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No. 00165
DATE: 2000/09/19 01:14:52
NAME: ラス、フィルシー
SUBJECT: 幼女娼館潜入
ラス:ハーフエルフの精霊使いにして盗賊
フィルシー:エルフの精霊使い。ラスの依頼人。ミュレーンの保護者
ミュレーン:若い魔術師。ラスの依頼人。教え子たちが行方不明になった。
瓦礫やごみの山、そして稀に死体さえも転がる貧民窟の通りの中で、その一帯だけは
比較的整備されてると言えた。
それもそのはず、ここは貧民窟の中でも唯一酒場や商店などが集まっている場所なのである。
しかし場所柄、その扱っている商品は食料や酒などといったまっとうなものだけではない。
ラスが暗い路地の影から様子を伺うその建物も、そういった”まっとうではない”店の一つだった。
「真珠の壷」
その店には、ただの娼館と決定的に違う点があった。幼女専門 ―― 吐き気がするような
店だがそれでも客がいる、繁盛しているからその店は存在するのだ。
ラスはこれから、この店に忍び込むつもりだった。気に入らないから、ではない。
こんな店であっても、この店はギルドの保護下に入っているのだ。
もし不注意にそんな店で盗みを働いたなら、ギルドの処罰を受けるだけである。
彼の目的は、この店に囚われているという二人の子供だった。
貧民窟に、幼女を中心とした行方不明者多発の噂が流れ始めた。
そして、それはただの噂に留まらず、実際に行方不明者を出し始めたのである。
ミュレーンの教え子たちがそれだった。学院の正魔術師であるミュレーンは、
以前から暇を見ては貧民窟の子供たちに文字の読み書きを教えていた。彼女は元々子供に
好かれる性質なのだろう。子供たちはわざわざ貧民窟から彼女の元を訪れて授業を受けていたのである。
その子供たちの捜索が、ミュレーンの保護者役であるフィルシーを通してラスに依頼された。
彼の地道な情報収集により、かなりの金を費やすことになったのだが、探す子供たちの居場所を
知ることができた。行方不明者の大半の足取りは未だ掴めていない中で彼にその子供たちを
探し当てることができたのは、他の行方不明者とは違う便乗犯の仕業だったからである。
しかし居場所が知れたからと言っても、そうして誘拐され娼館に売られた子供たちは
決して幸運であるとは言えない……。
このような便乗犯は少なくなかった。そのため「真珠の壷」はますます繁盛し、
ギルドの目に留まるようになったのだ。だからラスはギルドを気にせずに店に侵入し、
子供たちを奪い返すことが出来る。
「裏取引の証拠を掴めばガキを取り返すことに目を瞑る」
娼館が、納める金を惜しんでギルドに届けずに行っている過剰な取引の証拠を掴むことが、
彼がギルド保護下のその店に忍び込むことを許された代価なのだ。
店の裏口にも辺りの通りにも人の姿はない。ならばさっそく……と、出しかけた足を
踏み留め、ラスは後ろを振り返る。一つ厄介な問題を忘れていたのだ。
「どうしたの?」
そんなラスの様子に、その厄介な問題は銀髪のエルフの姿をして不安げな表情を浮かべていた。
彼の直接の依頼主、フィルシーである。
ラスは、この仕事には単独で臨むつもりだった。今回侵入する目的は偵察だけである。
いきなり忍び込んで子供たちの救出と証拠集めの両方が出来ると思うほど慢心してはいない。
だから多人数で挑むのは逆に都合が悪かった。さらに彼は、盗賊としても精霊使いとしても
