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No. 00083
DATE: 2000/03/15 00:26:04
NAME: ケルツ
SUBJECT: 華髪の暮
◆◇◆◇◆◇◆◇
月琴の詩人のことを話してくれた老人が死んだのは、冷たい雪のふる午後だった。楽器店を訪れたケルツを、老人の息子が迎え赤い目を伏せてそう告げられる。何を言えばいいか分からなくて、ただ深く頭を下げて店を辞した。
考えてみれば冒険者たちの中へ入っていくことで、死と隣り合わせに生きると言うこととは馴染みがあったはずなのに、老いて死んでいくものとあまり関わりをもったことが無かったと思い返す。母を思い出した。父を思い出した。そして彼らによって命を奪われそうになった自分を思い出した。死とは白刃の煌きのように、突然訪れるものだった。日々忍び寄ってくるものではなかった。
なんとなくしみじみとした気分で、酒場の戸を押す。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「爺ぃ!てめぇ絶対にイカサマしやがったな!」
途端に耳に入ってきた喧騒に思わず店内を見回す。がたいのいい男が小柄な人間に食って掛かっている。銀髪に真っ赤なバンダナをまいた相手の人間の顔はこちらからでは良く見えない。
「イカサマなんぞするか」
「じゃあ、なんで『片目猫』のカードばっかり出るんだよ」
「そりゃあ、儂の日ごろの行いがよいからじゃな」
「てめぇ」
女が一人、悲鳴をあげて奥へと人を呼びに行く。思わず間に入ろうとしたのはなぜかは分からない。なんとなく、背を向けた人物が自分の知ってる人間と重なる気がする。男の腰元で一瞬、銀色の光が見えた。思わず精霊を呼ぶ声が口をつこうとした瞬間、男は足元を救われて腰から床へと激しい音を立てる。驚いて立ち上がった銀髪の人物に目をやる。立ち上がった彼の背丈は極低い。老人は男の足元をすくったらしい椅子をのんびりと元の位置に戻し、さてと振り返ってカウンターを見た。
「ああ、エールをいっぱいいただけるかな?」
残念ながら自分は店員ではないと断わって、付け足した。
「店を出たほうが良いんじゃないか?誰かが衛視を呼びに言ったぞ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふむ、してお前さん、儂をここまで連れ出してどうする気じゃ?」
大通りから、少し入った細い路地。飢えた猫がなぁと鳴いてしばらくこちらを伺っていたが、こちらに構う気が無いと知ったのかしばらくして姿を潜めてしまう。大通りから聞こえるざわめきのなかに自分たちを、正確には老人を探す声は聞こえない。
昼過ぎから降っていた雪は既にやみ、春先のかすかに暖かさを含む風の前に地面に黒いしみのような跡を残しているだけだ。
一息をついたケルツの耳に、入ってきたのが先刻の老人の声だった。
まるで何事も無かったかのごとく、老人は聞いてくる。自覚は無いのかと溜息をつきながら、あんなところで喧嘩でもやらかして衛視を呼ばれたらどうするつもりだと溜息をつけば、あんな青二才などなんでもないと笑われた。
「儂を誰と思っとる?百戦錬磨のウィンダースじゃぞ?」
衛視長のホスターは小さい頃から知っとる。わしがちょこっと言えばすぐ釈放じゃ。そういって笑う老人の、ウィンダースの姿にまた知り合いの姿が重なる。
(ウィンダース、バンダナ、賭け事・・・・まさかな)
自分の名も名乗らない、最近の若者は・・・と、とうとうと話し出すウィンダースに、自分はオランから来た、ケルツと言う詩人だと告げる。
「おお、オランか。昔はあそこでも稼ぎ回ったのう。流離いのギャンブラーとして名を馳せたあの頃が懐かしいわい。」
その瞬間、疑問は確信に変わった。同じ二つ名を冠するギャンブラーをケルツは知っている。そのギャンブラー、ウィントという少年を知っているかといえば老人はとたんに破顔し、笑んだ。
「あの子の知り合いか?いい子じゃろう?」
あの子はいいギャンブラーになるだの、なんだの、話し終えることを知らぬウィンダース老の姿に将来のウィントの姿を見たような気がする。どうにか話を切り上げて宿に帰ろうとするケルツに向かって老人は笑って付けたした。
「お前さんなかなか気に入った。孫のことも聞きたいし、わしの家まで来い」
驚いて、しばし諮詢しケルツは苦笑した。
「・・・お邪魔しよう」
◆◇◆◇◆◇◆◇
