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かつて一人の魔術師有り
魔法力強く 並ぶ者無き賢者なり
持てるものは あまたの財宝
蛮族の娘を愛し 彼の者を妻へと欲す
周囲の者の反対を恐れ 隠れ忍びては逢瀬を重ねる
娘、豊かな髪と美しき瞳を持つ戦士なり
恋いこがれた魔術師の情熱に心を許し
一度の誓いを交わす
私の望みは一つ
ただそれのみをかなえて欲しい
一年と十日の思案の後
魔術師、心を決めて一つの楽園を作りたり
娘が前に進み出 満悦の笑みと共に話し出す
ただ二人、流れる時のための これが我らの楽園
娘はただ悲しげに首を振り
溜息と共に呟いた
そなたは全ての力を持つ者
ただ持たぬのはそれを捨て去る力だけ
娘はそれきり姿を消し
残された楽園で魔術師は一人果てた
愚かなりし者
其は汝 情熱の愛を求むる者
彼の者の喪失を怖れ 自らを刻に解放せり
薄闇の託生 満悦の永久
彼の娘の心、永遠に汝の物なればなり
愚か為るしか 我が友よ
蛮奴、憂き身を窶した汝を捨てん
されど我友 旧き友よ
汝が心の慰撫する術はなし
全ては我の哀しみに胸を狂わすのみ
誰が為の楽園 今こそ此処に眠らん
力なる者が賛美に 終止符を
エルメスの七弦琴もて 追憶の祷祀となさん
堕ちた都市『レックス』の南東にその身を伏せる都市、パダ。長い夏の夕刻もそろそろ日の暮れようかとする時刻、街を取り囲む城壁の大門は最後の人の群れをその内側へ招き入れ閉ざされる。大門から街の中を突っ切って伸びる大路は、客を迎え入れようと呼び込みをする宿屋やすでに良い気分で騒ぐ客達であふれる酒場が軒を連ねる。冒険者の多いオランの、そのうちでも更に冒険者の多いパダの街では、まるで彼らの生き様そのもののように毎夜が賑やかしく刹那的だ。
そのパダの城壁の外側にはもう一つの町があると言われている。迷路のような道の両脇には所狭しとバラックが建ち並び、あらゆる店がそろっている。品が確かなものか見極める目をもっているなら、懐に難ある冒険者達にはありがたい存在だ。もっとも、閉門に間に合わなければ、そのままスラムと変わらない壁の外側の宿で朝を迎えることになる
スラムと変わらない、というのは誇張ではない。この場所は治安という点に関しては城壁の内側に及ぶべくもない。その壁の外側へ、人の波に逆らうように出て行く人影も少なくは無い。彼らの求めるものは様々だ。街の中よりも安い宿を、こっそりと怪しげな品物を売る小さな店を、そして情報を。
今まさに閉ざされた門の外側で大きく伸びをした小柄な人影も、情報を求める一人だった。迷路のような町並みをそう苦ともせずに進む。この街に慣れている、というわけではないだろう。所々立ち止まっては、冗談交じりにそのあたりの物売りと言葉を交わしては道を聞く。
そのうち、店の割りにやたらに派手派手しい大きな看板を認め、彼はそこへと滑り込んだ。店の間口は狭い。料理の独特な香り。メニューも看板も東方語のものという、いささか不親切なこの店で出されるのはムディールという東方の国の料理だ。
厨房からこちらを覗く店主は小さな店には不似合いなほど大柄だ。店主に一声かけて、指差された奥のテーブルへと進む。
目的の人物はすでにテーブルについていたらしい。初老というにはいささか歳を取りすぎた感のある学者然とした男だ。人影は彼の目に映る自分を想像する。金色の半妖精。人の集まる街でも、彼の同族はそう多くは無い。相手は彼の姿を確認した後、納得したように頷き、しなびた指で向かいの席を指しながら学者風の男が口を開く。
「“楽園”に潜るというのはお前か。酔狂だな」
「冒険者らしい、だろ?それに、精霊庭園となりゃ、精霊使いの一人としては気になるもんでね」
半妖精は笑ってそう言って苦笑する。“楽園”。かつてそう名づけられた精霊庭園が、今回の彼の獲物だ。今では“誰が為の楽園”といういささか不名誉な名を献じられているその遺跡は、堕ちた都市の飛び地とも、あるいはまだその核の部分が見つかっていない遺跡なのだとも噂されている。
精霊庭園を取り囲むように、作られたこの小さな遺跡は十数年ほど前の地崩れによってその一角を発見された。以前より伝わっていた伝承と見合わせて、どうやら歌われていたのがその遺跡らしいと騒がれ幾組もの冒険者が挑んだ。今では、見つかっている部分は荒らし尽くされているというのが現状だ。