相当な腕を持っている。しくじらない自信はあったし、万一の事があった時どうとでもできる自信もあった。
それに手を借りるとしても、今回のような仕事に彼女のような盗賊の心得を持たない者を
連れてきたりはしない。むしろ、ご免だった。いたずらに失敗する可能性を増やすだけだからだ。
だいたい、ラスはフィルシーとそしてミュレーンの二人が、貧民窟に近づくことさえ
嫌だったのだ。子供を捜すことに必死になるあまり、何をしでかすか分からないというのもあるが、
何より彼女たちは貧民窟の”法”というものを知らない。
失敗した。ラスは溜息まじりにそう思った。
子供たちの居場所の目処が付いたこと、そして奪い返す算段を立てるためにこれから様子見に
行くことを出発前にラスは二人に告げた。雇い主に対する当然の義務を果たしたまでだ。
この時のラスはこれから行う仕事のことを考えるあまり、ミュレーンの過剰な反応には
全く気が回っていなかった。ミュレーンは突然、正魔術師の証である杖を手に取り、
自分もついて行くからすぐに助け出そうと言い出したのだ。
あれほど心配していた子供たちの消息が知れたのだから、それも無理もないことだっただろう。
しかし、いかに魔術を操れるとはいえ今回のような仕事は彼女には明らかに向いていない、
必要なのは盗賊の技なのだ。
フィルシーが必死で押し留めようとしたが、それでも彼女は聞こうとしない。
最後には痺れを切らしたラスが怒鳴りつけてようやく諦めたようだった。
ただし、”その代わり”があった……。
「分かってるな?」
フィルシーは黙って頷く。彼女がここまで同行したのは、自分が同行できないならせめて
代わりに、というミュレーンの気を済ますためだけだった。
エルフの彼女には当然のように精霊たちの力を借りることが出来る。そしてその力を借りて
姿を隠すことも可能だった。だからラスは、渋々ながら彼女の同行を受け入れたのだ。
もっとも、だからと言ってやはり盗賊の心得のない彼女を、店への侵入にまで同行させる
つもりはない。フィルシーの方も、それは承知していた。ミュレーンの意志としては、
フィルシーにも同行してもらうことで、すぐに助け出せる可能性を作りたかったことなのだが、
それが無理なことは分かっているのだ。
今回のラスの目的は、あくまでも偵察である。
「ここで待っているわ」
「それだけじゃだめだ。店に何かあったときはもちろん、ここにいて誰かに絡まれそうに
なったときもすぐに姿隠して逃げろ」
「え? 逃げろって……あなたのことは?」
「俺一人ならなんとでもなる。あんたは自分の身だけ心配してろ」
フィルシーも頭に布を巻いて耳を隠し、本来は雪のように白い肌を浅黒く染める程度の
変装はしているが、それでもこんな貧民窟の中心地に一人置いておくのは危険だろう。
それにラスにも、万一逃げるはめになった時にまで彼女を庇える自信はなかった。
「分かったな?」
フィルシーは再び黙って頷く。ここで自分が足手まといになるのは承知しているのだ。
そして、どうすれば一番ラスの助けになるかという事も。
「んじゃ、行ってくる」
「気をつけて……」
ラスが店の裏口に近づきその中へ姿を消すのを見届けると、フィルシーは再び物陰の奥へ
身を潜ませた。
かちり
微かな音を立てて鍵が外れた。あらかじめ油をさした蝶番が音もなく開き、ラスは素早く
扉の中に身を滑り込ませて扉を閉じた。さっと部屋の中に目を走らせる。
精霊使いの彼には、おぼろげながら闇夜を見通す目を持っている。小さな明かり取りの窓から
微かな月明かりが差し込むその部屋には、大きな机や壁際に並ぶ棚たちの影が見えた。
当たりか?
