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No. 00176
DATE: 2000/10/11 02:13:23
NAME: キティア
SUBJECT: 夢の後に
花が咲いていた。川が流れていた。
美しい母が歌いながら花を摘んでいた。
穏やかな光が、母と歌声を優しく包んでいた。
母の綺麗な手が、蝶のように花から花へと舞ううちに、いつの間にか、綺麗なブーケが出来ていた。
私の目はそれを見て、そしてただ、見惚れているだけで幸福だった。
そのとき、一匹の狼が現れて、母の行く手に立ちふさがった。頭をもたげ、牙を剥き、今にも母に飛びかかろうとしていた。飢えたうなり声に、母が震え上がる。
幼い私は動くことが出来なかった。息をすることさえ忘れていたかも知れない。
ただ見ていた。母が痩せた獣に喰われていく様を。
狼が私の気配を感じ、鋭い目で私を捕らえた。次は私。私が母のようになる番だ。可憐な花が咲き誇るなかに、醜くなった姿をだらしなく横たえる番。目の前にいる母のように。
助けてくれたのは父だった。けれど父がやって来たときには、母はもう人の形すらしていなかった。美しかった母は、ずたずたにされた、体液と汚物を入れていた袋となっていた。
その出来事は、幼い私の心を壊してしまった。人であることを拒否し、生きている人形と同じだった。
父の心配も悲しみも苦しみも、遠い遠い出来事だった。
やがて父は私に暴力を振るうようになった。笑いも泣きもしない子供に苛立ち、笑ってみろと何度も殴った。なぜ泣かないのかと何度も蹴った。
村一番の屈強だと言われた父は、見る影もなくやつれていった。疲れた父は、私を遠くのチャザ神殿にやってしまうことで片をつけた。
父の友人であるチャザの司祭様に背中を押され神殿へ向かう。
神の啓示を受けたのは神殿に一歩足を踏み入れたときだった。
今は闇。心を開き、受け入れなさい。やがてくる善きことのために
何も感じることの出来なくなっていた私の体で神を感じた。まるで私の内を、一陣の緑風が吹き抜け、なにかが解き放たれ、同時に緩やかに密度を高めているような感覚だった。
今まで私の体の上を、虚しく通り過ぎて行った、いくつもの口から出た慰めや叱咤などではなく、その言葉は私の中で淀んでいた様々な思念を、光の中で明らかにしていくのが判った。
神は私を人形から人間へと戻してくれた。父を哀れみ、許すことが出来た。美しく優しい母を再び思い出すことが出来た。
そう、私は私を取り戻すことが出来たのだ。
今、私は故郷のロマールから遠く離れ、オランの神殿で神官として働いている。
この巨大な街では全てが目まぐるしい。毎日たくさんの仕事をこなし、大勢の人に出会う。暇をみては街中を歩きまわり、いろんな場所へと行く。
充実はしているが、何かに急かされているような日々。
全ての人に、安らぎと不安を与える夜ともなると、神殿の簡素なベッドで横たわり、泥のように眠る。
そして時々、夢を見る。美しい夢を。
花が咲いていた。川が流れていた。
美しい母が歌いながら花を摘んでいた。
穏やかな光が、母と歌声を優しく包んでいた。
母の綺麗な手が、蝶のように花から花へと舞ううちに、いつの間にか、綺麗なブーケが出来ていた。
私の目はそれを見て、そしてただ、見惚れているだけで幸福だった。
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