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狭い宿だった。まあ屋根があるだけましさ、と仲間の誰かが笑った。 けれど人数分のベッドのある部屋を確保出来たのだ、傭兵隊が泊まるにしては立派な物だ。 そう、「双頭の鷹団」が仕事を片づけ、何日もの野宿の続いた後に、やっとプリシスの街に帰ってこられたのだ。新鮮な食べ物、酒、そして艶やかな雪花石膏の肌を持つ娼館の女達が待っている。当然、仲間達は浮かれていた。ただ一人、後方をとぼとぼと歩くアレクを除いては。 今回はロドーリル側の輸送路を絶つための、遠征だった。輸送路で先回りをして強襲する、という仕事で、輸送の荷物は小競り合いを行っている最前線へと送られるはずの食料だった。 仕事の内容にしては、隊長の交渉で良い報酬をもらえた上に、輸送隊の中には貴族の子息がいた。彼の体から剥がして奪った戦利品も結構な品物だった。誰がその装備を頂くかで少し揉めたが、隊長が上手くまとめ、渋渋ながらではあるが公平に分配された。 傭兵隊にもいくつかのタイプがある。 金儲けのために集まり寄ったその場限りの傭兵隊。そして、隊長を元に集まってくる結束で寄り集まった傭兵隊。 アレクのいる傭兵隊は後者に近かった。一癖も二癖もある傭兵共をまとめる隊長は、それなりの資質が必要とされる。 その点、「双頭の鷹団」の隊長スローン・カントナーは隊長として申し分ない素質を持ち合わせていた。包容力と統率力、なによりも人を引きつける魅力があった。アレクがこの隊に入ったのは、兄のシザーリオが隊にいたからだけではなく、この隊長がいたからかもしれないとさえ思うことがあった。 2ヶ月前、アレクが年と性別を偽って隊に入ったとき、知ってかしらでか、隊長はなにも言わなかった。ただ一言「覚悟しておけ」と言っただけだった。 新入りで、まだ一人前とは認められないアレクは仲間達にしょっちゅうこき使われた。流石に理不尽なことを言われれば、持ち前の負けん気の性格が黙っておらず、喧嘩になりそうなことも度々だったが、特にいつも斜に構えている性格のサウルとは気が合わず、何度もぶつかった。 そんなとき、隊長は我関せずと、なにも見ていないような態度をとっていたが、結局最後には双方を上手く納め、何事もなかったかのように飄々と振る舞っていた。 そんな隊長だからこそ、仲間も自然に集まり付いてきたのだとアレクは思う。 基本的に街にいる間には、自由に振る舞っていいことになっていた。今回、一仕事を終えて誰も欠けることなく、無事に帰って来られたのだ。しかも、懐も暖かいとくれば、みんな好き勝手にやっていて当たり前だった。そんな中、アレクの様子に変化が見られた。 普段から喧嘩っ早くて、何をしでかすか判らない所があったが、その行動にはちゃんと理由があった。しかし、ここ何日かは、なにかというと、仲間や周りの人間に突っかかっては暴れた。 酒場での些細な理由からの喧嘩する姿をよく見かけ、街中でも剣を抜きかけたことさえあり、傭兵仲間のナットや隊長に取り押さえられ、なんとか事なきを得たくらいだった。 容貌も、目が落ちくぼみ顔の色が真っ白に変わり、まるで幽鬼のようにぎらついた目だけが、きらきらと光っていた。 隊の中で最年少のアレクは、なにかと仲間のする事に興味を持ち、率先して輪の中にいたのが、一人で孤立して部屋の隅で膝を抱えて蹲っている姿をよく見かるようになった。隊の中では一番に仲の良かったナットとも口をきけば突っかかるばかりだった。 そんなアレクの姿を見て同じ隊にいる彼女の兄、シザーリオは溜息をつき、前回の仕事を思い出す。 今回の仕事はアレクにとっては初めての実践だった。 幼少の頃から双子の兄たちにくっついて剣術を習ってきた彼女には自信があったから、輸送隊に奇襲をかける前、高揚感はあったが不思議と恐怖感は感じなかった。 まず「双頭の鷹」が輸送隊の通るルート上で、格好の場所を確保する。 出来るなら挟み撃ち出来るような場所がいい。見渡しが悪く、広くもなく細すぎもしない道。そこに、輸送隊が先回りして木々や岩の陰などの隠れている場所から、4人ばかり長弓で輸送隊に先制攻撃をかける。狙いは最初に立っている、戦士達だ。 足止めをさせ、弓が尽きたら肉弾戦となり残りの奴らを叩く。 アレクは後方から攻撃を掛ける側になった。 輸送隊を待っているとき、手の中に握られたバスタードソードがいつもより軽く感じた。弓が尽き、飛び出したとき体がしなやかに素早く動いてくれているように感じた。 飛び出した勢いのまま、最初の相手の前に走り込む。