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若者は深い森の中を疾走していた。
真っ直ぐに立てば見上げるような長身に、バランス良くついた筋肉が、その内にある力を十二分に発揮して、巨体に合わない速度で、ぐんぐんと地を蹴っていく。 若者ははやる気持ちを押さえきれないでいた、心の内からくる衝動がそのまま身体に伝わった様な躍動感だった。 右手に大人の身長程もある長弓と矢筒を背負い、木々の間を獣の様に走り抜ける。 ハァハァと荒い息を立てながらも、速度は衰える様子は無い。
木々を抜けると次第に開けた場所に出た、周りに人影は無く、頭上にそびえ立つ針葉樹の隙間から朝の陽光が差しこんでいる。 「ハァ、ハァ…いない!、…何処だ!」 呼吸を整えながら注意深く当たりを探っていると、馬のいななきが耳に入った。 途端に弾かれた様にその聞こえた方向へ走り出す。 生い茂る丈の高い草を分けて走り出た時、視界に一匹の馬と、背をこちらに向けた男が見えた。 距離はおよそ70歩、ひらけた場所で遮る物は何も無い。 若者は素早い動作で矢筒から数本の矢を引きぬくと無造作に一本を番える。 見るからに強靭そうな長弓の表面が一気にたわわんだ。 射つ。 その瞬間、背を向いていた男が振り返りもせず、咄嗟に身を伏せた。 まるで何かが爆発したかの様な弦鳴りと共に、見えない何かが若者の方から飛来し、馬を繋いでいた木の幹に突き立った。 幹の表面が弾け、矢尻よりも大きな孔が穿かれ、幹に巻いてあった手綱を切断していた。 突然の事に繋がれていた馬が暴れだし、狂った様に駆け出した。
若者は既に新しい矢を番えていた、その矢は今度は男の方に向ける。 「まずは馬を逃がした、…もう、逃げられないぜ、あんたが走り出したら、遠慮無く撃ち抜かせてもらう、…背中をな」 若者の弓の腕は木の幹に巻いてある手綱を射貫く腕前だ、より広い面積を持つ背中はより易しく射貫ける。 男はゆっくりと立ちあがった。 きわめて軽装だった、鎧らしい物は一切身に着けていない。 ししどに濡れている。 そして、その厚手の衣服の上からでも、その中の引き締まった筋肉が分かる。 その男が有する肉の圧力だ。
その時若者は気が付いた。 男の手に何時の間にか長剣が握られている事に。 なぜ?、何故に剣を?コイツは狙撃手ではないのか? 若者の心に生じた一筋の迷いは、浮かんで直ぐに消えた。 やはり、コイツは、あの男なんだな…。 「おい、…そいつを捨てろ」 弓は既に引き絞られ、不動の態勢で男を捕らえている。 「………捨てろよ」 その時、男が広い背中越しに若者を見た。 剣は握ったままだ。 濡れた黒い長髪、鏨で鉄の塊を削いだような、強い意思を漂わせる整った風貌。 そして、男の両眼が、強い光を漂わせて、若者を見ていた。
「……………夢かよ」 薄ぐらい寝室、ドーガは呟いた、まだ夜は明けていない。 すぐ顔の近くでカローナの寝息が感じられる。 彼女の柔らかな重さが心地よかったが、心臓の鼓動が彼女を起しはしないかと心配だった。 暫くは鼓動は収まらなかった。 彼女を起こさない様に左腕をそっと毛布から抜く。 窓から射し込む月光に照らされた左腕にうっすらと跡が見えた、それは肘のすぐ 下をぐるりと円を描いていた。 「8年か…、もう、消えないな、恐らく」 あの時…、8年前の…、あのレイドの戦いで全ては変わった、…しかし、だからこそ、今の俺がいる。 暗い宙に拳を握り締める。 「…どうしたの?」 「悪い、…起こしたな」 カローナの視線が腕へと移る。 「これは…傷?、深いわね、…でも、それにしては肉が盛り上がってないわ」 カローナは指を腕に残る線に沿わせながら、気だるそうに身をドーガに預ける。 女性にしてはかなりの長身だが、ドーガとなら釣り合いがとれる。 右手でカリーナの肩を抱き寄せると、己が左手を見つめたままドーガは呟き始めた 「あれは…、俺が18の時だった…」