相変わらず遠くから、子供特有の高い声が泣き叫んでいる。ラスはいまいましげに
声のする方を睨みつけた。もちろん、彼の目に入るのはただの部屋の壁だけである。
その壁の向こうのさらに向こう……ずっと遠くの部屋で、その凶行は行われているのだ。
今ばかりは妖精の血を引いた良く聞こえる耳が恨めしかった。
ちくしょう。そういう店なら声くらい漏れないようにしてろ。ラスは心の中で毒づいた。
ラスが目にしたのは異様な光景だった。
姿なき精霊の力を借りて姿を消したラスが、通りかかった扉のないその部屋は
彼女たちの控え室だったのだ。少女たちが何人かおしゃべりを楽しんでいた。
ラスが以前に見た普通の娼館のそれと変わらない光景だった。
少し拍子抜けだった。年端もいかぬまま身体の提供を求められた少女たちは、しかし
それを悲しみすすり泣いているわけではなかったのだ。考えてみれば当然である。
日々の糧を得るために自ら身体を差し出す女たちは確かに存在する。そこに年齢の幼さなど
関係あるだろうか? 要は求める客がいればいいのだ。
自分はこんなもんに金なんか払わねえがな。暑さのためか着崩した少女らは、
恥ずかしげもなく、まだ膨らむ兆しも見せない裸の胸を晒していた。
何が楽しくてそんなものを買い求めるのか、ラスにはまるで分からなかった。
廊下からの足音が聞こえてきた。ラスは廊下の端に張り付き息を殺した。
男と、それと並んで一人の少女が、俯いたまま歩いてきた。そしてそのまま、ラスの方には
気付かずに控え室へ入っていく。その時ラスの目に、少女が蒼白な顔で微かに震える様子が
目に入り、次の場所に移ろうとしたラスの足を引きとめた。再び控え室の様子を見る。
新しい友達。男の紹介で、彼女たちはその少女を歓声で迎えた。
しかし、少女は相変わらず俯いたままだ。真っ白な顔で細かく震えている……。
恐らく恐怖のためだろう、奥歯がかちかちと鳴る音が聞こえてくるようだった。
そして男は震える小さな少女に宣告した。最初の客が待っている、と。
その少女は何も仕込まれていなかった。そういう要望を出す客がいるのだ。
他の少女たちの無邪気な励ましの言葉を受けながら、少女はただ俯き震え、両手で衣服の端を
固く握り締めていた。一人の少女が彼女のその緊張に似た様子を揶揄すると、どっと
笑い声が起こる。そのころ、ラスはただ次の場所へ向かうためにその場を後にしていた。
遠くの部屋から泣き叫ぶ声が聞こえ始めたのは、それから間もなくのことだった。
余剰取引の商品 ―― さらわれ、買い取られた少女たちの居場所を見つけるのは難しく
なかった。
見張りの数は多くはなかった。そしてそれは、外からの侵入より中から少女たちが
逃げ出さないためのものなのだろう。彼らは姿を消したラスに気付くようすもなく、
おかげで彼は難なくそこに辿りつくことが出来たのである。
娼館に入った少女たちはまず教育が施される。連れ込まれる少女のほとんどは
貧民窟に生まれ育ったため、知識や教養とは無縁であり、商品として客の前に出すために
それは必要なのだ。
そして、まだ商品として扱われない彼女たちは店の雑用にも駆り出されるのである。
その少女たちの中にミュレーンの二人の教え子がいた。
今すぐ連れ出せるか? ラスは考えた。しかし、少女たちがサボらないよう、見張りは
常に彼女たちに張りついている。その数は決して少なくない。足手まといにしかならない
二人の少女を見つからないように連れ出すこと、まして、見つかったときの強行突破など
不可能に近いだろう。
今夜は偵察だけ、どうやって連れ出すか考えるのはこれからだ。
ラスは侵入のもう一つの目的を果たすために、さらに奥へ向かった。もう少しだけ待ってろよ。
そう心の中で呟いて。
奥へ向かうにつれて、見張りの姿は ――やはり少女たちの監視が目的だったのだろう ――
なくなった。そしていくつかの罠を越え、扉の鍵を破った先にあったのがその目的の部屋、
執務室だった。
彼のもう一つの目的、そしてそれは同時にギルドを動かし二人の子供を取り戻す最大の武器となる。
すなわち、裏取引の記録を手に入れることである。
気を取られていたのだろう。ラスがそれに気付いたのは致命的に遅かった。
一刻も早くここから出たい気持ちがあった。あの泣き叫ぶ声を聞きたくなかった。
部屋を手っ取り早く漁るためにラスは、窓を通して差し込む月明かりから光の精霊を呼び出した。
それが目印になったのだろう。それは上から降ってくるようにラスに襲いかかった。
頭を庇うためにかざした左腕に焼けるような痛みが走る。
「!」
ラスは左腕を大きく振って、食いついたそれを壁に叩きつけた。
