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No. 00069
DATE: 2001/05/03 01:32:10
NAME: ラス他
SUBJECT: そして往く雲
「…どうした? 食べぬのか?」
食事の乗ったテーブルの向かい側から、そいつが声をかけてくる。
「食べるさ。でも、あんたにちゃんと話を聞きながらってことになる」
俺は、目の前のそら豆のスープをスプーンでかき混ぜながら、そう答えた。
昼食にしては少し遅い時間。目の前の食事は随分と美味そうなにおいをたててくれていたが、まずは食欲よりも疑問が先に立っていた。
「話と言われてもな。我は、お主をしばし我が家で預かってくれ、と頼みごとをされただけでな。その経緯までは知らぬよ」
とりつくしまもない、とはこのこと。こいつはいつもこうだ。
少なくとも、この女エルフは、俺の前ではそういう態度を見せる。
老成した口調と態度。それとはかなりギャップを感じさせる子供のような声と外見。神経に障るようで、どことなくほっとする。彼女は、俺にとってそんな奇妙な存在だった。
「理由も知らないまま、それを了承したってのか?…あいかわらず、よくわからねえやつだよ、あんたは」
「ふ、誉め言葉と受け取っておこう。だが、もしや戸惑ってでもいるのか? お主にとっても急な話でもある。是非もないが…」
「どっちかって言うと、呆れてるんだよ。なんの因果で、こんなせまっ苦しい家に押し込められなくちゃならねーんだ?」
スープを啜りながらそう答えると、動いていたラシェジ―そう、この女エルフの名前だ―フルネームまでは俺は知らなかったが―の手がぴたりと止まる。
「それは、我も言うべき言葉だな。確かにお前はとは遠縁に当たるが、普段の生活を突然の乱入者に脅かされて平然としていられる程、肝は太くない」
じろりっ、という音が聞こえてきそうな視線。…その可愛らしい外見じゃイマイチ凄みがきかねえってこと、こいつはわかってんだか。
「勝手な言い草だな。ま、あんたの立場から見りゃそうなるだろうが」
俺は肩を竦めながらそう返した。
確かにそうなのだ。俺の立場も、存在も。こいつらエルフにとっては、乱入者というべきものには違いない。
だが…
「まあ、俺も世話になりたいなんて思っちゃいない。あんたのところで過ごせと言われたことだって、押し付けられたようなもんだしな。」
事実、俺も、ラシェジのところにやっかいになるように言われた理由を知らなかった。…ま、森で過ごしているよりかは、幾分はマシなのかもしれねえ。
…けど、こうまで言われて、こいつのところに居着くってのも、イマチ気分が乗らなかった。
俺は、空にしていた皿の脇にスプーンを置き、立ち上がる。
「しばらく一人で勝手にやるさ。んじゃな」
そう、この街―タラントはエルフも多いが、その分俺みたいな“混ざり者”も多いってきく。しばらくの間生きていくぐらいは、なんとかなるだろう。
そんな算段をつけて、出口の方へ向かおうとしたとき…
「それは困るな、ラストールド」
意外な返事とともに、俺の腕が押さえられた。
「…なんだよ。迷惑じゃなかったのか?」
いつのまにか俺の脇に来ていたラシェジに、そう問い掛ける。
「嫌々接されるよりは、はじめから迷惑だときっぱり言われていた方がなにかと楽に思えるであろう? お主としては」
冗談めかした笑みを見せてきやがる。…こいつは〜。
「・・・・否定はしねえよ」
YESと言ってるようなもんだな、と内心苦笑を漏らしつつ、俺は椅子に座りなおした。
まあ、こいつは他の頭の固いエルフでもに比べれば、ちっとは話がわかる方かもしれねえ。この街に、エルフの部族との交流使の一人として住んでいるって点からも、普通じゃないってことが伺えるしな。
