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No. 00174
DATE: 2000/10/10 00:05:51
NAME: ラス、他いっぱい
SUBJECT: 取引現場の攻防
がらがらがらがら……
積荷をいっぱいに積んだ荷車の後ろを歩きながら、レオンは大きなあくびをしていた。
「眠そうだな」
隣を歩く仮面の男から声がかかる。挨拶を交わした時、相手が『バリ』と名乗っていた
ことを思い出しながらレオンが顔を向けたが、彼の顔はレオンの方ではなく、
真っ直ぐに前を行く荷車を向いていた。
もっとも、相手は半分泣き顔、半分笑い顔という道化のような仮面の下を付けているから
その視線がどこを向いているかは分からないのだが……。
代わりに、彼の衣服の胸ポケットから顔を覗かせている一匹のカエルと目が合った。
レオンは少し嫌そうな顔をして、視線をカエルから荷車の方に戻す。
「いつもは寝てる時間なんでな」
辺りはまだ闇に包まれている時間だった。荷車はランタンをいくつか掲げ、周囲の闇に
光を投げかけながら進んでいた。
「本当、眠いよ」
言いながら、彼らに少し遅れて歩いていたレオンと同じくらい大柄な女が、やはり
同じくらい大きなあくびをした。
「『ハヅキ』さんだっけか? 眠いからって居眠りなんかしねぇでくれよ」
一番後ろに続いていたオライオンが皮肉って笑う。むっとして言い返すハヅキ。
「居眠りなんかするもんか! こんな時間に眠くたって当然だろ?」
彼女の反応が意外だったのか、オライオンは苦笑して肩を竦めた。
そのやりとりを見ていたレオンが笑いながら口を挟む。
「こういう仕事はあまりやってないのだったな」
「そうだよ。いつもは狩りだけで暮らしてんだもん」
悪い? ハズキは口を尖らせる。彼女は狩人なのだが、先日、ちょっとしたことで
弓を壊してしまったので今は背中に背負った大きな斧を武器にしている。
女性には似合わない武器だが、彼女の体格にはむしろちょうど良く見えた。
「いや、慣れてないようだったんでね。悪意はない。ただ、傭兵や冒険者なんて連中は
みんな口が悪いのさ」
「ふぅん……」
不満顔を崩さないハズキの様子にレオンは苦笑いを浮かべる。
「こう言い返せばいいんだ」
『俺が寝たら、おまえが俺の分も働いてくれ』
レオンとオライオンの声が重なった。
3人の楽しそうなやりとりを、いつの間にか一人で先を歩く状態になった仮面の男『バリ』
――正しくは『バリオネス』だが、彼は誰にも『バリ』としか名乗っていないのだ――は
振り返ることなく見ていた。彼自身は真っ直ぐ前を向いていて、代わりにカエルが
胸ポケットから肩までよじ登って後ろを向いている。
古代語魔法の中には、小さな動物を支配し精神的な繋がりを植え付ける、というものがある。
支配を受けた動物は”使い魔”と呼ばれ、魔術師は使い魔を使役するだけではなく、
精神的な繋がりから視覚や聴覚などの感覚器官を共有することもできた。
バリオネスにとっては、このカエルがそれである。
彼は、それで見ることができた、いや、それどころか……
がっ!