その遺跡が人目を浴びない理由は他にもある。その遺跡の所在地。パダの飛び地といわれるくらいだから、その距離は近い。つまり、遺跡を狙うのであれば堕ちた都市と言う格好の獲物がすぐ近くに広がっているのだ。わざわざ荒らし尽くされた小さな遺跡に挑むよりそちらに目をやる者のほうがはるかに多い。同じ潜るなら、より努力に見合うほうを、より荒らされてない領域へ、遺跡を狙う冒険者としては当然の意見とも言える。
半妖精自身、その遺跡に足を運ぶのが三度目だという友人の言にはいささか呆れ気味だ。ついでに、今回の旅に同行するほかの面々に関しても。最初から報酬も何も無いと分かりつつ同行するには、それほど魅力的な遺跡でもない。その友人の面倒そうな物言いと仕草を思い浮かべては「あれでも詩人だし、人を乗せるのも得意ってことか」と納得する。あるいは、ただ彼らの好奇心のうずくせいか。
何しろ彼らは冒険者なのだ。
「さて、爺さん。それじゃあ話を聞かせてくれ。精霊庭園は荒らされ尽くした遺跡だって言うけどそれでも精霊たちは解放されてない。ってことは、そこから先は誰も荒らしてない領域ってこったろ?……ま、先がなくても、精霊たちは解放したい。やってみて損はないと俺も思ったから来たんだ」
山の中で見る色彩は日の光ですら緑色をしている、とシオンは思う。
振り仰いで、頭上を見る。伸びやかに夏を歌う木々の枝葉は鬱蒼としているのに、その向こう側から射す夏の光は少しも遮られている気がしない。
額を流れる汗をぬぐう。そのまま歩き出そうとして、張り出した木の根につまずき、慌てて視線を足元へと戻す。旅に出てまだ間もないシオンにとって、山歩きは慣れたものではない。口をついた小さな叫び声に気がついたのか、前を歩いていたヴェイラが振り返った。
「シオン、大丈夫?疲れた?」
黒い上下に、つやつやとした黒い髪、もっている背負い袋までが黒く染められた中で、動くたびに揺れる黄色いリボンだけが目に涼しい。幼い顔立ちとは裏腹に実際にはシオンよりも遥かに旅を重ね、山に慣れた彼女の動きには、そう疲れた様子は無い。
問われて、シオンは大きなとび色の瞳を細め首を横に振る。歩きなれない山道は辛いが、鍛えられた彼女の限界には程遠い。むしろ、皮鎧を身につけ体に不似合いなほど威圧感のある大剣を負ってまで歩き続けられるあたり、彼女のほうがヴェイラよりも体力という点では優れているかもしれない。
「疲れは大丈夫・・・やっぱり暑いですけど」
笑いながら、シオンはそれだけを答える。どんな虫や植物があるか分からないのだからと長袖を着ることを進められたが、腕は自由に動かせないし暑いしで、彼女には少々疎ましい。道中、確かに枝や木肌で余計なすり傷を増やすことは無かったが、もともと冒険中でも身軽な格好で行動することの多いシオンとしては夏の最中にこの格好はきついものがある。
ヴェイラとその前を歩くケルツを見て、シオンは呆れた声を出す。
「ヴェイラさんも、先生も・・・よく暑くないですね」
先生、つまり、ケルツ。山地に育った彼はヴェイラほどではないにしろ、やはり山歩きにはなれている。何もいわずに振り返るが、彼の無口は従来からだ。山道に疲れているせいで口数が少ないのかどうかは分からない。
そのケルツはといえば、黒い長衣の上から薄手とはいえ外套を羽織っている。朝に一度、無愛想な口調で暑いとはぼやいていたが、後ろに続くシオンにしてみれば、目の前の二人を見るほうがよほど暑苦しい。
「こんなもんじゃない?」
「・・・・・・まぁ、夏だしな」
シオンの笑みが苦笑いに変わる。「私がおかしいわけじゃ、無いよね」と、つぶやくのはもちろん心の中でだけだ。もちろん彼女がおかしいわけではない。その証拠とばかり、ヴェイラとケルツのさらに前方から声が降ってくる。
「あっちーーー」
「ロビンの癖に傍によんな!暑っ苦しい!」
「だー、てめぇのほうが暑苦しいんだよ。このラス野郎が」
先頭を歩く二人は、数刻あまり延々とそんな問答を続けている。そっちのほうが体力の無駄使いという気もしなくはない。オランを出て以来ずっとこの調子なのだから、むしろそれが彼らにとっては日常かもしれない。「ずっと静かなラスとロビンなんて気持ち悪いよ」とはヴェイラの弁だ。
こちらの足音が消えたのに気がついたのか、少し先を進んでいた彼らも引き返してきた。
色素の薄い髪からちらちらとがった耳が覗く端正な顔つきの半妖精がラス。青を基調にした上着を着、その上から細いレイピアを下げている。他の面々と同じように肌を出さない服なのだが、細身で、妖精の血を引くと明らかに分かる容貌の彼が着ると、そう暑苦しくは見えないから不思議だ。
