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No. 00040
DATE: 2000/01/26 14:59:19
NAME: ケルツ
SUBJECT: 詩人の経歴
注:この話は『冬の村』、『悪夢、あるいは一つの現実』の続きです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
商うのは芸だけではないというのが、その一座のもっぱらの評判だった。今まさに貼り付けられようとしているポスターを見てリロイは眉をしかめた。もっとも彼の気に触ったのはその評判ではなく、その張り紙の趣味の悪さにだったが・・・。凝った形に捻じ曲げられた飾り文字の下で、男が笑みを浮かべている。
昼間の酒場は人が少ない。ちょうど話し相手に不足していたこともあって、ちょうどポスターを貼り終えた子供に声をかける。黒髪の子供はリロイの声に、あまり愉快とはいえぬ表情で振り向いた。年のころは15・6、暗い瞳をした少女は細すぎる体の線のおかげでそれよりもさらに年下に見える。
(芸人ってのは、もっと愛想のいいものだと思うんだがなぁ)
心の中でそう呟く。少女はといえば、明らかに迷惑だと言う表情を隠そうともせず木偶のようにつったったままだ。当り障りの無い質問、たとえば、その男が−つまりポスターに描かれた男が−団長なのかなどと聞いてみる。表情も変えず無言で頷く少女の前に、こちらもうんざりとし始めたリロイの視界の片隅で、酒場の扉が上品に−そんなものを上品に開けられる者がいればという話だが−押されるのが見えた。
入ってきたのは背の高い灰色の髪の青年。同色の瞳が一通り店内を見回し、リロイとその前の少女のあたりで止まる。唐突に柔らかな笑みを浮かべ近づいてくる青年に、場所を開けてやりながらリロイは彼を観察する。柔らかな動作に人好きのする笑み、どうやら少女とは知合いらしいと判断をつけるのと、青年がリロイに軽く頭を下げたのとは、ほぼ同じだった。
「この子が何か迷惑でも?」
「別に、すこし話をしていただけだ」
青年の顔に、こちらの思考を読もうとするような冷たい光が見え隠れする。その表情は一瞬で消え、ますます柔らかな笑みを浮かべた彼は張り紙を指す。
「私もこの一座の一員なんですよ。この子は弟分ですが、なにぶん人見知りするもので、気分を悪くされたなら申し訳ありません」
驚いて子供を見れば、肩に手を置かれながら相変わらず憮然とした表情を浮かべている。視線の先をたどればそこにはリロイの相棒、一振りの剣。たしかに少年に見えなくも無い。
(人見知りというのとは違うと思う)
また、心中で呟き、引き止めて悪かったと少年に謝る。
「ケルツ、おいで。もういくよ」
そう呼びかける青年の方に歩いていきながら、少年は一度振り返り、リロイを見つめた後初めて口を開いた。
「冒険者?」
緊張しているのか掠れたような声と、多少うらやましげな表情に答えを返すよりも前に、二人の姿は視界から消えている。反動で押し戻された扉が、きぃと音を立てた。
再会したのは3日後の夜だった。裏路地で言い合っているらしい声の主を覗いてやろうかという程度に、リロイはずいぶん酔っていた。背負い袋を持っているのは別にこの町を出ようとしたわけでなく、酒場で喧嘩した相手もろとも宿から叩き出されたせいだ。言い争っている二人のうち小柄な方に覚えがあるような気がして、彼は酔った頭をひねる。
(あいつ、この間の・・・)
酔った人間の行動は本人ですら責任が取れないとは、この事件の後のリロイの言葉だが、その言葉にふさわしく剣の柄で殴られた男はあっさりと昏倒した。紳士然とした格好の男を足元に見下ろしながら、ケルツと呼ばれていた少年がリロイを見上げる。