酒を振舞われ、なにやかやと引き止められてケルツがウィンダースの屋敷を後にしたのは次の日の昼近くだった。薄曇りの空の下で寒々しい路地が、真っ直ぐに伸びて屋敷の間へと消えている。昨日ウィンダースに会ったごちゃごちゃとした下町の路地よりもはるかにこぎれいなその道に目を落とし、ケルツはさらにそこから生えるよう立つ塀に視線を移す。
「なんでこんな屋敷に住んでる老人が、わざわざあんな酒場で賭け事をするんだ?」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「許さねぇ」
木目の浮いた古ぼけたテーブルに拳を叩きつけたのは、昨日さんざウィンダースにからんでいた男だった。賭けた金自体は小金で、それが無くなったからといってどうということも無い。
ちょっとした冒険の当てが出来て、その前金をもらい、仕事前の最後の酒だと飲んでいたときに現れたのがその老人だった。酒場の主人と老人との話に割って入り、なんなら自分と一勝負してみないかと持ちかけたのは男のほう。
やめておいた方が良いと言う主人と、面白そうに笑む老人とを前にそばに連れてきていた女に声をかける。
「なぁに、すぐに終わる」
勝負はすぐに終わった。老人の勝ちで。たいした勝負でもなかった。男のちょっとしたミスを老人はひょいと掻っ攫ったのだった。酒が入っていなければ、あるいはいつもの男なら笑って済ませたはずだった。しかし・・・しかし、その時、彼の隣にいた女がくすりと笑いを漏らしたのだ。
「爺ぃ!てめぇ絶対にイカサマしやがったな!」
銀髪に真っ赤なバンダナをまいた老人は飄々とした顔で笑う。
「イカサマなんぞするか」
「じゃあ、なんで『片目猫』のカードばっかり出るんだよ」
「そりゃあ、儂の日ごろの行いがよいからじゃな」
「てめぇ」
傍らでしなを作っていた女は、悲鳴をあげて奥へと人を呼びに行く。
脅しつければ事が収まるだろうと思っていた男は多少困惑していた。目の前にいる老人は自分よりも二周りも、あるいはそれ以上に小柄でとても腕が立つようには思えない。
がたん、と男が立ち上がった立ち上がった後ろから大きな物音が聞こえる。椅子が倒れた音だろう。
腰元の短剣に手をやる。これで脅しつければ、と男は酒に酔った頭でふと考える。銀色の冷たい塊に手が触れたと思った瞬間、老人の体がひょいと動いたのが見えた。がたん。先ほどよりも大きな音がする。男の目の前で、老人が支えているのは先ほど倒れた椅子だろうか。老人はその椅子をのんびりと元の位置に戻し、さてと振り返ってカウンターを見た。
衛視が呼ばれ、男は一晩だけ冷たい牢ですごすことになる。最も、それは彼が、取り押さえようとした衛視を振り払い怪我をさせたからだ。しかし、この一晩は彼にとって致命的だった。夜明けの金とともに町を出る商隊は、護衛の彼を待った所為でその出立時間を大幅に遅らせていた。違約金。そして、彼は解雇された。
「あの爺ぃ、ぜってぇ許さねぇ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「それにしても」
と、ケルツは呟く。ウィンダースと出会って二日後、いきなり切りかかってきた男を衛視に突き出し、二人はまた老人の屋敷へと続く道をたどっていた。襲ってきた男の顔をどこかで見たような気がするが、首を捻ってもケルツにはそれは思い出せなかった。
ケルツがその名を紡ぎなれた闇の精霊を、呼び出すか出さぬかのうちにウィンダースが男の短剣を軽くかわし、それを叩き落していた。見事としか言いようが無いが、と、ケルツは溜息をつく。
「その年で、落ち着くとかそういう気は無いのか?もうそろそろ、危険に飽きなてもいい頃だろうに」
「落ち着いてはいるんじゃがな。時々でもこうして腕を使っとかんとなまるのでな。ソレは少々いただけん」
ウィンダースはにっと笑う。目じりの皺がいっそう深くなる。若々しい身のこなし。それでも彼の顔には、その歩んだだけの月日がしっかりと刻み込まれている。多分、身を落ち着けて、静かにまどろむ事だけが老いでもないのだろうとケルツは苦笑する。
「老い先短い、老人の趣味じゃ。もっとも、まだくたばる気はせんがの」
ケルツは再び溜息をつく。ウィンダース老は軽やかな足取りで細い路地を抜けていく。
「早ぅ、来んとおいていくぞ。今日はわしの最後の孫を紹介してやろう」
相変わらず広がる曇り空から、降る雪が雨に変わる日も近い。
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