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No. 00102
DATE: 2000/04/08 23:15:02
NAME: カール・クレンツ
SUBJECT: カール・クレンツの挑戦
オランとプリシスを結ぶ「蛇の街道」。地を這う蛇の姿のように曲がりくねった形をしたこの街道からは無数の間道が走り、それぞれがオラン王室や貴族達の治める荘園地帯へと続いている。
その中の、首都オランに程近い間道の一つが辿り着く先に、ノルドと言う名の村がある。
総人口は100人に届くか届かぬかと言う程の小村である。高地にあるため、温順な気候で知られるオランでは例外的に冷涼な地域に属している。
特筆すべき産業も伝承もない、全てにおいて平凡な村落である。
周囲の村にはあっても、この村にはないものは多い。だが、たった一つだけ、他の村にはないものが、このノルドにはあった。
幸運と交流を司る神チャ=ザ。そのチャ=ザに仕える若き司祭が教導のため、年初よりノルドに赴任していた。それが、一帯に並ぶ村落の中で唯一、ノルドだけが持っているものであった。
ノルドの外れに立つ質素な佇まいの平屋。その一室で、司祭カール・クレンツは、オラン本神殿へと提出する書類の作成に取りかかっていた。
ノルドへ赴任してから三月と少々の月日が過ぎ、カールの存在はようやく村の空気に馴染みつつあった。
赴任当初は、村人との間に幾度も摩擦が生じていた。それは西方人であるカールに対する偏見であり、豊かとは言えないノルドには縁の薄いチャ=ザ神への偏見であった。カールは二重の偏見と戦わねばならなかったのである。村人との衝突は、時に深刻なものとなり、カールはオランへ引き返すことを一度ならず考えたものだった。
そのたびごとに彼を支えてきたのは、チャ=ザに仕える者としての弛まぬ矜持、若さゆえの意地と情熱、そして妻カルナの深い愛だった。
相互の理解を深めるべく、カールは村の主だった者と話し合いを繰り返し、進んで村人の輪の中に溶け込もうと努力を重ねた。
カールの努力は徐々に現れていった。彼の真摯な姿勢に、村人達も次第に心を開いていき、両者の溝は僅かずつ、だが確実に埋まっていった。
彼と村人との関係を確かなものにしたのは、三月初頭にノルドを襲撃した盗賊との戦いであった。
武装した屈強な盗賊達に対し、カールは村人達を鮮やかに指揮してこれを迎え撃った。ベルダイン流の洗練された軍学と、修羅場で己の命を数限りなく救ってきた剣術とを、カールはこの戦いで存分に発揮した。
ノルドの民はそこに、この若い司祭の並々ならぬ度量と、決して激することのない穏やかな風貌の裏に秘められた数多くの苦労を感じ取ったのかも知れぬ。その後、彼を慕う人間は急速に増えていき、この時初めて、カールはノルド村の住人として、そして司祭としての位置を確かなものとしたのだった。
そのカールの顔に今、僅かな憂いが生じていた。報告書の証であるチャ=ザの印が刻まれた羊皮紙にペンを走らせるにつれて、それは少しずつ大きくなっていた。
先の盗賊の件を機に、カールは村人との交流を大きく深めていった。そして同時に、ノルドと言うこの小村の実状を、ノルドが抱える様々な問題を改めて知ることになったのである。
「この村は……貧しいな」
報告書に区切りを付けると、カールは溜息混じりにぽつり、と呟いた。
大陸の中でも温暖な気候にあり、土地も肥沃であるオランの農業は、二期作(米を年に二回収穫すること)・二毛作(同じ田畑を用いて一年に二度、異なる二種類の作物を栽培すること)が主体である。また、「賢人王」と名高い元首カイアルタードの徳政により、オランの農村は列国のそれと比べても豊かな部類に入る。
しかし、オラン北部の高地に位置する狭隘なノルドはその恩恵に与ることができなかった。他所よりも氷霊と風霊の強い力に晒された土地は冷えきって痩せ細り、大地母神マーファの慈愛も届かなかった。ノルドは、オランの興隆の陰に埋もれた貧しい村なのであった。
周囲一帯を治める貴族が、チャ=ザの篤信家で知られる人物でなかったならば、このような寒村に司祭が派遣されることはまずあり得ないことだった。
国家が定める最低限の租税に貴族の課税が加わり、それらを差し引かれた村人たちの手には、辛うじて生活できると言う程度のものしか残されなかった。
そんな村において、自分と言う存在が、どれだけ村人の負担であるか。村人達が作物を届けてくれるたびに、カールはそのことを痛切に感ぜずにはいられなかった。
(彼らの暮らしを今よりも豊かなものにしてやりたい……)
その想いはいつしか使命感へと変わり、カールの胸中に濃く醸成されていった。
