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No. 00149
DATE: 2000/07/12 01:54:23
NAME: ウィント&ミルフィオレ
SUBJECT: 子供の領分
ミルフィオレは、歳の割に思いやりにあふれた子供だ。
子供の朝は早い。雨季を過ぎ、からりと晴れ上がった朝だったりするとそれは多少の暴力を持って周囲に伝染する。
起こしに行った相手が起きない。そんな場合、もしかすると、子供はとても腹を立ててしまうかもしれない。そして、もしかすると相手をどうにかして叩き起そうをするかもしれない。さらにもしかすると、そのことによって相手は気分を害するかもしれない・・・特にそれが二日酔いの頭を抱えた朝だったりすると。
ミルフィオレは、歳の割にとても思いやりにあふれた子供だ。
ウィントをたたき起こしたりしない。ましてや耳元でわめき散らしたりもしない。
彼が起きるまで一人で市場でもぶらついて時間をつぶすのである。大抵の場合、持ち出されたウィントの財布がその中身を大量の雑貨や硝子玉や、リボンといったものに姿を変えているだけだ。
その日は珍しくその悪夢が、或いは日常が繰り返されないまれな朝だった。
「起きてください、ウィントさんっ!ものすごーくいい天気です。お弁当を持って公園にいきましょう」
酒の残ったままの、寝ぼけた頭でウィントは考える。これが財布を自分の首にかけて寝た効用だろうか?彼としては、むしろ隣で騒いでいる少女を近くの柱にくくりつけておきたい気分だったが、持ち合わせていたのが細い紐だけだったので、それを断念したのが昨日の夜だ。
窓から真直ぐに差し込んでくる光を見れば、どうやら昼近くらしい。ミルフィオレの習性を考えれば、とっくに遊びにいって彼を悩ませるような問題の一つや二つ抱え込んで迷子になっていてもおかしくない時刻だ。多少頭が痛むことをひいても、上々の目覚めといえる。
「気持ちが悪いんですか?フツカヨイですか?」
覚えたばかりの言葉を使うのが嬉しいのか、ミルフィオレが良く通る声で問い掛ける。巌の中で眠っている精霊さえ呼び起こせそうな、よく通る声だ。もちろん人間の頭の中でとぐろを巻いている酒精――そんなものがあればだが――などスキップでもはじめるのではないだろうか。そんなときには、ずきずきと痛み始めた頭を抑えながらウィントは自分に言い聞かせるのが習慣だ。
(怒るな、俺。大人だぞ、俺。黙らせてやろうかとか考えるな、俺・・・)
こういった呪文の効果は不思議なもので、使い慣れてくると神官たちの奇跡よりも心を落ち着かせてくれる場合がある。俗に自己暗示とも言う。笑顔を浮かべて、ミルフィオレのはやる気分を落ち着かせてやることさえ出来るようになる。
「あー、もうちょっとしたら下、降りるから、待っててくれ?なっ?」
少女は紅茶色の髪を揺らしながら立ち上がると、素直にその指示に従う。こういうところは扱いやすいんだがと溜息をつくウィントの耳に、ミルフィオレの思いやりにあふれた一言が投げかけられた。
「気分が悪いならちゃんと食べなくちゃ駄目ですよね。ここの腸詰肉とかベーコンってすごくおいしいんですよ。頼んできてあげます」
早々と朝食を終えて、二人は連れ立って町に出る。油物のおかげでウィントの気分はかなり悪くなっていたが、ミルフィオレを一人で外に出すよりはましと判断した。数日前に道行く人を捕まえて「ヤミイチってどこですか?」と問い掛ける彼女の姿を目にして以来、一人出歩かせようという気は失せている。好奇心が強いのはいいことなのかもしれないが、この少女の場合その好奇心が自分に跳ね返って面倒な自体を連れてくる気がする、ウィントの最近の悩みの種だ。
ミルフィオレは宣言したとおり、小さな公園の近くで老婆が売る香草のパンを幾つか平らげる。スカートについたパン屑を払うと、立ち上がってまだ二日酔いから立ち直れないで木陰で気持ち悪そうにしているウィントを見た。
目的はどうやらそのパンだけだったらしい。白色のスカートと大きなつばの帽子という、およそ冒険者に見えない格好で広場にあつまる鳥や猫を追いかけるミルフィオレを眺めながら、今日はどうやら何事も無く過ぎそうだとウィントは胸をなでおろした。彼の受難の元凶はあくまでも能天気に日差しの下で走り回っている。その様子に、ウィントは改めて自分の連れについて考える。
(冒険者になるてってもなぁ、まぁ根性はあるし、剣は無理でも弓なら一応使えるし・・・・でもなぁ)
