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<510年〜晩秋/エレミア> …目の前で、サラマンダーが踊っていた。全てを焼き尽くそうとするかのような、狂乱の踊りを。エルフが嫌うその破壊性を今は隠そうともせずに。…燃え広がる炎。舞い上がる火の粉。吹き付ける熱。鮮血とともに失われていく体力。 ……赤く染まる視界。炎の赤なのか、血の赤なのか。血だとすれば、それは誰の血なのか。自分のか、それとも相手のか…。 単純な護衛の仕事だった。エレミアに居着いて数年。この地の乾燥した空気にも慣れて、時折吹きつける砂混じりの風にも諦めがついて。そんな街なかの地理も頭に馴染んでいる。護衛をしたり、誰かを追いかけたり探したり、そんな仕事には不自由しなくなる程度の年数は経っていた。さして強力なものでもないが、いくつかのコネクションもなくはない。 「うちの娘を護衛してくれないか」 ティアールと名乗った貿易商がそう言った。すでに妻はなく、一人きりの家族である娘を守ってほしいと。充分な額の報酬は出すと。いくつかの背後は調べたが、その貿易商には怪しいところはない。依頼そのものに裏はなさそうだ。そして、俺たち…俺とカレン、ロイ、シュウの4人はその依頼を受けた。 自分の商売…そこそこ手広くやっている貿易商を継がせるため、娘のスミーユにはきちんとした人間と結婚してもらいたい。いや、そうでなくては困る。ティアールがそう説明する。 「…そうは思っていたんだが、まぁ、娘にはやはり勝てなくてな。もうすぐ、娘は結婚する。そのことで…なんと言うか……まあ、有り体に言えば逆恨みしてる人間がおってね。その人間から娘とその結婚相手を守ってほしいのだが」 「……じゃあ、その逆恨みしてる男をとっ捕まえろと?」 聞いてみると、ティアールはうなずいた。そして、付け加える。 「…生死は問わない」 逆恨みしてる人間とやらの人となりを聞いてみる。苦虫をかみつぶしたような顔で、ティアールが言った。 「名はジャイルといって…くだらん男だ。もともと、娘と関係があったとかそういうこともない。親馬鹿かもしれんが、うちの娘はなかなかの器量でね。見た目もそうだが、中身もだ。いざとなったらうちの商売を継げるようにと、何人かの家庭教師も雇っていた。出入りの商人が来た際には立ち会わせたりもしたしな。そのうちの1人…といっても、教師ではなく、商人のほうだ。何度か下請けとして取引のあった商会を経営している若い男なんだが。…そいつが、勝手に見初めて勝手に盛り上がっていたらしい。娘も迷惑していたよ。用もないのに屋敷のまわりをうろうろしたり、妙な手紙を押しつけてきたり…。迷惑だからと何度も断ったんだが、一向に聞く気配は見せない。それどころか、どんどん増長していく有様だ。…つい先日のことなんだが……娘が1人で買い物に出た際に、街のごろつきどもにさらわれかけたらしい。その時は、たまたま通りがかった人に救われたが…あとで少し調べさせたところ、そのごろつきはジャイルが雇ったみたいだな」 なるほど。商人の裏をとりに行った時に、シーフギルドでやけにあっさりと答えてくれたと思ったら…まあ、そうだよな。これほどの商人なら、ギルドと協定を結んでてもおかしくないし、むしろそれが当然だ。『調べさせた』ってのも、もちろんギルドに、だろう。そして、娘の護衛をということになって…それなら冒険者でも雇ったほうがいいと言われたんだろう。 翌日、俺たちはティアールの屋敷へと向かった。 娘とその結婚相手に紹介されて……正直驚いた。結婚相手がエルフだったからだ。人間の街で暮らして長いというエルフは、やんわりと微笑んでこう言った。 「こちらの商売を私が継ぐことはありません。種族的な問題もありますしね。スミーユは幸い、その教育を受けていますので…そちらに任せます。ただ、私は彼女とともに生きられるなら、それでいいんです。…ああ、申し遅れました。ルーティクラードと申します。どうぞ、ルートとお呼びください」 そう自己紹介して、彼は俺に向けて微笑んだ。