No. 00152
DATE: 2000/07/26 04:05:19
NAME: リヴァース
SUBJECT: 街道と街とささやかな宴
蒸す。昆虫が羽根をすり合わせる音が、わずかに響く。
土砂降り。
湖から立ち上り、漂ってきた冷たい湿気に、強くなった火霊の力に暖められた空気がぶつかり、付近一帯に、大量の雨をもたらす。空気中に乱舞する水霊の気配で、頭がぼんやりする。
水の季節の旅は、憂鬱なものである。マントや荷物は水を吸って重くなる。保存食に水が染み込むと、すぐに悪くなる。果てしなく降り付ける水に体温を奪われて体が冷え、体力の消耗が大きくなる。一日に歩ける距離は、晴れた日の2/3程度にも落ち込む。さらに、水が染み込んだままの靴で長時間歩いているせいで、足指に水霊が着いて、痒い。このままほうっておくと、酷いことになるかもしれない。早く乾かしたい。
いまさらの思いだが、不快なものは不快だ。ロマールの闇市に、風は通すが水霊は撥ねのけるという魔法のマントと靴が売られていると噂に聞いた。今度、まとまった金が入ったら、是が非でも買いにいこうと心に決める。
『自由人たちの街道』を、オラン、エレミアと、西へひたすら進んできた。そして今、前方にザインの街が、雨の中、ぼんやりと浮かんでいた。
街道から逃れ、逗留点となる街に入るときは、いつも、安心感と焦燥に満ちた奇妙な気分が同居している。
...林檎の芯を、街路に無造作に放ったら、だれかに、ゴミを捨てるなと、怒られた。
今回の旅に出たきっかけは、多分、そんなことに過ぎなかったと思う。
命の精霊の統率を失った植物や動物の死骸は、大地の浄化をうけて腐り土に返り、火霊は熱となり開放され、風霊は大気に融けこむ。
石に覆われた街では、そんな自然の摂理さえ許されなかった。ただその場を、人間の感覚からみて「綺麗」にすることが、優先された。
拭い去られた汚れは、一体どこへ行くのだろう?
街...人間達が、自分たちの生活を快適にすることを、極限まで追求した場所。
その恩恵を、自分は、何ら抵抗なしに受け止めるようになっていた。
それはそれであたり前なのだろう。自分もまた、人間たちの社会の中に生きることを選んだ存在であるのだから。
ただ、この違和感を忘れてしまったら、精霊たちに見捨てられてしまうような気がした。世界における自分の役割を、見失ってしまうような気がした...。
雨の中でも、足を止めることはない。もう、城門がすぐそこに見えている。当座の目的地が視界の範囲内なら、多少無理をしようという気にもなれる。
いつも、関所を通り抜けると、あたかも自分がその場にこれから居るということを許された気がして、ほっとするものだ。
しかし、今回は、揉めた。
担当の役人に難癖をつけられ、いちいち所持品を検査された。魔法のかかった品は持っていなかったが、魔晶石に関税をかけられるという。そんな話は、聞いたことがない。
おそらく、役人が自分の個人収入にするためなのだろう。言ってみれば、賄賂の要求だ。
「魔法の品への関税は、流通価格の1/100を超えることはないと聞いた。この額なら払う。」
もっともらしいことをでっち上げて、いわれた額の半分程度にまで、値切ってみる。
これが通用したのだから、あきれた。厳密に税法で決められていたら、こんなことがまかり通るはずはない。
騒ぎを起こしてもしょうがないので、結局、役人の懐に納まるだろう、3日は個室に泊まれる金を払う羽目になった。
支払った印に、ちゃんとサイン入りの証文を発行しろと要求してやる。賄賂と承知の上での嫌がらせだ。これを中央にもっていかれると、不正を働いたということが露わになり、役人としては、罰をうけるかもしれないと不安になるだろう。 いちいち役所に届けるような面倒なことはしないが、そのまま不正な金を取られるのも、気が収まらなかった。
しかし、そんなことに気もとめないのか、あっさりと証文を発行してくれた。ザインの政情が不安定だというのは、エレミアでも流れていた話だ。上が落ち着いていないと、下の職務への倫理がだらしないものになるというが、さっそく、その実例に出くわしてしまった。
街に入る第一印象が、その街への好き嫌いを決定するといっても過言ではない。実際はそんなに単純であるわけもないのだが、少なくともその瞬間は、そう思っている。
そういうわけで、水霊の冷たさと足のむず痒さも増幅され、今回のザイン入りの気分は最悪だった。
宿に荷物を置いて、濡れたものを干し、身体を洗って髪を乾かすと、幾分、気分も落ち着く。雨も止んだので、街を見ようかという気になった。
以前にきた時と比べて、印象に変化もあろうかとも思っていたが。