突然止まった荷車に、真っ直ぐ前を見ていたはずのバリオネスが思いきりぶつかった。
「くおおおおぉ……!」
彼が痛みにのたうつサマを、何を踊ってるんだと言って他の3人が笑う。
彼の付けている仮面には、良く見ると穴が開いていない。つまり、彼がどんなに前を向いていても
彼に前は見えない。今の彼にはカエルの視覚を通してしか見ることが出来ないのだ。
荷車が止まったのは取引場所に到着したからだった。港に並ぶ倉庫の一つ。ここで荷車に
積まれた品を取引する予定らしい。
オライオン、ハヅキ、バリオネス、レオンの4人は荷下ろしをするまわりをぐるりと
取り囲んでいる。今夜、ここで行われる取引の警備。それが彼らの受けた仕事だった。
荷車の荷台を覆っていたほろを剥がすと、そこには一杯に樽が詰まれていた。
尋ねると、この樽に入っているのはワインで、これが今回の取引の商品らしい。
なるほど、辺りには微かにその香りが漂い始めている。
「こんな時間に取引なんて、商人というのも大変なもんだな」
警備の傍らで、レオンは樽を運んでいる一人に軽く声をかけた。だが、相手は愛想笑いを
浮かべながら曖昧な返事を返すだけでさっさと倉庫の中に消えて行ってしまう。
レオンは溜息を吐いて見送った。
「まだ気になってんのかい?」
オライオンがレオンの側まで歩み寄ってきた。レオンはどっちつかずな表情で答える。
心配した通りか。オライオンはレオンの様子に苦笑した。
警備を依頼されたこの取引が深夜……というよりはむしろ、夜明けの方が近いという
こんな時間に行われると知らされたとき、どうしてこんな時間にという疑問を口にしたのが
4人の中でただ一人、レオンだったのだ。
「まあ、気になることの多い仕事だが……ちゃんと理由あってのことだ」
時間だけではない。他にもこの仕事は日時、つまり、いつ取引が行われるかが直前まで
未定だった。しかし、それにも関わらず早くから彼ら4人を警備に雇って宿に
拘束していたのだ。
レオンに詰め寄られたとき、彼らの直接の依頼人コルク老は明快な答えを返した。
取引日が未定だったのは、取引相手の船の入港予定がはっきりしなかったため。
こんな時間に取引を行うのは、彼らの船を夜明けと共に出港させるため。
ということだった。
そして、きれいに説明が付いたのが彼には気に入らなかった。
オライオンはレオンとは逆に、大して気にしてはいなかった。依頼主たちが何かを隠してる
気配は感じられる。しかし同時に、その警戒が自分たちにも向けられていることを感じる。
取引に何か訳ありというところだろうが、どこの商会の取引にしても多かれ少なかれその程度の
ことはあるだろう。しかし、それでも依頼人たちは彼らを雇ったのだ。つまり、隠すことは
あってもその程度のものだと判断できる。
それよりも彼に興味があるのは、現れるかもしれない泥棒たちをいかに撃退するかだった。
彼が胸にさげている至高神ファリスの聖印、そのならず者という風体にとても似合わない品は、
もちろん本物ではなくレプリカだが、彼の確かな信仰心を示しているのである。
そしてその信仰心は悪人や妖魔を退治することを正義とする方向に向けられていた。
こういう仕事に不慣れなハズキは、他の3人のうち2人が納得した様子を見て、
そういうものなのだろう、と判断した。
そして最後にパリオネス。実は彼も依頼人たちの隠し事が気になっていたのである。
確かめる方法を見つけられないレオンと違い、彼にはカエルというもう一つの目がある。
カエルにこっそり取引現場を覗かせて、もしヤバイ話だったらさっさと逃げ出せばいいのだ。
彼は依頼人にあらかじめ「報酬は後払いでいい。ただし、途中で逃げても文句を言うな」と伝え、
了承を得ている。金は惜しいが、だからと言ってヤバイ話に関わりたくもないのだ。
しかし、この考えには重大な欠点があった。カエルを偵察に放つと、仮面で目隠し状態の彼は
実質、視覚を失うことになる。彼は迷った。それなら、そんな面倒な仮面をさっさと外せば
いいと思うかもしれないが、それは出来ない理由があった……。
「……また、何踊ってんだ?」
不審感に満ちたハズキの声に、頭を抱えて悩み苦んでいたパリオネスは、はっと我に返った。
慌てて居住まいを正し、彼女にすっと手を差し出す。
