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◆ 遺跡 ◆ 『我を世界の始まりへ』 下位古代語でフェリアスがそう呟いた。瞬間、背後で石の扉が閉ざされる。その直後には、床に描かれた魔法陣が光を放つ。やがてその光は冒険者たちを包み込み、彼らの視界を奪った。 溢れる光に目を閉じた彼らが、次に目を開いた時。──彼らは遺跡の中にいた。 遺跡の入り口そのものは、古代樹であったものをくりぬいて、部屋が作られていた。入り口をグレンが開いた後、冒険者たちが入ったのは、あまり大きくはない石の部屋である。大きくはないと言っても、それが樹の幹をくりぬいて作られた部屋であることを考えれば、決して小さくはないのだが。そしてその部屋には、ところ狭しと魔法語が掘られている。石壁を埋め尽くさんばかりの魔法語と、そして床に描かれた魔法陣。その魔法陣の中央に立って、合い言葉を唱えれば遺跡への道は開かれる、と。そう言ってグレンは合い言葉を伝えた。“一つを追う者”と呼ばれた魔術師が作り上げた遺跡へと、冒険者たちをいざなう言葉を。我を、世界の始まりへ、と。 そうして教えられた言葉と共に、彼らは遺跡の中に足を踏み入れた。 「……さてと。順番は? 私、遺跡の経験ってあまりないんだよね。戦い以外のことはまかせるよ」 頬をぽりぽりと掻きつつ、アレクが笑う。その横では、腰の剣を確認しつつディックもうなずいていた。 「私も同様ですね。冒険者になってからいくつかは潜りましたが…どちらかと言うと、戦いが主ですから」 2人からそう言われて、カレンが思わずフェリアスに視線を向ける。フェリアスは無言でその視線を受け止めたものの、あえて返事をしようとは思わなかったようだ。他は…と思って見回すが、残るのはラスとカイだけである。ラスは、長年一緒にいたせいで、自分とラスとの位置関係は決まってしまっている。そしてカイにも、アレク同様、遺跡の知識はあまりないだろう。となると…。思わずカレンはため息をついた。 「…………俺、か」 このパーティのリーダーは結局自分になってしまうのかと、そんな内容のため息である。 (……ま、今までと同じと考えればいいか。どちらにしろ、盗賊が先頭に立つのは遺跡では当然のことだ。ただまぁ…今回は楽と言えば楽かもしれない。普段なら守るべき魔法使いが、ラスとフェリアスだ。カイを中央に配置すれば……) 「……じゃあ、まず俺が先頭。一歩離れて、“盾”2人。カイを挟んで、後ろにラスとフェリアス。………それでいいか?」 「おっけー」 「……妥当だな」 最初からそのつもりでいたらしい、ラスとフェリアスが後ろに回る。 「んじゃ、私たちはここ、と」 「……あ、カイさん、もう少し下がってください。その距離だと剣が当たってしまいますから」 「あ。はい……すみません……えと、この辺ですか?」 配置が決まったらしい5人に、地図を見つつカレンが説明する。 「ガイアからの話によると…この先の通路を抜けた部屋…そこからは通路が2本あるらしいが…そのうち東側の通路の先はもう片づけたらしい。…ってことで、そっちは無視していく。西側通路の先も…ガイアが片づけた部屋は無視していくけど、いいな?」 「ええ。片づけた部屋なら何もないでしょうし。あえて危険なところを通る必要はないでしょう」 同意するディックの横で、アレクは目の前にある扉の上を見上げていた。 「……この扉をくぐる者、試練に打ち勝ち英知と力量を示し、我が意志を継ぐ覚悟を持つべし…か。なんかたいそうなこと書いてあるよね」 扉の上に書かれている下位古代語を読み上げて、アレクが苦笑いする。 「試練だの、英知と力量だのはともかく…意志なんか継ぐ気はねえな。あの男ならその気はあるんだろうけどよ」 後ろからラスの声がする。あの男、がこの場合レドを指しているのは、この場にいる全員に明らかなことだった。 幸い、ガイアとその仲間の盗賊から情報を得ていたおかげで、途中までは罠の場所もわかっている。解除できるものはしたらしいが、できないものも、その位置と仕掛けの内容を教えてくれた。もちろん、その仲間の盗賊からの情報は無料ではないが、必要な情報であることは確かだ。ガイアの仲間たちの傷をカイが癒したことで、遺跡内部のことをいくつかは教えてくれた。さらに、盗賊から罠の詳細を聞くことに対しては、無事オランに戻ってから、ギルド経営の酒場でエール飲み放題、ということになっている。