魔術師の信仰 ( 2001/06/08 )
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作者
登場キャラクター
デアテーラ



 わたしの名は、デアテーラ・オルガネラという。
 魔術師ギルド無所属の、大陸の一魔術師である。わたしは普段、精神魔術の研究に独自の手法をもって携わることが多く、また大陸各地を点々と放浪する身ではあるが、人間関係は閉鎖的と自己評価している。
 世間一般の人々にとって、魔術師は畏怖と尊崇の対象であるようだが、それについてわたしは反論をせぬ。人々がわたしを見る最初の一目により、わたしの評価が安易に下されるということは、これまで大陸を放浪する間に身をもって経験してきたことだからだ。
 だが、わたしが信仰するのは、大陸六大神のうち魔術師にもっとも多いと言われる知識神ではなく、一般市民らと共通する至高神ファリスである。
 正義と秩序にのっとった、法の守り手。それがファリス神であり、その信仰者である人々の一般的な呼称である。人々が秩序にのっとった行動をし、世界に不変の「正義」を実現することが、至高神の教義として世に遍く知れ渡っていることは、今ここで、わたしが新たに繰り返すまでもない。
 わたしは、ファリス神の司るこの秩序を、目に見えない光の秩序だととらえている。生来的に視覚に問題を持つわたしにとって、目に見える秩序というものは、そもそも馴染みが薄いからだ。
 信仰というものは、信じる者によって見解が異なるのがふつうである。
 わたしは過去に、自分の弟子から質問を寄せられたことがあった。
「私は以前から、師である貴女の信仰の姿に、疑問を抱いていたのです」
 彼女の質問とは、わたしがほんとうにファリス信者なのか、あるいはほんとうに至高神を信じているのか、それを問い正すという疑念であり、わたしに対する不信感の顕われだった。
 まだ弟子を迎え、日の浅かった頃のわたしではあるが、すでに互いの人となりを把握して久しいと呼べるだけの月日を、共に過ごしていた相手である。
「質問は、全てこれに。どうかお答えください」
 わたしの弟子はそう言ったあと、わたしの手元に書面を載せ、一礼し、無言で部屋を立ち去った。
 質問に直接答える方法はなかったが、質問は退室後も、わたしの机の上に封書として置かれたままだった。
 わたしは手元にあるそれに、興味を抱いた。それをそのまま放置しておくことは賢明ではない――わたしは、これらの質問について考え、その後、手の空いた短い時間を見つけて答えを書き記した。
「あなたは、わたしに質問をした。だから、それについて答えを受ける権利がある――わたしは、あなたに答えを届けよう。あとは自身で、適切と思われる形で処置するといい」
 わたしは、文面にこう記した。
 わたしは己の信じる方ゆえに、その信じるものと、その方の偉大さ、尊厳を内包して尚包みこむ寛容さ、そしてその尊さを人々に伝えなければならないと、つねに心に戒めている。だが、ときとしてわたし自身のありようが、人々にそれを許容することのできない状況をつくり出すようであることも、また一般的な事実である。それを信徒として、わたしは残念に思ってならない。
 わたしは己を、偽ることはできない。
 もとめられた証言に対して、うそをつくことはできないのだ。
 わたしは机の椅子に座り、手紙の内容に吟味をしはじめた。

 わたしが受け取った分厚い封書、その手紙に、こうあった。
「次のようにお尋ねするのを許していただけるでしょうか。オルガネラ師は、神との関係について、一度でも信念の揺らぐことはなかったでしょうか。ファリス神の教義について、疑問や問題意識を一度もお持ちにならなかったのでしょうか」
 その質問に対するわたしの返答は、以下のとおりである。
「とあるファリス神の司祭から、わたしが最初の勧告として彼に『恐れることはない』と告げられたことは、わたしにとって多いなる意味を持つものであると断言できるものであり、そしてその言葉こそが、わたしの信仰を見出すことになった着眼点の要であると、今もって確証される。この言葉が己の内に繰り返されることで、わたしと司祭との信頼はもとより、わたしと目に見えない神との間で秘蹟がもたらされたと、わたしはここで宣言してはばからぬからだ。
 この神からの啓示は、人々がこれを受け入れるか拒否するか、二つに一つであり、そうしてわたしにはそれを熟思し、受け入れられるの備えがあった。そうでなければ、わたしはこれらのことをすべて拒否し、次のように明言することが可能だからだ。
「この世に神は存在しない。神はわたしに『恐れることはない』と告げることはなく、わたしが相対したのは司祭という名目の詐欺師である」
 選択するに際しては人間の主体性(イニシアチブ)が必要である。しかしわたしに備えが与えられたとき、この選択は人間のイニシアチブだけではなく、人に働きかけ、啓示される神の業であるとも証言することができる。これこそがわたしの信仰者たるべき証しである。
 人間はその弱きの中にあってさえ、日々偉大であり続ける。受胎から死に至るまでのすべての人間の尊厳を証しすることを、わたし自身、恐れてはならぬのである」



  


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