「何の用だ?」
「お前、助けてやってそれは無いだろ。大体何してるんだこんなところで?こいつは?」
そう問うリロイに少年は面倒くさそうに、それでもぼそぼそと答えた。
「仕事、客」
それが彼の質問に対する答えだと気づくまでに数秒、その答えの意味に気が付くまでさらに数秒。げ、と呟いたきり口を閉ざしたリロイの脳裏に知合いの口調がよみがえる。「商うのは芸だけじゃない・・・まぁ、動く娼館ってとこだな」苦々しく口をゆがめて、リロイはケルツの手を引いた。疑問の表情で振り返る少年に、舌打ちしながら走り出す。
「衛視とか来たらどうすんだよ。俺はつかまるのなんか嫌だからな」
先ほどの喧嘩、衛視が呼ばれそうだったところを、宿から出て行くことでどうにか免れたのにと声には出さずに付け足した。
暇だというケルツに部屋の半分を占領されながら、リロイは剣の手入れをしていた。あの次の日、一座の天幕へ少年を連れて行くと、前に見た青年が困ったような疎むような顔をして彼を引き取った。少年が彼の宿に顔を見せるようになったのはそのしばらく後で、それ以来リロイの部屋を訪ねては何をするでもなく時間をつぶし、気がつけば姿をくらましている。
時折気まぐれに、手に持つ楽器をかき鳴らしてはいくつかのメロディーを引いてみたり、虚ろに窓の外を眺めていたかと思えば、冒険の話を聞きたがる。少年は冒険者になりたいという。精霊が少し使えると言う彼に、それではいずれ旅の友でもしてもらうかなというと驚くほど真剣に聞き入ってくる。
「でも、お前は冒険者とか言うよりも吟遊詩人とかの方が似合ってると思うけどな。歌、そんなに悪くないと思うぞ。」
少年の抱え込む、奇妙な楽器を見ながら、そう言ってやるとあからさまに嫌そうな顔をし、今の仕事と変わらないという。少年の中で歌を歌うことと、男娼の仕事とがこじれたまま結びついているのを知って彼は自分の知り合いだったバードの話をしてやった。自分たちの冒険談を嬉しそうに聞き、彼が作り上げた歌のこと。その歌のせいで舞い込んできたとんでもない依頼。ちょうど話が一段楽したところで、ケルツが不思議そうに聞いた。
「今は、冒険に行かないのか?」
そうたずねるケルツに苦笑いしながら、今は護衛をしているのだと教えてやる。
「そろそろ契約が切れるんだ。次の仕事探そうにも一人だし」
仲間が死んでから、もう誰かとパーティを組む気になれないと呟くと、後ろで少年が息を飲むのが分かった。あえて気にせずにリロイは続ける。自分たちの力を見誤って大きすぎる仕事を受けてしまったこと、最後に付け加えた言葉に卑屈になっている自分を思い知らされた。
「一番盾になるべきだった俺が、一人生き残ってるんだからなぁ」
沈黙の後、少年が口を開いた。私も守るべきだったと呟く声と、扉の開く音に振り返るとケルツが出て行った後だった。ぼそりと呟く。
「・・・冒険のときはせいぜい先輩風を吹かさせてもらうか」
叱責を受けて、天幕の一部を区切って作られた部屋へと戻る。そこにいた数人の子供のうち幾人かがケルツを見る。近づいてきたのは一人だった。もともと薄い色の髪を赤く染めているせいで、顔立ちとその髪の色とは似合ってはいない。どうしたのかと心配そうに聞く少女に、別にと答える。
「気をつけたほうが良いよ。このごろ練習時間までサボったりしてどこか行ってるでしょ。
座長、すごく怒ってるから」
そのことで散々嫌味を言われてきたのだというと、彼女はおろおろとしてそんなことじゃだめだと繰り返す。ケルツはこの少女が苦手だった。自分とは関係の無いことですぐに怒り、すぐに泣く。眉をしかめてどうしたものかと思案する。何も言わないわけにもいかず、今度から気をつけるというとやっと顔を上げる。叱責されたのは別の理由だった。一座を出るといった彼に座長はいつものせりふを怒鳴ったのだ。「お前等がまともに働けるのはここだけだ、ここ以上に行くところなどありはしない」と。安堵する少女の様子を見ながら