金額の上限がわからないことに一瞬考え込んだカレンも、その隣からの、俺より飲むってことはねえだろ、と言ったラスの言葉にうなずいて、商談は成立した。 いくつかの通路と部屋、そして教えられていた罠を通り抜け、一行はとある通路(C−D)の前に立っていた。 「この扉をくぐるもの刃を納めよ…か。……どうする?」 扉の上に書かれていた下位古代語を読み上げて、カレンが後ろを振り向く。刃物を鞘から抜いているのは、アレクとディックだけだ。カイは武器をそのまま抱えているが、彼女の武器に刃はついていない。 「……フェリアス? 何か言いたそうだな」 ふと尋ねたカレンの言葉に、フェリアスがうなずいた。 「いや……遺跡の、こういった文句には従ったほうが良い場合が多い、と…そう言いたかっただけだ。……別に、従わずともすぐに殺されるわけではないだろうし……俺はかまわん」 「……そういう時は、『従ったほうがいいんじゃないか』って言ってくれないか?」 「……そうか。…気にだけは留めておこう」 カレンとフェリアスのそのやりとりの間に、ディックとアレクは武器を納めていた。 2人が武器を納めたのを確認して、カレンは扉に手を伸ばす。指先が触れると同時に、扉が動き始める。 扉が開いた先は、白い光に満たされていた(部屋D)。ほとんど真四角な部屋である。そして、その中央に立つ人影……のようなもの。深緑色のローブを身につけ、頭巾を目深にかぶった彼らが何であるのかは、よくわからない。人ではない、とそれだけしか。 扉を開けたカレンと、前列に立っていた戦士2人が反応する。武器に手をかけようとした瞬間に、通路にあった言葉を思い出す。『刃を納めよ』との言葉を。 だが警戒は緩めない3人の後ろから、魔法使いたちも部屋に入ってきた。それとほぼ時を同じくして、扉がゆっくりと閉まる。 がこん、と扉が閉じきった音を確認したかのように、ローブの影が、言葉を紡ぎ始めた。 『汝ら、荒れ狂う風の使徒よ、荒廃せし大地より出ずる者よ。汝らの行く末はいずれの果てか。一つの扉を選ぶがよい』 言葉を終えると同時に、今まで冒険者たちのほうを向いていた3人が、向きを変える。東側…つまり、冒険者たちが今入ってきた扉以外の3方向に向けて、彼らは腕をあげて指さした。その先には扉がある。それぞれの扉には、1つずつ図形が描かれていた。北の扉には氷、南には炎、そして西には水を現す図形である。 「なるほどね。……どうする?」 とりあえず、戦いになることはなさそうだと踏んで、剣の柄から手を離しながら、カレンが残りの顔に問いかける。 「…どっちでも……向かって右からとかにします? それとも…正面とか?」 向かって右、と北の扉を指さしながら、カイが言う。 「正面、と言いたいとこだけどな。向かう先の部屋の手がかりが、脇道の部屋に隠されてる場合もある。行ってみても悪くはねえだろ」 扉を眺めつつ、ラスが肩をすくめた。とくに反対意見を出す者はいないようだ。 「じゃあ…右に行ってみるか」 うなずきつつ、カレンが先頭に立って、北の扉へと歩き始めた。 「……なんだかずいぶんと寒い部屋だな」 扉を開けた瞬間に、カレンがそう呟いた。確かに部屋も寒いが、そこへと至る通路も冷え込んではいたのだ。だが、扉を開けてからの寒さと通路の寒さとでは、違いがある。明らかに部屋の内部の空気が冷たい(部屋E)。 「そりゃそうだろ。……フラウがいる」 ラスが苦笑した。ディックとカイも同じようにうなずいている。 開ききった扉の向こうには、びっしりと氷柱が生えていた。床一面が低い氷の柱で埋め尽くされている。そして…。 「……気配だけじゃありませんでしたね。本体がいます」 剣を構えたディックの視線の先に、ディックが“本体”と称した氷乙女が姿を現した。そして、その背後には、剣を構えた骸骨。 「あの骸骨って? なんて怪物?」 アレクが、同じように剣を構えつつ尋ねる。 「さて…何だったか。……竜牙兵とは違うようだが…」 思い出そうとしていたフェリアスに、アレクが笑って言い足した。 「あ、いいや、やっぱり。だってどうせ倒すなら同じだろ?」 「そういうおおざっぱなところはさすがだが…そっちの骸骨はともかく、フラウのほうは普通の武器は効かねえからな」 「じゃあ、それは魔法使いの領分じゃないか。そっちで頼むよ」 忠告したラスに、アレクが笑う。 「……万能なるマナよ、炎の力となりて彼らの剣に宿れ」 唐突とも言えるフェリアスの詠唱とともに、アレクとディックの剣に炎が宿る。 