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No. 00026
DATE: 2001/02/16 05:50:03
NAME: マスター&レン
SUBJECT: 海上都市ダリートの終焉
※この話は新王国歴513年2月13日早朝、気ままに亭店内でのやり取りを参考にしています。
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顎に髭を薄く残した三十がらみの酒場の亭主――マックス・マクシミリアンというが――この店に来る客の誰もそんな名でこの男を呼んだことはなかった。
マスター。――それがこの男の通り名だった。オランに数ある冒険者の店のうち、街の南東に位置する、深夜最も繁盛するという「気ままに」亭。そこが彼の職場であり家庭であり、そして築き上げてきた居場所でもある。
いつものように酒場は盛況で喧騒に溢れていた。そこへ吟遊詩人レンが人を伴って入って来、カウンターの一席につく。なんら変わり映えのない日常のありふれた風景だった。店の客が入れ替わるにつれ、カウンターに残された客数は減っていく。レンとのやり取りも何時の間にか、偶然もらった楽器のことからマックスの収集する楽器へ、次第に古代魔術師の話題へと変化していた。
この店を常宿とする彼と明け方まで語り合い、マックスは意外な情報を耳にした。彼の父親の形見であるという竪琴、それはエルメスの初期の頃の作品であるというのである。
現存する古代王国の品で、魔法のかかっていない楽器は珍しい。魔法がかかって音色が素晴らしいのは当たり前のことだが、魔法がかかっていない普通の楽器でありながら、魔法付与の楽器と負けず劣らぬ音色を出す、エルメスはそんな魅力ある楽器を世に送り出した古代魔術師の一人だった。
数々のエルメスの逸話を知るらしいレンに、楽器の由来を聞きたいと伝えると、彼はしばし考える仕草を見せたのち、マックスの手元にあった竪琴に目を向け、伝承で伝えさせてくれないかと言った。彼の最後という言葉になにか引っ掛かるものを感じたが、余計な詮索をするまいと思い、無言で彼に返した。
レンもまたそれを黙って受け取り、おもむろに調律を始めた。久しく使われていなかったらしい竪琴は、七本のうち四本の弦が切れたままになったおり、三本しか残っていない。しかも中間音、重低音ばかりが三弦、とうてい弾きこなすなど不可能のように思える。すくなくとも自分では無理だ。ここに来る客の中ですら、そんな高度な技術を持った人物はいなかった。宮廷の名のある楽師であれば可能なのかもしれなかったが、一介の吟遊詩人ですら出来そうにもないことを、はたして彼はやってのけるのだろうか。
レンがこの不完全な竪琴でどう曲を演奏するつもりでいるのか、その応えにマックスは非常に興味が涌いていた。エルメスの竪琴の由来についてはもとより、彼の楽士としての才能と腕に期待をかけ、好奇心に駆られ胸を躍らせていた。
レンは息を吸いこむと、深く深く息を吐いた。それは彼が吟遊詩人としてではなく、なにか別の資格を試される者として吐いたようにも思える、ひどく緊張のこもった深呼吸だった。
深夜を明けてなお雑踏とした店内を響く澄んだ高音に、マックスを始めその場にいた聴衆は耳を疑った。先程のハーモニカと同じく、虚空に高く響く澄んだ和音。それは重低音ばかりの弦から弾き出されたものとは到底思えない、神秘的で、聴く者の心を捕らえる残唱の波だった。
魔法では、ありえない。エルメスの楽器には楽器自体に魔力が込められていないため、弦そのものの能力を超えた音域の音を発することは不可能である。
それなのに一体どうやって、とマックスは己の耳を疑った。疑いつつも、注意深くレンの奏でる竪琴に視線を走らせる。
たしかに弦は三本しかない。にもかかわらず、店内を彩り響き渡るいくつもの音帯は、弾き手を見守る者を疑わせんばかりの多様さ、あり得なさを伴って酒場を残唱で満たしてゆく。
竪琴を抱えるレンの腕と指先に目をやると、弦を奏でる仕草と様子がわずかに気に掛かった。いつもとどこかがちがう、そんな気がしてよく左手に目を凝らしてみると、通常レンが弾くときにはありえない位置に、左手の指が添えられていた。音に合わせ、弦を奏でる右手と左手でわずかに手つきと指先が異なり、それが多色な音域を引き出すことを可能にしていたのだ。目を見開くマックスは彼にこんな技術があったのか、と思い知らされる気分だった。
かすかに歌に期待を寄せていたが、レンは口を開く様子を見せず、竪琴に専念しているようだった。どうやら歌うつもりはないらしかった。
奏でられるどこかで聴いた覚えのある旋律に、これがカストゥールの滅亡を伝える伝承の一部であったことをマックスは思い出した。
レンの曲の導入部分から、その節で伝えられる古代都市とはこのオランにちかい”墜ちた都市”レックスを始めとする、特に有名な三大都市を謳ったものではなく、オラン南東の海に浮かぶ都市。とっさに脳裏にダリートという名がひらめいた。海上都市ダリートの滅亡であれば、これまでにもこの店に来る吟遊詩人から何度か聴いたことがある。