オランやロマールといった大都市と比較し、このザインの街は全体的に、首都のわりに、どこかうらびれている印象がある。繁華街をぶらつくが、湿っぽい、もっそりと重たい雰囲気のあるその町並みは、以前にここを訪れた時から、変わってはいなかった。
裏道に入らずとも、はげた石畳は整備されることはなく、ところどころ、土が露出している。そこに、水が溜まり、虫が湧いて、饐えたにおいがする。
角の見えないところに積み上げられたゴミの山を、野犬が漁っていた。
政情が不安定だと、こういうところに顕著に、都市整備の行き届かなさが見て取れる。端々まで手入れされることはなく、汚れは汚れのままにほうっておかれている。
しかし、清潔に整頓されている町並みよりも、こういうところのほうに、どこか懐かしさに似た奇妙な感覚を感じる。ここなら、林檎の芯も放れる。
生きているものがいる、という気になる。生かされている、ではなく。
路地から大通りに差し掛かるところの一つの建物の前で、足を止める。
そこは、廃屋だった。付近の家々よりは一回り大きく、宿屋にも見える。
半分風化して、かろうじて文字の読み取れる看板には、『陽だまりの湖の館』とある。
潰れたのか、と思いつつ。記憶が交錯する。
たしか、もっとあたりは、白かった。白くて、冷たかった。
10年も前になるだろうか。前にここに来た時は、たしか、冬だった。
雪が降っていた。白い、ただ白いだけの、雪。
************************************
ザイン。農業と林業で生計を立てる村がほとんどの、国。
湖岸の王国と呼ばれながらも、その湖の恩恵にあずかる者たちは、そう多くない。湖畔の眺めのいいところに保養地として領地を構え、特権に乗っかって悠々と暮らす貴族たちもいる。しかしそれ以外の大部分の者たちは、魚を捕るか、内陸の痩せた土地で農業を営むかしながら、ほそぼそとなんとか日々を暮らしているにすぎない。
その国の王都であるはずの都も、かかとに踏みつけられる雪のせいだけではないだろう、どこかさびれた雰囲気が漂っていた。ちょうど、その年は、飢饉で多くの村人が飢え、娘が売りに出されたと聞いた。主産業である農業が壊滅的だった実態は、都市の生活も危ぶませている。行き交う商人の顔にも、心なし、活気がない。
その頃は、金も無く、食い詰めていた。腰の曲刀は護身用の飾りにしかならず、ムディールで習った詩吟ぐらいしか、身を立てられるものはなかった。場末の酒場という言葉が、これほどに相応しいところはないような場所で、売れない曲を奏でては、辛気臭いモン聞かせるんじゃねぇと、罵声を浴びせられていた。
その冬の日も同じだった。
付近の猥談にかき消されながら。だれも、自分のかすれがちな小型の琴(ライア)の音を聞く者などいない。
そこで、数刻演奏し、雀の涙ほどの金を得る。宿代にもなりはしない。
稼ぎの少なさに舌打ちをし、本格的に仕事探しをはじめねばならぬかと考え、空腹をなだめながらちびちびと安酒を飲んで時間を過ごしていると、女商人の声が耳に入ってきた。
”アタシが商人をやってきたのは、細い渡り綱の上を歩いてきたようなもんだね。途中で落ちれば貧乏人に、無事対岸にたどり着けば金持ちになれるのさ。アタシと一緒に綱渡りを始めた連中は、もう、ほとんどが落っこちて、干からびているよ。けれど、アタシは、確かなものだけを足がかりにして、慎重に慎重に歩いているんだよ。夢なんて持ったとたんに、バランスを崩したり、別の者の手によって、右に左に突き落とされていく。多くを望むより、少なく得られるものを確実に手にしていくしかないのさ。信じられるのは、自分の手足しかないんだよ。”
酔いに任せて、痩せた女将と、人生観について、話し込んでいる。深い皺を目元に刻まれた、恰幅のよさそうな女商人だ。
どうともなくそれを聞いていると、白髪かと見まごうような薄い金の髪の女が、ふらりとやってきて、その商人の話に口を挟んだ。
”少なくともそれは渡り綱に上がるだけの足台を、最初から与えられた者に限られた話ですわ。最初から、目隠しをされてしまって、別の対岸を目にすることすら許されなかった者もいるのです――。”
それは、皮肉な口調ではない。空は青い。そういった、さも、当たり前の事実を述べているような調子だった。
その金髪の女は、大きく肩の開いた艶やかな格好をしていた。見るからに、花宿の娘、というのが推測された。客取りをしている風体はであったが、飢饉に見舞われ不景気な最中、誰も相手にするものはいないらしい。
ただ一言いいたかっただけなのか。娘は、女商人に背を向け、客を探しに戻った。
片っ端から、宿の男客に声をかけた後、最後の当てにするように、この陰気な半妖精のもとにやってきた。こちらも、金が無いからと断る。実際にないのだ。逆さに降っても出ないものは出ない。
断り方がまずかったのだろうか。彼女は明るく聞いてきた。
”病気なの、分かりましたか?”