「………これで、戦士の領分となったわけだ」 呟くフェリアスに苦笑しつつ、ラスが片手をあげる。 「援護くらいならしてやるぜ。…ちょうどいいところに炎ができたようだからな。……炎に宿る小さき火蜥蜴、炎の矢となりて彼の者を撃て!」 数刻後、先刻の部屋まで戻ってきた一行が残り2つの扉を見やる。西と、南。 「さっきみたいな調子で、何かあるとしたら…先に、本筋とも言える通路を確認しとくほうがいいだろうな。消耗してからじゃ遅い」 カレンが言った言葉にアレクがうなずく。 「そだね。それにさぁ北であんなに寒かったんだから、南に行ったら今度は暑そうじゃないか? そんなのイヤだよ」 それには一同も同感だったらしい。そして一行は西への扉を開けた。 先へと進んだ一行の背後で扉が閉まる。石の扉が閉ざされゆく音と共に、どこからか声が降ってきた(通路D−G)。 『世界の果てに向かうものよ、汝の向かいし道は、閉ざされぬ果て。其処に有るべきものは、何で有るべきなのか。・・・その答えが、いずれ汝らの道を開くだろう』 響き渡る下位古代語。 隣に立つフェリアスを見上げて、カレンが呟く。 「……意味はわかるか?」 「さて…な。この世界は4つの門で閉ざされていると言う。遙か北には、無限の高さを持つ氷山が氷の門としてそびえ立ち、南では触れることのかなわぬ灼熱の炎の門が世界を閉ざしている。そして東には全てを呑み込む嵐が風の門としてその役を担う。だが、西にある水の門だけが、虚無へと落ち続ける滝となっている、と。つまり西の門だけは閉じられてはいないわけだ。……先刻の部屋で、3人が指さしていた方向を見て、俺が最初に思いついたのはこれだった。そして、西へと向かうこの通路が、閉ざされぬ果てへと向かう道だと言う。………そういうことなんだろうな」 「じゃあ…閉ざされぬ果てにあるべきものは、水だと?」 カレンの問いに、フェリアスは、わずかに笑みめいたものを浮かべた。 「……それはわからん。水を指しているのかもしれんが、滝が落つる先…虚無界のことだとしたら? 何者も存在し得ぬ虚無界に、有るべきものとは何なのか…それこそが、“1つを追う者”と呼ばれた魔術師が目指したものなのかもな。……単純に、水だと言うこともあり得る」 そんな会話が終わる頃。目の前に扉が現れた。警戒しつつ伸ばしたカレンの手が触れると同時に開き始める。 そして、その部屋の中には、青白く光る像があった。部屋の四隅と中央に配置されている。 「これは……精霊王ですか?」 敵の気配を探りつつ、ディックが呟いた。北西の角にはイフリート、北東にはクラーケン、そして南西のジンと南東のフェンリル。中央にはベヒモスの像が据えられており、四隅の像たちはそれぞれ、中央を向いている。 「ねえねえ、音符が書いてあるよ? これって演奏できそうじゃない?」 いつのまにか部屋の向こうの扉まで移動していたらしいアレクがそう言った。アレクの視線の先には、触れても開かない扉がある。そして、そこには、いくつかの音符が書き込まれていた。 「……また、おまえは勝手に。調べてないところをあまりちょろちょろするなよ」 ため息をつきつつ、カレンがアレクのもとへと急ぐ。 「だって、ほら。音符じゃん」 「問題はそこじゃないだろ?」 「……どこ?」 「だから………もういい。…で? これは…どんな曲だ? 俺はあまり音楽は…」 音符を見つめつつ、カレンが呟く。ふと顔を上げて、周りにいる面々を見渡した。ラス…は論外だ。7年一緒にいて、楽器を触っているのは見たことがない。鼻歌くらいなら歌うけれども。そしてディック……も、音符と聞いた瞬間に目をそらしている。聞くほう専門と言った感じだろう。フェリアス……に期待しようとしていた自分に少しばかりのため息をついて、カレンはあらためてアレクを見上げた。以前、レイシャルムに楽器を習っていたのを見たことがある。そして、アレクに問いかけようとした瞬間、もう1人忘れていたことを思い出した。カイである。 「……カイ? おまえ、楽器使えたよな?」 「え? ……ええ、あまりうまくないですけど…それに、歌はあまり…でも、譜面を読むくらいなら…」 「んじゃ、アレク、カイ。……ここは任せた」 カレンが一歩下がる。カイと2人で譜面を読み始めつつ、アレクが思い出したように呟く。 「いや…任されるのはいいんだけどさ。ラスって、オカリナ持ってなかった? ほら、今も腰にぶら下げてんじゃん。楽器できるんじゃないのか?」 自分には関係ないといった風情で、精霊王の像を見上げていたラスが、問われて振り返る。 