「とは言っても、その手段が見つからないことにはな……」
カールは無意識に指で机の上をこつ、こつ、と叩いていた。
ノルドを豊かにする手段。それを見つけることが目下の課題であった。
最新の農業技術を導入すれば、確かに石高はある程度上昇する。しかし、それには莫大な費用と時間とを要する。ノルドの土地の貧弱さを考えれば、それに見合った結果が得られるとはとても思えなかった。
「そうなると……特産物、か」
つまり、ノルドでのみ収穫の可能な特有の産物を確立し、それを名産品として売りに出すのである。単価価値の高いものを選び、量よりも質で勝負。それが理想であった。
見込みのない米麦の耕作にいたずらに労力を費やすよりは、よほど建設的に思える。
勿論、独力では無理な話であり、村人の協力が欠かせない。失敗をすればこれに回された人間の数だけ、収穫に影響が出る。それを懸念して反対する者も出てくるであろう。
「しかし、これ以外に方法はない……まぁ、根気よく説得を続けるまでだ」
カールの決意は既に固まっていた。
では何を特産とするか。次はそれを考えねばならない。ノルドの土地と気候に見合ったもので、どのようなものが獲れるのか……。
その時、
コン、コン。
戸口をノックする音が、再び考えに沈んでいたカールを現実へと引き戻した。
「どうぞ」
カールの返事を受けて扉が開き、一人の少女が顔を覗かせた。
「お仕事中だろうと思ったんだけど、ご飯ができたから」
少女の耳はその先端が僅かに尖っていた。それは妖精の証……、彼女は人の血と妖精の血とを分け持つ存在、すなわち半妖精である。妖精の特徴を色濃く受け継いでいるらしく、線の細さが目立つ体つきをしている。
少女の名はセシーリカ・ライフィムドル。クレンツ夫妻とは、旧知の間柄である。さる事情から長年暮らしていたオランを離れ、カールのもとに寄寓していたのであった。
セシーリカの存在は当初、ノルドを騒がせていた。それは人々の目の前に滅多に姿を見せることのない森の妖精に対して村人達が抱いた好奇の感情から起こるものであった。付け加えるなら、半妖精と言う存在はさらに稀有なものである。大都市ならともかく、辺境ではそのような種があることすら知らずに生涯を終える者が大半である。
森の妖精の血を引く人間と言うことで、村人達は二重の驚異でセシーリカを見た。人の心は、己の知識や理解の範疇を超えるものを前にすると、遠ざかる方向に傾斜する。彼女を見る村の大人達の瞳には、恐ろしいものを見る時に生じるあの独特の饐えた色合いが強く光っていた。彼らはセシーリカを避け、彼女が身につけたマーファの聖印すらもまともに見ようとはしなかった。この事態にカールは大いに気を揉んだ。
だが、一巡りもするうちに、セシーリカと村の子供達とが田畑の側で戯れる様子が見られるようになった。彼女の愛らしい外見と生来の人懐こさに、子供達は何の躊躇もなく惹かれていったのである。幼い子らの魂に偏見は無縁であった。
やがては大人達も次第に彼女に声をかけるようになった。挨拶だけだったやり取りに世間話が加わり、やがてちょっとした農作業の手伝いに彼女の名が呼ばれるようになった。その時にはもう、セシーリカは愛称の「センカ」で呼ばれるようになっていた。
そのようにして、「カールの客人セシーリカ」は、「ノルド村のセンカ」へと変わっていったのである。
「了解。すぐに行くよ」
カールは立ち上がると、明かりを消して部屋を出た。
「今日は何をしていたんだい」
「ボブさんがね、畑の向こうの林を切り開くって言うから、お昼までそのお手伝い。それから、子供達と探検ごっこ」
その様子を思い浮かべて、カールは笑みを漏らした。
「お疲れ様」
「どういたしまして。あっ、そうそう」
セシーリカは腰に下げていた小袋の中から一本の草を取り出し、カールに渡した。
「珍しいものが生えてたなと思って、持って帰ってきたんだ」
手渡された草を、カールはしげしげと眺めた。彼の見知らぬものであった。
「これは?」
「ちょっと名前は忘れちゃったけど。たしか、これの雌花がエールの渋みをつけるのに使われてたんじゃないかな。東の森にいっぱい生えてたよ」
「ふぅん、エールのね……」
そこでカールは、はたと立ち止まった。
「ん……どうしたの?」
セシーリカの声に答えず、カールは手中の草を改めて見た。その瞳に、尋常ではない強い光が込められている。
「そうか、これがあったか……」
カールは熱っぽく呟いた。
そんな彼をセシーリカは訝しげに見やり、首を傾げたのであった。
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