力の無さを補おうとするように、弓を斜め上から引き下げて打つという独特の構え方で正面を見つめるミルフィオレの姿を思い出す。街道を旅する間には幾度かそうやって野宿の夕食を手に入れたこともある。同じ年頃の、町に住む少女たちのように獣の死体を見ていきなり色を失うことも無いし、かといって軽んじて野路で痛い目に会うこともそうない。・・・が、3度に1度は縛り忘れたといって弓の弦に髪を絡ませ涙目でそれを解いている少女が冒険者になるというのはなにやら滑稽な気がする。
「ウィントさん、ウィントさん、猫です、ほらっほらっ」
どうやら、猫に餌付けでもしていたらしいミルフィオレが歓声を上げている。ウィントはろくにそちらも見ずに、適当に相槌を打つ。
「あ、そ。良かったな」
「ウィントさん、ウィントさん、結構ちっちゃいです、赤ちゃんかな?」
「あー、赤ちゃんかもな」
「ウィントさん、ウィントさん、この首輪絹ですよ、かっわいい」
「はいはいはいはい」
「ウィントさん、ウィントさん、猫ってお手紙はこぶんでしょうか?」
「はぁ?」
ウィントが上体を起して――日陰に寝そべっていたのだ――ミルフィオレに目をやるのと、彼女が猫の首に挟まっていたらしい手紙から目を上げるのは同時だった。
「ミルフ、そういうの勝手に読んでいいものじゃないと思うぞ?」
困惑したように、その意味を噛み砕いて、ミルフィオレは呟いた。
「でも・・・読んでよかったと思いますよ?これ、『助けて』ってかいてあります」
夕刻・・・・、昼の暑さを吸い込んだ地面がぼうやりと太陽の色に染められる。ミルフィオレは岩場の影で黒猫を抱きかかえながら所在なげに、その毛並みを撫でていた。黄昏時の名のごとく、いくらか離れた場所に立っているウィントの姿はそれが彼だと知らなければ、見分けるのが難しい。
羊皮紙に書かれた場所へ行くか行かぬかを口論した挙句、ミルフィオレはただ見届けるだけという約束のもとに、ウィントは手紙を書いた某氏とかの捜索を開始した。ウィントにしてみれば、あまりにも詳しく書かれた地図とまったく乱れぬ流暢な崩し文字は、何か引っかかるものがたしかにあった。しかし、それも連れが一人で救出にいって事態をさらに深刻にするよりはましだと判断した。
羊皮紙につづられた、詩の一説のような文章を頭の中で繰り返す。
『腕を負傷した旅人を、哀れと思うのなら
この手紙を受け取った貴方、僕を助けてください』
そして、几帳面に細かく書き込まれた地図。怪しげな場所かと宿の親父に問うが、どうやら遺跡の外縁部の一箇所らしい。町からもそう、遠く無い。ミルフィオレに猫の世話を押し付けて遠ざけ――もちろんただ邪魔をされたくなかっただけだ――ウィントはきな臭さに眉をひそめながら、地図の場所を探していた。
ミルフィオレの運んでくる厄介事に関しての危険察知能力に関しては、ほぼ外れないと自負して止まないウィントが編み出したすばらしい危険対処法がある。すなわち「ミルフ隔離」。どんな厄介事も近づかなければ厄介事とはなりえない。今のところ。成功率が0%であることは、この際、まぁ、おいておくとする。
「こんな手間がかかるなんてな」
舌うちをしてウィントは振り返る。今日は帰るぞと声をかけようとした視線の先からは、先ほどまで確かにいた少女の姿が消えている。
「猫さん、待ってください」
暑さにふぅと息をついて、ミルフィオレが天を仰ぐ。夕暮れ時とはいえ、夏の日差しが弱まるわけでもない。先を歩く黒猫が情けないとでもいいたそうに振り返って、緑色のひとみをくるりと光らせた。人の言葉でもわかるのかと考えて、ミルフィオレは首をかしげた。確か、昔おばちゃんに聞いたことがある。人の言葉の分かる猫や鳥の話。思い出そうと頭を巡らせた彼女の前で、猫が数歩進み、なぁ、と鳴いた。
「やぁ、よくきてくれたね」
目の前で、黒髪の男が微笑んでいる。弱い30後半のひ弱そうなその男の体は、細い光に照らされて枯れ枝のようだ。ミルフィオレはその見慣れぬ風貌と物言いに、困惑した顔を浮かべて立ち尽くしていた。目の前の男は旅人、には見えない。手を怪我しているようにも見えない。それでもこの男があの手紙の主だという。穴倉の、小さな入り口が数メートル上から夕暮れの最後の光を招き入れていた。ミルフィオレがそれを伝って降りたロープがゆらゆらとゆれている。
「えぇと、怪我人の方ですか?」
おどおどと口に出した問いは疑問形にしかならなかった。差し出された手から身をひくように後ずさり、空を見上げる。ウィントは気がついてくれるだろうか。その風情に気がついたのか、男は細く笑う。
「来ないよ、来てないよ。僕の使い魔が見張ってるから大丈夫」