絶句した。
”冗談ですよ。”
コロコロと笑う。
あまりに湿気た顔をしていたので、見ているこちらのほうが陰気になりそうだから、声をかけたといった。
旅の人であられるのでしょう? わたくしはこの街を出たことは無い。別の国の話を聞かせてください・・・対岸をかいま見せてください、と。
たいした話はできないけれど、よければかわりに一番安い宿を紹介してくれ。そういうと、女は、自分達のところにこいと誘ってくれた。どうせ、客はほとんどいない。部屋をあそばせておくのももったいない、ということだった。
娼婦の世話になるなんて...と思った。身体を売るような羽目にまで落ちた連中にまで、哀れまれたのか。そう、人を見下したようなことを考えていたが、背に腹は変えられなかった。
彼女は名を、アンシャと言った。もともとは、アンブロゥシャ...神々に捧げられる食物の名らしい。この上なく美味なる至高の味を持ち、食べると不老不死にもなれる。そんな意味のある名前だった。彼女の父母は、何を思って、神への捧物である架空の物の名を娘につけたのだろうかと、疑問に思った。
花宿は、不景気なりに精一杯の努力をしているらしく、扉の前で、娼婦たちによる踊りと芸の見世物が催されていた。客寄せの為に、無料で見せているというが、それでも本命の客はなかなか入ってきてはくれないらしい。
きれいなものだなと、半分お世辞で、言う。
「わたしたち、美しい?」
仲間達の芸を傍で見ながら、アンシャは、聞き返した。
彼女らは、人間たちの美意識から言えば、際立って美人と言える顔立ちではないだろう。しかし、化粧と髪結いによって、精一杯自分自身を飾り、華やかさは存分にある。
ただ、そんなことをいっているのではないのだろう。その真意を測り損ねたので、あいまいに、頷いておいた。何より、他人に媚び諂うために、外見を飾ってどうしようというのか、という、うがった見方が自分にあった。
そんなわたしの心を忖度したのか、彼女は、呟くように、言った。
”たとえば、絵画や彫刻の美しさにより、人を感動させることができる方も確かにいます。
けれど、美を売るなんておこがましいではありませんか。そんなことができるのは、数百年に一度の天才だけだと思います。誰もが美しいと認めるものは、この世の中になどないのですから。
それでも、自分のこころの中にだけは、だれもに、自分だけが認める美しさがあって良いと思います。そしてその美しさを、他のだれか一人だけと、ほんの一時だけでも、一緒に持ちたいという望みを、誰しも持っているものでしょう。それをかなえること。他の人の美しさとけなげさを認めて差し上げること。それにより、安心感を与えて差し上げること。...それがわたくしたちの、仕事です。そのために、まず、他の方の目にとまるようにしているのです。”
反論はなにもできなかった。
ただ、薄っぺらい矜持を見透かされたような気がして、居心地が悪かった。
なぜ娼婦に、という疑問を感じ取ってくれたのだろうか。アンシャは自然に身の上について、語ってくれた。
彼女は、前の飢饉の時に、貧しい農村から貴族に、奴隷として売られた。そして、その貴族の下から逃げ出し、しばらく物乞いとして身を立てていた。その後、乞食の少女が娼婦となるのに、時間はかからない。貧しい街では、縄張り争いの激しい物乞いだけではとても食べることはできないし、何より娼婦のほうがずっと稼ぎがいいからだ。
娼婦は大抵、乞食と同様、盗賊ギルドの管轄下にあり、収入の何割かを収めなければならない。そのかわりに、ギルドからの庇護をうける。
ギルドに金を納めずに一人で客取りをしていると、忠告が下る。それを無視すると、所定の処罰が下る。孤独な「兎」は、やがて狩られる運命にある。