もう一方、がっしりとした体格の大剣を負った青年がロビン。その体躯と所々に見える傷跡、大剣もかるがると振り回せそうな腕などを見れば、人を威圧するような雰囲気があってもおかしく無いのだが、彼の顔にはどこか人を安心させるような愛嬌がある。その人懐こい顔で、また賑やかに騒ぎ出す。
「暑いって。一旦ここらで休まねぇ?ナイーブな俺はそろそろ参っちゃうぜ」
「誰がナイーブだ」
ロビンを茶化しつつ、ラスもそれに反対するそぶりは無い。
シオンの後ろから細く長い長いため息が聞こえる。パーティの最後の一人、レイナがようやく追いついたらしい。高潮したふっくらした頬といい、おっとりした瞳といい、きゅっと両手で杖を持った様といい、どうにも山道には似つかわしくない。山に入ってすぐの頃には白いローブの裾が汚れるとかなり気を使っていたのだが、どうやらもうそこまで気を回す余裕もないらしい。
「あれぇ、休憩、する、の?」
所々に息継ぎを繰り返して、レイナが問う。疲れきった表情に安堵の色が上り、彼女はそのまま座り込む。
「ロビンの奴がばてたんだよ」
「半妖精に森の中で勝てるか」
「じゃ、ボク、何かつまむもの用意しよっと」
「ロビンさん、さっきまで元気だったのに・・・」
いいかけたシオンを止めて、ケルツがぼそりとつぶやく。
「まぁ、ロビンらしいか・・・」
その一言で気がついたシオンに向かって、ヴェイラがこっそりと唇に人差し指を当てる。この日、午前中だけでレイナは数回休憩を申し出ていた。太陽が天頂に差し掛かるあたりからそれがまったくなくなったのは、どうやら皆に遠慮をしてのことらしい。けして山道に慣れたわけではないことは、今のレイナの様子を見れば明らかだ。
ロビンが急な休憩を言い出したのは彼女を気遣ってのことだろう。素直にそういわないあたりが、確かにロビンらしい。
「じゃあ、私も手伝いますね」
そういって、シオンもヴェイラに続く。幸い各自がそれぞれの準備に取り掛かる中、ようやく落ち着いたらしいレイナが、皆を振り返ろうとしてそのまま固まる。
「きゃーーーー!!虫!蜘蛛!いやぁぁ!」
その元気は今まで何処にとってあったんだ、と残りの五人が呟く。散々騒ぎ立てたあと、さらに疲弊してレイナはぐったりと木の根元に座りこむ。小指の先程もない小さな蜘蛛をヴェイラが木の葉の上へ逃がしてやる。
「・・・いちいち騒ぐな」
呆れたようにケルツがいう。青年の口調は表情と同じように無機質だ。フォローするようにシオンがレイナの傍へ腰をおろし、声をかける。
「大丈夫だよ。山道ももうすぐ終わりだし。ね、先生?」
「そうだな・・・まぁ、この分だと夕刻には遺跡につくと思うが・・・」
言葉を濁して、ケルツは彼の傍らに立つラスを見る。視線を受けた半妖精は端正な造作をにっとゆがめる。
「遺跡の中なら、さぞ虫が一杯いるんじゃねぇ?」
「あ、俺、俺、手のひらくらいの蜘蛛とか見たことあったっけな」
「ボクはねぇ、ほら、百足のでっかい奴?あれと戦ったことあるよ」
ひとしきり巨大虫だの気味の悪い動物だのの話の済んだ頃には、高潮していたレイナの頬もすっかり元の色を取り戻し、あるいは普段よりもよほど蒼白になって、一向は再び遺跡への道を歩き出した。
次の日、一行が遺跡に着いたのはまだ日の光も強くはなりきらない朝だった。数日前にあったという地崩れを避け、遠回りをした結果だ。本来なら山岳の中腹から直接進むことの出来る目的地までの道を迂回するというルートを取ったことと、山道を夜進むことの危険を考えた結果、予定よりも時間がかかった。
朝のまだ薄い光の中に、幾年も前の地崩れの後が見えてくる。地崩れの後の開けた場所を四方から木々が覆って、野営にも適した小さな広場が出来ている。一角を覆う茂みの一部、見落としそうな深い影の奥に遺跡への入り口がある。
近くには岩が多く、遺跡のことを聞いていなければそれとは気が付かないだろう。実は岩と思われたのは丁寧に磨き上げられた建材用の石で、どうやら以前の地崩れのした時に遺跡の部屋だか通路だかが露出したものらしい。
「これよりも、手前にあった部分の遺跡は、その時に土に埋もれたか・・・まぁ、今ではもうない」
ケルツが遺跡のあったと思われる場所、つまり今彼らの立つあたりを指差しながら言う。その言葉を継ぐのはラス。こちらは手元の小さな石に目を落としながら。