「多少の迷惑と、精一杯の歓迎を持ってお前を迎えさせてもらうよ・・・ラストールド」
そう言い、笑みをみせてくるラシェジに、
「ま、いいか。どうせこの街には知り合いもいねえし、やることもねえ。しばらくよろしく頼むわ。」・・俺はこう答えを返した。
そんな“変わり者”と一緒に暮らしてみるのもいいかもしれない。少しだけそう思った俺は、結局、彼女の家にしばらく居着くことを決めた。
かと言って、特に波乱に満ちた毎日がやってきたわけじゃない。
まあ、この街はもの珍しかったし、ラシェジも―あまり態度には表さなかったみたいだが―同居人が増えたことを嬉しく感じていたみてえだった。
そんなこんなで、時が過ぎる。俺の頬をいつも優しく撫でていってくれるシルフの流れのように、ごく、自然に。
―勉強を教えられたりもした。
「その書き取りが終わるまで、食事は出さんぞ」
「くそ・・・だいたい古代語なんて習う必要がどこにあるってんだよ」
「一般教養だ。それに、お主はいつか森を出るのであろう? それならば、知は生きてゆく為の糧ともなる」
「…出て行かせるように仕向けてるのは、てめえらエルフの方だろ?」
「・・・・・・・・ふ、いいつっぱりだ。そうでなくてはな。書き取りもう1枚追加」
―しごかれてみたりも。
「・・・あんたって随分と武術に長けてるんだな。わりと意外だ・・・」
「そうだな。我も自分が他人からどう見られているかぐらいは把握している。だが、これが我に合っているとも感じているし・・信じてもいる」
「へーへー、勇ましいこってな」
「・・・そのような言い方しかできんのか。 ふむ、丁度良い。おぬしも今日から訓練に付き合うがいい。基礎の体力作りだけでも作っておけ」
「げ、勘弁しろよ、めんどくせえ・・・」
「鍛えればそれなりにはなろうに。それとも、また我より先にばてて恥をさらしたいのか?」
「・・・わかった。だから言うなよそのことは・・・」
―馬鹿をやったり。
「毛布が一枚しかないって…、じゃ今夜はどうすんだよ!」
「厚着でもして寝ればよかろう。大体、お主が洗濯をし過ぎたのが元だ」
「洗えって言ったのはてめえのくせして…貸せ、その毛布!」
「し、痴れ者がぁ! 人のベットで暴れるでないわ!! あ、こらよさんか! わたしを襲う気か!?」
「200越えてるようなババアに誰が手なんか出すかよ! この、よこせ!」
―そう、いつかラシェジが珍しく酔っていた時に、こんな話を聞いたこともあったっけな。
何故、我がこの街で過ごすことを決めたのか、だと?
・・・そうだな、問いを得、その答えを導き出す。そのためだと言っておこう。
森に居れば、疑問など抱くことなく、静かに生きてゆけるのかもしれん。
だが、それでは・・・甲斐がなかろう。
ヒトと、我等が同朋とが交わるこの街ならば、私に多くの問いを与えてくれう。そう、思ったのだ。
いわば、おぬしら混ざり物の存在も、我等に与えられた問いが故に・・・。
肯定か否定か。幸福か不幸か。そればかりを考える輩ばかりのこの世、我のような変わり者が一枝ぐらいはいても・・・良いだろう? ラストールド。
我とて、生きている。200と数十の年月は、あまり短いものではなかったな・・・。たまには、酔いたくなるような程度には。
―そう言ったきり、ラシェジは眠り込こんじまった。それ以来、その話題が昇ることもなかったし、俺も何故か聞く気にはなれなかった。
彼女の想い。・・・それは、まだ、俺にはわからないものじゃないのか。
そう、と感じたせいかもしれねえ。
そんな、ある日。
「よっとと。おい、ちょっと重過ぎねえかこの荷物…」
