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No. 00021
DATE: 2001/02/03 03:10:46
NAME: シリル
SUBJECT: 操られた仲間
港にある小さな小屋の屋根の上から、シリルは船を眺めていた。
今日ロマールからの商船が着いたのだ。
港はいつもよりにぎわっている。
シリルは胸の高鳴りを覚えながら、あたりをぐるりと見回した。
左手の倉庫ではカディオスが荷物運びをしている。
シリルが丸ごと入りそうな大きな箱を抱えて、倉庫と船を行ったり来たりしている。
「たーいへんだなあ。昼間っからお仕事かあ」
そういえば「元気になる歌を歌ってやる」と口約束をしたような気がするが、
あの様子では歌っても効果がないだろう。
あの歌はリラックスした状態で聞かなければ意味がないのだ。
倉庫から目を離し、今度は右手側の人ごみに目を向ける。
人はさらに増えているようだ。
久しぶりに見るロマールのファッションが所々に目に映る。
やはり大陸の西と東では、流行もぜんぜん違うようだ。
ふと、見知った顔を見つけて、シリルは目を丸くした。
金色の髪にとがった耳。若草色のあのローブは……
「ラス兄ちゃん?」
思わずその姿を目で追いかけた。
ラスは辺りをきょろきょろとしながら人ごみに紛れ込んでゆく。
「なんだろう?何かあるのかな」
ほんの3日前彼は「人ごみは苦手だ」と言っていた。人の持つ精神の精霊に否応なく触れてしまうのだと。
最近はどうも精霊に敏感になっているとも。
その彼が自ら人ごみの中に入っていくとは、よっぽどの事情があるに違いない。
シリルは2、3度まばたきをすると、にやっと唇を吊り上げた。
「付いてっちゃおーっと」
そして音も立てずに屋根から滑り降りると、ラスの消えた方向へ駆け出していった。
「あっれー?おっかしいなあ。確かにさっきまでこの辺にいたんだけどなあ」
人ごみに埋もれながらシリルはきょろきょろと辺りを見回した。
ついさっきまでいたはずのラスの姿が見えないのだ。
見間違いだったのだろうかという思いが頭をよぎり、そして直後にそれを否定する。
目の良さと記憶力には自信がある。
見間違えるはずはないのだ。
もちろん、誰かがラスに変装していたり、魔法で化けていたりしなければ、の話だが。
「ラス兄ちゃんや〜い」
小声で呼んでみる。もちろん返事はない。
完全に見失ってしまったようだ。
人の流れに押されながら、シリルはきつねにつままれたような気持ちで、何度もあたりを見回した。
その日の晩は、きままに亭にラスはやってこなかった。
昼間のことがなんとなく気になっていたのだが、連絡先も泊まっている宿も知らないのだから、
ただここで待つしかない。
「ね、今日さあ、港でラス兄ちゃん見かけなかった?」
隣で優雅に酒を飲んでいる顔見知りの吟遊詩人に問い掛ける。
自称謎の吟遊詩人はいかにも謎にじゃらんと楽器を弾き鳴らし
「さあ、耳のとがったのを見たような気もするし…何しろあの人ごみだったからねえ」
と曖昧な返事を返した。
やっぱりいなかったのだろうか。
ただの他人の空似だったのだろうか。
自分の記憶さえ疑わしくなって、酒場を出た。大寒のこの時期、息は白い。風は突き刺すように冷たかった。
ねぐらへ戻ろうとして、シリルは足を止めた。
目の前の路地に、見知った若草色のローブが消えていったのだ。
この寒いのにコートも着ていない。
慌てて追いかける。路地までは50メートルもない。
「ラス兄───……」
でかかった言葉を、シリルは飲み込んだ。
ラスは少し先の広場の真中にしゃがみこみ、何かぶつぶつとつぶやいている。
なんと言っているのかはわからない。
しばらくすると、ラスは立ち上がり、またどこかへ立ち去っていった。
ラスの姿が完全に見えなくなるのを待って、そっとさっきラスのいた場所へ近寄る。
石畳の上に、黒い色で小さく何かが描かれていた。
見たことの無い模様だ。
シリルはその模様をさっと羊皮紙に書き写すと、ポケットにしまった。
「ねえ、これなんだかわかる?」
翌日。盗賊ギルドで昨日の模様を見せてみる。
「さあ、見たことねえなあ」
やせぎすのきつねのような顔をした男は首をひねった。
「こんなもん、どっから持ってきたんだ?」
「きままに亭の近くの広場に描いてあたったんだよ。港にも、中心街の広場にも描いてあったよ」
「広場に堂々とねぇ。どっかの暗黒神官がまたよからぬことでもたくらんでんじゃねえか?」
きつねは自分の意見に納得してうんうんと頷く。
「納得してないで、ちょこっと調べてくれよ。お金はあんまり出せないけどさぁ」
「わかったわかった。調べておくよ」
「ここのギルドの力をもってすればそれくらい簡単だろ?宜しく頼むよ」
羊皮紙をきつねに預け、扉のところでシリルは一度振り返った。
「なぁ、ラスって人、知ってる?同業者なんだけどさ」
きつねは糸のような目を少し大きくして、こちらを向いた。
「ああ、知ってるぜ。ハーフエルフの優男だろ?やつがどうかしたか?」
