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<こんな背景があることも時には重要> 1人の貴族がいた。貴族としての位そのものは、さほど高くはない。ただし、彼には資産とそしてその管理能力があった。 貴族の名はジーク・エルシノア。いくつかの荘園を持ち、そこからの利益を元に、オランにいくつかの商会も持っている。世の中、使い切れぬ財産というものは存在しないが、それに類するものは存在する。生み出され続ける利益という名の下に。エルシノア卿は、下級貴族ではあったが、資産家の名に恥じぬ財力を持っていた。【大富豪=愛を知らない吝嗇家】という図式がある。もちろんそのような、金があるだけの孤独な爺さんも少なくはないだろう。が、エルシノア卿はひと味違う。何故なら彼には愛があった。たった1人の孫息子・フェリスに注ぐ愛が。 数年前まで、彼には愛する人間はもっとたくさんいた。妻は10年ほど前に亡くしてはいるが、その寂しさを紛らわせてくれるだけの家族がいたのだ。末は跡継ぎに、と慈しんで育ててきた一人息子・ディアス。そしてその妻リア。息子夫婦には、可愛らしい子供もいた。彼にとっては孫にあたる。美しく気だてのよかった嫁に似て、愛らしかった孫娘コーニ。そして、その弟のフェリス。 だが、3年前。その幸せは崩れ去った。馬車事故という形を借りたその悪魔は、エルシノア卿から愛する家族を奪い去った。そして、その中にただ1人残されたのが、フェリスである。当年とって4才。利発そうな黒髪と蒼い瞳を持った子供だが、所詮は4才。まだまだ知らないことが多すぎるお年頃である。 <そしてお約束な出来事は往々にして起こるもの> 「旦那様っ! しっかりなさって下さいっ!!」 執事のマーセラスの声が、屋敷に響き渡る。医者が呼ばれ、子供は向こうの部屋に…と、フェリスは遠ざけられる。 数刻後、診察を終えた医者が、別室で執事に告げた。 「あまり…よくはありませんな。もともと、胸のあたりも……。なにぶん、お歳ですから。……こう申し上げては何ですが……お身内の方がいるなら、今のうちに…。今ならまだ意識もはっきりしておられますし…。はっきり申し上げますと…もってひと月かと」 身内、と聞いて、思い当たる名前はそう多くはない。同じくオラン市内に居を構えている2人の顔が、マーセラスの脳裏に浮かんだ。 翌日。マーセラスが執事の勤めとして、銀器を磨いていた時。メイドが来客を告げた。 「ボロー神官様がいらっしゃいましたが……どういたしましょうか?」 オラン郊外に建つこの屋敷は、エルシノア卿の所有する荘園の南端に位置している。そして、荘園で働く人々が暮らす小さな村が、近隣にあった。エルシノア卿が信仰するチャ・ザの神殿も小さいながらそこにある。ニアス・ボローはその神殿に勤める神官である。 「ああ…ボロー様ですか。……ええ、お通ししてください」 招きに応じて姿を現したニアスに、マーセラスが事情を説明する。50の声を聞いたマーセラスよりも、やや年若いニアスは、金の髪と青い瞳をもった柔らかな印象の男だった。真面目で人当たりもよく、時折、歳に似合わぬ茶目っ気を見せる彼は、この屋敷の主人に気に入られていた。時折訪れては、チェスを楽しんだりする仲である。 事情を聞いたニアスは、沈痛な面もちで呟いた。 「お年と共に、緩やかに得られた病には、私どもの奇跡も効果を表さぬと聞いたことがございます。……残念なことではありますが……」 「いえ。……是非、旦那様をお力づけて差し上げてください。後ほどお茶をお持ちいたしますので」 <やっぱり、資産家と言えば遺言状というのは相場> 「おお、ニアスか。よく来てくれた」 「お加減は、いかがでございますか? 先週の雪辱戦に参りましたのに……これでは、チェスが出来ないではありませんか」 やんわりと微笑むニアスに、苦笑で返して、エルシノア卿が寝台の中から手招きをする。 