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No. 00083
DATE: 2001/05/14 01:25:51
NAME: カーナ、”楽師”ギル
SUBJECT: 思いださせるもの
春先の暖かさを含んだ風が吹きぬけ、辺り一面に広がる草原を揺らした。まだ冬の季節が残っていた一月も前であれば草も生えず、地面が曝された冷たい土地だっただろうが、草原となった今は鳥たちが舞い降り、兎たちが顔を出す。新しい季節がもたらせたこれらの暖かみは、果たして”彼”への慰めになってくれているのだろうか……。風に乱された赤い髪に指を通しながら少女は漠然とそんなことを考えていた。
彼女は足元に立つ一枚の石版を見下ろしていた。そこには共通語で次の文字が刻まれている。
「Billie 享年513年」
周りをぐるりと林に囲まれたこの草原は、木々が取り払われている代わりに石版が多数、やや雑然としながら立ち並んでいた。ここはオランの街にいくつかある共同墓地の一つだった。そして不遇の死を遂げた少年ビリーの眠る場所でもある。
カーナはただ一人その場に立っていた。ついさっきまで少し離れた場所で別の墓の埋葬の儀式が執り行われていたが、それらも彼女が来たのと入れ違いに去ってしまっていた。
彼のこんな最期を予想できなかったわけではなかった。でもそれは最悪の場合として……現実になるとは思いもしなかった。気をつけていれば防ぐことはできただろうか? 否。恐らく同じ結果となっていただろう。やっきになって捜す自分たちが犯人に出会えずにいるのだから、偶然に出会えた彼が逆に幸運なのだ。そしてその幸運が彼の最大の不幸だった。
結果は同じ。だがそれでも関わりのあった人間の死に対して沸き上がる悲しみや憤りが治まるはずもなかった。
カーナはその場にかがみこみ口の中で小さく祈りの言葉を捧げた。もっとも彼女は信仰する神を持たない。彼女の祈りの言葉は、今は亡き彼女の父親が使っていたのを彼女が覚えたものだ。
笛の音が聞こえてきた。
祈りを終えたカーナは、立ち上がり辺りを見回した。墓地の奥には一件の庵が建っている。丸い屋根が四本の太い柱に支えられている。笛の音はそこから流れてきていた。
男は丸太を削っただけで作られた椅子に腰掛けて目を閉じ、笛を吹いていた。風に揺れる銀色のしなやかな髪は彼を特徴付ける要素ではない。それよりも目を引いたのは、彼の身に付けている衣服だった。白い外套を羽織っているのだが、それは一番上の色に過ぎない。緑のローブを基調として赤、青、黄……色とりどりの薄い長衣を重ねて羽織り、調和を無視したその色合いはうるさいほどその存在を主張していた。
突然に笛の音がやむ。男は、いぶかしんで立つカーナの存在にようやく気付いたようだ。笛を下ろしてカーナの方に向き直り、仰々しくおじぎをしてみせる。
「何してるの?」
「笛を吹いていました」
自分の間抜けな問い掛けにもそうだが、相手のそのままの答えにも呆れる。カーナはこの意地の悪い男に何か言ってやろうと口を開きかける。
「ただの、新し詩の練習にございます。されど未完の詩を耳にされて『あの者に詩は頼めぬ』と思われては商売に障りますゆえ、このように人気のない場所を選んでいるのでございます」
明らかにある種類の笑みを浮かべながら自分を見るこの男をカーナも微笑みながら見返す。もっとも同じ表情でありながら二人にそれをさせる感情は大きく異なっていたのだが。
「楽師のギル、どうぞお見知りおきを」
椅子から立ちあがり、芝居がかった動作で丁寧におじぎする。
「ふうん、詩人さんなんだ……」
カーナは立ったまま腕を組み、柱の一本に寄りかかった姿勢で向き合っている。顔を上げたギルは、自分に注がれる疑いの眼差しに気付いた。
「なにか?」
「なんでそんな格好なの? それじゃ詩人さんじゃなくて道化みたいだよ」
この吟遊詩人が胡散臭く見える一番の原因を正面から指摘する。ギルは気分を害した様子もなく微かな笑みを浮かべて答えた。
「便利なのですよ、この服装は。多くのお客様にお声をかけていただくには、まずはお客様の目を引く必要がございますゆえ」
確かに、酒場にこんな格好をした男が突然入ってきたら店中の客の視線が集まるだろう。そこで詩人と名乗れば詩を欲しない者でも、好奇心から彼に声をかけるかもしれない。
