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ベルダインから着いた船から、積み荷を降ろしてそれを店の地下まで運ぶ。それが今回の仕事だ。運ぶことそのものは、専門の人間がいる。そして、その積み荷が狙われないように…狙われても対処できるように、警備として冒険者を数人、雇うことにした。 実は、数週間前にも同じような仕事があった。今回はそれの第2便である。仕事をするにあたり、人数調整と警備体勢の検討を兼ねた打ち合わせの場がもたれた。その場を取り仕切っていた男が口を開いた。雇い主であるカーウェイ商会の警備担当の男である。 「ってわけで…船が着く日はさっき伝えた通りだ。警備は…そうだな、戦士があと少し欲しいか。……おい、そこの半妖精。……おまえ、こないだの仕事ん時もいたよな? マクリーン商会からのつてだっけか?」 部屋の隅で、壁にもたれていた、金髪の半妖精、ラスがそれにうなずく。 「もう1人、2人ならどっかから連れてこようか?」 「そうだなぁ…ほら、こないだおまえが連れてきた…ほら、何てったっけ? ドビンだかなんだか…あの騒がしい男。あれでもいいぞ」 男の言葉に、ラスは即座に首を振った。 「いや。アレはいい。いらねえ」 「……即答すんなよ。かわいそうに…」 「とりあえず、こっちも自分の身は可愛い。っていうか、命は惜しいからな」 他のに声かけてみるから、と言って、ラスはその場をあとにした。 そして当日。ラスの隣に立っているのは、ホリィだった。綺麗に編み込んだ金色の髪は、邪魔にならないように、頭の上でまとめられている。 緊張した顔で、周りに目を配りながら、ホリィがラスに尋ねる。 「ラスさん…? 積み荷を降ろす作業は始まったようですけど…向こうを手伝ったりはしなくていいんですか?」 「ああ。あっちは関係ない。専門の作業員がいるから大丈夫。……ンなに緊張するなよ。実戦はまるきりの初めてってわけじゃねえだろ?」 苦笑しつつ答えたラスに、ホリィもぎこちない笑みを返す。 「え…ええ。初めてってわけじゃないんですけど……ただ…その……」 「…人間を相手にすんのは初めてか?」 その問いに、ホリィが小さくうなずいた。腰の細剣にそっと沿わせた手がかすかに震えている。 「襲ってこなきゃそれが一番いいが…そういう希望は持たないほうがいい。小耳にはさんだ情報によると…やっぱ狙われてるらしいし。ここの商会は、ああいう奴らに人気があんだ」 ラスの軽口に、微笑んでうなずきながら、ホリィは息を吐いた。 「…大丈夫です。剣を手に取る以上、覚悟は出来てます。お師匠様に…そう教わりました。それに……冒険者になりたいって言うのは、口だけじゃありませんから」 その瞳の真剣な光を見て、ラスがにやりと笑う。 「……手加減できなきゃ、殺してもいい。大事なのは、積み荷を守るって仕事と、あとは自分の身を守ることだ。……基本的には、ルーンマスター…ほら、向こうにいるあいつとあいつ、それと反対側の白いローブ。あいつらは、魔術師と神官だから、前には出ないが、襲われることはある。彼らを守るのも、戦士の務めだ」 「ええ。それもお師匠様に教わってます。……ラスさんも、ルーンマスターですよね?」 「まあな。けど、俺のことは守らなくていい。……てめえの身を守るくらいの技はあるから。……っと、いらっしゃったようだな。いいか、無茶すんなよ。あんたに何かあったら、ガイアにぶっ殺されるからな」 積み荷を運ぶ作業員たちの向こう、倉庫のほうに顔を向けて、ラスが言った。その視線を追って、ホリィもそちらを見る。 「え…? まだ何も……」 その言葉を言いきらないうちに、倉庫の影から何人かの人間が走り出てきた。あの場所に味方はいないはずだし、何よりもこちらに剣を振り上げながら走ってくる。……敵だ。 味方の魔術師が放った眠りの雲は何人かを眠らせた。だが、眠った敵の全てを行動不能にするまえに、何人かは起きあがってしまう。自分に向けて振り上げられた剣をかわしながら、ホリィも必死に細剣を振るっていた。