「チェスは…そうだな。また今度にでもな。……ちょうどよいところに来てくれた。マーセラスに言って、呼びにやろうかと思っていたところだ」 「さて。私に何か御用でもございますでしょうか?」 神の奇跡が、自らの病には功を奏さないであろうことは、エルシノア卿も承知しているはず。ならば何を…と、ニアスは内心でこっそり首を傾げた。 「うむ…。遺言状を作りたい。フェリスに……あの可愛い子に、出来ることは金を残してやることだけだ。だが、あやつはまだ幼い。ならば…それなりの手段を、と」 「………ご立派で…ございます」 ニアスは、静かに頭を垂れた。自らが余命幾ばくもない今、近づきつつある死に怯え戸惑うよりも、それを受け容れ、残される幼い者の行く末を考え得るなど。 尊敬の念を持って、ニアスはその仕事を請け負った。 「かしこまりました。…不肖、ニアス・ボロー。そのお役目、しっかりと勤めさせていただきます」 「ありがとう。…さて、マーセラスを呼ぶとしようか」 エルシノア卿が枕元のベルを鳴らした。 さて。ベルが鳴ったことには気づいていたが、執事・マーセラスは忙しかった。と言うのも、まるで示し合わせたかのように、ほぼ同時に2組の来客があったからだ。マーセラスのもたらした知らせにより、取り急ぎ、見舞いにかけつけた親戚である。示し合わせたかのように…とは言ったが、それはないだろう。マーセラスはそう確信している。なぜならば、この親戚2人の仲の悪さときたら、水と油のほうがまだマシという有様なのだから。 親戚その1は、レアティーズ・エルシノアと言う。当年とって40才。働き盛りな、ちょっぴり小太りの男である。屋敷の当主であるエルシノア卿の、父の従兄の息子…という、近いんだか遠いんだかよくわからない親戚である。言ってしまえば「はとこ」だが。 親戚その2は、ガートルード・ウィッテンベルグ。30代半ばの赤毛美人である。エルシノア卿の、曾祖母の曾孫の娘という、これまた遠いんだか近いんだかわからない親戚である。エルシノア卿には及ばないが、そこそこ資産を持った男に嫁ぎ、現在は未亡人という、素敵な立場にいる。 仲の悪い、そんな2人がエルシノア卿の見舞いに、急いで駆けつけたのは、やはり……が目的なのだろうと、言葉を濁しつつ囁きあうメイド達。多分、それは嘘ではない。だからマーセラスも、その言葉を否定はしなかった。ただ、態度だけをたしなめるに留めた。 「さあ、お客様がいらしたのですから、おもてなししてください。旦那様のお部屋に参りますので、お茶をお願いしますよ」 そう言い残して、執事は2人の客を連れて、主人の寝室へと向かった。 「うむ、レアティーズに、ガートルード。来てくれたの」 エルシノア卿が、寝台の上から微笑んだ。その枕元にはチャ・ザ神官のニアスがひかえている。2人の来客にそっと、会釈をした。 「ええ、おじさまのお体が心配ですから。…こんなにお悪くなっているなんて……」 即座に神妙な顔を作って見せるガートルード。その隣で、内心はともかくレアティーズも同じような表情を作り上げていた。 「そうですよ、ジーク兄さん。無理はしないでください。まだまだフェリスも幼い。ジーク兄さんにはもっと長生きしてもらわなくては」 2人の真意を知ってか知らずか、エルシノア卿はかすかに微笑んだ。 「いや。もうわしも歳だよ。いつ、チャ・ザ様のもとに招かれても不思議はない。それは天命と言うものでもあろう。じたばたはせんよ。……ただ、フェリスのことだけが心配だがな」 『それでしたら、私が!』 ガートルードとレアティーズの声が重なる。言葉も重なる。多分、裏に隠された真意すら。 「ああ、ああ。わかっている。…そこで、だ。今、ここにいるニアスと話していたんだが、遺言状を作ろうと思う。