相手がエルフなら、俺がハーフってのはマズイかなと思いかけていた時に。…まあ、人間と結婚しようなんていうエルフだ。よほどの変わり者だろう。 護衛を始めて数日後。カレンと2人で屋敷の周囲を見回っていた時に、ふと、ルートがそばにきて俺に尋ねてきた。 「あなたは…あなたのご両親は……?」 少し不安げに、それでも微笑んでそう尋ねる。その意図は理解できた。…彼は人間と結ばれようとしているのだから。だから俺も正直に答えた。 「親父はエルフだ。そしてお袋がハーフだった。お袋はもういないけど、親父は今でもエルフの村にいるよ。15年くらい前までは俺もそこにいたけどな」 「そうですか……。あなたは…迫害されたりは…?」 思わず苦笑が漏れる。エルフと人間…どっちの社会で育とうが、迫害されないハーフエルフなどいるだろうか? 苦笑して肩をすくめる俺を見て了解したのか、ルートが溜め息をつく。 「……そう…ですよね。やっぱり……」 眉を寄せる彼の肩を軽く叩く。伝えたいことがあったからだ。 「けど……不幸だったとは思うなよ? そりゃ、いじめられねえんなら、それにこしたことはねえさ。けどそれだって、本人の気持ち次第だ。俺は確かに認めてはもらえなかった。それでも、幸せだったと思う。…どうしてだかわかるか?」 「……?」 「親がいたからだよ。父親も母親も、俺のことを後悔してなんかいなかったからだよ。だから…あんたたちも……あんたらが子供を作ったら…生まれてくる子供はハーフだろう? その子供をさ、愛してやれよ。それだけで、子供ってのは生きていけるもんなんだ」 その言葉にうなずいた笑顔は……親父を思い出させた。 ルートは、なんとなく気にかかる存在でもある。エルフだからと言うのもあるが、彼が人間を愛してともに暮らそうとしたことが、一番気になることだろう。エルフ…あの、高慢なわからずや達。プライドが高くて、他を受け容れようとしない奴ら。…俺にとって、親父とその従姉妹以外のエルフは、そんな認識しかなかった。ただ…ルートは……ルーティクラードは違うように思えた。 優雅な物腰、浮かべた微笑み。細長くとがった耳と切れ長の瞳。それはエルフでしかあり得ない。俺が見続けてきた…俺を育ててきたエルフ。なのに、ルートは何かが違う。多分、その『何か』は親父と同じ『何か』なのだろう。 知りたい、と思った。 食事の後、見回りまでの空いた時間に、俺はルートといくつかの会話を交わした。どうやら、向こうでもそれを望んでいたらしい。 つまりは、ハーフエルフとの会話を。 西に沈んでいった陽に変わって、のぼり始めた月が屋敷の中庭をうす青く照らす。その庭の片隅で、俺はルートに尋ねてみた。 「 Qu'el age avez-vous ……じゃねえや、ちきしょう。え〜っと…つまり…あんたは…何歳になる? もちろん、だいたいでいいんだけど」 意識もしていなかったが、エルフ語が口をついて出た。それに気づいて慌てて共通語で言い直す。もちろん、エルフ語が通じる相手なのは分かってる。 実際、今でも、独り言を言ったりメモをとったりするときには、エルフ語が入り混じる。共通語を使っている期間よりも、エルフ語を使っていた期間のほうが長いからだろう。……時々、そんな自分がムカつく。 「そうですね……300を越えたあたりです。こちらに…というのは、人間の住む街にと言う意味ですが、こちらに来てからなら…50年ほどになりますか。さほど、長く居たという気もないんですが、かなり考え方は変わってきたように思います」 やんわりと微笑んで彼はそう告げた。流暢な共通語で。 「あんたは、人間を愛した。辛いことを聞くかもしれねえけど…寿命の違いを考えたことはあるか?」 「……彼女と出会ってから、毎日考えていますよ」 「…その、結果のことも?」 「ええ。…ですから、あなたにお聞きしたかった。エルフと人間との混血というのが、不幸でしかないなら…と。寿命のことは……考えても答えは出ません。いえ、もともと答えを出すべきものではないのかもしれません。確かに、たとえ彼女が天寿を全うしたとしても、一緒にいられる時間はごくわずかでしょう。