「…あ? 俺? ばぁか。俺が楽器なんか使ってるとこ見たことあるか? ちなみにここにぶら下げてるオカリナは、シルフの住処ってだけで、俺は1回も楽器として使ったことはない」 「……はいはい。威張らなくていいよ。んじゃ、邪魔だけしないでいてくれればいいから」 あっさりと譜面に向き直るアレク。邪魔なんかするかよ、と言いながら、手持ちぶさたらしいラスが像のあたりを調べ始める。 「ところでさ。譜面を読んで…それを演奏すればいいわけ? でも私、楽器なんか持ってきてないよ?」 「あ…アレクさん。私、笛なら持ってますけど……」 「んじゃ、その笛使って……」 アレクとカイが、そう結論を出しかけていた頃、残るメンバーである男性陣は入り口近くの像を調べていた。 「なあ、カレン。これって動きそうじゃねえ?」 「おいラス…妙なとこ触るなよ」 「……ラスさん…言ってるそばから触ろうとしてませんか?」 「触るなら、言ってくれ。……そばから離れることにする。いや……待てよ。そうだ、思い出した」 フェリアスが急にそう言い出した。譜面を読んでいるカイとアレクに向かって、言葉をつなぐ。 「笛を使う必要はない。……確か、これは“精霊王の像”。持ち運べる重さじゃないから、出回っている物ではないが…資料で読んだことがある。この石像自体、触れると音を奏でるそうだ。……ちょうどいい。ラス、触ってみろ」 「……俺かい」 「どうせ触ろうとしていただろう。資料通りなら…音が鳴るはずだ。害はない。…と思う」 最後に添えられた一言に、若干の不安は抱いたものの、ラスは石像に手を伸ばした。指先が触れた箇所から、透明な音色が響き渡る。石像自身が放つ青白い光にも似た、澄んだ音色だ。 「なるほど、その石像で演奏すればいいんだね。……じゃあ、音符が並んでる最初と最後にベヒモスの絵が書いてあるのは…それを触ればいいってことか」 「じゃあ…石像は距離があるし……それに、この譜面を読むと、リズムも指定されているみたいですから…みなさんに、石像のそばに立っていただいて、アレクさんがここから指示を出すのが一番正確じゃありませんか?」 カイの提案に反対する者はなかった。 数刻後。新たに開いた扉からつながる通路を歩きながら、最後尾で文句を言う半妖精が1人。 「……アレク、てめえが間違えやがったんだよな」 それを聞いて、心外だと言うような顔で振り返る女戦士。 「失礼だな。私はちゃんと指示を出したのに、ラスが動き間違えたんだろ? 自分の失敗を人のせいにするのはよくないよ」 「違うね。おまえが言った通りに動いたってのに、ベヒモスはギズモを吐き出した。ってぇことはおまえが間違えたってことだろ? 素直が一番だぜ?」 「タイミングが早かったんだよ。ラス、リズム感ないんじゃないのか?」 列の前と後ろとで際限なく続きそうな言い合いをおさめたのは、アレクの隣にいたディックだった。 「……まあ、いいじゃありませんか。幸い、間違えたのは1度きりですし」 「そうそう。それに、出てきたギズモを倒したのは、俺とディックだ。おまえたちは、間違えたとか間違えてないとかで今みたいに言い合いしてたんだからな」 さらりと言い添えるカレン。聞こえていない振りを続けているフェリアスと、あのとき間違えたのは本当はどっちだったんだろうと考え続けるカイの2人は黙ったままだった。 「……それはともかく。さっき見つけた隠し通路はどうする?」 話題の転換を図ろうとしつつ、ラスが問いかける。演奏を終えた後に、あらためて像を調べた結果、見つけたものである。 「一応、地図には書き込んだ。とりあえず先に進んで、帰りに余力があればそっちに行くのも悪くないだろ。……さっきから、地図に書き込むものが多すぎて大変だぜ。インクの予備って持ってる奴、いるか?」 地図が書かれている羊皮紙をひらひらとさせながら、カレンが振り向く。 「あ、持ってるぜ。盗賊の身だしなみとして。どうせフェリアスも持ってんだろ?」 隣を歩く長身の男を見上げつつ、ラスが問う。フェリアスが無言でうなずいたのと同時に、ディックも口を開いた。 「私も持ってますよ。足りなくなったら言ってください」 「ああ、そりゃ助かる。あとで借りるかもしれない」 「ええ、いつでもどうぞ」 「うわぁ…なんですかぁ? これ……」 通路の突き当たり(部屋O)にたどり着いて、カイが硝子の壁面を見上げる。L字型に曲がった通路の角に、二面を通路に接して作られている小さな部屋だ。その二面は硝子で出来ているらしく、中を満たす水が青白く光っているのが見える。 