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<新王国歴505年> ◆ 第一印象 ◆ 「…らっしゃいませぇ」 酒場…まあ、冒険者の店と呼ぶ奴もいるが。とにかくここで店員を始めて1年にもなれば、とりあえず愛想笑いのまねごとくらいはできるようになる。だからその時も、店の扉が古びた音を立てたのを聞いて、反射的に俺はそう言っていた。晩メシ時が過ぎたばかりで、酒場は空いていた。 入ってきた客は、まだ若い男だ。さすがに未成年ってこたぁねえだろうが、16〜7才に見える。黒い髪と瞳に浅黒い肌。さほど背は高くないし、筋肉隆々ってわけでもない。顔立ちは…どちらかと言うと優しげな感じか。少なくとも女に不興を買うこたぁねえだろ。言ってみれば無害そうな印象だ。ま、見かけどおりとは限らねえけどな。…皮鎧着てるってことは仕事帰りか? 店内を一瞥してそのままカウンターへと向かってくる。その足取りと目つきに、ふと違和感を感じる。 ひょっとすると…見かけより年はいってるのかもしれねえな。それに、ご同業…かな? 「…エール。それと…何か、軽く食べるもの」 ぼそぼそと、呟くようにそう注文する。 ……なんか、暗い。こういう、無口っぽい奴って苦手なんだよなぁ。なんて言うか…まあ、俺がかなり口数多いせいもあるけどさ。女に振られたとか仕事でまずったとか、そういう理由がありゃまだいいけど。普段っから意味もなく、寡黙な奴ってどうもね。 “風の囁き亭”か。……風雅な名前に似合わず、古くさい店だ。別にその店を選んだのに理由があるわけじゃない。ただ、目についただけだ。ちょっとした仕事を片付けて、そこで一休みするつもりで立ち寄った。 「…らっしゃいませぇ」 単なる義務感だけで言ってます的な、そんな言葉に迎えられる。…別にいいけど。 さて…どうするかな。ここらで少し…誰かとパーティでも組んでみるか。今日、片付けてきた仕事は1人だったが…やっぱり、人数がいたほうが、ある程度仕事もこなせるだろうし。少し前まで組んでたパーティは……居心地はよかったんだけどな。あのことさえなけりゃ…。 ただ、一口にパーティって言ってもなぁ。その場限りならともかく、やっぱり少しでも気があったほうがいいだろうし。何より、相手の腕を信用できないと、命に関わるしな。 「…エール。それと…何か、軽く食べるもの」 そう注文した俺にうなずいて、店員がエールを注ぎ始める。 ……へぇ。半妖精だ。今までは人間とばかり組んでたしな。遠くから見かけることはあったけど…こんな間近で見るってのも…。なるほど…妖精の血が混じってるとこうなるのか。柔らかそうな金色の髪に青い瞳。白い肌。エルフほどじゃないけど華奢な骨格。いくつくらいだろう? 見た感じは俺とたいして変わらない…かな。…ふーん。男に対して言う言葉じゃないんだろうけど、綺麗な奴だな。……ちょっと目つき悪いけど。 ◆ 理解への一歩 ◆ 少し経って、店はにぎわい始めた。ってことは、俺の仕事が増えるってことだ。最近、ここのマスターはさぼりが多いし。…ったくよ、人に仕事押しつけてんじゃねえっての。どうすっかなぁ…こんなとこでいつまでも店員やってたってな。いい仕事といい仲間が見つかりゃ、いつでも出ていくつもりだったんだけど。なんとなく、ずるずる居着いて1年か。本業のほう、忘れないうちに…そろそろ何か仕事でもしてみっかな。…そういや、ゴブリン退治の依頼来てたよな。オーガーの姿も見かけたとか言う話で、駆け出しの奴らがビビってたっけ。 ま、店員やりながらとは言え、たまに冒険者の仕事もしてたから、腕はなまってないだろうけど……誰と組むか、だな。顔見知りの奴らは、別の仕事抱えてそうだし。 ……さっきの男とか? 確かにちょっと暗そうだけど…腕はどうだろう? ん〜〜…盗賊、だと思うんだけどな。歩きかたとか、目の配りかたとか。