「なるほど、ここももとは土の下だったってわけか。で、どうする?」
ラスが手にもった石を、正確にはかつて遺跡の一部であった欠片をロビンに軽く投げつけながら言う。それをひょいと避けて、ロビンのほうはといえばさっさと遺跡に潜る気でいるらしい。ランタンのシェードの具合を調べるのに余念が無い。それを片目で見ながら、でもさ、と口を開くのはヴェイラだ。
「ボクはちょっと休んでからのほうがいいと思うな。何が出るかわかったもんじゃないしさ。それにレイナ達だって疲れてるし」
「私は大丈夫ですけど」
おずおずとシオンが口を出す。その後ろでレイナが頷く。
「わたしも・・・・虫がでなければ、だけどぉ」
泣きそうな声で小さく、そう付け加えるのは忘れない。昨日今日と、散々脅かされたせいか、小さな虫くらいでは悲鳴を飲み込む様にはなっている。ラスあたりが「たいした進歩じゃねぇか」と笑うのも、あながち的外れではない。
とにかく、どうするか話し合い、その結果とりあえず一度だけ遺跡の中を見て回ろうということになる。二度も遺跡に潜ったケルツは、一通り見るのに昼までもかからないだろうという。慣れないレイナとシオンを伴ってでも、今日中に一度は探索を終えられることになる。半刻ほどの休憩の後、念入りに準備を整え一行は遺跡へと姿を消す。
先頭をラスとロビン、次にレイナとケルツ、最後尾にヴェイラとシオン。崩れそうな足場を慎重に選びながら、一人一人遺跡へ滑り込む。ランタンとたいまつ、そして魔法の灯り。それぞれが奇妙に遺跡の中を照らし出し、そのせいで磨き上げられた無機質な壁は伸びたり縮んだりする布のようだ。
どうやら、まずここは通路らしい。通路の至る場所にレリーフが彫ってあったらしいが外気に触れることの多いせいか、繊細な浮き彫りは風化したり欠けてしまっている。
前方には扉らしいものが見える。それも朽ち果てたかそれともここを訪れた冒険者達の手によって無理やりこじ開けられたのか、蝶番が外れている。どうにか壁に支えられて立っているといったほうが正しいかもしれない。
「罠は無いんだっけ?」
先頭にたつラスが、ケルツに聞く。それに頷きかけるケルツ。ケルツは一人でこの遺跡を訪れたこともある。盗賊の技術を持たない彼が一人で大丈夫だったのなら聞くまでも無いことだが、それでも一応確認は取る。そんな二人を眺めながら、傍のレイナがぼんやりと口に出す。
「二人の為だけの建物に、罠とか隠し扉仕掛けるのってすごくすごく変だと思うの」
「ふっ。俺は女の部屋訪ねた時に、扉開けたら矢が飛んでくるトラップを仕掛けられたことがあるぜ!」
なぜかポーズまでつけてそう呟くロビンをよそに、皆、レイナの言葉に頷く。この遺跡はかつて一組の恋人の為に建てられたものだ。そんな場所に罠を仕掛ける理由などあまり思いつくものでもない。まだ何か言いつづけるロビンを止めて、扉を開け、部屋へと進む。
まず一行が入ったのは側面に二つづつ、短い辺に一つづつの扉を持つ部屋だった。一行が出てきたのは西側にしつらえられた扉のうちの一つ。正面には同じように扉が見える。壁や、床を見るに、どうやらかつてタペストリーや調度品で飾られた部屋だったらしい。
持ち出せなかった大きな調度品や、上半身がもげてしまった彫像などだけが残っているものの、それがかえって廃墟を思わせて寒々しい。壁に彫られたレリーフは不安定な光の元でゆらゆらと揺れてかえって気味が悪い。
「広間、みたいですね」
シオンがいい、ラスが頷く。
「一応、学者の爺から地図はふんだくってきたけどよ。ケルツの書いたやつ、役たたねぇし。ここらが生活空間らしいな。」
「先生、絵が下手ですもんねぇ」
「ケルツさん、絵下手なの?」
「以外に不器用そうだよね」
「詩人がそれで良いのかぁ」
「・・・ほっとけ」
地図を片手に、探索を続ける。北側の扉は土砂によって防がれているらしい、とラスが学者から手に入れた情報を語る。一応確かめては見るが、その言葉に間違いはなく土砂によって閉ざされた通路を発見したに過ぎなかった。この先に何があったかは分からないが、おそらく土の下に埋もれてしまっていることだろう。
正面に見えた部屋は寝室だった。タペストリーの残骸のなかにポツリと大きな天蓋つきの寝台だけが忘れられたように置かれている。部屋の片隅の扉をあける。衣類を入れておく為の小部屋だったらしい。シオン、それにヴェイラが冒険者達の略奪を逃れた数着の服を見てはもったいないだのなんだのと呟く。
「あ、でも・・・」