年数にして、この先たかだか50年程度のものです」 寂しげに、でも幸せそうに微笑むルートが、親父に重なって見える。 「たったそれだけの時間のために?」 「ええ、そうです。ごくわずかな時間であっても、ともに生きたいという気持ちは変わりません。そして彼女も、それでもいいと言ってくれました。自分が死んだあとも、生き続けるであろう私を、自分の命が続く限りは愛するから、と…そう言ってくれました。だから私も誓ったのです。彼女の命が続く限り、彼女のそばにいようと。そして、彼女を愛そうと。…だから、私たちは許し合ったんです。彼女は私が生き続けることを許してくれましたし、私は彼女が先に生を終えることを許しました」 ……同じ言葉で。あのとき、親父が囁いた言葉と同じ言葉で。 何があれば、そう思えるのだろう? そこまで思うほどの相手と出会えたら、自然にそう思うのだろうか? それとも、これはやっぱり人間のような考えかたで、彼はたまたま、人間の考え方に馴染みやすいエルフだったんだろうか? 親父も…そうだったんだろうか? 口を閉ざした俺の表情を読みとったのか、ルートが微笑んだ。 「…多分、あなたのご両親もそうだったのでしょう。だからこそ、あなたがこの世界に生を受けたのでしょう。今、同じ立場に立って、私はあなたのご両親を……エルフだというお父上を尊敬いたします。寿命の違いというものは、これから先、いつだってついてまわるでしょう。時には後悔するかもしれません。それでも、その後悔すらも彼女を愛することの証です。ただ……それはやはり、自己満足に過ぎないのかと…それが気がかりです。私たちの間に生まれる子供は、あなたのような半妖精です。いらぬ差別を受け、偏見と迫害のなかで育つことになるでしょう。何故、と責められたら…」 表情を曇らせて、ルートは言葉を切った。 「俺も…聞きたかったよ。親父に…そして、お袋に。聞いたら傷つけると思って聞けなかったけど。…あ、いや、違う。……違うな。傷つけるから、じゃない。聞いたら……自分が傷つくと思ったから。だから聞けなかったんだ。『後悔はなかったのか』って。……聞いておけばよかったんだけどな」 「……大変、失礼な事をお聞きいたしますが……生まれて来なければ良かったと思ったことは? …あ、いえ、もちろん答えたくなければ……」 おずおずと、遠慮がちにルートが尋ねる。少し慌てたようなその表情に思わず苦笑を返す。 …そんなことを思ったことはない、と、いつもならそう答えていただろう。今までと同じように。けど、俺はルートの中に親父を見ていた。全然、似てなどいないのに、それでも彼の笑顔は親父を思い出させた。だから…正直に言おうと思った。 「……そう思いかけたことは…ある。多分、何度も。でも、そのたびに思い直してた。そんなことはないって」 …だから大丈夫だと言いたかった。が、無責任にそんなことも言えない。かなりの覚悟を背負うことになるのだから。 「…ああ、そこにいたのか。打ち合わせ始めるけど…取り込み中か?」 中庭に面した渡り廊下から、カレンが声をかけてきた。 いや、と答えて立ち上がる。 「今、行くよ。……あんたと話せてよかったよ」 後半の言葉をルートに投げかける。ルートも微笑んでそれに応えた。 「ええ、私も。出来れば…貴方とはもっと話してみたいと思います」 「ああ、…じゃ、明日にでもまた」 俺たちは微笑みあって別れた。 屋敷の片隅に与えられていた部屋で、見回る時間帯を相談しつつ、これまでの調査結果もまとめる。 「カレン、調べに行ってきたんだろ? 相手の男のこと…何かわかったか?」 「ああ…とりあえずはね」 そう言ってカレンがジャイルのことについて報告する。 「人物評としては……ま、ここのご主人が言ったとおりだよ。……小者だな」 ぼそりと呟いて、カレンが肩をすくめる。 「やっぱ…アレだろ。妄想入った横恋慕だろ。…だってよ、ここの商売もちょっと調べてみたけど…まっとうな商売してるぜ? ギルドからも裏はないって聞いたし、チャ・ザ神殿でも評判はいい。街の人間にもな。