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No. 00093
DATE: 2001/06/01 04:56:12
NAME: アイーシア、ロルル
SUBJECT: 通り魔事件
常闇通りと呼ばれるスラム街の一郭、とある安宿の一室に踊り子アイーシアはいた。
その部屋の出口である木戸に背を軽くもたれかせ、青い商人風の服を着た小柄な少年が相対している。その少年の視線は、真っ直ぐに眼の前に立った少女に注がれていた。
入口に立つ人物の体格はほっそりしているが、成長過程にある少年のものではない。すでに成人を迎えた、独特の硬質感を持つ腕が闇の中で組まれている。
漆黒の髪、普段は明るく光に反射する青の瞳が、今は蝋燭の明かりの下でくすんで見えた。
「君は、深入りしすぎたんだよ」
ロルルが、静かに口を開いた。
「そんなこと、あたし自身がとっくに分かってるわ」
同じく感情を抑えた声で、アイーシアが答える。呟くような小声だが、どこか訴えるような響きでもある。
「それでも、ここまで来た以上、もう後には引けないのよ」
対するロルルの回答は、無情とも呼べる冷静さと明晰を兼ね備えたものだった。
「君は依頼を引き受ける時に、それを吟味する猶予と、それを断るだけの理由があっただろう?」
アイーシアは押し黙る。いくばくかそれを考えるそぶりで、
「……だって、助けてしまったものは、しょうがないじゃない。たまたま通りがかったのはあたし、そして襲われる直前に顔を付き合せていた相手よ。放っておけるはずがないでしょう」
それがサファネという名の盗賊であることは、会話に上げずとも読み取ることが可能だった。
「それが、甘かったんだね。君は、判断を誤ったんだ」
吐き捨てる調子のロルルに、憤然としたアイーシアが言う。
「あんたに言われたくないわね。すくなくとも、面と向かって断定される言われはないわ」
「どうとでも。僕にとってはただの仕事だし、それについて君の行動をこれ以上、どうこう言うつもりはないよ。ただの親切心からくる、忠告みたいなもんだし」
言ってロルルはふたたび口を閉ざす。
「……あまり、嬉しくないわね。それより、あんたがここに居るだけの説明を、あたしはまだ受けてないわよ。あんたが偶然情報を聞きつけて、それを調べて物見遊山で出て来るはずがないでしょうし、あたしだって無駄な説明は省きたいところだわ」
「そうだね。手っ取り早く話に入ろうか」
双方の意見は一致したようだった。
「ダッティン・ヘイゼル準男爵を知ってるかい?」
「ヘイゼル……確か――数年前に、人身売買か何かの事件があった?」
アイーシアは思い出す。たしか自分がこの街を出ていた頃の騒動だ。
それは事件自体の禍根が疎遠になった今でも、噂ととなって界隈を流れている。アイーシアたち通商人を始め、酒場経営者、吟遊詩人などの芸達者、娼婦などがその主な運び手である。
「正確には、その捕まった犯人がヘイゼル家の出自なんだけどね」
「その怪しげなヘイゼル家と、あたしがここに居ることと、何の関係があるというの?」
「君が会いたいなら、会わせてあげるよ。そのヘイゼル家の人物に」
「……どういうこと?」
いぶかしんだ眼差しを向けるアイーシアに、ロルルは微笑みをたたえる。
「訊かれたところで、僕が答えられるようなことじゃないね。僕だって君がどうしてここにいるか、なんて聞かなかっただろう?」
「どうしてだか聞かなくたって、ここにいる以上、あんたはすでにあたしと事の推移自体をお見通しなんでしょうに」
「とにかく……どうするのさ。行くの?行かないの?」
笑んだままで早急に答えを請求せんかのような目線に、アイーシアは口を引き結んだ。
「――行くわ」
そうしたロルルとのやり取りの二日後、アイーシアはアイラという名で身分を偽称することとなる――
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