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No. 00089
DATE: 2000/03/17 00:50:24
NAME: ファズ、シセイア、セシーリカ
SUBJECT: 喧嘩の結末
新王国歴512年、2月27日
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(また、ここに来ちゃった)
ファリス神殿の荘厳な建物を見上げて、セシーリカは思わず溜め息を付いた。
用事があって近所まで来ると、必ずといっていいほど、セシーリカは神殿を訪れる。訪れると行っても、門扉を叩き礼拝をするためではない。彼女は決して神殿の中には入らなかった。
神殿の近くまで行き、暫くの間、いろいろな感情の絡み合ったまなざしで神殿を見つめる。そうして、かつてそこにいた友人の面影を、友人との思い出を、ー番楽しかった頃を、思い出すのだ。
(ただの現実逃避だな)
自らの行為に嫌悪を感じて、セシーリカは神殿から視線を引きはがすと、フードを目深にかぶって瞳を返した。
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布教活動を終えて、シセイアは足早に神殿への帰路についていた。最近物騒な事件が立て続けに起こっている。早く神殿に戻り、事務を片付けて、事件の解決の手伝いがしたかった。
と。
「大変だ!」
青年が叫んで彼女を呼び止めた。夕刻に近い時間帯、その通りは人通りがまったくといっていいほどなかった。振り返った先には白いローブをまとった青年がいた。
「路地裏の方で人が倒れてる!!」
「なんですって?」
もしかして、また通り魔事件か。シセイアの脳裏に嫌な予感がよぎる。
「どちらですか!?」
「あっちの方だ!」
青年に指し示されたとおりにシセイアは走った。シセイアの記憶が正しければ、青年が指し示す方は路地裏で、しかも袋小路になっていたはず。あんな逃げられない場所で殺人を犯すなんて。シセイアは嫌悪に眉をひそめた。
夕闇が迫る刻限だった。あたりは薄暗く、青年に案内された袋小路には人影らしき物も、血の匂いも、ない。
「どこです? なにもないじゃないですか」
「あの隅の所だって、ちゃんと見ろよ!」
何故自分で見ようとしないのかしら。多少いぶかりながらもシセイアは示されたとおり奥へと進む。
刹那、首の後ろに衝撃を感じた。衝撃と共に壁に叩きつけられるような感触がして、一瞬遅れて、地面に倒れたのだ、と理解した。理解すると同時に激痛が走る。
「くっくっくっくっ…ほら、ここにお前が血を流して倒れる事になっただろ?」
だまされた、シセイアは気力を振り絞って抵抗しようとした。だが全身に力が入らない。激痛で動きが鈍る。あっけなく青年に避けられ、逆に腹を蹴り上げられた。
「無駄だぜ? 致命傷だ。もうすぐお前は死ぬよ」
青年が着ている純白のローブには点々と赤い返り血が飛び散っている。あれは自分後だ、そう感じて、シセイアの躰から一気に力が抜けた。
青年が自分の胸に踵を踏み降ろすのが見飢える。だがもう、どこが痛いのか分からなかった。視界が白くぼやける。
「ほら、至高の神の「正義」の力でも見せてみろよ…」
声がだんだん遠くなっていく。
激しい痛みが不意に遠のく。だれかが動くな、と叫んでいるのが聞こえた気がした。だがすべての感覚が急激に彼女の元から離れていく。
ぴちゃん、と、自らの血の中に、シセイアは頭を落とした。
最後に、ファリスへの祈りの言葉をつぶやいて、彼女の意識は永遠に途絶えた。
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「…?」
不意に、背筋に寒気を覚えて、セシーリカは外套をかき寄せた。風が冷たくて、フードを深くかぶる。
そろそろ周囲が闇に覆われる頃だ。だが、嫌な予感がしてセシーリカはあえて路地裏に歩みを進めた。以前、その路地裏で子猫が捨てられていたことがある。また、そんな猫を拾うのかもしれない、と漠然と考えていた。
角を曲がり、もう一つ向こうの路地を曲がれば、そこは袋小路だ。
その角を曲がったところで、何か物音が聞こえたような気がして、セシーリカは歩みを止めた。
あれは、骨が砕ける音。そして、見知った、声。
(まさか!)