親馬鹿だが、気のいい主人だってよ。どう考えても、ここんちの主人がその…ジャイルだったか? そいつを陥れるなんてことは必要ない。娘のスミーユと、ルート。そして使用人たち、街での目撃情報。ジャイルって男がスミーユに横恋慕したあげく、妄想がエスカレートしてヤバイ行動に出たってことを否定する材料は一切ない」 俺が言ったのを聞いて、シュウとロイもうなずいた。 「…つまり、容赦しなくていいということだな?」 と、シュウ。その隣でロイが声をあげる。 「シュウったら狂暴〜〜。でも、そうだね、遠慮いらないんだね。りょうかい〜〜。で? 今晩の見回りはどうすんの? 昼間、屋敷の周り調べて何かわかった?」 ロイの問いにはカレンが答えた。 「ああ、裏っかわの…ほら、廊下の突き当たりの小さな窓。あそこに、ちゃちな仕掛けがしてあったよ。窓の掛け金に糸がくくりつけてあって…外側から開くようになってる。多分、あそこから侵入してくるつもりなんだろうな。ま、今夜かどうかはわからないけど。だから、そこを重点的に見張ったほうがいい」 「…でも、裕福じゃないとはいえ、まるっきりの貧乏人でもねえんだろ? ってことは、また前みたいにごろつきを雇って、人数を増やしてくる可能性だってあるよな。とくに、今は…結婚の儀式が間近に迫ってる。多分、奴は焦ってるだろ?」 武器の点検をしながら、俺がカレンに確認する。カレンがうなずいた。 「多分な。なりふりかまわないでくるだろうな。……ま、生死は問わないってんだからいいけど」 物騒なことをさらりと言ってのけるカレン。……実はこいつってこういうヤツだよな。 肩をすくめた俺に、ふと思い出したようにカレンが聞いてくる。 「……そういえば…ルートと気が合ってるようだな? おまえがエルフと気が合うってのも珍しいけど」 「別に…エルフとは気が合わないってわけじゃねえさ。あいつらの考え方なら理解できる。むかつくくらいにな。ただ、ルートはちょっと……ま、お互いの人生相談みたいなもんだな」 苦笑しながらの俺の答えに、今度はカレンが肩をすくめていた。 俺たちは4人しかいないパーティではあるが、腕は悪くないと自覚はしている。この4人でパーティを組んで、4年以上は経っている。そこそこ気も合うし、そして何より、互いの腕を信頼できるのはいいことだと思う。実際、今までの仕事で困ったことはあまりなかった。…が、時々、もう少し人数がいてもよかったかなとは思う。こうやって、護衛をしていて、見回りを決める時なんかは特にそうだ。4人ってことは2人ずつ。2交代制ってのは…少しきつい。もともとこの屋敷に常駐している警備員もいることはいるが…。ま、なんとかなる……かな? そして、真夜中。予想通りといえば予想通り。予想外と言えば予想外に、襲撃はあった。予想外だった部分は1つだけだ。冒険者が守りを固めてることを知りながら、襲ってきた、それだけが予想外だった。それでも、どうやら相手はやはり『なりふり構わず』らしいという事実の再確認でしかなかったが。 確認したことがもう1つ。どうやら、俺たちの考えは甘かった。どうせ、人を雇ったとしてもチンピラ2〜3人がせいぜいだろうと思ってた。いや、確かに人数はそのぐらいだったんだ。けど、チンピラじゃなかった。…多分、それなりの訓練も積んでるし、場数も踏んでるような奴らだ。たとえ1晩にせよ、雇うにはそれなりの金がかかっただろう。今回の襲撃はかなりの覚悟をしてるってことだ。 「スミーユ!」 悲痛とも言える、ルートの叫び声が耳を打つ。スミーユはジャイルの腕に抱えられていた。そして、手を伸ばそうとするルートを、ジャイルの弟が押しとどめる。ジャイルが雇った3人の男のうち、2人はすでに戦闘不能に陥っている。俺たちが片付けたからだ。だが、スミーユがジャイルの手にある以上、ここから先は手を出しにくい。人質がとられてることを考えると、うかつに魔法を唱えるわけにもいかない。 カレンに目で合図を送る。引きつけろ、と。カレンがあいつらを引きつけているあいだに、魔法で姿を隠してジャイルの背後にまわれば、人質の奪還はできそうだ。 