相手が金属鎧ならば突き通すことはできないが、幸い、目の前の敵は柔らかい皮鎧だ。足を踏み込むと同時に、突き出した剣に確かな手応え。師匠であるスカイアーに習った通り。今までの訓練の成果が出て、体は反射的に動いた。 「……っ…!」 倒れかけた男から細剣を引き抜きながら、その手応えにホリィは顔をしかめた。たった今、突き刺したのは人の体だ。訓練の時に打ち込む立木でもないし、以前に戦った大きなカマキリでもない。 (まさか…死んだりなんかしてない…よね?) 鮮血のあふれ出る腹を抑えながら倒れ伏した男に視線を固定したまま、ホリィはその男の肩が上下するのを見守った。かすかなうめき声と、荒い呼吸。…生きている。 (……よかった) 生きていることを確認しても、意志は萎えそうになる。このまま逃げ出せたらそのほうが楽なのかもしれない。…それでも、逃げることはできない。自分が受けた仕事なのだから。それに、背中を向ければ…逃げ出せば、次に倒れるのは自分かもしれない。義務感と恐怖心。それだけが今の救いだった。 気を取り直して、次に備えようとした瞬間、周囲は暗黒に包まれた。一瞬のうちに闇に染まった視界に恐怖心が芽生えかける。が、次の瞬間、思い直した。 (“暗黒”の魔法だわ。古代語魔法) 魔法戦士を兄に持ち、自らも古代語魔法を学ぼうとしているホリィには、恐れるべきものではない。ただ、視界を奪われたままでは剣を振るうことはできない。うかつに剣を振るって、同士討ちになっては元も子もないのだ。 (この状態なら、敵も剣は使えないはず。…じゃあ……この魔法の目的はなに? ただ混乱させようと…? ……違う、何かあるはずだわ。そうじゃなきゃ……) その疑問は間もなく解けることになる。味方の魔術師の、詠唱が響き渡った直後に。 味方の呪文で、“暗黒”は消え去った。そして、再び光を取り戻した視界には、先刻よりもかなりの距離を詰めてきた敵たち。 (そうか…暗闇を利用して距離を詰めてきたのね) 「…ちっ…どこだ、魔術師野郎?」 魔術による暗闇のなかでは、精霊使いである自分とて視界は閉ざされる。殺気を頼りに攻撃することも不可能ではないが、危険が伴う。自分にはそれほどの剣の腕はない。これ以上厄介な魔法をかけられる前に、敵の魔術師をどうにかしようと、ラスはあたりを見回した。 (魔術師なら…後衛にまわってるはず。建物の陰…ってこたぁねえだろ。見えない場所に魔法はかけられないはずだ。……いた、あれだな) 風の通らない室内とは違って、シルフはあたりを自在に飛び回っている。“沈黙”の呪文を唱えるのに何の不都合もない。 自分に向かって斬りかかってきた敵をかわしざま、足払いをかけて、敵が転がってる隙にシルフを呼び出して呪文を唱える。 (……よし、効いた!) 目に見える効果ではないが、今の呪文には手応えを感じた。敵の魔術師と、その周りにいる男たちがうろたえているのも目に入った。 あとはそこらにいる敵を、と振り向きかけた瞬間、膝の裏側に蹴りが入る。先刻、転ばせた男だと認識する前に、今度は逆に転ばされていた。 「……ンの…っ!」 野郎、と叫びかけた時、自分のものではない細剣が目の前の男の腕を切り裂くのが見えた。男の腕から短剣が落ちる。それを認めると同時に立ち上がって、ラスは持っていた細剣を倒れた男の腹に突き立てた。その男に起きあがる力が残ってないことを確かめて、改めて顔を上げる。数瞬前に自分を助けてくれた人影に。 「…サンキュ。助けられたな、ホリィ」 いえ、と俯いたホリィの視線が、地面に倒れている男の体とその下の血溜まりに向けられる。 「ああ、大丈夫だよ。これっくらいで死にやしねえさ。…まぁこのまんま、まる1日くらい放っときゃ死ぬだろうけどな」 「ええ……それなら…」 そう答えながらも、ホリィの目は血溜まりに向けられていた。石畳を濡らす鮮やかな赤に。血そのものは、手伝いをしていた治療院で見たことがある。目を逸らしたくなるようなひどい怪我を負った人間を見たこともある。だが、これは事故でも何でもない。自分の剣が招いた結果だ。 「とどめを刺す必要が無いときは…無理にそうしなくてもいいんだ。