ギルドに売られ、それなりに容姿が優れていれば、「兎」となる者も多い。そして、大抵は、借金につぐ借金で、使い物にならなくなるまで、その身を拘束される。
最初は個人娼婦だった彼女も例外ではなく、ギルドの庇護下にある花宿『陽だまりの湖の館』に、半ば強制的に落ち着くこととなったということだ。
館には、少女に過ぎない年齢の者から、首を傾げてしまいそうな熟年の女までいたが、皆、一様に明るかった。
ただで居候になるのも気が引けたので、掃除や水汲みなどの下働きと、踊りの為の演奏を引き受けることにした。詩人を雇う余裕もなかったとのことなので、寝所目当ての行きずりの者でも、冷たい目で見られることはなかった。
誘われることもあったが、病気が怖いということにしておいた。失礼な奴だと怒られた。
そうしてしばらく、花宿の居候として、奇妙な時間を過ごした。
彼女たちの働く娼館の近くには、マーファの寺院があり、信者たちが慈善活動として、パンやスープの施しを行っていた。農業国だけに、神殿自体の規模は大きく、不景気な世の中でも、寄進はそれなりにあるらしい。毎日、施しを受けるために、数百人がひしめいている。そこに、数人の神官女たちが大地母神の教えを供しながら、あくせく働いていた。
それを端から見ながら、彼女自身は、ファリスの信者だというアンシャは呟いた。
飢饉に苦しみ、せめてもの食糧を求めて神殿にみながやってくるこの瞬間にも、丘の上の貴族たちは、ものと豪奢な衣服と食べ物に囲まれた優雅な日々を送っている。
神の愛はその創造物である自分たちに、平等に降り注いでいるのだろう。それぞれの役割にふさわしい報酬があるのに、人間が自分たちの力と富の有限さゆえに、それに偏りと制限をかけてしまう。この神への裏切りを、人は言い分けのように、「原罪」と呼ぶ。
それを償うために、信者達は、マーファの名を借りて、施しを与える。「原罪」の呵責から、逃れる為に。
その時は、何を言っているのか、理解に苦しんだ。
ただ、それゆえにいっそう、自分たちにもできることがあるのだ、とアンシャが続けた。その内容には、考えさせられるものがあった。
ザインの街の傍にはセレノダス川が流れている。昼の暇な時間、アンシャに街を案内してもらいながら、立ち止まって、川を眺めた。
一人の農作業で日焼けをした、痩せた女が、その川べりに立っていた。女は、白い石のような乾いた粉を、さらさらと川の中に流していた。それは、父親か母親などの肉親の骨を砕いたものなのだという。この川の流れは、いずれマーファの御手の元にまで、それを運んでくれる。流された命は、母なる神の導きに応じて、次なる生命に辿りつく。それを信じて、わざわざ農村から出て来る者が、後を絶たない。
そう、アンシャは説明してくれた。
死んだ者の死後のために、わざわざ村から出てきて、儀式といえるものを行う人々。
彼女と二人、小雪交じりの空の下で、ただ、じっと、それを眺めていた。
アンシャの仲間たちにも、信心深い者は多い。
父母が病で他界し、自らの食扶持のために娼館に入った少女がいた。その少女は、両親が居なくても寂しくはないといった。少女の親達は、チャザの身元にある至福の島で、あとから行く自分を待っているから。
少女がそれを、心から信じ、本気で口にいたのかどうかはわからない。ただ、そういいながらその場では朗らかに笑っていたのが、驚異的だった。...死後に楽しみがあるという概念が。
両親がいないという点では自分も同じであるけれど、それを自覚すると、喪失感しか感じられない。心の安らぎの糧にすることなどできやしない。
そういうと、アンシャは尋ねた。
”あなたは、死ぬとどうなると、教えてもらったのです?”