公開されれば、公的なものとして、どこからも文句が出ないようにな」 かくして。人のいい神官と、真面目な執事立ち会いのもとで、資産家の割りにはまともな思考を持っている貴族が遺言をしたためはじめた。愛する孫のためにと。でも一応、2人の身内も忘れてはいなかったらしい。 だが、あくまで「一応」だった。 貴族が口述する遺言状の内容を、黙って聞いていた2人の親戚たちの内心は穏やかではなかった。 【遺言状:貴族、ジーク・エルシノアの死後、エルシノアの有する財産について以下の通りとする。 レアティーズ・エルシノアに全財産の10% ガートルード・ウィッテンベルグに全財産の10% フェリス・エルシノアに全財産の80% を、それぞれ譲り渡すものとする。ただし、フェリスが成人するまでの間、レアティーズとガートルードのどちらかが後見人となり、その資産を管理するものとする。 尚、フェリスが成人する前に死亡した場合は、その資産を全てチャザ神殿に寄贈するものとする】 「…では、この書状は、神殿で保管いたしましょう」 確認を終えた遺言状をニアスは、丁寧に畳んで懐へと入れた。それを見て、エルシノア卿がうなずく。 「うむ。……わしが死んだのち、公開及び実行と言うことになろう。…頼むぞ」 <いつの世も、女性のほうが大胆なのかもしれない> 体にさわっては…と、エルシノア卿の寝室を辞して、ガートルードは応接間でくつろいでいた。が、出された紅茶にも菓子にも手をつけず、ただ考えていた。 (あのじじい…もってひと月とか言う話だったわね。邪魔なのは、あのガキだわ。フェリスとかいうガキ。でも、殺すわけにはいかないし……うまいこと、後見人になれればいいのだけれど……。ああ、あのガキがもっと大人だったら、あたしの色気でたぶらかすのに……。4つやそこらのガキになんか……ん? …そうねぇ。どうせあのガキはまだ何もわかっちゃいないんだわ。なら……早い者勝ちってとこかしら? レアがどう動くかわからないけど…あの馬鹿な男が行動を起こす前に……) ガートルードは、ソファから立ち上がった。幸い、レアティーズは、小用で席を外している。どうせ、行きと帰りに、見目よいメイドに声をかけているのだろう。しばらくは戻ってこないはずだ。 そして、ガートルードは、フェリスの部屋へと向かった。 さて。いくら金をそこそこ持っているとはいえ、脂ぎった40がらみの男に色好い返事を返すメイドがいるわけもなく。収穫もなく応接間に戻ってきたレアティーズが目にしたものは、からっぽのソファと冷めた紅茶のカップだった。 (…さて。あの女狐はどこに行ったかな? まあ、すでに帰ったというならありがたい。こちらとしても、和やかに話し合いたい相手ではないしな) そんな風にのんびりと考えていた。……が、何やら胸騒ぎもする。ので、そばにひかえていたメイドにガートルードの動向を尋ねてみる。 そして、答えを聞いて、レアティーズはその場に立ちつくした。 (あの……あの女っ! しまった、出遅れたっ!!) <さて、冒険者の出番と相成ります:依頼その1> 首尾よく、フェリスを連れてガートルードは自分の屋敷へと戻ってきた。この屋敷も、自分を飾る宝石も、全ては亡き夫が残した財産である。 (あの人も、まぁ色々と気にくわないところはあったけれど、とっとと死んでくれたところだけは素敵だわ) ガートルードは、実を言えば、ジークの息子であるディアスを狙っていたのである。自分は、エルシノア卿の遠い親戚とは言え、実家はさほど裕福ではなかった。はっきり言えば貧しかった。が、それを知ったエルシノア卿が助けてくれたのである。生活の援助を受けながら、ガートルードは貴族の生活に憧れた。そして、それを手に入れたいと思った。そうして狙ったのは、在りし日のディアスである。…が、ディアスはたぐいまれな美貌を持った若きガートルードよりも、ごく普通に美しく、そして優しいリアを選んだ。 