魔法だった。
アンジェラの姿はウォレスの心の占有率を大幅に減らし、もう古ぼけた肖像画のようにおぼろげな印象しか
与えられずにいた。
また、短い冒険者生活で知り合った仲間たち・・・・・・・。
リスを連れた鋭い目つきの若い男、元気の塊のような小柄な少女、かつてパーティを組んだ仲間、その他にも数え切れないほどの
冒険者仲間に出会った。
彼らの幻影もまたウォレスが行くべき暗い小道への道程に立ちはだかり、行くなと叫んでいる。
ウォレスはじっと目を閉じ胸の底に燃え盛る魔法への渇望という炎でそれらの光景を焼き尽くそうとした。
その試みは成功した。一つ一つの思い出がファイアー・ボールの火球に焼き尽くされたように頭の中で灰になっていく・・・・・・。
やがて、最後のもっとも大切にしていた姉との記憶がすっかり燃え尽きてしまうころ、ウォレスの震えは消えていた。
”そうだ・・・・・。私には魔法がすべてだ・・・・・姉さんには悪いが死んでもらうしかないな・・・・・。”
反射的にラーダ神にアンジェラの冥福を祈ってしまってから舌打ちしたい気分に駆られる。
ウォレスは冷たい鋼の感触を左手に感じながらアンジェラの待つ食堂に降りて行った。
アンジェラは久しぶりに弟と夕食をともに出来る事を喜びかいがいしく調理場で準備に精を出していた。
「ああ、ウォレスもう少し待ってちょうだい。今日は貴方の好きなお魚と冬野菜の煮込みよ。
今日はね市場で美味しそうなお魚を見つけたの・・・・・・・」
アンジェラはそう言って楽しそうに鍋の中身を掻き回している。
ウォレスは無造作にアンジェラの背後に回り躊躇い無く毒に濡れた短剣を突き出す。
アンジェラは練達の傭兵に相応しい素早さで短剣を避けようとするが狭い厨房が邪魔になり腹部に短剣の一撃を受ける。
しかし、咄嗟に反撃したアンジェラの蹴りを受けウォレスも厨房の反対側の壁に叩き付けられ息を詰まらせる。
アンジェラは突然の事に混乱し状況が把握できず、ただ壁にうずくまるウォレスを見詰るだけだった。
「え・・・ちょっと・・・・ウォレス・・・大丈夫?・・・・いったいなんのまねなの?・・・・・どういうこと?」
そう言って、ウォレスに近付こうとしたが果たせなかった。
視界が赤く染まり足に力が入らない。腹部の傷がまるで焼け火鉢を押し付けられたように疼き出す。
アンジェラはそのまま床に倒れこんだ。
ウォレスは痛む胸を押え立ち上がり、アンジェラを見下ろすように傍らに立つとアンジェラの髪を掴み顔を覗き込む。
「姉さん・・・・どうして?って聞きましたか?教えて差し上げますよ・・・・私はある人物と取引をしたんです。
条件は彼の協力者になる事・・・・・その見返りに失われた右手を手に入れることが出来るんです。
でもね、彼は私が姉さんに縛られている事を知っているようでした・・・・・・・だから私が姉さんから離れられるように
この短剣を貸してくれたんですよ・・・・・・聞いてますか、姉さん?」
ウォレスの声は淡々として静かだったが、毒に犯されたアンジェラの耳には錆びた鉄が擦り合わされた様な響きを持って聞こえた。
それは彼女の弟の声ではなく、まるで今日初めて会った人間の声のようだった。
「もう私には姉さんは必要無いんです。さようなら・・・・姉さん。」
そう言ってウォレスは静かに夜の闇に歩み去っていった。
アンジェラは朦朧とする意識で歩き去るウォレスを見ていた。
ウォレスの周りには闇の精霊シェイドよりなお暗い闇がわだかまり、奈落の底に消えていくかのようにアンジェラには見えていた。
アンジェラは慄然とする。今までもっとも近しい存在だった者が消えいこうとしている。
それも彼女の目の前で。なのに彼女には何も出来る事が無いのだ。なんと残酷な光景だろう。
彼女は痛みに霞む目を見開き、力の入らない四肢に懸命に力を込め雄々しく這い進む。
しかし、30Cmも進めずに再度、くず折れる。
彼女の口からはうわ言のように
「ウォレス・・・・ウォレス・・・・行っては駄目・・・・・そっちは暗いわ・・・・・姉さんのそばに居なさい・・・・
駄目・・・・誰かウォレスを止めて・・・・お願い・・・・」
そう繰り返すのだった。やがてアンジェラの意識は途切れた。
夜、繁華街が活気付く時刻にアンジェラとウォレスの姉弟が住む下宿に訪問者が訪れようとしていた。
剣を下げた吟遊詩人風の青年とラーダの神官着をきっちりと着こなした若者の二人連れが姉弟の下宿を訪ねようとしてた。
神官着を着た若者が口を開く。
「レイシャルムさんがウォレスさんの家を知っていて助かりました。
でも驚きです。アンジェラさんとウォレスさんがご兄弟だったなんて」
それに答えて吟遊詩人風の青年が喋る。
「そうかい?あの姉弟は仲が良いんだぜ。よく一緒に歩いてる姿を見掛けるがなぁ。もっとも最近ウォレスの方は見掛けないがね。
それよりレヴィンお前さんはウォレスに何の用だい?」
「私は・・・・ウォレスさんに預かったものを返したいんです・・・・・」
そう言ってレヴィンは懐にした宝石を握り締める。その宝石はラーダ神殿前で死にかけた猫を助けたレヴィンに偽善の代価だと
ウォレスが与えた物だった。