「策士だね。実力で客を釣れないから、その分頭を使ってるんだ」
彼の言い分に納得して楽しそうに笑って見せるカーナに、ギルは今度は苦笑いを浮かべる。
「”実力がない”とはあんまりですね」
「だってさっき吹いてたようなんじゃ、あたしは銀貨払う気にならないよ」
冗談めかしながらも意地悪く言う。しかし、まるきり嘘でもなかった。この男の笛の音よりは知り合いのグラスランナーの吹く陽気な笛の方が彼女には好みなのだ。ギルはわざとらしく残念そうな顔をして受ける。
「やはり練習に場所を選んだのは正解でしたね」
「先ほどは詩が悪かったのですよ」
ギルは言い訳を始める。
「ただでさえ難しい詩な上、完璧に奏でなければ相手の心を掴むことができないのです」
「まるで狩人が『獲物を枯れないのは矢が悪い』って言い訳してるみたいね」
「実際にその通りなのでございます」
ギルはさらりと言ってのける。この開き直った吟遊詩人の態度にカーナは呆れる。
「道具を選ぶのも狩人の腕。あんたも詩を選べばいいじゃん」
カーナの意図する事に気付いてギルは慌てて答える。
「失礼いたしました。自分の腕のなさを棚に上げるつもりはなかったのですが……」
そう前置きして続ける。
「ただ先ほど申した通り、そのものは意味を持たない詩なのです。もし完璧に演奏できたとしてもお客様にお出しするつもりはございません。なぜそのような詩を練習するかと申しますと……ただの趣味、と申しましょうか」
「趣味?」
「ええ。難しい詩ゆえに完璧に演奏できる者は国中の吟遊詩人を集めてもそう多くありません。そのような詩を扱えるようになることは詩人仲間の間で……自慢になるのですよ」
そう言って笑って見せるギルを、カーナはまだ疑いの目で見ていた。
「分かった。じゃあ一曲頼むからそれであんたの腕を見せてよ」
「銀貨一枚にございます」
ぬけぬけと代金を請求するギルに声を失うカーナ。
「……こういう時は後払い、気に入らなかったら払わなくていい、とか言わないの?」
カーナの投げた銀貨を受取って、ギルは笑みを浮かべる。
「私の笛にはそれだけの価値があると自負してございます。さて、どのような詩をご所望でしょうか」
横笛を構えるギルの挑戦的な視線を正面から受けとめて、カーナはどんな曲を頼もうかと辺りを見回す。
彼女はここがどこなのか、自分がここに何しに来ていたのかを思い出した。
「”鎮魂歌”」
カーナの注文にギルは眉をひそめた。
「ここに知ってる子の墓があるんだ。彼のために……」
「申し訳ございませんが」
ギルはカーナの言葉を遮った。
「私にはその詩を演奏することはできません」
「どうして」
「他の詩をご所望くださいませ」
先ほどまでと様子を一変し淡々としたギルにカーナは疑問を並べる。
「鎮魂歌を知らないわけがないでしょ」
「はい、存じております」
「それなのに演奏できないの?」
「はい」
「どうして?」
ギルは構えていた笛を下ろした。
「お客様を満足させることができないからにございます」
カーナは注意深くギルの顔を見た。冗談で言っている様子はない。本気でそう思っているようだ。一つ溜息を吐いてカーナは右手のひらを差し出した。
「もういいよ。他に頼みたいものもないし、腕を見せてもらうのはまた次の機会にする」
ギルの返す銀貨を受取るとカーナはその場を離れた。しばしその後姿を見送ってからギルは椅子に腰を下ろす。
「気分を害されたかもしれませんが……」
”自業自得”と無視して演奏を引きうけることは、彼が自身にやるべきではないと禁じていることである。客のため、それが彼の信条であり詩人として、詩を売り物にする者としての彼のプライドだった。
もちろん彼にも引き受けることと断ること、どちらが客のためになるのか必ずしも正しい判断が付けられるわけではない。だが、今回はこれで良かったのだと思う。
ギルは目を閉じ笛を吹いた。最初にカーナが耳にしたあの笛の音が流れ始める。
まだ賑わい始めるには早い時間。カーナはまばらな客たちを見回す。その中に見覚えのある金髪を見つけて近づいた。
「やあ、ラスお兄さん」
「ん、カーナか」
カーナはそのままラスの隣の席に座った。
「どうしたの? なんだか機嫌悪そうだね」
「ちょっとな」