「男がぐだぐた不平を口に出すな。我の持っているものとて十分重い」
二人で食料だのなんだのを買出しに行った帰り。俺はでかい荷物を押し付けられて、ひーひー言いながらラシェジの後ろを歩いていた。
高地にある涼しい都市とはいえ、初夏の日差し、そして両手に抱えた荷物の重さが、俺に汗をかくことを強要してくる。
たまらずに立ち止まり、汗を拭く。そして再び歩き出そうとした時…それは俺の視界に飛び込んできた。
「? …何をやっているのだ」
立ち止まったきりの俺に、ラシェジが怪訝な顔で尋ねてくる。だが、答えない。俺の視線を追った彼女がそこに見つけたもの。
若い男に、若い女。そして、二人と手を繋いで歩く子供。
どこかへ出かけた帰りなのか、朗らかな笑みを浮かべ、会話を弾ませて歩いてゆく。名の変哲もない親子連れ。
ただ、男の方はエルフで、女の方は人間。だったら子供は・・・いわずもがなだ。
珍しいといえば、珍しい光景。だが、人口の何割かをエルフが占めるこのタラントではそれなりに見かけるものなんだろう。ただ、今まで俺が出くわさなかっただけで。
だが、その家族の姿が見えなくなるまで、俺はそこに立ち止まっていた
「…羨ましいのか?」
ラシェジがぽつりと言葉を漏らした。どうやら、俺を待っていてくれたらしい。
「よせよ…そんなんじゃねえさ。それに、羨ましいもくそもねえ。あの子供と俺の違いは、森か街か、それだけだろ」
「ふ…そうだな。お前は、間違いなく望まれて生まれてきたのだから」
そう言って、微笑みを浮かべる。
その表情にあったかいもんと、なんとはなしの気まずさを感じてしまった俺は、慌てて歩き出した。
「とっとと帰るぞ! この熱さと重さから早く開放されたいんでね」
「肯定だ。良い食材も手に入ったことであるし、今夜は腕を振るうぞ!」
早足で歩く俺の後を、ラシェジもついてくる。
くらっ。
あれ? くそ、まじで目眩がしてきやがった。前がぼやけて見える。地面に触れているはずの足の感触も曖昧だ。
「む? 大丈夫か?」
あんたが、朝から猛稽古させた上に、こんな重いもんかつがせて暑い中歩かせてるからだろうが。と、毒づいてやろうと思ったが、そんな気力もどこかにいっちまっている。
俺の視界がシェイドの闇一色に染まっていき・・・・・
がばっ。
ベッドの上で俺は唐突に目を覚ました。隣から微かな寝息が聞こえてくる。
その寝息の主を確かめた時・・・俺は夢を見ていたことを認識した。
随分と、昔の話。俺が森にいて、まだ、ちょっとしたコンプレックスを抱え込んでて。今の生活なんて想像もついてなかった、十年以上も前。
そう、俺がまだラストールドと呼ばれていた頃の夢だ。
しかし、なんだってあんな時のことを夢に見たのやら。別に楽しい思い出ってわけでもないし、悪夢というものでもない。
ただ、冒険をはじめる前の、穏やかに過ぎていった過去の一つ。
…でも、そいつが、なんでもない過去の積み重ねがあるからこそ、今の俺がいるのかもしれねえ。
そう思いながら、俺は隣で幸せそうに寝ているやつの頭を軽く小突いた。
過去があるからこそ、今がある。でも、昔に囚われる必要はない。
…ふと、ラシェジが、別れ際漏らした言葉を思い出す。
「雲のように生きてゆければ、良いものだな…」
いかにもあいつらしい、持って回った言い方だ。
俺は苦笑を浮かべつつ、立ち上がって部屋の鎧戸を開いた。
「先のことはわからねえ。それでも、目指すものはある。・・・さて、俺は何処へいくんだろうな」
朝焼けの中、雲がたなびく。そして、ゆっくりと姿を消してゆく。
だが、俺の心の中には、確かに何かが残っていた。
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