カレンが動き始める。それを見計らって、俺は1歩下がった。そして、魔法を唱える。“姿隠し”が発動したのを確かめて、ゆっくりと足を進めた。 が、俺たちの動きを待ちきれなかったのか、ルートが飛び出した。スミーユに向けて手を伸ばす。 「この野郎っ!」 押しとどめる弟が、持っていた剣を突きだした。そして、同時に、スミーユを抱えていたジャイルも、片手に持っていた短剣を前に出す。 とっさに、カレンも俺も、手を出せる位置にいなかった。そして、スミーユの悲鳴だけが響き渡る。 「いやぁっ! やめてっ!! ルート!」 ジャイルとその弟の剣が、深々とルートの体に突き刺さっている。 あふれ出す鮮血。力を失っていく生命の精霊。 崩れ落ちる瞬間、唇だけでルートが囁いた。“ごめん”と。エルフ語で囁かれたそれが、スミーユの耳に届いたかどうかは分からない。目を見開いたまま、一切の認識を拒否しているかのように、彼女は動かなかった。 ただ、彼女の無意識の呟きだけが、俺の耳に届く。 「…ルート……ルート…嘘でしょう? ……そんなの嘘でしょ? ルート…ルーティクラード……」 夕方、別れた時のルートの微笑みが目に焼き付いている。あの微笑みを見ると親父を思いだした。それは決して不快なものじゃなくて…。 今まで…正直言って、エルフは苦手だった。森にいたエルフたちを思い出すから。けど、ルートはそうじゃなかった。まぎれもなくエルフなのに…それでもルートの隣に座るのはイヤじゃなかった。彼の微笑みを見るのは心地よかった。 …そして今。ルートの細い体は、もう動かない。 スミーユの囁きは、あの日の親父を思い出させた。お袋の死を知らされた瞬間の親父を。 すでに、“姿隠し”への集中は途切れている。残りの距離を俺は一気につめた。スミーユを抱えたままのジャイルに手が届く寸前、ジャイルがそれに気づいて、ルートの体から短剣を抜き取る。そしてそのまま俺に向ける。ルートの血がついたままのそれはかわして、代わりに、持っていたレイピアでジャイルの左腕を斬りつける。スミーユを抱えていた手だ。 「…ぐわ…っ!」 ジャイルの手がゆるんだのを見て、スミーユを奪い取る。後ろにいるはずのシュウとロイに預けようと振り向いて、俺は思わず舌打ちをした。 ルートが動き出した時点で、シュウとロイも動いたはずだ。そしてそれを押しとどめたのが、ジャイルが雇った男の残り1人。装備から見て、魔術師か盗賊だろうと思ってはいたが、その両方だったらしい。呪文の詠唱が聞こえる。その詠唱を聴いて、シュウが顔色を変えた。ロイが振り上げた剣をおろすより早く、呪文が完成する。そして、2人を稲妻が貫いた。致命傷にはならなかったようだが…かなりのダメージではあっただろう。今のあいつらにスミーユを預けるわけにもいかない。 カレンは…と振り向くと、ジャイルの弟に剣を向けていた。…ちっ…向こうも無理か。とは言え、こっちもスミーユを抱えて、さらに剣を持っているんじゃ、魔法が使えない。だが、スミーユを離すわけにも…。 周りの状況とスミーユとを、一瞬の間に見比べて、考える。だが、迷った。仕事の依頼がスミーユの護衛である以上、彼女の身柄だけは手放してはいけない。 「…ラスっ! 右だっ!」 聞こえてきたのがカレンの声だと認識した瞬間に、脇腹に衝撃が走る。とっさに避けようとはしたが、間に合わなかった。急所を外させるだけで精一杯だった。 のしかかってきたジャイルの体を蹴り飛ばす。威力はたいしてなかったが、ジャイルの体がよろけた。チェストの上にかかっていたタペストリーを掴んで、姿勢を整えようとするが、タペストリーが裂けるほうが早かった。更に崩れた体勢で、テーブルにぶつかる。その衝撃で、銀の燭台が倒れた。テーブルクロスに火が燃え移る。 目の前には炎の精霊。そして、俺の中には怒りの精霊がふくれあがる。 「……ンの…野郎っ!」 迷いはなかった。右手に持っていた剣を投げ捨てて、俺は呪文の詠唱に入った。そのすぐ目の前にカレンが走り込んでくる。 弟のほうはもう片づいたんだろうか、とか、邪魔するな、とか。いろいろ浮かんだのかもしれない。