「一緒に踊りますか?」
「遠慮しとく」
すたすたと離れて行くハズキに、そのままの姿勢で見送るバリオネス。すでに荷運びは
終わっている。そしてレオンとオライオンは二人で話しこんでいた。
誰も笑うものがいないこの状況をどう取り繕ったものかとバリオネスは迷ったが、
それもほんの一瞬のこと。すぐに倉庫を振り返ったが、すでに扉は閉じられていた。
遅かったか。バリオネスは諦めて大人しく仕事に就くことにした。
倉庫の外の警備という彼らの仕事に。
しかし、幸運にも彼のサマを見て笑っているものがいた。もっともバリオネス自身はそれに
気付いていないので、何の救いにもなっていないのだが……。
「あははははは!」
そいつは戻ってくるなり声を上げて笑い出した。すぐさまラスがその頭をはたく。
「でかい声で笑うな」
笑い声の主、ミュラははたかれた頭を手でさすりながら、少しだけ恨みがましい目をラスに向けた。
「それで?」
構わずに先を促すラス。ミュラは息を一つ吐いた。
「『樽』だったよ」
「大きさは?」
「ボクでも入れるくらいだった」
なるほど、とラスは頷く。
「余剰商品はその中ってわけか」
それまで腕を組み、黙って二人のやりとりを聞いていたカヤが口を挟んだ。
「ありふれたカモフラージュだな」
くっくっと嘲るような笑いを浮かべる。が、すぐに視線に気付いてその表情を消した。
「なんだよ?」
カヤの目線の先では、フィルシーが険しい表情で彼を見ていた。
「子供たちを”商品”と言わないで」
フィルシーの言葉にカヤは2、3度目をしばたたかせると、舌打ちと共に首を振って
非難がましくラスを見た。
「”子供”だ」
カヤは呆れた一瞬呆れた表情を浮かべてながらも、片手を上げて承知したという意志を示した。
彼にはフィルシーという”部外者”も気に入らなかったし、モラリズムも気に入らなかった。
「それで、どうやって”救出”するつもりなんだ?」
彼らの目的は子供たちを救出することだった。この夜、ここで行われる取引の商品は
ワインではない。売春宿「真珠の壷」がギルドに無届けで買い取っていた子供たちを
売り払うために行われるのだ。
「真珠の壷」の不正行為にギルドが目を付け始めたころ、別の目的でその店に近づく者がいた。
それがラスである。さらわれてその店に売り飛ばされたミュレーンの教え子たちを取り戻す
という依頼を彼は受けていたのである。
本来、ギルドの保護下にある店への侵入は許されていない。しかし今回、ギルドは
「不正の証拠を掴むこと」を条件にラスの違反行為を許した。
そしてラスは「真珠の壷」に侵入し不正の事実を目にするが、決定的な証拠を掴めずに終わり、
それによりギルド側の動きを察知した店側は、証拠隠滅に動き出したというわけだ。
(EP「幼女娼館潜入」参照)
だが、ギルド側もこの動きをいち早く察知し、この取引を潰す事で制裁を加えようと考えた。
そこで選ばれたのが、子供たちを取り戻すという目的を持つラスであり、半ば無理矢理それに
同行させられたミュラとカヤだった。
フィルシーがこの場に同行しているのは、彼女に”生命の精霊”の力を借りることが出来るから
である。実際、ラスが店へ侵入したときはこの力の世話になった。だから盗賊でない”部外者”の
彼女もこの場に参加しているのである。
この場には彼ら4人の他にもう一人、男がいた。ラスがどこかから連れてきたこの男は
地味な服装に特徴のない顔立ち、そして盗賊の匂いを持っていた。それも、かなり腕の立つ……。
男はさっきからどころか、彼らと合流してからほとんど口を利いていなかった。ラスが最初に
「レッド」という名を紹介したときによろしくと言ったことが、彼が口を利けることの唯一の
証明だったのではないだろうか。
「情報にもあったから、あの樽のどれかの中に子供がいることは間違いない」
ラスは全員に状況を確かめさせる。ギルドが店側の動きをこれほど正確に知ることが出来たのは
ある協力者の力であった。だが、出来ればラスは「彼」が関わっているという事実を
考えたくなかった。何しろ、最初にギルドで協力者の存在を知らされたとき、その名前が出るのに
耳を塞いだほどである。
何でも屋・エルフ
どんな仕事でも引き受けることで有名な盗賊である。