右肩に刺さった矢を抜こうとして、役に立たない利き腕のせいで剣を握ることさえ出来ずにいる男だ。間合いを縮め、脇構えから斬り付けたとき、ぞくりとした感触が体を走ったが、それが一体どんな感情なのかわからなかった。相手の体勢が崩れたのを見たと同時に引き、刃こぼれ一つしていなかった剣を喉元に突き刺す。 けれど、アレクが活躍したのはそこまでだった、後は敵の攻撃を受けるに最後まで精一杯な状態だった。 最初の矢の雨が効いてか、思ったよりも迅速に輸送隊を全滅させることができた。肩で息をしていたアレクは最後の一人が倒れ、仲間が上げた喜びの声を聞き、やっと周りを見ることが出来るようになった。 戦った後なんて綺麗なもんじゃない。そんなことは百も承知していた。けれど大地に染み込む夥しい生臭い血と、その上に転がる少し前までは人間だった塊。アレクはその情景に思わず蹌踉けると足の下で、何かグシャリとした物を踏んだ。直ぐ側で倒れている男の腹からはみ出した内蔵だった。 こみ上げてくる物を我慢できずに、その場で吐いて吐いて、黄色い胃液までも出した。仲間の誰かが声をかけてきたが、なにもわからない。 シザーリオが妹の背中に手を当てるが、咄嗟に払いのけられた。夕闇迫る中、早くも仲間達が戦利品の品定めを始める。 なんでもいい、早くこの場から立ち去りたかった。のどの奥がひりひりと痛んだが、吐き気が止まらなかった。 あれ以来、アレクは何かがおかしかった。そんな中、とうとう酒場でサウルと衝突をした。 原因は些細なことだ。アレクが任されているサウルの馬具の手入れについて、サウルから文句を言われたのだ。言い合いはエスカレートして、サウルの物言いに切れたアレクが腰帯からダガーを抜いた。光り物が出たことで唯の喧嘩ではすまなくなり、仲間達も色めき出す。夜の酒場では仲間達のほとんどが酒を飲みにやってきていたから、あっという間に仲間達がアレクとサウルを取り囲む。 傭兵としてアレクの何倍も時間を生きているサウルの動きは早かった。 「今のテメェが使いモンになるのかよ?あぁ?」 最初の一撃は額に当たった。サウルが付けていた指輪がアレクの額の皮膚を裂き、血が飛び散った。 次の攻撃を避けようと身構えるが、額から流れてきた目に血が入り視界がぼやける。 「てめぇみたいな餓鬼のせいで、死ぬなんてまっぴらなんだよ!」 サウルは、いかにも嫌な物を見るような目つきでアレクを睨み胸ぐらを掴んで容赦なくアレクを殴りつける。勢いで床に転がると、今度は顔に蹴りを喰らう。仲間の誰かの靴先が右目の横、こめかみに当たり衝撃というよりも頭がふわりと軽くなった気がした。 仲間達に寄って集って打ち付けられアレクは何も出来ずに、うずくまり、ただ殴られるしかなかった。 ただ一人、離れたところに座って見ていたナットが立ち上がり、アレクを取り巻く輪の中に割ってはいる。 「オイオイ、この辺で良いだろ?ま、こいつもこれで身にしみただろうからな」 面々は動きを止め、アレクとナットの顔を交互に眺める。 「…ふん、酒が不味くなった。違う店で飲み直しだ」 口を開いたのは、サウルだった。冷めた一瞥をアレクにくれると、そのまま外に出ていった。それに続き仲間達も舌打ちをして、サウルの後を追った。 小さな窓は鎧戸が半開きになっておりそこから、明るい日差しが差し掛けている。腫れた目を薄く開け、ぼんやりと天井を眺める。 「大丈夫か?」 ナットがアレクを見下ろしていた。部屋の隅のベッドで転がっているアレクの赤く腫れた頬に、ナットは濡れたタオルを当てる。 「ん…なんとか」 掠れた声を出すのがやっとだった。 「派手にやられたな。歯は平気か?」 ナットに言われ、ぞろりと歯の裏を舌で舐めて確かめる。 「大丈夫…」 喋ると切れた口の端がぴりぴりと裂けそうな感じがするので、上手く喋れない。 「まあ、儀式みたいなもんだ。大抵の奴が受ける洗礼さ…死にたくなければ恐怖心を無理矢理でも押さえ込み、戦うしかない。それが出来ないなら傭兵をやめちまいな」 それだけ言うとナットは部屋を出ていった。 残されたアレクはしばらく天井を眺めた。一体自分はどのくらい寝ていたのかもわからなかった。痛みのせいで大したことは考えられない、ただ頭にあるのは、まだやらなくちゃいけない仕事が残っている、ということだけだった。 与えられた仕事は各自責任を持ってこなす。それが隊で動く傭兵達の掟だ。 アレクは痛む体を騙し騙しベッドから起こして、蹌踉けながら部屋を後にした。 |
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