はじかれたようにセシーリカは駆けだした。自らの不安が杞憂であることを女神に祈りながら。
だが。
駆けつけた先にセシーリカが見たものは、路地の奥、暗い袋小路の二つの白い影。
片方は転々と返り血を浴びて超然と立つ白いローブの人物、もう片方は、真っ白な神官着を血で染めて倒れている神官…。
セシーリカはまるで棒を飲んだように立ちつくした。その立っている白いローブの人物に見覚えがあったからだ。
白いローブの人物は、ゆっくりと振り返ると、苦笑とも取れる笑みを浮かべた。
「………やれやれ。見つかっちまったか………今までは見つかってなかったのになー…」
嘘であってほしかった。
嘘であってほしかった。
嘘であってほしかった…
「…ファズ…」
喉の奥でつぶやいた声は、彼には届かない。
目の前に立ちつくすのは、紛れもない、自分の義兄。友人の兄。
…ファズ・フォビュート。
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ファズは舌打ちをした。よもやこの殺人を人に見られるとは思わなかったからだ。人目に付かぬこの場所での凶行だったはずなのに。
だが、ファズか再び気を取り直した。目の前にいるのはフードを深くかぶった子供だ。口を封じるなど造作もない。そう、永遠に。
「…動くな」
少年が右手を突きだして牽制してくる。この少年も神官らしい。…ファズは目の前のフードの人物を少年だと思った。無駄な足掻きだな、と思わず笑みが漏れる。
「ガキ、永遠の自由を手に入れてーか?」
そのまま、滑るように少年に近づく。少年はファズからじりじりと離れる。その動く先を察してファズは苦笑した。もう死んだあの女に近づこうとしている。
「人を呼びます。…もうすぐ神官か衛兵が駆けつけるはずです。観念した方がいい」
見逃してやるか。
ファズはそう決めた。もう一つの自分の感覚が、駆けつけてきている二つの足音を聞き取っていたからだ。
「オレを倒そうとする前にあの女を弔ってやる方が利口じゃねーか?」
からかいの意味を込めて、頬をさらりと撫でる。
「触るな!」
ぱし、と乾いた音がして、ファズの手ははじかれる。少年がシセイアに駆け寄るのを見て、にやり、と笑い、ファズはそのまま踵を返した。
駆け付けたニ人の神官が目にしたのは、血まみれで倒れている女性と、全身を血でべっとりと汚し、女性の傍らにうずくまっている半妖精の少年だった。倒れている女性は明らかにシセイアで、少年の手には血にまみれた短剣がしっかりと握られている。
「シセイア!」
「その子供を捕まえろ!」
「違う、これは…」
何かを言いかけて少年は口をつぐむ。瞬く間に、少年は神官に取り押さえられた。
セシーリカは呆然と手の中のダガーを見つめていた。誰かが自分を引き立て、どこかに連れていこうとしていたが、頭の中に砂が詰められたよう西港が止まっていた。
大切な何かが、壊されていくように感じた。
…ファズがひとを殺した…ファズが……どうすればいい、このまま逃げ延びてほしい、でもそうしたら被害者は増える。ファズが殺人を犯し続ける。
……なんでこんなことになったの。なんで、こうなる前に止められなかったの。
……たくさんの人が泣くんだ。悲しむんだ。苦しむんだ。恨むんだ。ファズのせいで。わたしの大切な家族のせいで…。
だれか助けて。ファズを助けて。これ以上だれも殺させないで………。
セシーリカは絶望に青ざめた険を閉じた。もうニ度と、目を開けたくはなかった。
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誰もいなくなった、血のこびりついた路地裏で、赤い首輪の雑猫が、さびしそうに、にゃあ、と鳴いた。
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