忘れられぬ夜 ( 2001/06/14 )
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作者
登場キャラクター
ネラード



 森の中にひっそりと建てられた、木造りの小さな家。
 古ぼけて、年季を感じさせる部屋の中を、ランタンの光が淡く照らしている。
 私は畏まるようにして椅子に座っていた。
 目の前には一人の女性。しゃがみこんで、目線を私と同じ高さに合わせている。
 栗色の長い髪に、同じく栗色の瞳。顔立ちはどこか幼い感じがした。
 暫くして、私は何か言おうとしたが、彼女が自分の人差し指を私の唇に当てて、台詞を遮った。
 私はきょとんとして彼女を見直した。
 透くような白い肌は、綺麗ではあるが彼女を弱々しく見せてもいる。華奢な体つきがその儚さを助長していた。
 浅葱色の服は全体的に露出が高い。恐らく動きやすさを重視したデザインなのだろう。
 その彼女から、微かに木と花の香りがする。その香りはなぜだかとても懐かしい気がした。
 そして、私を優しく見つめる彼女の、両耳。
 それは私の耳とは少し形が違っていた。ほんの少し、尖っている。
 再び何か言おうと口を開きかけた時、彼女が静かに、だがはっきりと語りかけてきた。
 「ねぇ……貴方の事、ネル…って呼んでいい?」



 「………!」
 ハッとして起きあがり、慌てて息を整える。
 辺りを見廻すと、そこは宿の一室………そう、きままに亭の自室だった。
 カーテンをずらして外を見ると、まだ月明かりが大地を照らしていた。
 「……あのときの、夢か……」
 私はベッドから立ち上がると、テーブルの上にある水差しを手に取り、カップに水を注ぎ、少し飲んだ。徐々に頭の中の霞が晴れてくる。
 オランに滞在してはや十日。とはいえ、慣れない土地での生活は、身体にも色々と細かい負担をかける。
 ホームシックに罹る訳ではないが、昔の夢の一つも見るというものだ。
 落ち着きを取り戻すと、ベッドの下の荷物から呪文書を取り出して、テーブルの上に置いた。
 ランタンに明かりを灯し、椅子に腰掛けて書を開く。私はゆっくりと、呪文書を読み始めた。
 ふと、中表紙の署名が目に入った。署名は、共通語でこう書かれている。

 ――ルミナス・シェアウィンドより、親愛なるネル、ネラード・ヴォーケインへ――

 ネラード・ヴォーケイン……それは私の名。この世界で自分の存在を示すものだ。
 そして、ルミナス・シェアウィンド……その名前は、私の師であり、母でもある者の名だ。
 私はその署名を見つめながら、昔の事を思い出していた。


 師から聞いた話だが、私は生まれて間もなく親から捨てられたらしい。ルミナスの住んでいた森の傍に捨てられた私は、それはそれは静かだったらしく、赤子のくせに一声も上げなかったそうだ。
 そこに…ルミナスが現れた。彼女は私を抱き抱えると、その足で森の長老達の所に行って、私を森で育てる事を嘆願してくれた。
 長老達は難色を示した。そもそも、ルミナス自身が半妖精であり、エルフであった母親の遺言でなんとか森の端に住まわしてもらっていたのだ。 この上、更に厄介事を増やすのか…と、彼らは口々にルミナスを貶した。
 それでも、彼女は引き下がらなかった。私は良くて、どうしてこの子は駄目なのか…と長老達に詰め寄った。
 長老達は幾らかの話し合いの末、一つの決断を下した。
 それは「拾った本人が育てるのならば、その赤子を森に置く事を許可する」と言うものだった。
 ルミナスはそれを承諾した。
 その瞬間、彼女は私の母になった。

 「森の守り人」としての役割と、子育ての両立は大変だったと、いつだか母は語ってくれた。何しろ、当時の母はまだ成人前で(少なくとも長老からは成人と認められていなかった)、おまけに守り人としても未熟な事この上なかったらしく、森の住人達から、子育てを止めて、私を人間の孤児院に送るようにと何度も忠告されたそうだ。
 その度に母は彼らの提案を断った。この子は私が必ず育てる、守り人の役割も果たすから…と。
 数年後、私に物心が付く頃には、母はその事では誰にも文句を言われない位に自分を鍛え上げていた。
 物心が付いて間もないある日、私は何気ない疑問を母にぶつけた。
 自分にはどうして父親がいないのか、何で母と自分で耳の形が違うのか…。
 母は微笑んで、「今夜お話するからね」と言った。
 そしてその日の夜、私は母から色々な事実を聞かされた。
 私が捨て子だった事、それを拾って、今まで育ててくれたのが母だという事、ネラードという名前は母が見つけた時から付いていた事、母もまた、親と共に一人の男に捨てられたという事…。
 そして、私と母はそれぞれ違う種族であるという事実と、母の種族は森の長老や人間からは敬遠されている存在だという事を教えられた。
 初めて聞く真剣な話は、長くて、しかも難しくてとても憶え切れそうになかった。
 しかし不思議と、あの夜の話は何一つ忘れてはいない。
 ようやく分かる事だけを理解して、口を開きかけた所を、母に指で遮られた。
 暫く母と見つめ合った。母の栗色の瞳が、切なげに私を見つめていた。少しして、もう一度台詞を言おうとした時に、母が優しい声で言った。
 「ねぇ、ネラード……貴方の事、ネル…って呼んでもいい?」
 私は反射的に「うん」と言っていた。何故なら、その時言いたかった事こそ、「たとえ昔に何があっても、母は自分の母である事に変わりはなく、又、自分は母の子である」と言う事だったのだ。
 この時、母と私は真の意味で「家族」になった。
 その夜、私はネルと言う愛称の他にもう一つ、名を貰った。
 「ヴォーケイン」…母はその言葉を私の姓にするように伝えた。勿論、私の答えは「はい」だった。
 後になって分かった事だが、その名はかつて母ルミナスと彼女の母親を捨てた男の名前だった。
 何故そんな名が与えられたか、私にはなんとなく分かっている。
 決して恨みや復讐の念からではない。彼女もまた、自分を捨てた父親を愛しているのだ。
 母からその愛すべき名を貰った事を、私は誇りに思っている。
 そしてまた私も、私を森に捨てた顔も知らない産みの親を、心から愛している。



 ふと気が付くと、カーテンの隙間から柔らかな光が漏れてきている。どうやら思い出に耽っているうちに朝になったようだ。何時の間にかランタンの明かりも消えている。油が少ししか残っていなかったのだろう。
 妙に清々しい気分になった私は、下に降りて朝食を取ろうと思った。
 銀色の髪を梳き、紐で結び、いつもの薄茶のクロースに身を包む。右手にはスタッフ、左手には呪文書の入った鞄を持つ。どちらも旅に出る時に母から貰ったものだ。これがあるから今の私が居る。
 カーテンを開け放ち、窓を開けて涼やかな風を身体に浴びると、全身に活力が沸いてくる。
 僅かに木の香りのする風が身体を撫でていく。心地よい開放感に身を任せながら、私は青く澄み渡る空を見上げ、呟いた。


 「……おはよう、母さん」



  


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