それでも、呪文の詠唱を妨げるものは何一つなかった。さっきから…そう、ルートが倒れたのを見てから、ずっとこうしようと思ってたんだ。そして更に俺にまで剣向けやがった。だったら、覚悟は出来てんだろう、この馬鹿な男も。……いいさ、それなら。……ぶっ殺してやる。 カレンの短剣が、男の右腕を切り裂く。腱を狙う位置だ。案の定、男は武器を手放した。それは見えていた。ジャイルの怯えた表情。諦めた視線。萎えた戦意。全ては見えていた。けど……俺は呪文をやめなかった。 「 汝、白き光に宿り、それを司るものよ、我が声を聞き我が呼びかけに答えよ… 」 急所を外しはしたものの、先刻受けた傷は浅くはないようだった。血液が失われていく速度と同じ早さで、体の奥が冷えていく。燃えさかるサラマンダーを前にしても、はっきりと感じ取れるほどに。カレンが振り向いた。何か…叫んだかもしれない。カレンの声を聞き取るより早く、呪文が完成する。 「 我が友、無垢なる光の精霊よ…その姿を現し、彼の者を撃てっ!! 」 燃え広がりつつある炎のなかで、サラマンダーよりも、ウィスプを呼び出したのは何故なのか、自分でも分からない。多分、一番使い慣れた呪文だったからだろう。 すでに戦意を喪っていたジャイルは、俺が呼び出した光の精霊をまともに喰らった。そして、その直後から記憶がない。視界が赤く染まったことだけ覚えている。肌に届く、サラマンダーの気配だけを覚えている。 気が付いた時はベッドの上だった。見慣れた天井。定宿にしていた《花の盃亭》の一室だ。窓から差し込む光は遅い午後。翌日なのか翌々日なのか…。その判別をつけかねる。けどまあ…どっちだっていいや。 瞼に覆い被さってくる前髪を払いのけようと手を動かすと、右の脇腹に鈍い痛みが走る。その具合からして、傷そのものはふさがってるようだなとなんとなく思う。カレンかロイのどっちかだろう。 「あ、起きたぁ?」 のんびりとした声。ロイが俺の顔をのぞき込んでいた。 「………ああ。起きた。………カレンとシュウは?」 「カレンは後始末。シュウはねぇ、隣の部屋で寝てるよ。僕はかすっただけだったけど…シュウはもともと鎧が薄いしねぇ〜」 そう言えば、魔法をくらってたなと思い出す。ロイの口振りからして、さほど深刻な傷でもないだろうと判断したが…そういえば、こいつはいつでもこんな口調だっけな、と思い直した。 「大丈夫なのか? あんまり覚えてねえけど…結構、やられてたよな?」 「だいじょぶだよ〜。少なくともラスよりはね〜」 肩をすくめてロイが笑う。…そうか、シュウはもともと魔術師にはもったいないくらい頑丈な男だった。 「俺を治してくれたのは…?」 「あ、それはカレン。僕がシュウにかかりっきりだったから。でもしばらく寝てなよね。かなりいいセンいってたからさぁ〜」 起きたんなら食事持ってくる、と言い残してロイが出ていった。 いいセン…というのは…ほんとに“いい”意味なのか? ……違うんだろうな、多分。 ベッドの中でおぼろげな記憶を思い出していると…カレンが入ってきた。枕元に椅子を引き寄せて、そこに座る。俺の顔を見て、溜め息をついた。 「……大丈夫か?」 「ああ。多分。……後始末は?」 「ルートは…残念だったけど……スミーユは無事だ。主人のティアールは、依頼料の後金を払うって言ったけど……断ってきた。2人一緒に無事じゃなければ意味がないと思ったから…。スミーユは寝込んでるよ。………おまえに言おうかどうしようか迷ったけど…スミーユは…身ごもってた。ルートの子だ。……………ショックで流れたけどな」 ……そうか。ルートとスミーユの……。そして…エルフと人間の…。 「それと…覚えてないだろうけど……ジャイルが雇った冒険者たちは3人とも重傷。弟は軽傷だったけど、官憲に突き出しといた。死刑にまではならないだろうけど、かなりくらうだろうな。そして…」 「ジャイルなら…死んだろ?」 カレンが言いよどんだ先を、俺が口にした。わかってた。あの時点で、ジャイルもいくつかの手傷を負ってた。そして、無防備だった。そこに俺は渾身の力で光の精霊を叩き込んだ。