ふと思いついたように口を開いたのはヴェイラだ。手には虫食いの跡の残る豪奢なレース地のドレスをもっている。どうやらレイナがこの二人に加わらなかったのは虫がいるかもしれないという危惧の為らしい。
「蛮族の娘だっけ、そっちのほうってさ。戦士だったんだよね」
こちらも、ドレスを点検していたシオンがそれを聞いて首をかしげる。こちらが持っているのは白地に緑の絹糸で花模様が刺繍された、少女趣味な夜会服だ。今では色あせ擦り切れている。もとは更に鮮やかな色だったのだろう。どちらも蛮族の娘の持っていたものとは思えない。
「魔術師さんの趣味だったんでしょうか・・・」
そして顔を見合わせ苦笑する。ちょっとねぇ、というのが感想らしい。
「可愛いと思いますけど」
ちょっと離れた所から、レイナが口を出す。確かに彼女のようなおっとりとした娘には似合うかもしれないが、褐色の肌に風を受け、黒い髪を流しながら馬を駆り雄々しく戦ったという蛮族の娘のイメージとかけ離れていることは否めない。
次の部屋へと入る。食料庫だった。発酵しすぎて酸っぱい匂いを立てる酒類に咽返り、何処からかもぐりこんだらしい鼠を数匹追い散らす。
封もあいていない瓶を片手にロビンが飲めるかなと冗談を言い、ラスが飲んでみろよと軽口をたたく。狭い部屋の中でまた口喧嘩になりそうなのを、無視したまま進む他の面々。最初の頃ははらはらと気を使っていたしオンやレイナも、どうやら十分すぎるほど慣れたらしい。おっとりとしたレイナですら、
「そういうことばっかりやってるとカイさんに言いつけちゃうんだから。あ、でもロビンさんは誰も言いつける人がいないね♪」
などしっかり口をはさむ。
三番目の扉の向こうは小さな居間だったらしい。小振りのソファーや、食器類の飾られた棚。壷などを載せるための細い華奢なテーブルなどが、倒れたり、あるいは一部を失った形で目に入る。
「ほんっとに枯れた遺跡だな」
片眉を器用に吊り上げてラスが言う。もっともそれほど残念そうでもない。彼の目的は精霊庭園だ。早々に、元の部屋へと引き返し最後の扉の前へとたつ。
扉を開け、一向は通路へと入る。ラスの得た地図とケルツの記憶によればこの先に精霊庭園ともう二つほど部屋があるらしい。庭園を最後にして、残りの二つの探索を先にしようということになる。
角を曲がり、正面と右とに薄暗い通路の続くあたりに出た頃、ラスが口に指を当てて振り返る。そのまま静かに目配せを送る。ロビンが普段に似合わぬ真剣な顔で耳を澄ませ、その前でヴェイラも眉根をきっと寄せる。盗賊達の鋭い耳には何か聞こえているらしい。ヴェイラのもったランタンのシェードは、光を漏らさぬよう何時の間にか低く下ろされている。
音の方向を見極め頷きあった後、ヴェイラとラスとが静かに右手の通路へと進む。足音一つ立てない。彼らの戻ってくるのを待つ間、わけが分からぬながらも緊張した雰囲気にシオンがつばを飲む。レイナは顔をこわばらせ胸の前で杖を持った手を固く固く握る。
数分の後、通路の向こう側からラスが呼ぶ大きな声が聞こえてくる。
まったく緊張を解いたわけではないだろうが、どこかほっとしたようにロビンが剣にかけていた手を握りなおす。彼は何時の間にか、初心者二人をかばう位置にしっかりと立っていた。こちらも多少緊張を解いたケルツがそれを見て内心で笑みをもらす。
扉に近づき、暗闇になれぬシオンとレイナにも二人の姿が目でしっかりと捉えられるようになった頃、さらさらという砂の流れる音が耳に入る。予想した物音――つまり何らかの足音とか話し声とか――ではなかったシオンが困惑したような目をヴェイラへと向ける。
開かれた扉の向こう、扉からはなれた南側の隅から細い明かりが差し込んでいる。どうやら南側から中央に向かって天井に大きく亀裂が入っているらしい。時折、その亀裂から小石や砂が落ちてきて、先程盗賊たちの耳が聞きつけたのがそれらしいとわかった。
どうやらここは魔術師の私室だったようだ。
部屋の北側にあって目を引いたのは大きな薄い水槽だった。植物が植えてあったらしい。枯れ果てこなごなになった葉や茎の密集した水槽の隣には、何に使ったのか大きなガラス瓶がいくつも置かれている。ほとんどが割れ、なにやら動物の骨らしきものが散らばっている。まだ割れていない一つを見つけ、レイナがその蓋を開ける。むっとした臭気が漂うものと思われたが、意外にそれほどの匂いはしない。シオンがそれを覗き込み、眉を寄せてレイナを振り返る。
「鹿、みたい」
「そうだねぇ」