俺も多分、あの男をじっと見てなきゃわからなかっただろうな。そう思うほどにさりげない。 「おう、おかわりくれや!」 カウンターの隅から怒鳴り声。………うるせえな、またあいつか。酒に弱いくせに、飲み過ぎるから……今日はまた随分と機嫌が悪いな。 「はい。エールね」 樽から注いだエールを、怒鳴った客の前に置く。 「……ンだぁ? その置き方はぁっっ!! なっちゃいねえんだよ。だいたい、オレぁ前っから気にくわなかったんだ、半妖精が注いだ酒なんぞ飲めるかってんだ!」 ……ん〜〜…今更じゃねえ? 今日だけで、すでに8杯目だし。しかも、酒だけじゃなくって、さっきまでがつがつ食ってたその皿の中身も、俺が作ったし。 あ〜…なんか、周りの視線が…。馴染みの冒険者たちだよなぁ。……苦笑されてるよ、おい。 さて。どうしよっかな。……ほっとこ。俺って温厚な大人だし。 「ああ? なんだよ、その目はぁっ!? 何だってんだよっ! 混ざりもんごときが、オレ様に何の文句があるってんだよっ!」 「……別に文句なんかねえよ」 うるせえ。とにかくうるせえ。……黙らせちゃおっかなぁ…。 いや…でも……周りの客からの視線が……。 「てめえなんか、ぶっさいくな女のケツ追い回してるのが、お似合いだってんだ!」 …………………あ。限界かも。 「……いいかげんに………しとけよ?」 「ああん? 何か言ったかぁ!? 聞こえねえなあっ! ガキが生意気な口叩いてんじゃねえぞ?」 「いいかげんにしとけっつったんだよ、この酔っぱらいジジイがっ! 聞こえねえってんなら、その耳すっぱり切り落としてやらぁっ! 役にも立たねえモンなら、いっそねえほうがそのクソみてえな頭も少しはすっきりするんじゃねえのかっ!?」 手に持っていた雑巾を、酔っぱらいの顔に叩きつけながら、思わず叫んだ。…と、同時に馴染み客から歓声があがる。そして、酔っぱらいが立ち上がる。 「…ンだとぉ? こらぁっ!」 ……あ〜あ…またやっちまった。 途端に店が騒がしくなった。 「いいぞ、やっちまえっ!」 「おい、賭けねえかぁ!?」 無責任な声は、どうやら馴染み客らしい。カウンターの隅から流れてくる険悪な雰囲気にも、逃げ出す者はいない。…さすがは冒険者の店、か。 俺もかまわず、新しいエールのジョッキに口をつけた。 ところで、あれでいいのか、店員? 仮にも店の人間が、客の顔に雑巾叩きつけて、怒鳴って……う〜ん…あ。しかも、怒鳴り声は続いてる。よくもまあ、ああ、ぽんぽんと。いっそ感心してしまいそうだな。 しかし。意外だったな。意外なのは“店員”がそう言ったことじゃない。先刻、間近で見て、“綺麗な奴だな”と思った男がああやって怒鳴っていることだ。どうやら、見かけと中身が違うたちらしい。 あらためて、酔っぱらいを観察してみる。……中年の男だ。多分、30代半ば…かな? ガタイはかなりいいほうだろう。対して、店員側は…どう見ても、俺と同じくらいにしか見えないんだな、これが。でもまあ、もしもケンカになったとしたら…店員が勝つだろうな。まず間違いなく。 さっきから見ていると…さすがに妖精の血と言ったところか。かなり器用そうだ。それに動きも素早い。……こういう店で働いてるってのは…冒険者ってことなんだろうか? それとも、もうやめたとか? 「なぁにやってんだ、このタコがぁっっ!!」 ………びっくりした。とは言え、表情にはほとんど出なかっただろうけど。でも、びっくりした。いきなり、店の奥…厨房と思われる場所から、のっそりと熊のような大男が出てきて、そう叫んだからだ。 そして、叫び終わらないうちに、店員の後頭部に拳をとばす。 「…………ってぇ〜〜〜〜っ!」 頭を抱えて座り込む店員。…うん、確かに今のは痛そうだった。っていうか、すごく…鈍い音がして……重そうな拳だな。 「てめえら、俺の店で騒ぎ起こすなって何度言ったらわかるんだっ! とくにラス! おまえ、店員だってのわかってんのかっ!」 