軽く感触を確かめて、カレンが呟く。 「硝子、だな。破ろうと思えば…すぐに壊れるだろうけど。そうしたら、中のものが出てくるんだろう。……ただの水だと思うか?」 フェリアスに向けて聞く。フェリアスは小さくかぶりを振った。 「いや……そうではない、と思っていたほうが良いだろうな。何なのかはわからないが」 「壊したとして、何か…手がかりとかそういったものが出てくるでしょうか?」 青白く光る液体によって、通路もわずかながら照らし出されている。硝子の壁面にそっと手をあてながら、ディックが呟いた。 「…………おい、おまえ何してる」 ラスがいきなり、隣にいたカイの襟首を捕まえる。持っていた杖を何故か振り上げていたカイがそのままの姿勢で振り向いた。 「え? ……壊れるのかな、って思って……」 「……やめろ」 ラスが思わず額に手を当てる。その後ろでフェリアスが溜息をついていた。いや、フェリアスだけではない。カイをのぞく全員だ。 そして、水槽のような部屋に面した通路は十字路になっていた。自分たちから見て正面…北側の通路は闇に閉ざされている。そして、左側には何かの部屋があるらしい。そして右側…つまり東側の通路(L)には落とし穴があった。 「……これは…罠、なのか?」 調べたカレンが首を傾げるほどあからさまに、その落とし穴はある。ふと上げた視線の先には、断続的な落とし穴。背後から差し込む、水槽からの青白い光で通路の先を確認する。いくつかの落とし穴が続いた先には、光り輝く剣、そして鎧、盾が祭壇に飾られていた。 「ここ…飛んでいったら、あそこにたどり着くんですよね?」 落とし穴を見下ろしながらカイが呟く。調べていたカレンが立ち上がりながらうなずく。 「そうだな。飛べない幅じゃない」 「そういうのは、盗賊の仕事だね。そのくらいの幅なら飛べる自信はあるけどさ。あんまりそういうことはしたくないよ」 苦笑いを浮かべつつアレクが言う。 「私でも飛べますよ?」 いつのまにか、一つ目の落とし穴を飛び越えていたカイが、着地した先で微笑んだ。 「……ちっ、止めそこなった……」 空振りしたらしい腕をふるわせつつ、ラスが呟く。横でディックが溜息をついた。 「……カイさん、戻ってきたほうがいいんじゃありませんか? まだ盗賊の方が調べる前ですし…何かあっても困ります」 「そうだな。ディックの言う通りだ。……にしても、この程度の落とし穴で…連続してるとはいえ、さほど難しい罠じゃない。…罠とも呼べない代物だ。そして、突き当たりに祭壇。……祭壇こそが罠のような気がしてならないな」 しぶしぶ戻ってくるカイを見ながら、カレンが呟く。 「同感だな。……誰かが行ってみたいなら、俺は止めないが」 ぽつりとフェリアスが呟く。 「……行かないよ。あからさますぎて怪しい。こういう、いかにもな物には引っかかると悔しいからな」 カレンが苦笑する。 「こっちは? ずいぶんと暗いね。ランタンのシェード上げようよ」 通路(H)をのぞき込みながら、アレクが言う。今まではわりと明るい部屋が多かったことや、すぐ背後にある硝子の壁から、青白い光が淡く届いていたことから、ランタンの光量は抑えてあった。だが、目の前に広がっている通路はずいぶんと暗い。 アレクの言葉を聞いて、隣にいたディックがそれに従う。 「確かに暗い…ですね。とりあえず、進んでみますか?」 「ああ、進まないことには何もわからないからな」 今までに見つけた罠を新たに地図に書き込みながら、カレンが応じる。 そして、進んでしばらく経った頃。唐突にディックが立ち止まった。それに気づいたカレンも立ち止まって振り向く。隣にいたアレクも怪訝な顔でディックを見た。 「……何か、いますよ? カイさん、これお願いします」 振り向いて、持っていたランタンをカイに手渡す。そして、天井に視線を向ける。つられるようにカイも天井を見た。 「……ほんと…ですね。何ですか、あれ」 「何かって…何だ? …確かに少し妙な気配は感じるが……精霊使いにしか見えないってことか。……ヤバそうか、ディック?」 カレンの問いにディックは首を振った。 「わかりません。何かいるとしか。……ですが、ここが遺跡であることを考慮するなら、警戒すべきものかと」 「灯りが天井まで届けば……そうか、おい、ラス! ウィスプ飛ばしてくれ!」 カレンが、後ろにいたラスに声をかける。が、ラスが返事をする前にディックが微笑んだ。 「それには及びませんよ。ウィスプならば私も呼び出せます。