「いや……」
思わず言葉を濁した。ここでギルドの調査を頼んでしまうのは簡単だ。
しかしいたずらにラスの悪評を流すようなことはしたくなかった。
「しばらく会ってないからさ、どうしてるかなって」
「あいつか…そういや見てねえな。3日くらい前に古代王国の扉亭で見かけたけど、随分顔色が悪かったな。風邪でもひいたんじゃねえの?」
きつねはざまーみろとでもいいたげにけらけらと笑った。色男に恨みでもあるのだろうか。
「風邪ねぇ」
シリルは曖昧な返事をして、ギルドを出た。
それ以降、何の手がかりも得られないまま、丸1日が過ぎた。
例の模様はどうやら暗黒魔法関係ではないということがわかっただけだった。
ギルドは引き続き調査をしてくれるらしい。好意はありがたく受け取ることにした。
シリルはいつものようにきままに亭にやってきた。
新顔の女盗賊カーナと、はじめてみるごつい店員と、いつもどおりに話し込む。
「どうも…」
ボソッとした一言とともにレイシャルムが入ってきた。
そしてその背に隠れるようにもう1つ声が飛び込んできた。
「ちーっす」
「ラス兄ちゃん!」
ラス本人だった。彼はシリルの顔を見つけると「よぉ」と片手を上げた。
そして2人はシリルとカーナのように、カウンターの席についた。
ラスは口ぶりこそ変わらないものの、顔色はあまりよくなかった。白い肌がさらに白くなっている。
「ラス兄ちゃん、一昨日港にいた?」
とりあえず尋ねてみる。ラスは頭をかきながら首をかしげた。
「一昨日?……港なんて行ってねえぞ?風邪ひいちまって、ここんとこずっと宿で寝てたからな」
シリルはぽりぽりと頬を掻いた。
「風邪?もっと悪質な病気じゃないの?」
冗談めかしてまぜっかえす。
そして話題はまた別の方向へと移ろいでいった。
(そりゃ、あんな時間にあんなカッコでうろついてたら治る風邪も治んないよ)
シリルはこっそりため息をつく。
しかしラスが嘘をついている様子は見受けられなかった。
とすると、ここ数日にシリルが目撃した彼は何者だったのだろう。
特定の人に化ける魔物がいただろうか?
特定の人に幻覚を見つづけさせるような魔物がいただろうか?
それともラスが完璧に嘘をつきとおしているのだろうか?
それとも……?
考えられるパターンはいくつもあった。
そのどれもが当たっているようで、そして外れているようだった。
夜がふける。
銀色の三日月は涼しい顔をしてただ静かにオランの街を照らしていた。
「そろそろ戻るよ。おとなしく寝てねえと、いつまで経っても風邪が治りゃしねえ」
苦笑しながら、ラスが帰っていった。
「じゃ、俺もそろそろ帰るよ。おやすみ、レイ兄さん」
できるだけ自然を装ってシリルも席を立つ。
もちろん、ラスを尾行するために。
歩き去って行くラスを見失わないように、そっと追いかける。
全神経を張り詰めて気配を断つ。
盗賊としての技量はどう考えてもラスの方が上だ。ほんの少しの「うっかり」も許されない。
(何でこんなことしてるんだろう。俺)
思わず苦笑いがこぼれた。
なぜこんなに神経をすり減らして知人を追いまわしているのか。
普通に出て行って直接聞けばいいじゃないかという考えすら起こってくる。
しかし、もし自分の予想どおりだとしたら、直談判はかなりまずい。なぜなら……
(あれ?)
シリルは妙なことに気付いた。ラスは古代王国の扉亭とは全く別の方向へ歩いているのだ。
やがてラスは路地裏の資材置き場のようなところで足を止めた。
ラスはその場にしゃがみこみ、例の模様を描き始める。
ナイフで石畳に溝を彫り、墨のような物を流し込む。
模様を掻き終わると、その上に左手を当て、呪文らしきものを詠唱し始める。
その様子を、シリルは食い入るように見つめていた。
そしてその好奇心は、最大のミスとなって、自身に返ってくることになる。
かたん。
それは小さな音だった。
しかし、ラスの耳に届くには充分すぎた。
ラスが振り返る。隠れる暇はない。
「ラ、ラス兄ちゃん、あの……」
「ふん」
何か言いかけたシリルを無視して、ラスは模様に向き直った。
「そこで見ているがいい、草原妖精。この街はもうすぐ滅びる」
「ほ、滅びる!?」
あまりに突拍子もない言葉に、思わず声が上ずる。
「今宵、法陣は完成した。あとは大地の王を呼び覚ますのみ」
「ラス兄ちゃん!」
シリルが叫ぶ。ラスは少し振り返った。
「ラス……この肉体の持ち主だったな。なかなか素晴らしい才能を持っておる」
「やっぱり…あんたは」
「ほう、気付いていたか」
「よく取り憑けたね。ラス兄ちゃん強そうなのに」
「いかな戦士であろうと体調には勝てんさ」
なるほど──シリルは理解した。ラスは体調を崩していたのだ。そこへこの亡霊に漬け込まれたというわけだ。
「何でこんなことするんだよ!あんたはいったい……」
「エルフだ。人間に殺された」
ラスが…ラスの体に取り憑いているスペクターがふっと唇を吊り上げる。
氷のように冷たいまなざしが、シリルを捕らえた。
「だから人間に復讐しようってのか!関係ない人たちまで巻き込んで!
