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青い霞みが私の周りを取り巻いている。話しに聞く霊験あらたかなエア湖の湖水の様に青い霞だ。
その霞の向うから私を呼ぶ声が聞こえる。ウォレス帰って来なさい・・・・・・・帰って来なさい・・・・・、と。 しかし、私はこの安息をもたらす暗闇から日の差す表に出ていく気は無かった。ここは私が憩う場所、なによりも安心できる場所だったのだから・・・・・・・。 まただ、また私を呼ぶ声が聞こえる。あの騒々しい喧騒とどぎついばかりに生を主張する現実に誘う声が。 私は叫ぶ。”いやだ!!戻ってなんかやるものか!!” しかし、私を呼ぶ声は、いっこうに収まる気配を見せずに尚も語りかけ、ついには耳元で一千もの鐘楼が打ち鳴らされたかのように響き渡る。 私は耳を押さえ、目を閉じる。そうすれば、何もかも無かった事にできるかのように・・・・・・・・・・。 それでも、声は私を呼びつづけ目の奥には色とりどりの光りがちらつきだした。 その騒音と光にもう耐えられないと思った瞬間、私の意識は弾け身体が軽くなるのを感じた・・・・・・・・・・・。
最初に気付いたのは、青い瞳が私をじっと見ている事だった。 次にその瞳の持ち主がハーフ・エルフだと気付く、どこかで見た顔・・・・・・・・どこでだったか? ああ、思い出した・・・・・・確か、きままに亭にいた半妖精の精霊使いだ・・・・・・・・。 「ここは?・・・・・・・それに、どうしてラスさんが?」 私はぼんやりしながら、誰にとも無く呟く。 「ウォレス、私が分る?アンジェラよ。」 姉さんが、碧の瞳を潤ませながら私の顔を覗きこむ。 何故、私はここに居るんだろう? 額に手を当て、鈍く痛むこめかみを揉みほぐす。 朧に浮かんでは消えていく刹那の映像、意味を成さない人々の言葉・・・・・・・・・・・・・。 それらが、不意に一つの形を取り、私の脳裏に大量の記憶が甦る。苦しい・・・・・吐き気が酷い・・・・・・・・・。 眼の端でラスさんが奇妙な言葉と妙な手振りを交えて何かをしているのが見えた。 そう、思った瞬間、私は気を失った。
次に目が覚めたのは、数人の話し声が聞こえたからだった。 白い布が掛った衝立の向うから幾人かの話し声が聞こえる。 「・・・・・・・薬はもう十分だろう。あとはしばらく様子を見なければ何とも言えないな。」 「シェイドは落着いてる、レプラコーンの影響が少し強い様だけど今は落着いてるよ。」 「そう・・・・・ありがとう、貴方達には本当に感謝してるわ。」 「いや、いいってことよ。それよりも、余ったリグリア石は報酬として貰うからな。」 そういった、やり取りが続き、やがてドアを開ける音、階段を降りる音が聞こえ室内は静かになった。 私は彼等が行ってしまうまで息を潜めて寝台の上にじっとしていた。多分、おぼろげな記憶が私にそうさせたのだろう。 今や私は、記憶の大部分を取り戻していた。 学院の調査隊と遺跡の調査に赴いた事・・・・・・・そこでの事故による右手の損失・・・・・・・・・魔法仕掛けの右手とともに勧誘された禁断の魔道実験・・・・・ 私を追う者達との衝突・・・・・・・それらが鮮明に私の意識野に投影される。それは、湯気で曇ったガラス窓を拭い去ったかのようにはっきりと。 しかし、そこから先の記憶は朧にしか覚えてはいなかった。 微かに残る映像の残滓からはむず痒いような甘酸っぱい感触が残るだけだ。その記憶は同時に強烈な吐き気も催されるものだった。 この事は、後で考えた方が賢明だろう。 前後の事情ははっきりしないが、私は姉さんに助けられたらしい。腹立たしい事だが。 私は、ランプのほのかな明りの中、思索に老ける。 