その他の割れた水槽の周りに散らばっていたのも犬、猫、小鳥といった動物の骨だった。
「実験に使ったのかもしれないね」
一通りを見終えてレイナが仮の結論を下す。魔術や学問というものにあまり通じないシオンのほうはあからさまにいやそうな顔をする。
「動物を実験に?」
「うーん、ほら、薬を試したりとかね。死んだ後すぐにここに入れられたみたいだから、何に使われてたのかよくわからないけど」
仮にも恋人との“楽園”に動物の屍骸持ち込むってあんまりいい趣味じゃないよね、口には出さずシオンは考えた。傍らでいそいそと実験の様子を調べるレイナの虫の怖がり様を思い出して、やっぱり魔術師って不思議な人が多いとしみじみと思う。彼女にしてみれば虫よりも、何に使うか分からない動物の屍骸のほうがよほど気味が悪いのだけど。
魔術や実験の良く分からない彼女は仕方なく、水槽やガラス瓶の様子だけ調べることにする。この部屋が出来た同じ時に作られたらしく、壁の一部がせり出すように設置されているものも多い。壁を這うように、金属の管が設置されている。
見るともなしに金属管の行方を辿りながら、こんなものよりさっきのレリーフやタペストリーのほうがまだよほど楽園らしい、とシオンは思った。
壁際には背の高い本棚が並べられ、その中には幾冊もの分厚い書物が並べられていた。
シオンとレイナの賑やかな声を聞きながら――注意してやらなきゃと思うもののそういう役回りは他に押し付けることにしている――ヴェイラはそのうちの何冊かに手を伸ばすが、朽ち果てて持ち上げることも出来そうに無い。持とうとして表紙からばらばらと閉じてある部分が解け本の体裁すらなさなくなるのはまだいいほうで、背表紙まですっかり虫に食われているのを見ると手でつかむのもぞっとしない。
「もってけそうな本は、全部持ってかれちゃってるみたいだね」
どうにか崩壊を免れた本の一ページをつまみながら傍らのラスに言う。もっとも、もはや字もすっかり読めないが。ラスはといえば「ああ、そうだな」と答えたきりでどこかいつもの彼らしくない。先程部屋に入った時から、落ち着かなげに周りを見回している。
「どしたの?」
「いや、なぁんか、やな感じがしねえ?」
妖魔たちの現れる前のぞわぞわとしたあの感覚のことを言っているのだろうかとヴェイラは感覚を研ぎ澄ませる。特に何処といって変わった雰囲気はしない。
「なんつーかな・・・見てるものと感じてるものがちぐはぐって言うか、そういう感じがするんだよ」
ヴェイラはもう一度部屋を見回す。盗賊の技と言う面のみで考えてみればヴェイラのそれはロビンやラスには劣る。しかし本職が探偵である為、偽物や不自然さを見抜く感覚には彼女も自信がある。その彼女がなにも感じないのなら、それは彼女の修行不足か、あるいは二人に共通しない感覚のせいだ。
「んー、ボクはやっぱり感じないな。ほら、精霊庭園が近くなってきたからそのせいじゃない?」
「そうかもな・・・」
ラスはいまだ何処か釈然としない顔をして首を振り、それでも意識を目の前の本棚へと集中させる。
構えていた剣を鞘にしまいロビンは亀裂の近くへと近寄る。かなり大きな隙間から光が差し込み、時折それに砂が混じる。こぼれ落ちた土の乾き具合や量から見て、亀裂が入ったのがそう前ではないようだ。大きく入った亀裂は壁を伝い、床を這っている。
出発前にラスの野郎が遺跡近くで地崩れがあったとかほざいてたから、と思い出しこの上あたりだったのかなと首をかしげる。さんざん悪し様に言い合うくせにお互いのもつ情報はしっかり交換しているあたり、ラスとの息は割に合うのかもしれない。
「この亀裂、前はなかったんだろ?」
傍らで静かになにかを考えていたらしいケルツに聞く。しばらくしても答えは返ってこない。自分が詩人の右側に立っていたのに気がつき、少し大きな声で改めて同じことを問う。思い出したように振り向いてケルツが頷く。
昔の傷のせいだとかなんだとか、詩人の右側の目と耳は悪い。別に理由を聞こうとは思わない。本人が気にしてないなら気にしてないまま、多少気にしてるにしても割り切っているのならロビンは相手に気を使わないことにしている。本人に言わせると「俺が気にするのは美女の名前と今後の予定だけだぜ」と、なるらしい。
「んじゃ、やっぱり新しくできたってわけか。もしかするともう二・三回くらい崩れるかもな。危ねーしとっとと調べて次行こうぜ。目的は庭園なんだろ」
「ああ・・・」