頭を抱えたまま、うめいている店員から返事はない。酔っぱらいも、大男 ── 多分、マスターだと思われるけど ── の剣幕に、すっかり固まってしまっている。 ……一件落着、か。ま、酒場のケンカなんてこんなもんだよな。 さてと。どうするかな。……とりあえず、次の仕事でも探そうか…いや…その前に仲間探しか。やっぱ、1人じゃ限界もあるし……。 そう思いつつ、ちょうど近くにあった掲示板に目を走らせる。 …ふ〜ん、ゴブリン退治ね。仲間募集ってのは、ないかな? 器用な奴募集とかしてくれてたらいいんだけど…。 ◆ 初めての仕事 ◆ 「なんで……こういうことになったんだっけ?」 カレンと名乗った男が、そう呟いた。だから、教えてやることにする。 「だから…俺が、マスターに『ケンカばっかしてないで、仕事してこい』って、ゴブリン退治の仕事押しつけられて。…んで、俺って今、仲間いねえんだよ。ここんとこ、一時しのぎのパーティしか組んでなかったから。で、あんたもそうだと思って」 「いや…たしかにそうなんだけど……」 「だろ? 一緒にやってみねえか?って言ったら、あんたうなずいたじゃん。んで、見たとこ、俺とあんたの他に足りねえのは、魔術師と神官と戦士だよな、って言ったら、それにもうなずいたろ? ……だから、俺たちはここにいる。……了解?」 「ああ…うん」 あのあと店に来た、魔術師と神官戦士のコンビが仲間と仕事探してるっていうから、事情を話してとりあえず、マスターの言ってた仕事を受けることにした。 被害に遭った村は、3つ。その1つに向かう途中だ。丸1日の距離ってことで、今は、野営してるところ。明日の昼前には、村に着くだろうな。 ふっと、突然思い出したようにさっきの問いを投げかけてきたカレンに、とりあえず事のあらましを説明して…って、なんで、最初っから一緒にいた男に説明しなきゃなんないのかは俺にもわかんねえけど。 「で、あの…なんだっけ、ロイと…シュウだっけ? ほにゃほにゃした見かけの割りに大剣かついだ神官戦士と、ガタイのいい魔術師。あの2人にも声かけたらOKだっていうから、4人でここにいるわけだ」 「……だよな。いや、わかってはいたはずなんだけど…あまりにもぽんぽんと話が進んで…うん、いや。わかった。サンキュ」 この仕事はとりあえずこのメンバーで受けたけど、この先どうするかはまだわかんねえな。一応、こいつの腕はだいたいわかった…と思う。 さっき、野営の準備をしているところで、野犬が2匹襲ってきた。主に片付けたのは、ロイとか言う神官戦士の大剣だったが、カレンも短剣で応戦してた。…その戦い方を見りゃわかる。盗賊だろう。そして、腕もいい。 「おい。さっきの犬の血ぃついたまんまだぞ? そのままで明日、村の人間に会うつもりか?」 「……あ、そっか」 俺に言われて初めて気づいたように、カレンが自分の服を見下ろした。軽く溜め息をついて、血の付いた上着を脱ぎ始める。…ふと、見えた。 「……なぁ? それって聖印?」 脱いだ拍子に、それまで服の下に隠してあったものが見えた。……記憶に間違いがなければ、チャ・ザの聖印だ。別にわざわざ服の下に隠す必要もないだろうに。 「え? ……あ…」 困ったように視線を泳がせるカレン。 「信者ってやつか?」 ……別に邪神のシンボルじゃあるまいし、見せて悪いわけもねえだろ。もちろん、盗賊が神を信仰してて悪いわけもない。盗みを良しとする神はいねえはずだけど。でも、幸運を司る神とか、技と匠を司る神とかは、盗賊連中に好まれてるらしい…ってのは、ギルドで耳にしたことがある。まぁ、盗みをしない、いわゆる穴熊専門ってなら、より納得もいくしな。っていうか、俺はもともと神を信じるってことそのものがよくわかんねえけど。 「……え? ……あ、いや。そうじゃなくて……いや、そうなんだけど…」 わけわかんねえことを呟きつつ、カレンが視線を逸らした。