ラスさんには、気力を消耗させたくありませんから」 天井の気配に気を配りつつディックが言う。そして、続けて光の精霊へと呼びかけた。 ……が。ウィスプは姿を現さない。 「……どうした? 失敗した…のか?」 カレンの問いにディックが首を振る。 「いえ…失敗はしていません。光の精霊は確かに応えました。……が、すぐにうち消されてしまったような…」 「……なんらかの魔法が働いてるのかもな。魔力をうち消す何かが。…確認はしていないがね」 自分にも天井の気配とやらは目に見えないようだと思いながらフェリアスが呟く。それを聞いてカレンが囁くように口を開く。 「そう…か。……さてどうするか。」 通路の先に、うっすらと扉らしき物は見えている。さほどの距離ではない。だが、ランタン1つの灯りのなかで、罠もろくに調べきっていない通路を走り抜けたくはなかった。 「どっちが危険…かな」 しばし考え込むカレン。走っている最中でも、罠があれば気づく自信はある。よほど巧妙な罠じゃなければ。たいていの遺跡は、仕掛けはひとつだ。つまり、隠し扉に罠はないというのが通説である。それも信用できない時はあるが。そして、天井の何かが、この通路の仕掛けだとしたら…。 「……賭けてみるか。みんなはちょっと…ここで待っててくれ。合図を送るから」 そう言い置いて、カレンは通路の先を見た。ランタンの光がうっすらと届く通路。そこには扉が見えている。走ればほんの数秒でたどりつくだろう。 意を決してカレンは走り出した。天井に気配は感じるものの、自分にはそれは見えない。だとしたら、そこを気にするよりも床に気を配ったほうがいい。落とし穴などがなければいいが、と。 走りすぎる背後で、気配が動いた。が、立ち止まることはしない。むざむざ、その気配に追いつく隙を与えることはない。 数秒後。カレンは扉にたどり着いた。触れることで、その扉は開く。それを確認して、部屋のなかには入らずに背後で待つメンバーに向けて叫んだ。 「大丈夫だ! 罠はないから全力でここまで走ってこい!」 叫びながら、足の速さを思い出してみる。比べたわけではないから正確なところはわからない。だが、フェリアスとラスは自分よりも確実に早いだろうと思う。とくにラスに関してはそのことを心配はしていない。ディックも、先刻のフラウとやり合ってる姿を見る限り、素早さはなかなかのものだ。アレクも同様。それにカイは…どちらかというとのんびりとした動きではあるが、半妖精である以上、身軽さは保証されている…はずだ。体重が軽ければそれだけでも早い要素となり得る。 カレンの叫びから時を置かずに、全員が扉の前にたどり着いた。精霊使いたちは、背後の天井でざわめく影を気にしてはいるが、どうやら、その影が天井を走ってくる(?)スピードを冒険者たちは上回ったらしい。 扉を開けた先は、広い部屋(H)があった。壁を天井まで埋め尽くす書棚。壁以外にも書棚はいくつも並び立ち、少し開けた場所には6人掛けの机と椅子が用意されていた。書棚に並ぶ書物は数百冊と言ったところだろうか。どれも、目にしたこともない書物ばかりである。 「ここは……書庫のようですね」 呟いたディックの言葉に応えるように、どこからか声がする。 『ようこそ、書庫へ。……ごゆっくりと御寛ぎください』 「くつろげったって……そこか」 声の源を探ろうとしていたラスが、書庫の一点を見つめた。同じく視線を巡らせていたカレンが聞き返す。 「? …何か…いるのか?」 「ああ、あのあたりに……ぼんやりとしか見えねえけど。うろうろはしてるけど…どうなんだ? こっちに向かってくんのか、あれ?」 敵対意識らしきものは感じない。 「あ! ねえねえ! すっごいよ! 見てごらんよ」 書棚が途切れた壁のあたりで、アレクが声を上げる。 「……どうかしたんですか? 何か……わぁ…すごいですねぇ」 近寄っていったカイが、同じように声を上げた。感嘆の声だ。 彼女たち見ていたものは、いくつかの硝子の箱である。展示されているかのように、書庫の一隅にそれは並べられていた。剣が3本と指輪が2つ。どれも魔法の品だろう。硝子ごしに見ただけでも、その品たちが尋常の品ではないことくらいわかる。 「んで…こっちは……すっごーい。本がこんなに! ねぇ、フェリアス? これって貴重な本なのか?」 書棚に目を移してアレクが声を上げる。そんなアレクを見てラスが溜息をついた。 「……あいつらは……あの塊が気にならねえのかよ…」 「ラスさん…同感ではありますが…アレクさんには見えてないんですから。