ラスはギルドの上役と言い争ってきたところだった。魔法を使える者が重宝がられる。精霊使いである彼はそのせいで何かと厄介事を押しつけられそうになり、今日は我慢できなくなって言い返してしまったのだった。
「だいたい俺は”本職”じゃねえのに。そりゃ属している以上は担当の仕事はきっちりやる。だけど専門外のことまでやらされる謂れはねえ」
「お兄さんは腕利きだから放っておかれないんだよ」
カーナがからからと笑う。
「笑うな。こっちは楽しくもなんともない」
ラスは残った火酒を空にすると店内を見回した。
「気晴らしでも頼もうかと思ったら……」
「吟遊詩人でも探したの?」
「ああ。こんな時間じゃまだいないらしい」
代わりに火酒のおかわりを注文する。
「あ、そうだ。詩人と言えば……」
カーナは昼間の墓地で会った男のことをラスに話した。
「ああ、あの笛吹きか」
「あ、知ってるんだ」
それなら、とカーナはラスにギルの評判を尋ねる。
「腕は悪くない。今いたら一曲頼みたいくらいだ」
「そうなの? でもいくら腕が良くても高飛車なのはいただけないよねぇ……」
「はあ? そんな評価は初耳だな」
「だって、あたしが一曲頼んだら断られたんだよ。別の詩にしろって」
「場違いな詩でも頼んだんじゃねえのか?」
笑ってラスは店員の運んできた火酒のおかわりを傾ける。
「その時に一番合った詩を選ぶやつだからな。余計なお世話なとこもあるけど。前も……」
ラスの言葉にカーナの中で何かがひっかかった。墓地で死んだ人のために歌ってくれと頼むのに”鎮魂歌”が場違いなはずはない……なのに、頭の中でどこかが違うと言っている……。
宿に帰ったカーナはまっすぐ部屋に入ってそのままベッドに倒れこんだ。あのあとラスと話してる間も、別れてからも、ずっとさっきのことが気になっている。何か、忘れてはならない大切なことを忘れてしまっている気がする……。
一度気になるとどうにもならなくなる性質だ。なんでもいい、せめて何か手掛かりが欲しい。
ベッドに倒れこんだまま記憶を辿る……自分はいったい何を忘れてしまっているのだろう……。
ふと、何かが彼女の記憶を弾いた。それは何かの音楽だった。昼間に墓地でギルが吹いていたあの笛の音だ。詩そのものに覚えはなく初めて聴くものなのに、あの詩は確かに彼女に何かを思い出させようとしていた。あと少し、少しだけ……。
「おや、またいらっしゃってたのですか」
吹いていた笛を下ろして型通りの挨拶を見せるギルにカーナは曖昧に返事する。
あれから三日が過ぎていた。その間、彼女は心の中のひっかかりを大したことじゃないと忘れようとしていた。だが、忘れようとすればするほどに”それ”が忘れてはならないものだという思いが確信に近いものになった。それならと逆に思い出そうとするのだが、思い出すこともできない。
カーナはギルの笛の音を求めていた。なぜだかは分からない。しかし、あの時聴いた詩がきっかけになるような気がするのだ。もういないかもしれないと思いながらも再び墓地の庵に足を運んだ。果たしてそこには、前と同じように笛を吹くギルの姿があった。
「よほど大切な方を亡くされたのですね」
カーナの目的が自分の笛だと知らずに見当違いの言葉を送る。はっとしてカーナはビリーの墓を振り返った。心の中でごめんと言って再びギルに向き直る。
「一曲頼みたいんだけど」
意外な言葉だったのだろう。ギルはしばし表情を失ってカーナを見返した。感情を隠しているカーナの顔、しかし数多の客の顔色を見て詩を選んできたギルにはその奥に潜む感情を読み取ることができた。不安……彼女は闇夜の中で松明を落としてしまったのか。
ギルは客を前にするときの姿勢に改まる。
「楽師のギル、お客様がお求めとあれば牢獄の奥であれ詩を奏しいたしましょう。ましてここは陽の光の当たる場所。どのような詩をお求めになりますか」
「”鎮魂歌”」
「先日も申しましたが……」
「分かってる!」
落ち着いて言ったつもりだったが、それでもカーナの声は普段より強められている感があった。
「場違い」
カーナはそう前置きして言葉を切った。言うべき言葉を頭の中で整理する。ギルは黙って続きを待った。
「場違いな詩だからこの前あんたは断ったんでしょ? その理由は分からない……だけど、分かるような気がする。なのに思い出せない……」
「……ご説明いたしましょう」
「いらない!」