では、あれがお婆ちゃんに聞いた使い魔だったのかと、黒猫を思い出す。男の少年じみた口調にどこかあわだつものを感じながらミルフィオレは尋ねた。
「魔法使いさんですか?」
男の持っていた杖を見て、とっさに浮かんだ一言だったが、これが男には嬉しかったらしい。杖に頬擦りをしながら奇妙な笑い声を立てる。その後、急に不機嫌な表情になり憎々しげに杖を見つめ、かと思えばまた、元の表情に戻りミルフィオレに振り向いた。演説のごとく、声を高らかに、胸に手を当てて話し出す。
「僕はね・・魔術には限界を感じているんだよ」
とつとつと語りだす。曰く、どうやら魔術の勉強もそれ以上向上する可能性もない――もっとも、そこは巧みな弁論であたかも彼自身が魔術を見限ったかのごとく語られた――、ついでに恋人にも捨てられたらしい。
「それを、それをあの女は、僕が馬鹿だって言うんだ!信じられないでしょ?ねぇ!?」
唾を飛ばしながら力説していた、男の肩がぴくりを震える。それまでの表情を一変させて夢を見るようにうっとりと呟いた。
「もう、呪うしかないよね!」
がしりとミルフィオレの肩をつかんで、男は呟く。
「仕掛けに簡単にひっかかるくらいどじな女の子でも、ささげれば暗黒神への生贄くらいにはなると思うんだ。ほら、僕、神の奇跡なんて使えないでしょう?」
ちかづいてくる、男からどうにか逃れながらミルフィオレはもはや随分舌になじんだ叫び声をあげた。絹を裂くような悲鳴に意外な場所から返事が返る。
「へいへい」
一組の男女が、ミルフィオレと彼女を捕まえようとした男が見上げればそのには猫の首根っこをつかみ、それにナイフをつきつけて穴を覗き込んでいるウィントがいた。そのナイフを構えたまま、猫の髭をつとひいた。ミルフィオレの目の前で男が苦痛に顔を歪める。
「ミルフにつかまるような猫に、俺が見張れるか。それに猫ってもんは犬みたいに直立不動で座ってたりしないもんだ」
さらに暴れる猫を抑えたまま恐ろしいほど冷たい声が振る。
「そいつに傷つけたら、猫の皮をはいでいってやる。殺せば生きたまま心臓を抉る。魔術師と使い魔ってのは一心同体だっけ?よく知らんけど、多分痛いと思うぞ」
ぱっと逃げ出したミルフィオレと、それを追いかけもせずに泣きじゃくるように立ち尽くす魔術師の間にウィントが器用に飛び降りた。数メートルの距離は彼にはそう障害でもない。
「僕が何したって言うの!?」
いまだに喚き続ける男を一瞬哀れむように見るが、特に同情心は起きなかった。魔術を使う、それすらも思いつかないらしい。おそらく厳重に警戒された部屋意外で、魔術を使ったこともないような坊ちゃんではないかと、ふと思った。駆けつけるまでの、恐ろしいほどの不安感がひいていく。もちろん、許してやる気にはならない、拳で右頬を殴りつけた。
「今のは俺の分」
軽く拳を振って、ウィントは無様に倒れた男の顔を見下ろした。綺麗に決まった一撃で赤くはれ上がった右頬を抑え、なんてことするんだとか泣き声をあげる男を無理やり立たせ、もう一度拳を握る。
「んで、これがミルフの・・・・」
「ウィントさん!やめてくださいっ!」
きっと声を荒げたミルフィオレを振り向かず、ウィントは激しく一喝した。
「おまえ、殺されても、それが言えるか!?」
そういったウィントの脇で、風がなるような奇妙な音がした。しゅっ、がつ、ぐしゃ・・・。音にすればそんな感じかもしれない。ミルフィオレに、さんざねだられて買わされた赤い皮のサンダルが男の顔にめり込んでいた。可愛らしいしぐさでスカートの裾をつまみ、そこから足を下ろす。乱れた紅茶色の髪を整えて、気絶した男を背ににっこりと振り返った。
「自分の分は自分で出来ます・・・それから」
言いよどんで、決心したように付け加える。
「私のことも一度叩いて良いです。またウィントさんに迷惑をかけちゃいました」
今の見て、殴れるかよ・・・、ウィントの心の中で呟かれた一言は、まぁ、日の目を見ることはないだろう。
男は衛視に引き渡された。
最後までぶつぶつと何か言っていたらしい。もう、女なんか信じるもんか、そんな風に聞こえた。
それにいくらかの同情すら覚えながら、ウィントは今日もミルフィオレの買い物に付き合わされていた。ミルフィオレは何枚も同じような服を見比べて、小一時間は悩み、今は広場で果汁を絞ったものを嬉しそうに飲んでいる。不意にぱっと立ち上がってかけだしたかと思えば、いつもと変わらぬ能天気な声がバンダナの青年の頭上から降り注いだ。
「あぁっ!ウィントさん見てください〜っ!可愛い犬です!!」
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