答えるもののケルツの歯切れは悪い。どうしたと聞けば、気持ち悪い感じがする、ときわめて抽象的な答えが返ってくる。
「気持ちが悪いって、具合でも悪いのか?」
「まぁ、そんなようなものだ」
「初潜りの奴らがいるから疲れたんだって」
「それに関しては・・・お前がしっかり面倒見てくれているから至って問題はない」
先程の光景を思い出して、苦笑しながらケルツが言う。
ロビンが鼻の上に皺を作る。ケルツは、彼の道化ぶりの半分は照れ隠しだろうと思っている。実際、照れ屋なのかどうかは定かでないがロビンは真正面から誉められるのはあまり得意ではない。というか苦手だ。
「ま、自分の弟子くらいは自分で面倒見ろよな。両手に花って言うのも悪くねぇけど」
そこで言葉を区切り、思い出したようににんまりと笑む。
「弟子って言やぁさ・・・そういう事には疎いと思ったら、ふふ。ちゃっかりやるもんだなぁ!で、どうよ?シオンは?」
「・・・・知らん」
会話が苦手な話に向かったとたん、踵を返してさっさと逃げかけるケルツをロビンが追う。同じような会話を繰り返し扉の方へと歩く二人の背後で、またさらさらと砂がこぼれ落ちた。
部屋を出た後、通路の更に奥の一番小さな部屋へと入る。部屋といってもここには扉が無い。小さな正方形の部屋は六人が入れば身動きするのが精一杯というところだ。この部屋の中心には天井と床とに奇妙な形の魔法陣が描かれている。
「移送用のサークルだと思います」
レイナが言うが、それは一同にもすぐにわかった。壁の一面に、金属のプレートが掲げられそこに何か彫られている。目ざとく見つけたヴェイラが読もうとするが、あきらめて舌打ちする。下位古代語ではない。かわってレイナが挑戦するが、上位古代語はわずかな語句の違いだけでも文意の変わってくる難解な言語だ。たった数行の文字の為に、何度も読み直し、語句を確かめながらレイナが読み進める。
ぼんやりとしているようでもそこはさすが魔術師で先程の部屋でも、ガラス瓶の動物の屍骸がゴーレムを作る為のものだったらしいというところまで仮説を立てていた。頼りないと思ってたけどやるもんだ、とラスに誉められ嬉しそうに照れた顔はいつもの少女のものだった。見た目と実際の知識量とのギャップに舌を巻いたのは彼だけではない。
今も、所々ではありながらもヴェイラよりも遥かに速いスピードでプレートに書かれた言葉を訳していく。
「えぇと・・・メダ・・・あ、これは人の名前かな。それから、つぎが・・・・平穏・・・貴女・・・捧げ・・・られる?捧げる・・・かなぁ」
「つまり、魔術師さんがその女の人のために捧げるって意味?」
「うん、そうみたい・・・あ、最後のこの大きいのは分かるよ。ここに来るまでに調べててたくさん見たから。この単語、これが“楽園”って意味なの♪」
どうやら、ここが本来の入り口らしい。もはや光を失い――あるいはただ冒険者達がその必要条件を満たさないだけなのか――移送の扉としての役目を失った魔法陣は、ただの幾何学的の模様として横たわるだけだ。
「気に入らないな。だってこんな小難しい言葉、蛮族の娘が読めたとも思わないし」
すっかりこの遺跡の製作者が嫌いになったらしいヴェイラが言う。
「俺も嫌い」
同意したのはロビン。
「なんてつうかさ、俺、こんなに凄いんだって自慢してるっつうか、そういう感じがぷんぷんするしよ。やっぱ男はハートだぜハート。金もってて、頭良くて、かっこよくて、休日のデートは何でも買ってくれるの♪ゴメンネ、ロビン君、ばいばーい・・・だけが男じゃないってわけよ」
どうやらまた過去の傷を思い出しているらしいロビン。やはり誰も突っ込まない。
「何か言ってやらないのか?」
「放置が一番辛いだろ?この場合」
そして、最後の残ったのが“楽園”への扉だった。
扉の真中に、また先程のプレートと同じ言葉が彫り込んである。ヴェイラが形の言い唇をゆがめ、眉をひそめる。言葉の周りには鳥や動物、木々や山のレリーフが刻まれている。壁材と違い、ここには鋼の色をした金属が使われていて、そこに描かれているレリーフもさほど劣化していない。どこか、記号化した動物達の彫刻。
さすがに緊張するのか、ラスが一息ついてから扉を調べはじめる。
「ここが、庭園なんですね」
遺跡に来る前に、ケルツによって伝承を叩き込まれたシオンが感慨深げに声をあげる。やがてラスが点検を済まし、シオンとロビンとか扉を開けた。ぎぃと、精霊庭園に続くにしては現実的な重い音がする。