どうにも言いにくい、てな感じで。………なんで? そうだとか、そうでもないとか…それだけで済む返事じゃん。 …俺、難しいこと聞いた? ずしん、と音が響いた。オーガーの体が地に崩れる音だ。……終わった、か。とりあえず、無事に済んで何よりだな。 そう思って、安堵の息をつきかけた時、俺の耳に声が届いた。隣からだ。見ると、魔術師のシュウが肩のあたりを抑えてうずくまっている。そうか、さっきの攻撃…避けそこねたな。魔術師とは言え、剣も使えると言ってたから油断してたが…魔術を使うためには、どうしても薄い鎧しか着られなくなる。傷を抑えた指の隙間から滴る血。 「…見せてみろ」 出血が多いな。癒したほうが……。 服の上から聖印を握りしめる。祈りは…通じるだろうか? チャ・ザに俺の声は届くだろうか? 迷いは残っていたが、口は無意識に神聖語を呟きかけていた。 「 慈悲深きチャ・ザよ…… 」 そう呼びかけた瞬間、不安になった。自分と神とのつながりそのものに、唐突に不安を抱いてしまった。……そして、言葉は続かなかった。 詠唱そのものが途切れてしまっては、奇跡を願う呪文は成立しない。 「………ロイを呼んだほうがいいな」 シュウが今の神聖語を聞き取っていないことを願いつつ、俺は神官戦士の姿を探した。ふと巡らせた視界に入ったのは、ラスだ。どうやら様子を見ていたらしい。何かを問いたげな視線は無視して、少し離れた場所にいたロイを呼ぶ。 ロイがシュウを治療しているのを見守りつつ、俺は考えていた。……今の、見られたかな? シュウも気づいたかもしれない。…そして、ラスも。今のところ、とくに気にした様子は見られないけど。知られたら…また、がっかりさせるんだろうか。 今回の仕事で初めて組んで…っていうか、出会ったのすら、出発する前日だ。けど…これから先、こいつらと組んでもよさそうな感じはする。人柄だとかそういうものはまだわからないけど、技術的には何の文句もない。ただ…まあ、まだ未熟なところはあるが、ラスも鍵開けなんかは出来るんだよな。わざわざ一緒にいる必要はない…かな? 俺は神官としては役に立たないし…もとより、ロイは神官戦士だ。 そして、今、俺が何をやりかけたのか…どうして途中でやめたのか。それがわかれば、こいつらのほうから、いらないと言うかもしれないな。 「あ〜…疲れた」 隣で声。細剣を鞘に戻しつつ呟いたのはラスだった。まぁ、確かに疲れはしたな。それにこいつは魔法も結構使ってたし。今までに組んでた精霊使いより腕はいいよな。そして剣も使えるし。守らなくていいルーンマスターってんなら、後を任せるには最適だと思う。 「大丈夫か? …顔色あんまりよくないな」 魔法も使いすぎると、消耗する。もともとの色が白いから、顔色もわかりやすいよな、と思いつつ、ラスの肩に手をのせる。……が、振り払われた。 「……っ! 大丈夫だっ!」 「……? いや…ならいいんだけど」 だって、肩で息してて…顔が少し青くて…いや、魔法の使いすぎだろうとは思うけどさ。怪我は少し前にロイが癒してたはずだし。 …なんで? 俺、何かした? ◆ 互いの納得 ◆ …たしかに疲れた。魔法も使ったし、自慢じゃねえがもともと体力にはあまり自信がない。種族的なもの、と言ってしまえばそれだけのことだけど。…でも、だから嫌なんだ。技でカバーできるものなら、と。そう思って、技を身につけた。守られるだけの存在ってのが無性に嫌だったから。半妖精のルーンマスターだってのは事実だが、だからって守られたくなんかない。 だから…あんな風に気遣われるのもその延長みたいで嫌だった。だからつい、振り払った。解せない、という顔をしてたな。甘えられればいっそ楽なのかもしれない。けど、甘えたら…何かを捨てるような気がして……。 んなくだらねえことを、寝台の上で考えてたら、ノックの音と共にカレンが入ってきた。 「メシの用意出来たらしいけど……大丈夫か?」 ……っ…! またっ! なんとなくムカついて、寝台から跳ね起きる。眠ったわけじゃないから、魔法で消耗した気力は回復してない。多少はくらっときたが、倒れるほどでもない。 「…食うよ。酒もあるんだろ?」 ……視線が気になる。不思議そうな視線と気遣わしげな視線。……うざってぇ。 「なんだよ、何か文句でもあんのかよ」 とりあえず聞いてみる。 「いや……なんで怒るのかなと思っただけで…」 「あんたが余計なことぬかすからだろ」 「……余計なこと? ひょっとして………大丈夫か?って聞いたことか?」 相変わらず不思議そうな顔をする。とりあえず答えてみたものの、自信がないってな感じだ。さっきと今とで、共通する言葉を探してみただけなんだろう。ってことは、両方とも無意識に言ったってことだ。……余計にうざってぇ。 「……そうだよ。いちいち心配するようなことじゃねえだろ。………たしかに見た通り、体力自慢たぁ言えねえが、半妖精だからって馬鹿にすんじゃねえぞ」 「…………は?」 なんだよ、その呆けた顔はよ。無意識に半妖精ってことを意識してて守ろうとか思ってたんじゃねえのかよ。だから、同じように魔法使ってた魔術師のシュウって男には何も……。 「……………ああ、忘れてた」 ………はい? 忘れて…って…何を? 直前までムカついてイライラしていた俺の耳に、突然に飛び込んできた言葉。…忘れてた? その、『ああ、そういえば』ってな顔は何だ? 「何を忘れてたって?」 「いや…あんたが半妖精だってこと。そうだよな、言われてみればそうだったんだっけ。すっかり忘れてた。ただ、かなり盛大に魔法使ってたから、それで疲れてるんだと思って大丈夫か?って聞いてみただけなんだけど……」 「忘れて……って……本当に?」 「ああ、もうすっかり。いや、今まで半妖精と組んだことなんてなくってさ。ただ単純に、精霊使いで、剣も使えるってのは便利だなぁと思ってたんだけど」 「……便利?」 「だって、後を任せていいってことだろ? そういうことに、エルフだろうがハーフだろうが人間だろうが、関係ないと思うし」 無造作にそう言って、それがどうか?というような表情をその黒い瞳にのせて。 「……ああ………そっか…なるほど」 不意に全てを納得した。なるほどね。こいつは俺に『種族』を見てたわけじゃないってことか。しかし…すごいと言えばすごいよな。俺は普段、耳を隠してないわけだし。っていうか、今更耳を隠したところで、顔立ちや体つきを見れば、妖精の血が混ざってるのは一目瞭然だし、隠す自分も嫌だったから、あえて隠さなかったんだけど……。それを目の前にしてなおかつ『忘れてた』と言えるのは…すごいことかもしれない。 ふと、思った。腕のいい奴はいくらでもいる。気の合う奴もいるだろう。…でも、腕が良くて気が合いそうで、更に、俺の上に『種族』を見ないってのは…貴重なんじゃないか? 「わかった、サンキュ。……大丈夫だから。メシ行こうぜ」 ……なんだ? 途端に機嫌がよくなったらしい。……わからない。俺が何か言ったか? っていうか、怒った理由も未だにわかってないんだけど。え〜っと…説明とか…してくれないのか? 階段を下りていくラスの金色の頭を見ながら、俺は肩をすくめるしかなかった。 ふと思い出したように、ラスが振り返る。 「なんだっけ。チャ・ザってのは…幸運だけじゃなくって、出会いとか交流とかを良しとする神様だっけ? ……悪くねえよな」 そう言って微笑む。そうだ、確かにチャ・ザの教義はその通りだ。脳裏には、神殿で聞いた幾つもの説教が浮かぶ。それと同時に、彼らが俺を見ていた視線まで。 「ああ……そうだな。悪くないよな」 「……あ? 俺、何か悪いこと言った?」 「……いや。別に? どうしてそう思う?」 「なんか…困った顔してっから」 ……表情に出ていたのか。別に悪いことなど言っていない。彼は当然のことを口にしたまでだ。