特に情報に関しては、彼に得られないものはなかった。どんな情報でも確実に、正確に手に入れる。
有能であることは、同時に畏れを喚起する。ラスが嫌がった理由はそんなところだ。
そしてそれを思い出したラスの口からは、自然、溜息が漏れた。情報は正確だという保証が
逆に恨めしく思えることをこれから確認しなければならないのだ。
「それで……もう一つの情報も確かだったか?」
ラスの願いもむなしく、ミュラはその首を縦に振っていた。ラスの口からもう一度溜息が漏れた。
エルフことエルフィンが彼らにもたらしたもう一つの情報、それはギルドを頼れない店側が
「警備に冒険者を雇う」という思いきった手に出たことだった。普通ならばこんな取引には
”それなり”の警備を雇うものだ。しかし、ギルドに動きを悟られないためには、
そのそれなりの輩を頼るわけにはいかない。
そこで大胆にも、そこらの冒険者を頼ったというわけだが、エルフィンはその努力を無に帰させた。
だが、店側のそれは全く無駄な努力というわけでもなかった。ラスの中に、明らかにためらいが
生まれていた。相手が冒険者、しかも顔見知りとなれば無理もないことだ……。
さあ、どうするか。ラスは一同に目線を走らせながら考えた。ミュラも恐らくは自分と同様、
ためらいを感じているだろう。表情を見れば分かる。あとはカヤとレッド……こいつらは
どうだろうか? レッドに目を向けると、彼は口元に笑みを浮かべながらラスを見ていた。
俺が迷ってんのを面白がってやがるな。だが、口では何も言わなかった。こんなところで喧嘩しても
何もならない。レッドはたぶん大丈夫だろう。信頼感というものだが、ラス本人は決して
認めないだろう。最後にカヤだが、こいつだけはためらいなどとは無縁に見えた。
必要とあれば、あの警備の連中を平気で傷つけるだろう。
ためらいを殺すことは、ラスにも出来なくはなかった。だが、今回の仕事で顔見知り同士が
傷付け合うなど、この上なくばかばかしいことに思えるのだ。
それならどうするか?
「よし、いいか。聞けよ……」
「ふわああ……」
ハズキがまた、大きなあくびをしていた。緊張感が抜けるのも無理はない。彼らは今、
再び荷運びの周りを囲んでいるのだ。
取引は無事に終わった。泥棒なんていうものが来ることはなく、取引が行われていた間、
彼らは倉庫の外で暇な時間を過ごしただけだった。今は倉庫の前の船着場で、取引相手の小船に
商品である樽を積みこんでいた。この小船で河口まで出ると、そこに彼らの船が待っているらしい。
もっとも、小船と言っても20本近い樽を載せるのだから、それなりの大きさはあった。
レオンが後ろからハズキの肩をとんっと叩いた。
「……なに?」
「気を抜くのはまだ早いぞ。今が一番危ないんだ」
声をかけながらも、レオンは油断なく辺りを見まわしていた。
取引現場そのものに泥棒が押しかけることは、実はあまり考えられることではない。
警備をなんとか出来たとしても、取引される膨大な量の商品たちを持ち出しようがないからだ。
持てるだけ持つというのでは、とてもリスクに見合うだけのものは得られない。
だから、狙うとしたら運び出す準備ができた今なのである。
もし今の状態で船ごと奪うことができれば、彼らは全ての樽をその運ぶ手段ごと手に入れる
ことが出来るのだ。
「へへ……、来るなら来な。悪党ども……」
現場を挟んでレオンたちと反対側では、オライオンがむしろ楽しげとも言える顔で
周囲を警戒していた。
「うん、分かった」
勝手知らないことばかりだ。ハヅキはレオンの言葉に従って辺りに気を配ってみる。
日ごろ、森で狩りをするときに獲物の気配を探るように……。
夜明けもだいぶ近くなってきた静かな港に、樽をごろごろと転がす重い音が響いている。
掛け声と共に樽を降ろすたび、ぎしぎしと船が軋む……。
「どうした?」
急に船の方を振り返ったハズキにレオンが声をかける。彼女はその声が
耳に入らなかったかのように何も応えず船を見据えていた。
気のせいだろうか? 微かに聞こえた気がした。押し殺したような、くぐもったような……
子供の声? だが、もちろん子供の姿なんかどこにもなく、どんなに耳を澄ましても
もう聞こえることはない。気のせいだったのだろうか?