...ただ、命の精霊による束縛から開放された体と感情に働く精霊たちが、ばらばらになって、大気と水と大地と、もといた世界に帰るだけだ、と答えた。
”では、あなたは今も、父と母の精霊たちに、どこかから見守られているのですね。”
そう返された。
今も見守られている...。その言葉が、胸に染透った。
親たちは、そもそも自分を見捨てていたと思っていた。それとはまったく逆の解答が、ここにあった。
目からうろこが落ちたような表情をしていた自分に、彼女は、そう考えるのもまた、信じることのひとつですよと、笑った。
信仰は、我々に、心の安楽をもたらす。
親が居ないという事実は一つだ。しかし、信仰は、そこから読み取る解釈の仕方...無数にある真実というものを、教えてくれる。
そもそも信仰とはどういうものか。身に染みつけられた道徳の規範であり、決して答えの出ぬ問い...存在理由とか、死後の世界とか、そういったものに対しての、心の安寧を得るためだけの答えを与えてくれるもの。
それは、確たるよりどころ無く、ぼうふらのように流浪していく人間達にとって必要な、魂の道標なのだ。
創造主たちは、落とし子たちを見捨てたわけではない。教義や教えという形の中で、彼らを導き続けている。
奇跡などは、ほんの付随する力に過ぎない。自分にとって、精霊の存在を感じられるということが、それを使役できるということよりもずっと大切なことであるのと同様で。それは、世界における自分たちの位置を教え、心の惑いを減じ、解決されない問いに答えを与え、安心をもたらし続けているのだ。
神の声を聞く神官たちの奇跡は、神の力を具現化できる人間の力があまりにも限られているだけに、ほんの少数の者しか救えない。信仰と教義こそが、あまたの人々の支えとなる。
そういった意味では、信仰も、崇拝も、騎士道も、信念も、習慣も、言い伝えも、皆、同じなんだろう。親や周囲から受けた教えのなかで、自分の意識と、これこそが自分、というものを選択して形作り、安心するための手段において、不可欠なものとなる。
神の教え。人間が、自分たちが上手く生きていく為に必要とする概念。人間は、完成する前の世界を託されて戸惑っている。そのなかで少しでも正しい道を探ろうと、必死に、古に教えられたものの中から、解釈を考え出して、それを親から子へ伝えていく。その中には、人が人と上手くやっていくための、はっとするような真実が含まれていたりする。
それらを軽視したり、曲解して解釈したり、否定的な極論ばかり声高に唱えたりして、神ではなく自分の力のみで生きることが、格好いいことだとみなしてる風潮も、ないでもない。しかしそれは、豊かさに飽きた者たちの戯言にすぎないように感じる。今を生きることに必死になっている者ほど、すがるべきものを必要とする。
”神様が、これからわたしたちに幾度も過酷な冬を迎えさせてくれるにせよ、或いは逆に、森と畑を疲弊させた今年の冬がこれで最後の苦難となるにせよ。
短い人生の中で遠大な希望を抱くことは慎むべきなのです。
なぜなら、わたしたちらがこんなおしゃべりをしている間にも、意地悪な「時」は足早に逃げていってしまうのだから。
花は今日咲いても、明日には枯れてしまうのだから。
明日が来るなんて、ちっともあてにはできないのだから。
わたしたちはただ、確実な死に向かって、不確実な時を歩んでいるにすぎないのだから。
だからこそ、今を善く生きる教えが必要なのです・・・。 ”
彼女のことばが、雪に吸い込まれては消えていく。
エルフ達は、過去も未来も、現在と同じく見なす。だから、1000年先の未来が、現在と同じく在れるような持続可能なやり方を、ただ、追求する。
かつて自分に施された教えとは、真っ向から異なるその考え方に、ただ、戸惑った。
彼女の仲間の少女が、2日ほど離れた寂れた農村へ功徳を積みにいったという。老人達への慰問だ。若い少女たちが訪れたんだ、さぞ喜んだだろう、といってみた。
”アタシたちのストリップをみて、みんな大喜びだったよ。”
少女は茶化して答え、大笑いして、その時の様相を披露した。そして、みなが少女の振る舞いを真似て、きゃあきゃあと騒いだ。
...返す言葉が、思い浮かばなかった。ただ、冗談に対して冗談で紛らわせばよかったのだろうけれど。