敵意も今のところなさそうですし…」 同じように精霊使いとしての視覚をもつディックがラスの肩に軽く手を置く。 「魔術書もあるようだが……」 書棚の一隅に目を遣ってフェリアスが呟く。その視線の先を追ったカイが、一冊の本を手に取った。 「これ…ですか? 古代語は読めないんですけど……。あ、でも…そしたら、これ持っていってもいいんじゃないですか?」 言いながら、本を抱えて出口の扉へと向かう。すると、声が降ってきた。 『申し訳有りませんが、そちらは持ち出し禁止になっております。元ある場所に戻るまで、扉は開きませんので御容赦を』 「……なるほどな。んじゃ…せっせと書き写すか?」 溜息をついて、カレンがそう言った。しぶしぶと戻ってきたカイから本を受け取って、近くにあった椅子に腰を下ろす。そして、ペンとインク、羊皮紙を荷物の中から取り出す。 『複写及び記録に値する行為は禁止されております。……悪しからず』 またしても声。そして、透明な腕がカレンの手からペンを取り上げた。 「…わかったよ。書き写したりなんかしないって」 溜息をついて、開きかけていた本を閉じる。同時に、腕が動く気配とともに、ペンはカレンの手元に戻される。 「……どうしろってんだ」 カレンがそう呟いてる最中も、ラスとディックはその“何か”の動きを追っていた。はっきりと見えるわけではない。ただ、生きているものに独特の熱が、精霊使いの視界に映るだけだ。 「ん〜〜…ちょうどいいから、ここで一休みしてく? まだ疲れてないけどさ」 書棚から適当に本を取りだしながらアレクが言う。ちょうど後ろにいたラスに、本の表紙を見せて尋ねる。 「ねえ、ラス? これってなんて書いてあるんだ?」 「ああ? ……これは……なんだ? 下位古代語だよな。発展する生命と…その? …なんだ? アレク、そこの手ぇよけろよ」 「うん。……あ!」 「…って、おい!」 2人の手元で、本が落ちそうになる。慌ててラスがそれを受け止める。その瞬間、頭を殴られた。 「いてっ!」 「あだっ!」 アレクとラスが同時に頭を抱える。見えない腕が2人の頭を殴り飛ばしたのである。が、腕そのものが見えないとあっては、避けようもない。近くに熱の気配があることにラスは気がついていたが、そこまではっきりと知覚できるものではない。 「……ってぇ〜〜…ちくしょう……あんの野郎っ!」 「いきなり頭殴られるってのも……かなりむかつくよなぁ。とはいえ、見えない敵に喧嘩売るわけにもいかないし」 ぶつぶつと、頭をさすりながらアレクが呟く。 その様子を眺めていたフェリアスがぼそりと呟いた。 「多分…ここを守っている番人なんだろうな。透明…ということは、どんな敵なのかはわからないが……」 「私たちにしか見えない、ということは…普通に攻撃できるものでもありませんしね」 私たち、と言ってディックが息をついた。精霊使い、と言う意味である。 「………あ。……きゃぅっっ!!」 悲鳴。そして、それに続いて硝子が立てる甲高い音。 「なんだ? ……カイ? 何を…」 声と音を聞いて振り向いたカレンが溜息をつく。どうやら、書棚から取り出した本の重さに負けてバランスを崩したところへ、先刻の硝子のケースがあったらしい。本人は無事であるものの、重い本を取り落として硝子ケースにヒビが入っている。 そこへ、透明な塊が近づいていった。とはいえ、それを知覚できているのは、ラスとディック、カイの3人だけではあるが。そしてその透明な塊は、軽々とカイを抱き上げるとそのまま扉へと運んで行こうとする。はたから見れば、カイが宙を飛んでいるようにしか見えないだろう。 「え……あの……あ……きゃぁっっ!!」 「……てめぇ…何しやがるっ!」 「おい、ラス! 見えない敵に…っ!」 止めようとするカレンにラスが言う。 「俺は見えてるよ!」 「にしても、全員に見えてるわけじゃないだろう!」 「んじゃ、全員に見えりゃいいんだろうがっ!! ……それ、貸せっ!」 先刻、本の内容を書き写そうとして机の上に取り出したインク瓶を指さしてラスが言う。腰の後ろからダガーを取り出しながら、首を傾げつつインク瓶を差し出したカレンからそれを受け取った。 ダガーの柄にそれをくくりつけているラスを見て、何をしようとしているのかさとったカレンが残りの面子に声をかけた。 「………どうやら、宣戦布告する気らしい。よろしく頼む」 「ほんとなら…シルフに運ばせるほうが確実かもしんねぇけど…ぼんやりとしか見えねんじゃそうもいかねえしな。