そして、神官であるなら、こういった形で理解の一端を示してもらうのはとても嬉しいことなのだろう。確かに、嬉しくは思う。ただそれよりも、昔のことを思い出してしまったのが、表面に出てしまっただけだ。 ……奇跡を行使できない神官に、存在意義があるのだろうか。いや、実際に、神の声を聞いていない神官たちは存在する。彼らを責める気持ちなどない。だが、俺は神の声を聞いたんだ。…そう、確かに聞いた。そして、周りの人間が俺に求めたのは…奇跡の行使。…いやになる。何よりも、迷っている自分が。 「おい? なに怒ってんの?」 降りかけていた階段を、再びラスが上ってくる。俺のすぐ目の前に立って、顔をのぞき込んできた。…思わず視線を逸らす。 「いや、なんでもないよ。…怒ってない」 「…ふ〜ん。…あ、そういやさ。あんたって神官? いや…さっき、シュウの怪我、治そうとしてなかったか? 前にチャ・ザの神官と組んでたことがあって、似たようなこと呟いてたような……いや、気のせいかもしんないけどさ」 他意はないだろう。本当にただ単純に疑問を口にしただけだ。そうわかっている。 「……神官…なんかじゃない」 押し殺そうとして叶わず、声が漏れる。 そうだ、神に仕えていても、神からの声を聞いたとしても。声を聞いておきながら、奇跡を行使できない人間が神官を名乗るのは…。 「え?」 「神官なんかじゃないさ。奇跡が使えない神官なんか…神官とは呼べないだろ?」 自分の顔が皮肉げに歪むのがわかる。こんなこと…口にするべきことじゃない。それでも自分は神官だと思っているのに。ただ、以前のパーティ連中の顔が瞼に浮かぶ。俺の祈りが神に通じないことで、ひどくがっかりしていた彼らの顔が。ならば…最初からそんな期待なんか持たせないほうがいいじゃないか。怒らせることよりも…仲間に失望されることのほうがつらい。 「……………そうなの?」 ……え? そうなの?って…そうだろ? 普通は、そう考えるだろう? 「ん〜〜…なんて言うか…いや、俺はこっちじゃなくて、エルフ達んとこで育ったからさ、神様とか実はよくわかんねえんだけど。でも、奇跡とやらを使うだけが神官なのか? ま、精霊を使うのが精霊使いで、奇跡を使うのが神官だって言われりゃ、それもそうかもしれねえけど? あ、でもそれにしちゃあ、『奇跡使い』とは言わねえよな」 さらりと言ってのけて、あげくに自分の言葉で笑っている。 でも…神官である以上は、奇跡が期待されてるわけで……。 「癒してもらえるってのは…そりゃあ、こっちにしてみればありがたいことかもしんねえけど。そりゃこっちの都合だしさ。いろんな神官がいるもんじゃねえの?」 軽く肩をすくめて、微笑すら浮かべている。慰めとか言い訳とかじゃなくて、本当にそう思ったから言ってるだけだ、と。 そう理解した瞬間、俺の口元にも微笑が浮かんだ。 「そっか……いいのか」 奇跡…使えないわけじゃない。ただ、よほど運が良くないと俺の祈りは効果を表さない。そして、奇跡を使ったあとは、必ず意識を失う。…だから、俺は奇跡を使わないほうがいいのかと…そう思っていた。それと一緒に、自分が神官であることも否定しかけていたのかもしれない。 けど…目の前のこいつは、それでもいいと言う。なんとなく、どこかが楽になったような気がした。いてもいい、と。その言葉で。 ◆ 始まり ◆ 彼らは、村から街へと旅立った。村からの報酬を懐に。ふと、金髪の半妖精が、隣を歩く黒髪の男に話しかけた。 「なぁ? 一晩考えてみたんだけどさ。……これからも一緒に組まねえか?」 それを聞いた黒髪の男が微笑を漏らす。 「俺も同じこと言おうと思ってたよ」 『決まりだな』 2人の声が重なった。同時に笑い声が漏れ始める。 街までは1日の距離だ。だが、それでも、彼らの旅は始まったばかりなのかもしれない。 |
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