「いい趣味してるな、ここのボスは」
忌々しげに呟く。ラスが襲ったそれは、彼の背よりも長いだろう胴体を持つ大蛇だった。
蛇は鎌首をもたげてラスに飛びかかるタイミングを測っている。ラスは短剣を取り出し右手に
構えた。こころもとないが彼が持ってきていた唯一の武器だ。噛みつかれた左腕はだらりと
下げている。
ラスの左腕を伝って血が床に落ちた。大きく牙を剥いて飛びかかる蛇に、ラスは微動だに
しない。動けないのではない。動かず、ただ命じていた。
飛びかかる蛇とラスの間の空間にふわりと光の精霊が流れこむ。次の瞬間、乾いた音を立てて
光が弾けた。光が消えて暗闇に包まれた部屋に、蛇の胴体が落ちて床を叩く軽い音が響く。
「ざまあみろ」
突然行く手を遮った光の精霊に、蛇はそのまま噛みかかった。光の精霊は衝撃を受けると
簡単に壊れてしまうが、その時に強力なエネルギーを発する。それが蛇の頭を吹き飛ばしたのだった。
左腕の傷を縛りながら、ラスは舌打ちをした。いくらなんでもこの騒ぎが聞きつけられない
わけがないだろう。実際に、離れたところから聞こえてくる喧騒がさっきまでとは違っていた。
それにこの左腕だ。蛇が毒を持っていたのだ。毒の回りは抑えたものの痛みと痺れは残っている。
十分には使えない。
ラスは再び舌打ちして足元に転がった蛇の死骸を壁際に蹴飛ばした。そして大きく息を吐いて
気を落ち着け、精神を集中する。姿なき精霊が彼の姿を隠した……。
店の様子に変わったところは見られず、だからフィルシーは未だそこにいた。
「戻った……」
突然の声と共に姿を現したラスに、さすがにフィルシーは声を詰まらせる。
「帰るぞ」
そんな彼女の様子を意に介さずにラスは彼女に背を向けた。慌ててフィルシーが後を追う。
「どうだったの?」
「中の様子は分かった」
ラスの素っ気無い答えに、フィルシーの眉が僅かに跳ね上がる。
「もう少し詳しく説明してよ。それに、もう少しゆっくり歩けないの?」
いつの間にか、フィルシーは半ば駆け足にならなければラスに追いつけなくなっていた。
フィルシーが遅いのではなく、ラスが明らかに早いのだ。
「逃げるんだ」
「え……?」
小さく呟いた言葉だったが、妖精族のフィルシーの耳が聞き逃すはずがない。
問い返したのは、その意味がすぐに分からなかったからだ。しばらくして、ようやく疑問が
言葉を形取った。
「見つかったの? ずっと見てたけどそんな様子は……」
「たぶん、俺がまだ中にいると思ってるんだろ。そのうち気付く。その前に逃げ切る」
そこまで説明するとラスは口を閉ざし、ただ足早に歩き続けた。フィルシーも黙ってそれに従う。
ふと、目の前のラスの歩く様子に違和感を覚えた。
「その腕……怪我したの?」
「掠り傷だよ」
しかし言葉とは裏腹に、ラスは左腕を庇う様子を隠しきれていない。フィルシーは駆け足でラスを
追い抜くと、両手で彼の左腕を取って立ち止まらせた。ラスが文句を言おうと口を開くより早く、
彼の体内の生命の精霊の力が活性化される。たちまちにして怪我の痛みが消え去った。
「楽になったかしら?」
微笑みかけるフィルシーに、だがラスは憮然とした表情のまま言った。
「手、離せ。いつまでも立ち止まってる暇はねえんだ」
フィルシーの表情が沈むのを無視して、彼女が手を離すとラスは再び先を歩き始める。
フィルシーも黙ってその後に従う。
怒らせたのだと思っていた。思えばミュレーン共々、今夜はずいぶん彼を困らせた。
だからせめて……と思って”治療”を施したのだが、それも彼を怒らせる結果になってしまった。
謝ろうと口を開きかけた彼女より先に、ラスが振り向きもせずに彼女に言った。
「いいか、今はさっさと逃げることだけ考えるんだ。怪我の治療も……その礼も全部後回しだ」
フィルシーはしばし彼の背中にじっと見入った。そして微かに苦笑を浮かべて、置いて行かれない
ようにひたすらそれを追いかけた。
ラスの手際は決して悪くなかった。鍵を尽く破られ、重大な証拠を掴まれる一歩手前にまで
侵入を許した「真珠の壷」では、いよいよ恐れていたギルドの密偵が送られたのだと考える。
その想像は決して間違いではない。個人的な目的を持っているとはいえ、ラスがそれをすることを
許したギルドの目論見はまさしく密偵として役立ってもらうためだったのだから。
だが、まだ確たる証拠は掴まれていない。「真珠の壷」の店主は考えた。ならば、次の侵入者が
現れる前に証拠を全て処分すれば良いのだ……。
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