結果は目にしてないが、感覚的にわかる。ウィスプにそうさせたのは、俺の怒りだ。精霊をそんな風に使うべきじゃないとはわかっている。けど、止められなかった。 「…ああ。死んだよ。ほぼ即死だ。……ま、こういうこともあるさ。あまり気にするな」 「俺はっ…! ……っつっ…!…」 起きあがろうとして、傷の痛みに止められる。カレンが溜め息をついた。 「…おとなしく寝てろ。……今回は運良く、助けられた。………だから、おとなしくしててくれ」 ……違う、そうじゃない。勢い余って…とか、自制できなくて…じゃないんだ。もちろん偶然でもなんでもない。…俺は、あいつを殺そうと思って殺した。 だって、あいつはルートを殺した。あの瞬間、俺はあいつが憎かった。そして、カレンが腕の腱を斬ったことで、ジャイルが戦意を喪失したのも知っていた。あの時、呪文の詠唱を止めようと思えば止められた。精霊のためを思うなら、止めるべきだった。…それでも俺は止めなかったんだ。あまりにも明確な殺意がそこにはあった。 そして今。俺は後悔していない。奴はルートを殺して…そして、生まれてくるはずだったハーフエルフも、この世界での生を与えられないまま、消えていった。愛されるはずだった…望まれて生まれてくるはずだった赤ん坊。……そう、後悔してないんだ。 「別に……駆け出しじゃあるまいし……初めてじゃねえから…」 自分を無理矢理納得させるかのように呟く。そう、それは本当だ。人を殺したのは別に初めてじゃない。戦う相手が化け物ばかりとは限らなかったし。…人間相手にして、結果的に命を奪う羽目になったこともある。たまたま、カレンたちと出会ってからは、そういう羽目になってなかっただけだ。 怖いのは…敵じゃない。人を容易く殺すことの出来る自分だ。剣にしろ魔法にしろ。 『おまえに暗殺術は教えない』 そう言った師匠の言葉の意味が分かったような気がする。優しい、と言われたが…違う。甘いんだ。人を殺すことにためらいを感じるなら、自分を制することだ。…なのに、俺にはどちらも難しい。ただそれよりも、ためらわずに殺したあとで、それを後悔しない自分が無性に嫌だった。結局は甘さなのだろう。殺意を持つことも。持った殺意を許せないことも。 眠りの精霊が、ごく最近ようやく操れるようになって…俺はその時は嬉しかった。精霊の世界をより深く知ることができて。けど…今になって、俺は怖がっている。自分がこれ以上、力をつけることを。精霊の世界は知りたい。もっと…と思う。ただ、精霊を深く知ること、精霊へ働きかける力を強くすること。…それはつまり、俺の力がより強くなることを意味する。……覚えた呪文を使わなければいい? …そんな自信があるなら、揺らぎはしない。 溜め息が出る。思わず、両手で目を覆う。上から、溜め息混じりのカレンの声が降ってきた。 「………仕方がなかった。気にするな」 …………そうじゃないんだ。 <512年〜初夏/オラン> レドと話をした。レドウィック・アウグスト。真紅の魔術師の異名を持つ男。 「……甘いな、おまえは」 いくつかの話のやりとりの末、奴はそう言った。…そう、甘い。そんなことは、すでに思い知らされている。薄々感じていた自分の甘さを思い知らされたのは2年…いや、1年半前だ。ざらついた風の吹く、あの街で。 ………なるほど。時がわずかばかり過ぎたくらいじゃ、俺は変わってないらしい。 そうとわかっていて…それでも俺は街にいる。今更、この稼業をやめれらやしないだろうが、たとえば遺跡潜りに専念すれば、少なくとも人間相手にやり合う機会は格段に減るだろう。 けど、せめて。逃げるのだけはやめようと思っていた。殺したくないなら、人間とやり合わなければいいはずだ。だけどそれは何の解決にもなっちゃいないから。 ふと、あの時の傷を思い出す。かなり薄くはなったものの、まだ痕は残っている。…いっそ、消えなければいいと思った。 ずっと残るのなら、多分忘れない。…あのときの殺意を。 |
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