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No. 00020
DATE: 2001/01/31 00:41:41
NAME: マリーカ
SUBJECT: 緋色の夜
「ただいま〜」
私は玄関のドアを開けて家に入ると、いつもとは違う異様な雰囲気を感じた。
いつもならば私が帰るまでは点いている角燈の火が消されていたので、そう感じただけなのかも知れない。
(お父さんったら、きっと消しちゃったのね。まったく、暗くてよくわからないじゃないの…)
私は手探りで、いつも角燈が掛けられている柱へと近づき、角燈にそっと触れた。
(冷たい…)
「お父さん?いないの?」
(ヘンねぇ。いつもならこの時間には寝てるのに…どこか行ってるのかしら?)
私は角燈から手を離し、少しずつ闇に慣れてきた目を頼りに寝室へと廊下を移動する。
すると、闇のどこかで何かが動いた。
(…何だろう?)
心が震えたのは、ほんの束の間だった。
首だけを動かして周りを見渡してみる。不審なものは何もない。
私が寝室へ入ると、また、何かが動く音がした。
(ネズミかしら?)
今度は寝室の中を見回してみる。私のベッドがすぐ手前にあり、お父さんのベッドが右手奥に見える。どちらも毛布があげられているので、まだ誰も使っていないことを物語っている。
(お父さんったらどこへ行ったのかしら…?ま、いいかぁ。先に寝ちゃお)
私は服を脱ぎ、きちんと畳んで左手の奥にある机の上に置く。
きい。不意に床の軋む音がした。さっきよりも鮮明に。
ぎくっと足が止まる。
きい。
(床板が軋む音……どこ?)
「…お父さん?」
きい。
返事は無い。私は恐怖へ傾き始める精神を押さえつつ、私のベッドへとゆっくりと歩き始めた。
(何をおびえているの…気のせいよ、きっと)
きい。
張りつめた精神が、何者かの気配をとらえた。
何を考える暇もなく、ぱっと振り返る。…何もいない。
(ほら、気のせいじゃない。もう、早く寝ましょ。明日は昼番だから早いんだし…)
身を元に戻した。と、その途端、部屋の入り口に佇む、そのものの影を視界に捉えた。漆黒のフード付きローブを着た、人間の影と犬のような動物の影。
声を上げる間もなく、フードの下の目が暗く光った。狂気に憑かれた者に特有の、大胆な、それでいて神経質な、異様に鋭い目。
そこに宿った殺意の色をそれとして直感した瞬間、私の胸を鋭利な衝撃が襲った。
痛みは遅れてやってきた。胸を押さえた手が生暖かい体液に濡れる。何か鋭い刃物で刺されたのだ。
(どうして…?)
今起こったことが信じられず、呆然とする私の目に殺人者の顔が映った。
(あ…ああ……)
「どうし…て?」
がくっと膝が折れた。
「…あう……あ……あ……」
悲鳴を出そうと開いた口が、血に濡れた刃物の次の一閃によって、虚ろな空洞と化した。刃物は容赦もなしに、私の喉を切り裂いた。血しぶきがぴゅうと闇に舞う。
横様に倒れる私を、木製の古いベッドが受け止める。喉と胸から流れ出す鮮血を浴びて毛布がじっとりと赤く染まっていく。棒のように投げ出された私の足が、細かく痙攣を繰り返した。
犬のような動物の影が私の体を囓り、引きちぎる。ぴちゃぴちゃと音を立てて床にこぼれた血を啜る。
その様子を眺めていた殺人者の唇から、怪しい含み笑いが「……ふふふ……うふふふふふ……」と漏れ始めてる。
どこかしら調子の狂ったその声は、深い闇に包まれた私の部屋の中に長く尾を引いた。
翌日、馬屋の主人が来たときには家の中はあちこちが物色されたのか荒らされており、玄関のドアが開かれたままになっていた。そこには父の姿はない。そして、寝室で私の遺体を発見するに至る。
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