なんでもない。そうレオンに返事を返そうとした時、ハズキは今度は確かに感じた。
船とは反対の方、暗がりの方からだ。森の中を歩いている時にたまに感じるあの感覚。
息を潜め、気配を殺し、じっとこっちの様子をうかがっている。狩人たる自分が、逆に獲物として
狙われたときのあの感覚を感じたのだ。
「何かいるよ……」
「警戒された」
ミュラは小声で傍らに潜むレッドに伝えた。
「ほう、よく分かるな」
レッドは感心したような声で言った。ばかにされたように感じて思わず何か言いたくなるが、
口にはしなかった。いや、できなかった。
最初に会ったときから、ミュラはどうも彼に苦手意識を感じていた。特にレッドの方から
何かするわけではない。ただ、彼がミュラにかける言葉、笑い掛ける様子、
それらどうでもいいことが妙に癪に障るのだ。しかし、何か言いたくても、さっきのように
何も言えないという状況を繰り返している。それは彼の持つ雰囲気のためなのだろうか……?
「さっきまでは”いるかいないか”を探ってたけど、今は”どこにいるか”を探ってるよ」
「それならじっとしておくか」
レッドは壁にもたれて座り込んだ。
「こちらに気をまわす暇がなくなるのを待てばいい」
そして頷くミュラにこう言い残す。
「それまで、おまえはちゃんと見張っておくのだぞ」
もちろん、ミュラには逆らえなかった。
樽の積み込みが終わって船が港を離れるのを、4人は並んで見送っていた。
「結局何も来なかったなぁ」
オライオンが笑いかける。その顔が何故か残念そうにも見えるのは、たぶん気のせいだろう。
「さっきの気配はまだあるのか?」
レオンがすっとハズキの横に並び出て耳打ちする。ハズキも小声で答えた。
「まだいると思うけど……関係ないのかもしれない。殺気みたいなものが感じられないから。
だた見てるだけというか……」
「抜け駆けは良くないな、レオンくん」
二人の様子を勘違いしたバリオネスが割り込む。
「いや、そうじゃなくて実は……」
事情を説明しようとするレオンの言葉を無視してバリオネスはハズキの手を取った。
「私は今日、給料日なんですよ」
もちろん、ここにいる4人ともがそうなのだが、バリオネスは警戒するあまり前金を受けとって
いなかったので、無事に終わった喜びはなおさらだった。
そのままぐっと仮面の顔を近づける。もっとも、見ているのは胸ポケットのカエルの目なのだが。
「どうですか? 今夜、食事など……」
「邪魔して悪いが、そういうのは仕事が終わってからにしようぜ」
今度はオライオンが2人を遮った。そして駆け出すと近くの小船に飛び乗る。
「さっさと乗りな。急ぐぞ」
河には、さっきここを離れたばかりの船が浮かんでいるのが見えた。そしてその上で争いが
起きている様子も……。
ラスとカヤ、フィルシーの3人は小船に乗り、河の上で樽を載せた船が来るのを待ち伏せていた。
そして船が港を離れると、水の精霊の力を借りて河の流れの上を歩いて近づき、あっさりと
船の上の人間を取り押さえる。
樽の数にはうんざりしたが、叩けは中身がワインかそうじゃないかくらい、すぐに分かる。
子供たちの救出はカヤとフィルシーに任せて、ラスはこの船の主人に詰め寄っていた。
「”覚悟の上”だろう?」
「な、なんのこと……」
ラスは、向こうで二人が樽から出してやっている子供たちを指した。
「こいつは、向こうの連中の”違反の証拠”なんだよ。持って行かれちゃ困るんだ。
だから邪魔させてもらった」
「そんなことは……」
「今さら知らん振りか? まあ、安心しな。悪いのは向こうだからな。あんたらにはこれ以上は
お咎めなしだ。だから、今回のことは犬に噛まれたと思って諦めるんだな」
「………………」
主人が肩を落としたのを見て、ラスはその場を離れた。内心ではほっとしていた。