15で冒険者の道を歩みはじめて、3年、そろそろ、腕に覚えがついた頃だった。 そんな時、レイドがロマールに戦争を仕掛け、ロマールは辺りの傭兵を手当たり次第かき集めた。 俺もその中にいた。 俺は18の若造だったが、弓に関しては、ずば抜けた才能を持っていたんだ。 これだけは言える事だが、剣や槍と違って、弓だけは経験よりも才能の有無が技量を決めると言っても過言じゃないんだ、…もちろん、磨く事を前提としてだがな。 当時の俺にはそれがあった。 大の大人が引いても、びくともしない剛弓をあやつって、多くの騎士を葬ったよ。 いつしか、俺はロマールの最精鋭の傭兵部隊に入っていた。 そこでも俺の戦果は飛び抜けていた、俺は敵の部隊の指揮官を主に狙っていて、 それに呼応して、敵部隊に、こちらの騎士隊や傭兵隊が殺到するという寸法さ。 指揮官がいなくなった軍ほど脆いもんは無いからな…。 金は唸るほど入ってきたよ、だが、俺は満たされていなかった。 元々、金に対しての執着はあまり無かったんだ、その代わり、誰にも負けない名声が欲しかったんだ。 戦果は目を見張るものがあったが、それを心良く思わないロマール騎士連中が多くいた。 何せ、騎士達にしてみれば、身体を張って突入したら、一番の手柄はいつも、かっさらわれてるんだからな、不満もあるだろう。 また、騎士道では飛び道具は卑怯な行為に当たるからな、たちまち俺は悪者さ。 俺の実力を認めてくれてたのはローランドっていう指揮官だけだったよ。 ロマール軍に、いつの間にか傭兵には金貨を、騎士達の方に名声をという図式が出来ていた。 俺が射った敵指揮官はロマール騎士が討ち取ッた事になったんだ、矢は致命傷ではなかったと言ってな。 俺には指揮官を討つ度に金貨の袋が与えられる、他の傭兵たちならそれでも良かったと思うかも知れ無いが、当時の俺は若かったよ。 そんな時だ、レイド軍に一人の傭兵が雇われたと言う噂が流れ始めた。 その男の名はルーファス。 まだ若い傭兵らしいが恐ろしい剣の腕前だと言う評判が立った。 俺はいつしか、顔を見た事も無いその男が妬ましくなった。 同じ傭兵という身分にもかかわらず、方や、その名はレイド、ロマール両軍に知られわたっていると言うのに、俺は自らの功を喧伝する事すら出来ない。 俺は戦場で伝え聞くルーファスの面相を探そうとしたが、出会う事は無く、ロマールは勝ち続け、レイドは負け続けた、そして、俺の懐には金貨が入っていった。 そして、事件が起きた。 ロマールの指揮官ローランドが城塞の展望台に立っているとき、クロスボウで射殺された。 その現場の近くを、仲間と哨戒中だった俺は対岸の岸壁から立ちあがった男を見た。 無造作に伸ばした長髪、逞しい長身、狙撃者は側らにたった今使用したクロスボウを投げ捨てた。 ルーファスなのか!? 何故かそう思った、抜群の視力を持つ俺の目でも遠すぎる距離であった、だが確信があった。 そう思った時、ルーファスは追っ手を尻目に、躊躇無く、岸壁から湖へ身を躍らせていた。 咄嗟に俺の隣にいた精霊使いの男が「水面歩行」の呪文をかけた。 俺はルーファスに向かって弾かれた様に走り出した、他の兵士は湖を大きく迂回している、追いつく事は不可能だ。 仲間の精霊使いも走ってきたが、装備の差か、魔法を使った疲労感のせいか、だいぶ出遅れ、また差が開いていく。 一瞬、仲間の事を考えたが、敵は恐るべき速さで湖を渡り、森へと駆けていく。 仲間を待ていては逃げられる、…俺は一人で森へと入って行った。
後編へ続く。
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