かくして、夢に破れたガートルードは、エルシノア卿の紹介により、ウィッテンベルグという商人と結婚した。だが、その夫もこの世を去った今、降って湧いたようなこの後見人話。逃すわけにはいかない。 (ただ…邪魔なのは、レアティーズね) あの、目立ちたがりのくだらない男。と、ガートルードはその形のよい爪を噛んだ。 …フェリスをこっちに連れてきたはいいけれど…もしかしたら、何か仕掛けてくるかもしれない。フェリスがまだこっちの手元にある間に、さっさとあのじじいが死んでくれると助かるんだけど…。 知らない屋敷にいきなり連れてこられて、戸惑っているフェリスに、取り繕った声を掛ける。 「フェリス? おばさまがそばにいるから、何の心配もないのよ? そうだ、お部屋に案内してあげるわ。おもちゃもあるし……そうね、珍しいお菓子もあるのよ?」 それを聞いて、フェリスはようやく安心したように微笑んだ。さすがに、4才。自分を取り巻く陰謀については、かけらもわかっちゃいない。 (さて……どうしようかしらね。ああ…冒険者とかいう人間がいるらしいわね。金次第で何でも請け負ってくれると聞いたわ。…彼らを雇って、身辺を警護させなくては。あの目立ちたがりのレアがいつ何を仕掛けてくるのかわからないのだから) とりあえず、冒険者を雇うことにしようと、彼女は決めた。本来ならば、近づきたくもない人種だが、こう言うときには使える駒になる。 (ただし、つまらない恨みは買わないように気をつけなくちゃね) フェリスを部屋へと送り届けた後、ガートルードはメイドを1人呼んだ。冒険者を雇って来いと告げるために。 <そうなりゃこっちも黙ってはいられない:依頼その2> 同じ頃。レアティーズも自分の屋敷へと帰り着いた。いかにも、憤懣やるかたないといった様子の主人に、使用人達は恐れて近づきもしない。 居間のソファにどっかりと腰をおろして、レアティーズは考え始めた。 40才という、働き盛りのその男は、実は困っていたのである。何に、というのは、この場合明確である。ずばり、金にである。 会う人間には、景気のいいことを口走りはするが、実は経営している商会はうまく行っていない。エルシノア卿の親戚、という名目で、卿の息がかかった貿易商会をまかされてはいるのだが、レアティーズは才覚に少しばかり不自由する人間だったから。 (名前とコネだけは使えると思っていた、あの爺さんがくたばるとなりゃ…話は別だ。それにしても、あの女狐が。……だんなの残した遺産があるとはいえ、あいつの金遣いの荒さといったら…自分だって金が欲しいんだろう。10%くらいじゃ足りやしないと、思ってるはずだ。……だから、あのガキを連れていきやがったな) 自分の金遣いの荒さは棚の上に放り投げてレアティーズは舌打ちをした。もともと、ガートルードのことは気に入らなかった。ただ、だんなの金を食いつぶしてるだけのくせに、自分のことを見下している、と。 (……見てろ。あのガキ、取り戻してやる。後見人になるのは、この俺だ) どんな手を使ってでも、ガキは取り戻す。とレアティーズは決意した。多少、金を使ったところで、遺産が手に入るなら安いもの。どうせ、フェリスはまだ幼い。後見人に収まったあとで、いくらかの金をこっちに流しても気づきはしないだろう、と。 (ならば…そうか。冒険者だな) 商会経営という立場上、レアティーズは何度か冒険者を使ったことがある。 (どうせ、やつらは金で何でもする人間たちだ。あんなクズみたいな奴らでも、今回のようなことには役にたつと言うもの) ほくそ笑んで、レアティーズは立ち上がった。そして、手を打ち鳴らして、使用人を呼びつける。冒険者を雇って来いと告げるために。 |
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