実は、今回彼のやったことは明らかな反則なのだ。取引を潰すというギルドの目論見は、あくまで
「真珠の壷」側に恥をかかせるのが目的だった。だから本当は、取引が終わる前に
介入しなければならなかったのだが、警備の冒険者たちが顔見知りだったせいでこんな方法を
取ったのである。だから、わざわざこちらの主人を口止めする必要があった。
本当はそっちも悪いのを、見逃してやってるのだぞ、と。
力を込めると、樽の蓋が軋んだ悲鳴をあげて弾けた。
「これで全部だな……」
フィルシーが樽の中から子供を抱え上げるのを見ながら、カヤは疲れた顔で呟いた。
ワインの樽に紛れて、子供が入っていた樽は5つあった。5人とも無事で、フィルシーは安堵して
子供たちの猿轡と手足の縄を解いてやっていた。
”商品”なのだから無事なのは当たり前だろう。カヤは思ったが、口には出さなかった。
いちいち突っかかってこられるのも面倒だからだ。
「こんな柄じゃねー仕事……証拠じゃなけりゃ、そこらに沈めて終わりなのにな」
呟いただけだったが、エルフの耳が聞き逃すことはなかった。フィルシーがきっとカヤを
睨みつける。カヤはその視線をかわすようにそっぽを向く。するとそこに……
「……おい、ラス」
「なんだ?」
ラスは、ちょうど主人を言い含めて戻ってきたところだった。
「来たぞ、あいつら」
カヤが示した方向には、警備の冒険者たちが小船に乗って近づいてきているのが見えた。
見つかったか。ラスは舌打ちする。
「どうするの?」
フィルシーが不安そうな顔を向けていた。彼女の後ろでは子供たちが雰囲気を感じ取ってか、
同じような顔をして彼を見ている。
「おまえらは船で逃げてろ」
そしてカヤを振り返る。
「俺たちは時間稼ぎだ。行くぞ」
カヤは露骨に嫌な顔になった。ラスだってもちろん嫌だった。だが、フィルシーと子供たちが
船で離れるまでは、彼らを近づけるわけにはいかない。事情を説明出来ないのが、ギルドに
関わる仕事の辛いところだった。
水の上に立った二つの人影が彼らの船の行く手を遮った。二人とも覆面姿で、一人は細身の剣、
一人は小剣を構えている。もはや、問答無用のようだ。
「準備はいいか?」
船を操るオライオンの言葉に、レオンとバリオネスが立ち上がってそれぞれの武器を……
「やば! 剣忘れた!」
バリオネスの上げた声が、見事に雰囲気をぶち壊した。全員が動けないでいる中を一人、
オライオンが後ろからバリオネスの襟首を掴み引き倒す。そして自らの剣を構えた。
「来い、悪党ども!」
彼の掛け声で、ようやく全員が動き出した。
レオンの前に立ったのは小剣を使う方だった。盗賊らしくこちらの急所や隙を
正確に狙ってくる攻撃に、防戦一方となる。いつもなら、こんな攻撃でも力で押さえつけることが
できるのだが、船の上という足場の悪い条件では、十分に実力を発揮できなかった。
それに対して相手は、精霊の助けで水を地面のように足場にしている。
この条件の差から、ラスたちは樽の載った船の護衛をあっさりと片付けることが出来たのである。
さすがにレオンが簡単にやられることはなかったが、彼の方から仕掛けることも出来ず
苛立ちが募るばかりだった。
引き倒されたそのままで寝転んで戦況を見ていたバリオネスだが、レオンが苦戦している様子を
見るとむっくりと起き上がって懐を探った。そして一枚のコインを取り出し、軽く指で弾いた。
「されば、心正しき者の行く道は、心悪しきものの利己と暴虐によって行く手を阻まれるものなり。
愛と善意の名によりて、暗黒の谷より弱き者を導きたるかの者に、神の祝福あれ。
なぜなら彼は兄弟を護る者、迷い子たちを、救う者」
細身の剣を持った方、ラスを前にしたオライオンは、剣を構えたまま長々と聖句を垂れていた。