「まあ、何にしても今が夕飯時でラッキーだったな。彼女の料理はなかなかのものだよ。」
レイシャルムはレヴィンににやりと笑いかける。
姉弟の下宿が見えて来た時、前を行くレイシャルムの足が止まる。
レヴィンが不審そうにレイシャルムを見るとその顔つきは気のいい吟遊詩人の顔では無く厳しい戦士の顔になっていた。
その変貌振りがあまりにも突然だった為レヴィンには見知らぬ他人を見る思いだった。
「変だと思わないか?ドアが開けっぱなしだし、明かりが弱すぎる・・・・・・・用心した方が良さそうだ。」
その言葉を聞いたレヴィンはラーダの聖印を握り締め小さく神に祈る。
レイシャルムも油断無く回りに目を配りいつでも抜刀できるよう剣に手を置く。
二人は用心しながら家に入りそこで血溜り倒れ伏したアンジェラを発見した。
「アンジェラさん!酷い・・・・・・・・」
レヴィンは素早くアンジェラに駆け寄り具合を確かめる。
酷い怪我だった。腹部には短剣が刺さったままでそこからは今も血が止まる事無く流れ顔色は蒼白を通り越し土気色になっている。
毒の影響だろうか?四肢は痙攣が止まず熱に浮かされた者の様にうわ言を繰り返すばかりだ。
レヴィンは神にアンジェラの回復を祈った。しかしアンジェラの容態は回復したようには見えなかった。
”なぜ?いくら私が未熟でも確かに回復の魔法が掛かったはず・・・・・・・。この傷では致命傷にはならないはずなのに
アンジェラさんの容態は悪すぎる・・・・・。もしかして、毒?”
そこまで考えた時レヴィンは引き抜いた短剣に付着した血を指に付け、少し舐めてみる。
舌に鉄臭い血の味と奇妙な痺れが広がる。間違い無くアンジェラは毒に犯されていた。
下宿の周りを一回りして敵がいない事を確かめていたレイシャルムが戻ってきた。
「どうした?アンジェラは助かりそうか?」
「レイシャルムさん・・・・アンジェラさんは毒に犯されています。兄さんの所に運ばないと・・・・・・
私には手に負えません・・・・・・」
悔しそうに唇を噛むレヴィン。
二人はレイシャルムがアンジェラを背負いレヴィンを案内人にしてロックフィールド治療院に出来る限りの迅速さで
アンジェラを運んで行く。
ロックフィールド治療院に着く早々レヴィンは兄、トレルに治療を頼み込む。
三刻の後、アンジェラの治療を終えたトレルがレイシャルムとレヴィンが心配そうに佇む居間に顔を出した。
「運が良かったな、彼女は助かるよ。しかし・・・・・気になるのは身体の傷や毒の影響より
精神の方だな・・・・・。彼女はずっとうなされて、ウォレスって言い続けていたよ。」
深々と息をつき、また話し出す。
「しばらくは絶対安静だな・・・・・。ところで彼女はレヴィ、お前の恋人か?まあ私にはどうでもいいことだがな。
いささか疲れた・・・・・先に休ませてもらうよ。おやすみ・・・・」
「ち、違いますよ。兄さん。」慌てて否定するレヴィン。そんなレヴィンにお構いなしにトレルは寝所に引っ込んでしまった。
アンジェラが助かると聞いてレイシャルムとレヴィンの二人の間に安堵の空気がしばし流れる。
レイシャルムがレヴィンに向き直り静かに話し始めた。
「アンジェラにあれだけ背中でウォレスを頼むって言われたんだ・・・・・俺はこれからウォレスの行方を追うつもりだよ。」
小さく笑って続けるレイシャルム。
「これも宿世の縁さね・・・・・。で、お前さんはどうするね?」
レイシャルムが真直ぐにレヴィンを見詰る。
「私は・・・・・・アンジェラさんが元気になるまで看護を続けます。私に出来るのはそれぐらいですからね。」
気負いも照れも無く自分のやるべき事をわきまえた者の表情でレヴィンは答える。
それを見たレイシャルムは安心したような笑みを浮かべ、アンジェラを頼むと言い残しロックフィールド邸を辞した。
一方ウォレスは街外れの塔で念願の「魔法の腕」を手に入れていた。
早速、腕の使い心地を確かめる。唱える呪文はライトの呪文を選んだ。
コマンドワードを唱えると義手に魔力が甦るのが感じられる。ついでライトの呪文を紡ぎ出す。
『彼の暗黒よ、光の前に立ち去りたまえ』
高らかに古代語の呪文を唱えると身体中に魔力が溢れる。その魔力を意志の力で光の形を取らせようと集中する。
晧々と照らされた魔法の光。ウォレスはそれを恍惚の表情で見詰ていた。
魔力がウォレスの身体を満たした時ウォレスは麻薬の興奮やSEXの絶頂にも勝る快楽を感じていた。
ウォレスの顔に涙が一筋流れ落ちる。それは嬉し涙ではなかった。
大切なものが壊れてもう二度とは戻ら無い事を哀惜したウォレスの最後の良心が流させたものだった。
そのウォレスを見詰る小さな人影。
「ウォレスさんのこころはしんでしまいました。あのかたのうみはよどんでししゅうをはなち、そらははいいろになってじめんにおちてしまいました。
モクシャはウォレスさんがあわれでなりません・・・・・・・・」
その言葉は誰にも聞かれる事無く闇に弾けて消えていった・・・・・・・・・・・・・・・。
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