こんな生活をしていて、不安じゃないのか。明日どうなるのか、怖くないのか。 あるとき、 わたしはアンシャにそう、聞いた。
―― ふしだらで、不浄な女として、ファリス様のおわす天界に行けずに、地獄に落ちるのが怖い。
当たり前のように答えたアンシャの答えは、どこか衝撃的だった。神や死後の世界について考える事のほとんどないエルフの社会で育った自分にとって、今日明日の暮らしよりも、いつとも知れぬ自分の魂の行き先を心配することは、非常に異質なことのように思われた。しかし、彼女を含めこの町で生きる人々の姿を見て、理解はできなくても、どこか納得した。
日々の物質的な生活に、常に充足と満足を見出すことはできず、ときに、生活自体が、自らの努力に反して、災害などの自然や、権力という外力によって、脅かされる。だから、死後のあり方に救いを求めるのは、生きるために、必要なことなのだ。
死があるから、今をよく生きることができる。
ただ、それだけでは、人が人として在るためには不十分だという。
” この世の最大の不幸は、貧しさや病や死ではありません。だれからも自分は必要とされていないと感じることです。だから、わたしたちは、その一晩だけ、精一杯、求めてあげるのです。必要としてあげるのです。
わたしたちは、安らぎといたわりを売るのです。たった一夜の、刹那的な慰めを。
創造主は、人が人を必要とするように創り給いました。わたしたちは、ただ、それにそぐおうとしているのです。”
そういって、アンシャは、陽を反射する白い雪のように微笑んだ。
彼女のような者たちが行けないようなのなら、ファリスのおわす天界は、美しいくて白いだけで、のっぺらぼうな連中ばかりの、なにもおもしろみの無いところなんだろう、と思った。
アンシャの名前は、神の教えを忠実に守り、貧困の中で子を出産できたことに対する、アンシャの親達の、神へのお礼として、名づけられたものだという。
しかし、アンシャ自身は、その親達がその日を食べていく為に、神にではなく、人に、売られた。そのことを怨みはしていないというと嘘になるのだけれど、これからは、人々にとっての捧げものであることができれば、それでよいのだ、という。
この寂れた白い街は、人々の、ただひたすらに生きる色に満ちている。
ささやかな人生たちの、重みに、覆われている。
「わたしたちは美しいですか?」
アンシャは尋ねた。なにかあると彼女はいつも、この類の質問をしてきた。
わたしは、首を振った。彼女たちを美しいという形容詞だけで表すのは、あまりにも言葉が足りないと思った。
そもそも、美しさとは何であろう? 化粧の見栄えか、整った顔立ちか、清潔さか、肌の白さと細やかさか。
確かにそれらは、人の目をひきつけるという点で意味があるのだろう。しかし、わたしが彼女と時を共有するにおいて、重要なものであるとは思えなかった。
ただ、彼女はよいものであるとおもう。彼女の感性、彼女のしたたかさ。彼女の生き方。そういったものには共感できる。そして、いつも何かを教えられる。だから、彼女はわたしにとって理解できるものであり、その考え方を知ることは、世界のありようを知りながら自分が善く生きる上で、今のわたしには必要なものに感じられる。
そうわたしは、思ったままに答えた。
雰囲気というのはあった。
ただ、彼女と同衾できない理由を、素直に話した。
わたしが女であること。戦争で輪姦されて以来、肌身の接触に嫌悪感を催す事。月のものもないこと。
胸のうちに詰め込み、封をし、もはや取り出すことは無いだろう、と思っていたことが、驚くほど、すらすらと出てきた。
それを聞いて、彼女は笑い転げた。
わたしも笑い飛ばした。
生理がないと、面倒がなくてうらやましいと、彼女は大笑いした。
女の精霊使いは、病気が治せるときいた。仲間の性病を治してやってよ、といって、また笑った。
笑うしかなかった。...そうやって彼女は、全てを笑い事にしてくれた。
そうしてわたしたちは、二人で眠った。見た夢は違うものだっただろう。しかし、共にしたぬくもりは、一つだった。
だれよりも美しいものにあこがれる彼女は、結局、世に真に美しいものなどないという。ただあるのは、一時の慰めと癒しだけ...。その刹那を善く生きる、術。
