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No. 00059
DATE: 2000/02/09 00:42:14
NAME: ヴェイラ
SUBJECT: 雪の記憶
雪の記憶
エレミア。自由人の街道に接する、砂漠の町にして、職人の町。
深夜、そのスラムの一角で一人の少女が走っていた。まだ、七歳か八歳くらいだろうか。なにかに追われているのか、時々後ろを振り向く。
「どこに行った!?」
少女の前の通りから声が聞こえてくる。その声に、少女はビクリと身を震わせる。あわてて、走ってきた通りを戻ろうとするが、そちらからも人の声。はさまれてしまったのだ。周りには小道もない。少女は、とっさに通りにうずたかく積まれたごみの山の影に身を隠す。
しばらくすると、ガラの悪そうな男が、一人づつ、通りの両方から姿を見せる。
「そっちはどうだ!?」
「だめだ、こっちにもいない!」
「…ったく、どこに行きやがった!?」
男達が会話をしているその時。もともとどんよりと曇り、月明かりさえ隠していた空から、ひらり、ひらりと白いものが落ちてくる。今の季節は冬。もうそろそろ春の息吹が来てもおかしくなさそうな頃である。しかし、砂漠の町だけあって、この町に雪が降ることはまずない。
「…寒いと思ってたが…雪まで降り出しやがった……ちっ!」
そう言いながら、男はゴミの山に蹴りを入れる。…少女の隠れているゴミの山を。もともと不安定だったゴミの山は、男の蹴りに盛大に崩れる。
「なにやってんだよ。…このままじゃ、雪、積もるな…とっとと探して、帰って火酒でも呑もうぜ。あっちの通りは探してなかっただろ?」
苦笑しながら、もう一人の男がいう。
「ああ……手間かけさせやがって……見つけたら、ただじゃおかねぇぞ…」
「あいかわらず、血の気の多いヤツだな…」
二人の男は、そのまま、通りを走り去って行った……
しばらくして。
うっすらと雪が積もり始めた頃。もそり、とゴミの山の一角が動いた。しばらく、もそもそと動いたかと思うと、中から少女が這い出してくる。崩れたゴミの山に巻きこまれてしまったのだ。這い出した少女が見たものは、一面の銀世界。
「なに…?これ…?」
少女は、雪を知らなかった。エレミアに雪が降るのは、十年に一回とさえいわれているから当たり前ではあるが。
少女は、ちょっと雪を気にしながらもまた走り出した。素足で走っているため、足は冷たかったが「あそこ」に戻るのは死んでもごめんだった。
(………………さむい…………)
走っている間、少女はただそれだけを思っていた。どこに向かえばいいのか、自分でもわからなかった。少女の足を動かしているのは「あそこにもどりたくない」という、一念だけだった。
しかし、その念も体温と同時に、すぐに奪い去られる。もう、雪は少女の膝のあたりまで積もっていた。それでも、足を動かす。その時、かくんと膝が折れる。少女はたまらずよろけて道の端に倒れこんだ。
なんとか身を起こし、塀に身体を預ける。…もう、走るどころか、歩くこともできそうになかった。
何気なく、空を見た。
(きれいだな………)
ふと、そう思った。暗闇の中でも、白を失わない不思議なもの。しかも、なぜか自分の身体に降り積もっていくと、次第に寒さが薄れていくような気がする。
半分以上、少女の身体が雪で埋もれた頃、遠くから、光に包まれた人影が来るのが見えた。
(てんしでもきたのかな……?)
そして、少女は目を閉じた。すぐに、意識は闇の中へ落ちていった……
「おや…?雪ですか。珍しいこともあるものですね…」
マーファの神官衣を身にまとった壮年の男がスラムを歩いていた。彼の名前は、マーノルという。ここ、エレミアのスラムで孤児院を開いている人物である。
ちょうど、神殿での用を終え、子供達の待つ孤児院に帰る途中であった。
「……これは、足跡?…しかも、小さい…少年か少女のようですね」
帰り道の途中。足元をランタンで照らすと、小さい足跡があるのが発見できた。帰り道と一緒であることから、足跡を追ってみることにした。
しばらく歩くと、自分の孤児院の近くの道で足跡がなくなっていた。そして、足跡が消えているところに、雪が不自然に盛り上がっていた。
(まさか……)
そう思って、雪を掻き分けて、足跡の消えているところまで走る。そこに、少女がいた。半分以上雪に埋もれて、目を閉じている。
慌てて雪を払って抱き起こす。身体は極端に冷たかったが、弱々しいながらも、まだ命の脈動を感じることが出来た。
(……まだ、生きている!)