ギルはカーナの言葉を待ち、カーナは言うべき言葉を見つけ出せないでいた。しばし、沈黙が流れた。
「お客様のお抱えになっている不安は分かりました。大切な記憶を忘れてらっしゃるのですね。お客様のために詩を歌うのが我ら吟遊詩人の勤めにございます。もし私の詩が思い出す助けとなるのであれば、私はお客様のためにこの笛を奏しましょう」
カーナはその言葉にすがりつきそうになる衝動を抑えなければならなかった。代わりに銀貨を1枚取り出して詩人に投げる。
「一曲おねがい。詩は……この前あったときにあんたが練習してたあれを」
カーナがあの詩を望んだことで、ギルは彼女が何を欲しているのか察することができた。客が望むなら、客のためならどのような望みにも応じるのが彼の成すところ。だが、ギルはその前に一つだけ確かめる必要があった。
「あの詩はちょうど昨日、自分のものとできました。されど一つだけ申し上げます。お望みの詩は詩ではあるものの詩ではございません。すなわちあれは……」
「かまわない」
きっぱりと答えるカーナ。ギルは承知しましたと言って受け取った銀貨を懐に仕舞い、横笛を口元に構えた。カーナはその場に立ったままで聴く姿勢に入る。ほどなくして笛の音が辺りに流れ始める……。
笛の音が止んだ後もカーナは目を閉じてじっとその場に立ち尽くしていた。ギルは笛を下ろしてじっと待っている。やがてカーナは右腕の袖口でぐっと目を拭って目を開いた。
カーナは昔の記憶を思い出していた。父親の記憶……父親と旅をしていた記憶、父親の言葉を。
人の死に触れたことがあった。あれは生まれ故郷のザーンからタラントに入ろうとしたときだったと思う。一人の旅人が倒れていた。武器を携えていたから冒険者だったのだろう。腕に自信があったのかもしれないが、妖魔が姿を見せることも希ではないこの国を渡るのにはいささか不用心だった。
彼女の父親は、娘の手前もあったのだろう、捨て置くことはなく簡単な塚を作ってその旅人を弔った。カーナはずっとそれを見ていた。塚の前に二人で並んで祈りを捧げる。カーナはただ父親の真似をしただけだったが、その祈りの言葉の中にはどの神の名も出てはこなかった。
後から父親は話してくれた。”鎮魂”の詩や言葉は必ずしも死者を送るものにならないことを……。
「正しい意味を知る司祭様などならばいざ知らず」
ギルは話し始めた。
「私どものように神に関わりを持たない者が知る”鎮魂”の言葉はむしろ”魔除け”と言ってもいい意味を持ちます。すなわち、死者の魂の安らかなる眠りではなく……」
「魂の浄化、酷いときには消滅を祈る、でしょ?」
それは本来、不死の魔物となった邪悪なる魂に対してのみ向けられるものだ。だからそれを知っていた彼女の父親は神の名を借りた祈りを用いず、自分の言葉で死者の安らかなる眠りを祈った。
ギルはうなずく。
「そして、”鎮魂歌”は特に後者の意味合いが強いのでございます」
ビリーの安らかなる眠りを願うつもりが、知らずに彼の魂までも苦しめることにかったかもしれなかった。いや、そのことを頭のどこかで覚えていたからこそ、ラスに言われた場違いという言葉があんなにも気になったのだ。
しかし……と、カーナは思う。この吟遊詩人は最初からそれを知っていたから自分の頼みを断ったのだろうが、それならどうして最初からその理由を教えてくれなかったのだろう? 目の前で笑みを浮かべてる様子に、この男の意地の悪いところが見て取れる。思い起こしてみれば最初の印象からそうだったのではないか?
でも……、
「いろいろありがと、詩人さん」
カーナはにっこりと笑ってその言葉を言えた。別にいいか、とも思う。なにしろ自分にとっては結果的にこの方が良かったのだから。ギルはカーナの表情にあった不安の影が消えているのを見てとって、満足げに微笑む。そして芝居がかったほど丁寧に礼を返した。
「どういたしまして」
”望郷”
この詩は聴く者に家族や故郷、子供のころの懐かしい記憶を呼び起こさせる。しかしそれは詩そのものが聴く者の心に響くからではない。奏者の奏でる旋律がマナに働きかけ、当人の意志に関わらず、聴く者の心にそれらの記憶を強制的に、強烈に呼び起こすのである。
呪歌と呼ばれる詩の一つである。
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