(もし、妹でもいたらこんな感じなんだろうか)
と、ため息をついた。出て行くときはこの少女にだけは真実を話してやろう、そうでなければまた泣くのだろうから、そう思う自分に気づいて少し驚く。次の日、旅支度を整えるケルツに客が着ていると呼びにきたのも彼女だった。誰かと聞いても首を傾げるばかりで、その後まじまじとケルツの顔を覗き込む。怪訝に思いながら天幕を出、路地の角に立つ人間を見上げてびくりを肩を振るわせた。
「久しぶりだ。5年ぶりかな」
そう呼びかける男の顔立ちは驚くほど自分に似ている。ひゅっと鳴ったのは、渇いたのどを通り抜ける空気の音か。地上にありながら水の中にいるように呼吸が苦しい。男の手が近づいてくるのを避ける事すらできずに、ただ頬の線をなぞられた瞬間息を詰めた。男はそれをいささか不満そうに見ながら言葉を続ける。
「リロイ・・・・といったかな、そう、あの冒険者だ。私は、人間というのは脆いものだと思うよ。何かするだけで壊れて・・・いや、死んでしまったりするからね。そして、その心も脆弱だ。隙があればそこから入り込んだ毒に、すぐに壊されてしまう。そうは思わないかい?」
「何が言いたい?」
漸く出てきた言葉はひどく掠れていた。
「君の交友関係をどうこう言う気は毛頭無いが、父親としてああいう輩と付き合うのは感心しない。美しい石の彫像に自らひびを入れるようなものだ。あの女にとって私がそうであったようにね」
あの女というのが、ケルツの母親であるということはぼやけた頭でどうにか察しがついた。それだけを言うと男はくるりと踵を返す。
「そうそう、彼は近くまで仕事にいっているそうだ。事故になど遭わねば良いな。何しろ人間の体など巌ひとつよりも儚いのだからね」
男の姿が消えてから、やっと自分の膝が震えているのに気がつく。あの男を殺すためだけに生きると誓ったのだと今更ながらに思い出した。彼を超えるために手に入れたはずの力は結局どこにも行き着かなかった。
やはりという無音の重圧とともに、座長はまた彼がその一座に籍を置くことを許可した。リロイの宿へ向かう。仕事から帰ったばかりの彼に、自分は冒険者にはならないことに決めたというと、ひどく驚かれた。
「だって、お前・・・俺、依頼受けてきちまったぜ?」
薬草の香りのする、施療室の中で医者が無機質に来客を告げる。目の前に進み出た少年が無言で床を見下ろしている。声をかけてやると何も移してはいない瞳をこちらへと向けた。自分に向けられていたはずの好意は今では微塵も感じられない。たいした傷ではないというと、凍ったような相貌に一瞬灯がともった。
「違反金払う金が無くてさ」
冗談交じりにそういうと、眉をひそめ頭をたれる。気づかぬ振りをしながら言葉を続ける。
「返り血は飛ぶし、臭いしで、散々だったんだからな。ああ、俺も吟遊詩人になりてぇ。お前、顔と声だけ俺と替えろ、なっ?」
それを聞いてケルツが笑んだ。初めて笑う顔を見たと思いながら、リロイはまた眠りに落ちる。今度性根からたたきなおしてやろうと、まどろむ頭でふと思った。医者が少年を連れ出しながら、夕刻まで見舞いに来ていいと教えてやる。ケルツは頭を振り、今日中にこの町を立つのだといった。
後ろ手に扉を閉めながら、私も守るべきだったと、いつかの言葉を呟いた。何を守るかも分からなかった。それでももう一度呟いて施療院を後にした。
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