……よし、できた」 インク瓶をくくりつけたダガーを手に、透明な塊を見据える。その間に、アレクとディック、カレンは剣を抜いていた。フェリアスも溜息をつきながらも、呪文を詠唱する構えに入っている。 「いやぁっ! 離してっ!」 暴れるカイを抱えた透明な塊は、扉を開けようとしているところだった。 「くらえっ!」 そこへ、ダガーが投げつけられる。空中に刺さった形になったダガーから、インクが数滴したたり落ちる。足下へと。 『……我に挑戦する、と見てよいのだな?』 くるりと振り返った“それ”が古代語でそう告げた。カイを放り投げて、冒険者側へと近づいてくる。その隙に、カイは杖を抱えて戻ってきた。 「……ああ、そうだな。そうとってくれて構わねえぜ?」 振り上げられる腕は見えない。流れ落ちたインクのおかげで、足下はかろうじて判別できるといった程度だ。だから、何もない空中からそれはやってきた。気配だけで全てを避けられるほどの技量はラスにはない。 「……く…っ!」 多分、鉤爪だろう。柔らかい皮鎧はあまり役には立たない。切り裂かれた衝撃で膝をついたラスをもう1つの鉤爪が襲う。体重の軽さが仇となって、少なからずはじき飛ばされる。カイがそれを追った。 「……ラスっ!」 「…そっちはまかせた。…万能なるマナよ、炎の力となりて彼らの剣に宿れ」 フェリアスの詠唱と共に戦士2人の剣に炎の力が宿る。 「あまり売りたくない喧嘩だったけど…しょうがない、遺跡の醍醐味だと思うことにしようか」 燃えさかる炎の剣を手に、アレクが苦笑いする。 「…おい! ラス!?」 ちょうど自分の隣に飛んできたラスの体を抱え起こしながらディックが叫ぶ。カイが呟いた癒しの呪文のあとに目を覚ましたラスが片手をあげて応じた。 「あ〜……今、一瞬……精霊界見たかも」 「……ラス! 何をのんきに…!」 「説教はあとだ。ほら、アレク1人じゃやべえって」 その言葉にうなずいて、ディックが立ち上がる。 炎の宿った剣を手に、アレクが透明な塊に切り込んだ。足下だけとはいえ、位置はわかる。それを頼りに…あとは、戦士としての勘だ。 「アレク! 右に回れ!」 ショートソードを手にカレンが叫んだ。見ると、インクのしたたる足下をカレンがすり抜けている。足の動きからして、透明な塊はそれを追ったようだ。そこへ、アレクが剣を振りかざす。 「……よし!」 確かな手応え。体液すらも透明なのか、手応えが確かにあったと思えたにもかかわらず、“それ”は透明なままだった。 「……休んでろ!」 ラスにそう言い残して、ディックもアレクに並んだ。アレクが斬りつけた直後を狙って、横薙ぎに剣を振るう。だがそれはむなしく空(くう)を斬り裂いた。 「…ちっ…! カレン! 左だっ!」 “それ”の動きを見つつ、ディックが声を上げる。もちろん、精霊使いとはいえ、全てが見えているわけではない。おおまかな位置はわかっても、攻撃を繰り出してくる腕そのものが見えないのだ。だからそれも勘でしかなかった。 「…くっ…!」 ディックの言葉と同時に身を沈めたカレンが、自分の頭の上を確かに何かが通り過ぎていったのを感じて、思わず声を出す。 「アレク! 伏せろっ! ……ヴァルキリー、おまえの投げ槍をっ!」 呼びかける声と共に、精霊語の詠唱。ディックの脇をすりぬけて、光の投げ槍が“それ”を貫いた。 「休んでろと…」 振り向いたディックに未だ青い顔をしたままラスがにやりと笑う。 「……わかった、とは言ってねえだろ?」 「ふむ…この角度なら……マナよ、いかずちとなりて走れ!」 自分の角度からならば、電撃が通りぬけても当たる先は扉であることを見越して、フェリアスが呪文を詠唱する。指輪がきらりと光った。 『ぐ…わぁっっ!』 “それ”が悲鳴をあげる。腕を振り回す気配がした。巻き起こる風でそれと知れる。 「うわっ!!」 振り回した腕の先が、アレクをとらえる。金属鎧であることが幸いして、致命傷にまでは至らないが、鉤爪の威力はすさまじい。思わず膝をつく。 「アレクさんっ!」 慌ててカイが駆け寄っていった。 「名も知らぬ生命の精霊よ…お願い、アレクさんの傷を……」 精霊へと呼びかけるカイの声を耳に入れつつ、ディックが剣をふりかぶる。アレクを鉤爪がとらえたということは、そこに本体があるということ。上段から振り下ろした剣は、確かにその肉体の一部をとらえた。 |
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