アンシャはたしかに、ザインという場所に生きる者として、彼女の、確固としたものをみせてくれた。
それがどうしようもなく、きれいで、眩しくて、心地よくて、羨ましかった。
■ ____________ ______ ____ __ _
そのとき、アンシャは、17歳だった。
そして、いま、再びこの街に立ったが、アンシャの姿を見つけることはできなかった。付近の者に尋ねてまわったところ、病気で故郷の村に帰っていったとも、堕胎の傷から回復せずに神殿に入ったとも、傭兵に身請けされていったとも、聞いた。
神が、己を信じる者に対して、そのあり様に対して死後の世界というものを与えてくれるのならば...彼女の往く先は、どういう世界になるのだろう。
ファリスの教えを信じていた彼女の天界は、彼女にとって、どういった姿であるのだろうか。
それを自分が見る事は決してかなわないのだろうけれど、もしも知れるものならば、この世界の粋さというものを感じるきっかけぐらいにはなるかもしれない。
これもまた、旅の道すがらにであった、ひとつの出来事。
ザインという閉塞した街、村でしか存在し得なかった、彼女ら。
しかしそこに確固として感じられた彼女達の存在感と、それゆえにいっそう、希薄に感じられる自分への違和感。
街道は、その街と街の間の空間である。人と、人の織り成す想いなくしては存在しえない、風霊の漂う空間。様々なものを呑み込んできたが、ひとつの想いに収束することはない。幾多のものが交じり合ったままの世界。ときに、それに翻弄された風乙女達が、息を潜める。
そして、街というものがその対流に渦を生み出し、特化された一つの場を与えてくれる。我々旅人は、その場に突き刺さった標識に何が描かれているかを読み取っていくだけに過ぎない。標識の刺さっている大地の土の味を噛みしめることはできても、その大地自身になることはできない。それになれるのは、その土地を故郷として生まれ育った者か、そこを今生の居場所と定めた者だけである。
ただ、その土を嗅ぎ取り、どんな屍を受け、なにを育てていったかを、知ることはできる。知るだけである。
それが旅人のあり方。
国境に至る山間の道にさしかかったとき。長雨のために地霊の力が弱まったのだろう、土砂崩れが起きていた。
近くの村から農民たちが作業要因としてが借り出されている。ここを超えないと先に勧めない。こちらも撤去作業に協力せざるをえない。
土砂と共に流されて、根が露わになった木々から、樹霊の気配が弱まっていく。一見、各々が精霊たちが完璧に調和して作られたように見える自然にも、わずかな歪みは常にあり、時に、そのひずみが凝集されて発散し、このような破壊の姿になる。
流された土砂の量は、膨大だった。弱くなったとはいえ、まだ、雨は降り続いている。泥の混じった水が流れる顔を、拭う。
ふと、滅茶苦茶に入り乱れた水霊と地霊の気配のなかに、何か違和感があった気がした。付近の精霊たちにかき消され、ともすれば見逃すあまりにも希薄なにおい。表面じゃない。奥だ。もっと、奥。もう一度感じようとても、なにも感じることはできない。
気のせいかとも思ったが、直感を信じてみる。ままよ、と。
土に充つ地霊。我らを支えるもの達よ。穴を穿ちて、我らがそこに入る余地を与えよ...。
精霊語を唱え、地霊に土の移動を促す。先ほどの気配の方向へ、土砂に穴を穿たせた。周囲から驚きの声があがる。
穴のなかにもぐりこむ。すぐに、ぼたぼたと泥水がしたたってくる。奥へ行き、先ほどの気配を探す。
...いた。
そこに、埋まり潰されていた馬車の残骸らしいものがあった。そして、その下に、泥だらけの小さな少年が、蹲っていた。奇跡的にも、積荷と大岩の影になり、土砂に押しつぶされずにすんだのか。しかし、長く狭い空間に居た為にそこにあった空気が消費されきる寸前だったのか、息が細い。今にも生命の灯火は消え失せそうだった。
外に引きずり出して、口と鼻に詰まった泥を吸い出し、息を吹き込む。今にも、かき消されてようとしている生命を必死に繋ぎ止める。
数百回も同じことを繰り替えした時か。子供は息を吹き返し、咳き込んだ。しばらくもがいていた後、子供は目を開けた。
安堵に、泥だらけの胸を撫でおろす。
子供はしばし呆然としていたが、体から泥を払ってやると、自分が助かったと全身で知らせる為のように、火がついたように泣き出した。