しかしながら、演奏が進むにつれ、これはそんなものではないと気付いた。そういったレベルの奏曲ではないことを無意識に認めずにはいられなかった。
合い交わされる恋人達の睦言、庭園に咲き乱れる花々、歌い囀る鳥達。
伝説が彷彿と再現されたかのような、という誉め言葉を知っていたが、そんな程度のものではない。
謳う歌詩がないのにもかかわらず、実際にそれを目の前で見ているような感覚。
マックスはその目で、海上に浮かぶ空中都市を見たと思った。
大海原をさざめく波柱がそそり立ち、上空を飛び交う渡り鳥、海鳥の声がする。その中でもひときわ抜きんでた異色の存在、中空に浮かぶ巨大な城とも呼べる島、海上都市ダリート。
後世の詩人に謳われることとなる巨大な空中都市は、ただ大海原の天井を見上げんばかりに天に向かって張り出し、腕を伸ばすかのように屹立する尖塔と堅固な城塞を構え、上空を動かない雲のように静止していた。
詩歌は歩むにつれ流麗で温調な調べから、次第に激動の様相を呈してゆく。突然の衝撃。騒然とする都市住民。その中には先ほどの仲睦まじい恋人達や年端もゆかぬ赤子を抱えた母親、足腰衰えた老人らが含まれている。
混乱に陥った都市住民らを前に、事態は急転直下の様相を迎える。そそり立つ障壁、通常眼に見えぬそれは、この混乱の非常時にさらなる混乱を招くようにして幾重もの波と斑模様を描いて発光し、あるいは点滅し、不安定な力の場を根底から突き動かすような衝動でもって外側に開放する。
都市の中心部へ殺到する住民は数知れず、その集まった人らの混乱と叫びで広場は阿鼻叫喚のさま。混乱の精霊が荒れ狂い、泣き叫ぶ女子供らを闇底へと突き落とすような狂気の精霊が街中を闊歩する。
冷静な思考を保つ者もすでになく、中心部から溢れ漏れ出た精霊になす術もなく破壊され、なぎ倒されていく木々や建物。四大精霊の集う凄まじさにその場に居た誰もが戦慄と絶対的な恐怖を覚え、あるいは正気を保てず、屍となり果てていった。
その広場の様相を、高台から一人見つめる者がいる。荒れ狂う嵐の中心にほど近い神殿の奥津城に佇む、一人の魔術師。
彼――あるいは彼女――はひとり街を眺める。その腕には竪琴、深く布を落した顔陰に浮かぶのは微笑かそれとも――――。
ビィイイイイ―――ン!!!
その場に居た誰もが、一瞬はっと目を疑った。
目前の木造の建築物である酒場に、先程までの鮮やかな海の空は存在しない。
何時の間にか店内の一人残らず、レンの演奏に聴き入っていた。酒場に横たわる静寂に誰一人として声を上げる者はいなかった。しばし瞑目する者、瞬きをして現実かどうかを再度認識し確かめる者、首をうなだれたままの者が店内に残されていた。
マックスもまたこの状態を客観視できずにいる者の一人だった。
あれが――語り、だと?自問しながら音の鳴ったほうを振り返る。ついさっき演奏が始まるまで見守っていたはずなのに、まるで何年ぶりかのようなレンがそこにいた。
目の前で繰り広げられる混乱劇に終止符を打ったのが、レンの抱えた楽器にあることをそこに至ってようやく悟った。
対するレンはうなだれ、手元の楽器を見つめている。竪琴の弦は三本ともすべて切れてしまっていた。
我に返ったというよりは、むしろ反射的に拍手をする。それにつられて店内をポツポツと呼応するようにあちらこちらから拍手があがった。
「……なんというか、心の奥に何か感じる物があるね」
平心を装った言葉に、内心しまった言うべきではなかったと舌打ちをする。これではまるで道化だ。
それと同時に、この場に居合わせたことを今さらながらに感謝したいと思った。これはまさしく真実だった。
「旋律がそうさせているのか、お前さんの想いがそうなのか、この竪琴だからなのか判らないが……」
「……かの有名な海上都市ダリートの終焉だ。おれの歌はないほうがいいだろ」
レンは苦笑し、答えかそうでないのかわからないような返答を返す。彼もまた呆然としているのだとマックスは取ることにした。
「気を落とすなよ」
マックスはうな垂れたレンに声をかける。
「弦だけならいろいろあるんだ。魔法のかかった奴もそうでない奴もね。同じ音色となるかわからんが」
レンはこれにはわずかに微笑し、答えなかった。
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『海上都市ダリートの終焉』
見よ、この世の楽園を
鳥は高らかに詠唱し 花は栄華を競う
恋人達の甘い睦言 慈愛に満ちた母子の微笑
老人達は語る この世に災いと憂いなし、と
突然 天が切り裂ける
栄光の障壁 返す両刃とならん
揺らぎゆく力 悪夢の深淵
荒れ狂う者達に施す術もなし
泣き叫ぶ母子 引き裂かれる恋人達
地は割れ 嵐を呼び 天空を覆い隠す
広がる火の手 押し寄せる波柱
神よ 我らを見捨てたもうたのか
神はこれに答えず 人々を落胆させん
南海に墜落する島 数々の墓標なりし処
かつての栄華 見る影もなし
されど遺されし 数々の魔法の物品
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