まるで、学院にいた頃に戻った様だなと一人苦笑を浮かべながら。 そういえば、これは学院にいた頃の虫食いだらけの古文書を解読した作業に似ていた。前後の文脈から矛盾しない言葉を推理するのだ。 今は、文脈が記憶に置き換わっただけだ。 小一時間ばかりも過去の記憶と向き合うとおぼろげながら事の真実がはっきりしてきた。 つまりは私は失敗したと言う事だ。(この事実と向き合うと多少なりとも気が滅入るが・・・・・・・・・。) とんとんとん・・・・・・・・・。 誰かが階段を登ってくる音が聞こえる続いてドアを開ける音・・・・・・・私は反射的に寝たふりをする。 薄目を開けて様子を窺っていると姉さんが近付いて来ていた。 私から、話しかけるべきだろうか?いつまでも誤魔化しは続かないだろう。ならば、アンジェラ姉さんと二人だけになったときに話し合うのが理想だと思える。 まさに、今この時こそ絶好の機会だと言える。 「まったく、余計な事をしてくれたものですよ・・・・・・・・・アンジェラ姉さん」 この時の私の声は軋んでざらついた声になっていただろう。 姉さんは驚いた顔で私を見ている。 「何を驚いているんですか?姉さんのお陰で現実に戻って来る事が出来たんですよ。こうなる事が姉さんの望みだったんでしょう?」 「ウォレス・・・・・貴方、記憶が・・・・・・・・・・?」 「ええ、戻りましたよ。<b>親愛なる姉さん</b>のお陰でね。」 この後は、何を話したのかよく覚えていなかった。感情に任せた罵り合いをしたような気がする。 ただ最後の場面は覚えていた。そろそろ夜が明けようかという刻限、その事は一生忘れないだろう。何しろ魂に刻み込まれてしまったのだから。 「・・・・・・・・・・どうしても、出ていくって言うの?」 姉さんが勝気な碧の瞳に悲しみを湛えてそう聞いてくる。 「ええ、こうして記憶が戻った以上はここを出ていくべきでしょうね。それは、姉さんも分っていた事でしょう? それに、安心してください。もう姉さんをどうこうしようとは思っていませんから・・・・・・・・・・・・・。 あの事件は良い教訓でしたよ。ええ、私には姉さんは殺せません。私は姉さんを愛しているんですから・・・・・・。」 「だったら・・・・・・。」 「いえ、最後まで聞いてください。でもいずれまた憎む事になるでしょうね・・・・・・・・・・・・・。 なぜって?私はね、昔から姉さんを妬んでいたからですよ。オランに来て姉さんと偶然再会したときから、その気持ちはありました。 いつも、私よりも下位古代語も剣術の稽古も何でも出来る、綺麗な姉さんは私の憧れでした。同時に仄かな嫉妬もね。 その暗い炎が私の中で大きくなるのにさほどの時間はかかりませんでしたよ。 だから、あの姉さんを刺した時にも躊躇はありませんでした。あの時、私の中で現世のモラルが崩れていくのが感じられました。 今は、姉さんを憎む気持ちはありませんが、一緒に暮らしていれば、また憎しみが湧いてくるでしょうね。 それに、今の私には魔法が一番であり、世の中と姉さんは二の次なんですよ。 これが、私が姉さんと一緒に居られない理由ですよ。どうです?納得して頂けましたか?」 姉さんは、分ったとでも言うかのようにそっと溜息をつくと、私がここに運びこまれた時から置いてあったのか、魔術師の証、私が愛用していた杖と姉さんが縫ったと 思われるローブ、それにずしりと重い金袋を差し出した。 私が、拒む仕草をすると、私の頭を抱きとめそっと耳元で囁く様に語りかける。 「私は、あの時、あなたに何も姉らしいことをしてあげられなかった・・・・・・・・・・・・自分の事で手一杯だったから・・・・・・・・・・。」 あの時とは、ウィンガールド家を出ていった時の事だろう。 