ふと、周囲の奇異の視線に気が付いた。魔物でも見るような目。
まずいことをした、と感じた。この国では、魔法は歓迎されてないのを思い出した。
ここにいないほうが良いかとも考え、立ち上がって、その場から離れようとした。
そのとき、子供が、まるで、行くなというように、服の裾をつかんだ。
それを解いて、この子を頼むと、作業の手を止めた大人たちに預けようとする。
商人の太った女がはっとしたように立ち上がって、子供を抱きしめた。
「ほらほら、なんて顔してんだい! この子にあったかいもの、着せてやりなよ!」
と、夫らしい者をせかした。
「魔法ってなぁ便利だねぇ。その調子でコレ、全部どけられないのかい?」
女が笑顔で聞いてくる。やれるものなら最初からやっている、とおどけた。
周囲に笑いが戻った。...受け入れられたかと、安堵した。
その後の作業で、ロマールへ向かっていたらしい商隊の馬車が土砂崩れに巻き込まれていたのが発見された。土砂を撤去していくと、2台の馬車がこなごなになっているのが掘り出された。5名の遺体が出てきた。助かったのは、その子供だけだった。死者はその場で埋葬され、子供は、怪我をしていたのもあって、早急にマーファの神殿に預けられることになった。
日が暮れた後、領主から街道の復旧を命じられた騎士の計らいで、この場で足止めを強いられた者たちは、村の家に宿泊させてもらうことになった。皆、重労働で、へとへとだった。
その際、ザインの名産の酒を出された。エア湖を水源とする川の水を使ったもので、底に生えている苔の効力か、気分を落ち着け、疲れを取る働きがあるという。
この酒が、最後にザインの印象を変えてくれた。
商人達と皆で酒を囲み、お互いの不運と労をねぎらいあった。 商人や村人たちと、生まれた国や、これまで遍歴してきた場所についての話で盛り上がる。
土地の絆とか、家族のつながりとか、そういったものは必要としない。
ただ居合わせた者たちが、その場を共有し、同じ立場の者がお互い楽しもうとして、饗される時間。
そこには、過去も未来もない。今この時間、共にいるという事実だけが大切。
その瞬間さえあれば一生生きていけると思えるような、感覚だった。
それも街道で為された一つの織り目。
酒場の話で、ある国における体験を話すことは多い。しかし、自分で話をすればするほど、自分自身がその話に取り残されているという、焦燥感に似た居心地の悪さを感じる。たとえば、オランではオラン人が主役だ。いくら、その国が長く、歴史や地理の知識があり、知った顔をして賢者のようにオランについて話をしても、旅人は、しょせんアウトサイダーの語り部にすぎない。そこに根付くオラン人にはなれない。
何の為に旅をするのか。旅自体が目的のようだ。
オランを発つ直前に、そうレドウィックが言ったのを、ふと思い出した。
旅の中では、ただ違った価値観の中で、自分の相対的な位置を認識できる。他者を見ることによって初めて、自分の存在が強められる気がする。
「わたしは何者で、何をしようとしているのか 」
そういった命題が、常に自分自身に突きつけられている。
旅にあるのは、結局、居場所を探し続けていることにすぎないのだろう。刹那的な帰り場所を。...いつか最終的に、精霊に還る日まで。
もしかしたら、大いなる世界の果てに見えるのは、自分の背中に過ぎないのかもしれない。
エルフでも人間でもない。根付く故郷もない。けれど、わたしの内と外に、精霊がいて。わたしは世界の一部で。何かの役割がある。それを感じていたい。
世界に『在る』ということを許されていたい。そんなどうしようもなくちっぽけな想い。 ほんとうに、それだけに、すぎない。
街道。街と街の間の空間。価値観の奔流が混ざり合う狭間の世界は、最もそれを顕著に感じられるところなのだろう。
街と街を繋ぎ、それぞれの異質な色を混ぜながら、ここには、確実で純粋なものはなにもない。 最も居心地の悪い場所でありながら、最も自分に近しいものを感じられる場所。
そうしてわたしは、また、自由人と呼ばれたかつての偉人たちの残した恩恵を愛しながら、ただ無心に、足を進めるのである。
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