この街には人間以外の人たちだって……あんたの同族だっているんだぞ!!」
「ふん、人間に組する者など、一緒に滅びるがいい」
シリルは言葉を失った。狂っている。憎しみが強すぎて、狂ってしまっているのだ。
シリルが黙ったのを見ると、スペクターはまた詠唱をはじめた。
張り詰めた夜の空気の中に、低い詠唱が流れていく。
それをさえぎったのはシリルだった。
「無駄だよ」
冷め切った声でシリルは続けた。
「あんたの描いたその模様は、俺が全部消しといた」
スペクターが目をむいた。
シリルはつばを飲み込んだ。もちろんハッタリだ。
しかし、狂ったスペクターには充分に効果があったようだ。
「なんてことをしてくれた!貴様!」
憎悪に燃える目でシリルをにらみつける。
シリルはスペクターに背を向けて駆け出した。その背中をスペクターの放ったシェイドが襲う。
「!」
気だるさとめまいが襲ってくる。足元がふらつく。
気力を振り絞って、闇を振り払う。
「待て、この餓鬼めが!殺してやる!」
スペクターが追いかけてくる。
シリルは全力で夜の街を駆け抜けた。
(どうしよう……どうすれば……)
スペクターを倒すには精神に影響のある魔法か、神聖魔法でないとならない。
だがグラスランナーである自分にはルーンマスターの技能は何も無い。
レクイエムという呪歌なら知っているが、あれでは奇跡でも起こらない限り、足止めにしかならないだろう。
しかも歌っている間完全に無防備になることを考えると、あまり使いたい手ではなかった。
誰かに助けを求めるか?しかし誰に?
こんな時間ではほとんどの冒険者は眠ってしまっているだろう。
それに、ベヒモスを召喚しようという精霊使いだ。下手に人の多いところへ行けば、
大惨事に発展しかねない。
「あっ!」
足元に注意を払い忘れていた。
シリルは盛大に地面に倒れこんだ。
体勢を立て直す暇もなく、スペクターが追いついてくる。
「うぐっ」
その細い首を、スペクターの左手が捉える。右手はナイフを逆手に握り、高く振り上げた。
──いやだぁっ
シリルは叫んだ。首を締められているせいで声は出せなかったが、それでも叫びつづけた。
怖かった。
旅に出ると決めたときに、命は惜しくないと言い切った。
冒険に出るときにいつ命を落としてもおかしくないと納得したつもりだった。
しかしいざ死に直面して、ただそこに恐怖だけがあった。
ナイフの切っ先が、月明かりにきらりと光った。
──殺される!
思わず目をつぶった。
……しかし、そのナイフが振り下ろされることはなかった。
シリルは恐る恐る目を開けた。
「ぐっ……が…ぁ……っ!」
突然スペクターが苦しみだした。その手からナイフが滑り落ち、石畳に乾いた音を鳴らした。
「ぐあぁぁあっ……!貴様……何を……」
スペクターがシリルをにらみつけた。ナイフを拾おうとするが、上手くいかない。
ああ、とシリルは息を呑んだ。
ようやく理解できた。
ラスは最近精霊に敏感になっていると言っていた。
最大の恐怖を感じたシリルの心に、ラス本人が感化してしまったのだ。
恐怖の精霊はラスの心で増幅し、パニックを引き起こし、暴走した結果……
たまたまそこにいたスペクターをズタズタにしてしまったのだ。
やがてスペクターは断末魔の声を上げ、開放されたラスは静かにその場に崩れ落ちた。
「ラス兄ちゃん!」
シリルが駆け寄る。首筋に手を当てる。
脈はしっかりしているし、呼吸も安定している。心配は要らないだろう。
銀色の月が、静かに雲に隠れていった。
流石のオランも、早朝は静かに訪れる。
鶏の鳴く声が遠くに聞こえた。
「にしても…なんであんなとこで寝てたんだ?俺は」
不可解そうな顔をしてラスがトントンとテーブルをたたく。
隣で複雑な顔をしてシリルがジンジャーエールを飲み干した。
「知らないよぉ。俺は倒れてるお兄ちゃんを見つけて人を呼んできただけだもん」
そしていつもの屈託のない笑顔をラスに向けた。
「どうでもいいじゃん、そんなこと。長い人生奇妙なことのひとつやふたつあったってさあ」
「……けどなあ」
まだ納得がいかないという表情のラスの肩をぽんぽんとたたいて、シリルはきままに亭を出た。
今日は久しぶりにゆっくり眠れそうだった。
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