どうやら彼にとっては儀式のようなものらしい。いつもなら付き合ったりしねえが、今は
時間稼ぎにもってこいだ。ラスは黙って最後まで言わせることにしていた。
「主たる神はこういわれる、わが兄弟を滅ぼそうとする者どもに、私は大いなる懲罰をもって
彼らに復讐をなす。彼らに仇を返すその時、彼らは私が主であることを、知るだろう」
ラスはカヤの方に目を向けた。足場の差で善戦してるようだが、レオンの技量は決して低くはない。
あれならどっちも死にはしないだろう。
「罪人よ! 我が裁きの刃を受けよ!」
オライオンの聖句が終わり、気合の声と共に強烈な一撃がラスに襲いかかってきた。
ラスは決して、カヤたちの方に気を取られていたわけではない。だが、足場の悪さをものともしない
その剣筋は、かわしきれないほど鋭かった。そして、オライオンの刃がラスの身体を切り裂く刹那
「消えよ! 不可視の力よ!」
オライオンの視界からラスの姿が消え失せた。同時に、レオンの前にいたカヤの姿も消えている。
「沈んだのだよ」
バリオネスだった。
水音がした。少し離れた水面に何かが顔を出していた。沈んだ二人のどちらかだろう。
だがそれは、彼らがそれと気付く前に再び水の中に姿を消した。
「ああいうふうに浮かんでくるのを待って叩けばいい」
バリオネスは指でコインを弾いていた。魔法の発動体のコインを。
「魔術師だったのか、あんた……?」
「いいえ、ただの道化ですよ」
バリオネスは飄々と答えた。
いつまで待っても、二人が再び浮かんでくることはなかった。バリオネスたちはそのまま船に
向かい、乗員たちの縄を解く。主人は彼らに「被害はなかった」と言う他なかった。
彼らは警備の任を無事に果たしたのだ。
「動いた!」
「……行くか」
オライオンたち3人が小船に乗り込んでラスたちの方へ向かったころ、ミュラとレッドの
2人も動き始めた。全員が船の方の騒ぎに気を取られている。勝負は一瞬だ。二人は
一直線に彼らに向かって駆けていった。
「来た!」
ハズキは船に乗らずに一人残っていた。さっきから感じていた気配が気になっていたからだ。
そしてそれがついに動き出した。駆けてきたのは小柄と大柄な二つの影。大柄な方が荷車を
狙ってきた。そこには今回の取引の儲けが載っているはずだ。背中の大斧を両手に構え、
大柄な方の行く手を遮る位置に立ち、力いっぱい大斧を振り回した。唸りを上げて通りすぎる
一撃を、影は間合いの外に立ち止まってかわす。なおも大斧を構えて立ち塞がるハズキに、
影も小剣を抜いて対峙した。乾いた金属音が辺りに響く。
レッドがハズキを引きうけてくれた一方で、ミュラはひたすら店の人間たちの方を目指して
走った。その中に店主の姿があるのが目に入る。そしてお目当てはその手に握られている。
ひときわ高い音を響かせてレッドの手から小剣が弾き飛んだ。大斧の一撃を
受けきれなかったそれは、そのまま地面を滑っていく。剣を拾うことが叶わないと悟ると、
レッドはハズキに向け短剣を投げる。当たりはしなかったが、ハズキが怯んだ隙に
レッドは背を向けて逃げ出していた。最初から牽制のためだったのだ。
慌てて後を追おうとするが、小さい影がいたことを思い出して依頼主たちの方を振り返った。
小さい方の影も既に通りすぎていたが、何人かがその後を追っている。
「何か盗られたのか!?」
だが、ハズキの問いかけに、依頼主である店主は「何も盗られていない」と答えるしかなかった。
ここでも、警備の任は果たされたのだ。
路地裏をミュラは走っていた。手にあるのは、店主から奪い取ったさっきの取引の証文である。
これでギルドの指令を果たしたことになる。これで、あの店主は終わりだろう。だが、店主が