「だから、今この時はせめて、あなたの役に立つ事をしたいのよ・・・・・・・・・・・・・。」 そして、私の顔をまっすぐに覗きこむと、昔、寝る前によくやってくれたように額にキスをした。 「さようならは言わないわ、生きていたら、また会いましょう。」 その優しい微笑みは私の魂に刻みこまれ、一生忘れる事は無いと思われた。 私は、黙って姉さんから手向けの品を受け取り、払暁のオランの街に出ていった。 街路に出ると昇り始めたばかりの太陽が大理石の街並みに朝日の最初の一閃を浴びせている所だった。 セルリアンブルーの抜けるような青空、夜露が残った街並みは朝日を浴びてキラキラと輝かんばかりだ。 世界は、まるで生まれたばかりの様活き活きとしていた・・・・・・・・神々の時代、最初の朝が訪れた時の様に・・・・・・・・・。
あの子は、行ってしまった・・・・・・・・・・・・・・・・。 子が巣立っていく時の親の気持ちって、こんな風なのかしら?寂しいような、嬉しいような複雑な気持ち・・・・・。 あの子の去って行った、階段をぼんやり見ていると、人の気配と微かな足音。 そして、勢い込んで入ってくる一組の男女。ああ、あの子が昔、組んでいたパーティーの仲間だ。 リックとリュイン、ボーイッシュな格好をしたリュインが顔を上気させながら聞く。 「アンジェラさん!ウォレスが治ったって本当!?あいつは今どこに居るの?治ったら、言いたい事が山ほどあるんだから!」 「ああ、俺もあいつには言いたい事があったんでな。」 二人は、部屋の中をきょろきょろ見回すが、もちろん、あの子が見つかるわけが無い。ついさっき、出ていってしまったのだから。 「流石、盗賊、耳が早いのね。でも一足違いだったわね、あの子なら、今しがた出ていったわよ・・・・・・・・・・・・。」 我ながら、疲れた声だと思うと苦笑の一つも出てしまう。 「出て言ったって・・・・・・・・アンジェラさん、止めなかったの?」 「もちろん止めたわ、一緒に住んでやり直しましょうって説得したわ。でも、駄目だった。 あの子の中では、私は二番で一番は魔法なのよ。だったら、無理して一緒に住んでも破綻を招くわ。 だから、行かせた・・・・・・・・・それじゃ、駄目かしら?」 「あんた、それで平気なのか?」 「ええ、納得はしにくいけど、事実は受け入れるしかないでしょ。私だって、あの子と一緒に住みたいわ。 でも、それは出来ないのよ。あの子の中で決定的な何かが変わらない限り・・・・・・・・・・・・ 今から、追えばまだ、間に合うんじゃないかしら?言いたい事があるのなら、言ってしまった方がいいわ。 私は、あの子と過ごした14年分を一晩で清算したから、もう十分だけど。」 最後の方は、微笑む余裕が出来た。あの夜を過ごした時は一生、笑う事なんか出来ないと思ったのに。 「じゃあ、俺はあいつを追う。一発、殴ってやらないと気が済まないからな。いくぞ、リュイン。」 「あ、待ってよリック。」 二人が、出ていくと急に病室が寂しく感じられる。あの子は、こんな寂しい病室に、いつも一人だったのかしら?明りが欲しいわね。 もう、夜は明けている筈だ。鎧戸から微かに明りが差しこんでくる。 戸を一杯に開けると、オランの街が城壁まで見渡せた。 朝日は大理石造りの街並を東からの光線で射抜いてるかのようだ。 セルリアンブルーの抜けるような青空、夜露が残った街並みは朝日を浴びてキラキラと輝かんばかりだ。
世界は、まるで生まれたばかりの様に活き活きとしていた・・・・・・・・神々の時代、最初の朝が訪れた時の様に・・・・・・・・・。
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