自分が見つけ出すまで、この少女の命が失われなかったことを神に感謝しながら、マーノルは少女を抱き、孤児院に向かって走り出した……
木の臭いがした。暖かくて、柔らかい布が自分の身体にかけられている。目を開けると、まぶしい光が目に入ってくる。
なぜか、身体が重かったが、なんとか上半身だけ起こして周りを見てみる。
それほど広くもない木造の部屋。少女のいるベッドの横に、テーブルとイスが一つ。テーブルの上には花が乗っている。
「てんごく……ってわけじゃないみたい……でも、あそこでもない……」
ガチャリ、と音がして部屋のドアが開く。ドアの外から姿を現したのは、12くらいの少女。中に入るなり、急に廊下に向けて声を張り上げる。
「父さーん!! この子、目、覚ましたよ〜!!」
「おお!! そうか!!」
続けて下の方から、男の声が聞こえてくる。マーノルの声である。階段を上がり、少女の寝ていた部屋に入っていく。事情がわからずに、おびえて警戒している少女に、自分達のこと。それと、なぜ少女がここに寝かされているかを優しく説明する。
あの雪の晩、少女を連れかえり、出来るだけの神の奇跡を使って少女を癒していた。しかし、身体中の凍傷を癒すだけで精神に限界がきてしまい、身体の冷えから来る風邪の治療は出来なかった。そのため、風邪の治療は少女の体力に任せるしかなかったということ。それで、少女が3日間眠っていたこと。
自分の隣にいる少女は、マリンといって自分の娘であること。…そこまで言って、マーノルは少女の名前を聞いていないことに気づいた。
「そうだ。あなたの名前はなんと?」
「なまえ…?なまえ……ない…」
「……で、では、周りからどういう風に呼ばれてたのですか?」
「……『3番』とか……『お前』とか……」
「ふむ……困りましたね…そのまま呼ぶわけにもいきませんし…私が、名前を考えましょう。明日まで待ってください」
その言葉に、少女は黙ってこくり、とうなずく。
「まだ、体調は全快じゃないだろうから、今日のところは、まだ寝ててね。それじゃ、おやすみなさい」
その後に、マリンが言葉を繋ぐ。おとなしく、少女が布団に入るのを見てから、二人とも少女の部屋を出て行く。
ぱたん、とドアを閉めると、マリンは父親を振り向いて言う。
「ねぇ、父さん。名前つけてあげる、って言っても父さん名前考えるの遅いじゃない。ほんと〜に、明日までに考えられるの?」
「……まぁ、なんとか考えるよ、はっはっは」
乾いた笑いを浮かべた父親に、マリンは、父の頬につつっ、と流れた汗を見落とさなかった。
(……この調子じゃ、あの子、しばらく名前なしだね……)
夜。子供が多い(というか、マーノル以外大人はいないのだが)この孤児院では、皆寝るのが早い。そのためマーノルは、子供達が寝たのを確かめてから、子供達のちらばしたものを片付けるのが日課になっていた。
その、毎日の作業の途中……歌が、聞こえた。
あせらずにゆっくりと
感触をたしかめながら
自分の道を歩いていこう
冬の空のように、限りなく透明な、春一番の雪どけ水のように、限りなく澄んだ、声。
誘われるように、声の聞こえてくる方向に足を運ぶ。
夢の中で、花を摘もう
月に照らされながら、愛を感じよう
歌の聞こえてくる場所は…あの、少女の部屋。それほど、大きい声で歌っているわけではない。
すべてはあるがままに
すべてと向かいあって
前を向いて進んでいこう
それなのに、なぜか遠くまで…地平線の果てまでも届いて行きそうな声だった。ちょうど、詩人の神、ヴェーナーがこんな声をしているのではないか、と思わせるほどの美しい歌声だった。
………光とともに
歌が終わるのを見計らって、マーノルは部屋をノックし、声をかける。少女のか細い了解の声と同時に、部屋の中に入る。
「君の名前…今、ちょうどいいものが思いついたので、来たんですよ」
さきほどの歌で、少女の名前が閃いたのだ。
「ヴェイラ…なんてどうですか?さきほどの歌を聞いて、…詩人達の神、ヴェーナーのようだと思ったもので…それからとったものです。…安直といえば、安直ですけど…」
「…ボクの名前…ヴェイラ…?」
「えぇ、あなたの名前ですよ」
にこりと笑って、マーノルは声をかける。
「……ヴェイラ…ヴェイラ…!」
少女は、何度か口の中で自分の名前を復唱する。次第に、その顔には笑いがこぼれ始めていた。
「ようやく、笑ってくれましたね。…やっぱり、君くらいの年の女の子は笑っている顔が一番ですね」
その時、ふと窓の外を見ると、また、雪が降り始めていた。
「おや……また、雪ですか…珍しいですね…一年に二回も雪が降るなんて……」
少女は、綺麗にひらり、ひらりと降ってくる、窓の外の「雪」を眺めながら、自分の居場所を見つけたような気がしていた。
……少女は、その居場所がもろくも崩れ去る事を知らない。
……今は、まだ。
次回「炎の記憶」
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