変わるだけで「真珠の壷」自体が潰されることはない。あの店はギルドにとって”有益”だからだ。
意味がないことはミュラにも分かっていた。だが、ギルドの指令は果たさなければならない。
ラスに貸しを作ることが出来るのが、彼女のせめてものやりがいだった。
「しつこいなぁ……」
3人が彼女を追っていた。普通の雑用のような格好だが店主の直属の護衛だろう。そして
恐らく同業者だ。証文を奪うときはふいを付くことが出来たが、一度追われ始めるとなかなか
振りきることが出来ない。
ミュラはひたすら走った。そして気が付くと、追手たちの姿はなくなっていた。
レッドがその3人の前に立ち塞がった。ミュラはもう遠くへ逃げ延びたようだ。
「邪魔をするな!」
口だけは威勢良く怒鳴りつけているが、3人とも完全に腰が引けていた。レッドの持つ雰囲気、
それに気圧されるのはミュラだけではなかったのである。
「クックックッ……」
レッドは低く笑った。
「こいつらならどう扱ったところで、奴も文句を言わんだろう……」
3人の目の前で、急にレッドの姿がぼやけ始めた。そして、再びその姿がはっきりしたとき、
そこにはレッドに代わり、真紅の外套に身を包んだ黒髪の男が、冷たい目で彼らを見据えていた……。
「このごろ暇なのでな」
人の姿もまばらになったその時間、二人の男がカウンターの片隅の席で酒を飲んでいた。
一人は金髪の半妖精。そしてもう一人は真紅の外套に漆黒の髪の男。
「今、関わってんのは……」
男は、説明しようとした半妖精の言葉を途中で遮った。
「事情など興味はない……聞く必要もない」
手元の杯を傾けて、続ける。
「勘が鈍りそうなのでね。体を動かしておきたい……それが出来るならなんでもいい」
何の勘だよ、物騒なやつだ。半妖精は心の中で毒づいた。
「あんたのやりたい事が出来るかどうかわからねえが、来たいなら勝手にしな」
半妖精は落ち合う場所を告げると席を立つ。帰り際に言い忘れたことを思い出した。
「ああ、それと、あんたは目立つから……」
「分かっている」
男も杯の残りを空にすると席を立った。
慣れない操船に苦戦しながらもなんとか合流予定の場所に辿りつき、フィルシーはじっと
ラスたちが戻ってくるのを待っていた。子供らは小船の中で寝ている。
本当なら、船がここに着く前にラスとカヤは戻ってきているはずだったのだが、未だ2人は
戻ってこない。フィルシーは耐えがたい不安感に襲われながら、じっと水面を眺めていた。
彼らは意外なところから帰ってきた。
「終わった……」
全身に水を滴らせながら、ラスはフィルシーに告げた。カヤも同様にずぶ濡れだった。
フィルシーは驚きのあまり何も言えなかった。彼らは水の中から出てきたのだ。
「ちくしょう……あいつ”解呪”なんか使いやがって」
バリオネスの”解呪”により水の精霊の加護を失った2人は見事に河に沈んだ。だが、素直に
浮き上がっても狙い撃ちされるのは分かっていたので、ラスは一度水面に顔を出したときに
水の精霊に自分とカヤに水中呼吸を可能するよう命じていた。そして、彼らはここまで水の中を
泳いできたのである。
「子供は?」
「……あ、ええ、船の中で寝てるわ」
フィルシーは微笑んでいた。船の中にはミュレーンの教え子を含む5人の子供たちが
安心しきった表情で寝ている。きっと、寝るまで彼女があやす役目も果たしてくれていたのだろう。
「お、ミュラも来たぞ」
カヤが見ている先に、証文を振りながら走ってくるミュラの姿が見えた。
肺の中の全ての空気を追い出すように、大きく息を吐く。
「これで文句なく終わりだな」
疲れた。ラスは心の底からそう思った。
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