相手がそれ以上動かねえってわかりゃそれでいいんだから」 半ば自分に言い聞かせるかのように言ったラスの言葉に、ホリィもうなずいた。 「ええ…わかってます」 数刻後。襲ってきた敵のほとんどは捕らえた。そして、冒険者側にも甚大な被害は出なかった。 血の付いたままの細剣を見て立ちすくむホリィの肩を後ろからラスがぽんと叩く。その手の感触に、一瞬びくりと肩を震わせてホリィが振り向いた。 「……おいおい、俺だよ。……剣なんか向けんなよ?」 苦笑しつつ声をかけたラスに、ホリィが大きな息をつく。 「あ……ラスさん…ごめんなさい」 「いいって。とりあえず、だいたいの仕事は終了だ。あとは店まで運ぶだけだし。………どうした? ぼーっとしてるけど?」 少し青ざめた表情でぼんやりとしているホリィの顔をラスがのぞき込む。 「い、いえ! 大丈夫です! ちょっと…疲れたかなって。えへ♪」 「怪我とかないか? ガイアとレヴィンにぶっ殺されるのはごめんだからな」 笑いながら尋ねるラスに、ホリィが首を振る。 「ないです! …でも……あの…えと…」 「なんだ? なにか……」 「いえ…あの……私、あまり役に立たなかったように思うんですけど…」 「ああ、そんなことか。大丈夫だよ、ちゃんと役に立ってた。味方にもほとんど被害らしきものも出てないし…今回の仕事は成功だな。あとで、危険手当込みの後金がもらえるぜ?」 「そうですか…」 「……その剣、早くしまえよ」 抜き身の剣をぶら下げたままのホリィにラスが苦笑する。言われて初めて、自分が剣を抜いたままなのに気が付いて、慌てて鞘に戻そうとする。 「…あ……あれ…おかしいな……」 カチカチと、金属音だけが腰から響いてくる。鞘を抑える自分の左手を切りかけて、ようやく剣を鞘に戻すことができた。 店の倉庫までの、半刻ほどの移動。 ホリィは先刻までの戦闘を思い出していた。目の前で倒れた敵。血溜まりの中に沈んだ男。自分に向かって振り上げられる剣。鎧をかすめていった短剣。そして、血で汚れた自分の剣。訓練なんかじゃない。肉を切り裂いた感触が、剣をとおして自分の手に伝わってきた。…それはまだ残っている。 相変わらず少し青ざめたままのホリィにラスが口を開く。 「……ホリィ? 顔色悪いけど…何かあったか?」 「あ……いえ。別に……ただ……」 「ただ?」 「冒険者って…こういう仕事なんだなぁって思って。……おかしいですか? 今更こんなこと言うの」 ぎこちなく微笑みを作るホリィに、ラスが苦笑する。 「おかしくはないさ。………なぁ? 俺、余計なことしたかな?」 「…余計なことってなんですか?」 「いや…ホリィが冒険者になりたいって言ってて…でも仕事がないって。んで…少し…何て言うか……迷ってるみたいだったから。一番、わかりやすい形でこの仕事がわかればと思ったんだけどさ」 沈黙するホリィの隣で、伸びた前髪をかき上げながら、ラスが更に言葉を重ねる。 「剣を覚えるにしろ、魔術を覚えるにしろ…こういう風に……ああ、うまく言えねえや。俺だって迷ってる途中だしな。でも……今日の仕事、怖かったか?」 その言葉に、ホリィが小さくうなずいた。 「…ええ。…今日は、幸い…っていうか…あの…人の命を奪うことはありませんでしたけど。でも…やっぱり怖かったです」 「それは…多分、わかるよ。でも……ああ…何て言うか…俺、こういうのって苦手なんだけど…」 苦笑しながら、ラスが言葉を探す。 「えーっと…とにかく。今日は1度助けられた。ありがとう。それと…お互いに仕事は成功だ。…おめでとう」 そう言って微笑んだラスにつられて微笑みながら、ホリィがうなずいた。 「あ、はい。えと、どういたしまして。…じゃ変ですよね、えっと…えと…」 言うべき言葉に迷っているホリィに、ふとラスが呟いた。 「…ごめんな、迷わせて」 「あ……いえ、そんなこと……」 迷わせて、と言うのが、自分のすべき返事に対するものではないことに、ホリィも気が付いていた。 |
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