扉が開けられるとともに、木々の匂いを運ぶ風と、ランタンや魔術のものとは明らかに異なる暖かな光とが通路へと差し込んだ。
ぱちぱちと、誰かが戯れに入れた小枝のはぜる音がする。
「生木は辞めてっていったのに」
ヴェイラがそれを見てぼやく。使い込まれた鍋を即席のかまどにかけて、薪を足し火力を調整する。旅を始めた八日前には道中、ヴェイラが食事を作るというと露骨に嫌がってた一同――主に男三名――だが、彼女の料理の腕を見て以来さっさと料理を任せるようになっている。時折、皆それぞれ手伝ってくれるが、彼女自身一人で段取りをつけてやっていくことが得意なので専ら夕飯の支度は彼女がすることになる。野営の準備は何も食事の用意だけではない。
何をやっても、それなりに自分で片付けられるのが、ヴェイラの自慢でもあり、悩みの種でもある。彼女自身、自分のことが器用貧乏だと思っている。なにごとも人並みに、あるいはそれ以上に出来る。
野伏で盗賊で詩人で賢者。そんな不思議な経歴も、彼女のその性格のせいかもしれない。いろいろなことが出来る。それでもある道を極めようと努力するものには、やはり、負ける。冒険者として、百戦錬磨なわけでなし・・・。
今回の遺跡にしてもそうだ。野伏としては、まぁ役に立つだろうけれど、盗賊としてはラスが――もっとも彼は本職ではないと言い張るだろう――、詩人としてはケルツが、賢者としてはレイナが参加している。彼女の腕では剣は扱えないし、魔法の心得もない。
もう一度、深いため息をつく。
そんなことを考えるのは、今夜はいつもとちょっと雰囲気の違う夜だからだ。いつもなら野営とはいえ、皆、それぞれ陽気に声でも掛け合って過ごす夕べだがどうも昼間のしこりが残っている。
「そんなに気にしなくてもいいと思うんだけどなぁ」
誰にともなく呟いて、ヴェイラは庭園を思い出す。ほんとにちょっとした食い違いだった。起こるべくして起こったとも彼女は思う。
それは人の手で作り上げられた中では素晴らしい庭園だった。
山があった。風にそよぐ木々があった。
林があり、森があった。
木の途切れるあたりからは何処までも広がりそうな草原があった。
春の、夏の、秋の草花が茂り、雪の積もる小高い丘があった。
遠くの峰から流れ出る湧き水が川を作り、庭園を横切って流れ淵になっていた。
整然と並んだそれらの風景の向こうで、人の住むらしい小さな村から上がる煙が遠景となって見えた。一行がどれだけそこに近づこうとしても、煙は近くならなかった。
・・・開かれた扉の向こうに広がっていたのは、偉大で、荘厳で、繊細な、箱庭だった。
四季折々の野山の風景が詰め込まれた庭園は、確かに美しかったがどこか歪で不自然だった。
ヴェイラは、ラスがひどく機嫌悪そうに吐き捨てるように言った一言を思い出す。
「その魔術師ってのはこれが女にとっての“楽園”だってか?精霊を無理やり縛り上げて、こんな不自然な風景作り上げて、こんなもんじゃないほうがましじゃねぇか」
それを聞いてレイナが悲しそうな顔をした。彼女の目には素晴らしいものと映ったのだろう。古代の魔術師の遺産として小振りながらも確かに研究価値のある遺跡の一つかもしれない。
初めて遺跡に潜るシオンにしても、それは同じだった。それほど広いわけではなかったが、一枚の風景画のようなその光景を一人の人間が作り上げたのだとは思えなかった。隣でラスと同じように不機嫌そうにするケルツに多少悪いとは思いながらも、目の前の小奇麗な風景に目を見張った。
一巡りしようと、それぞれ気を抜かずに庭園を歩く。
二人の精霊使いの目には、その光景の中で魂の抜けたような精霊達が佇んでいるのが見える。二人ともそれぞれに、死んでなお彼らを縛る魔術師に気に喰わないものを感じながら、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「そんなに、怒ることないだろ。シオンもレイナも怖がってるし。あ、ヴェイラは大丈夫だな♪」
「ボクだって女の子だぞ」
「・・・煩い」
茶化すロビンとヴェイラに、ケルツがつい声をあげる。もちろん彼らが空気を和らげようといったらしいことは分かったのだが、それも言葉が口を出た後だ。ヴェイラとロビンの方もそれに気がついてか、特に言い返すようなこともしない。いつもならここで皮肉の一つ二つを放りこんで、得意の笑いを浮かべるラスも不機嫌そうに眉をしかめただけで、なんとなく一行の空気は重くなってしまった。
まるで怪我人でも出たような、そんな空気を抱え一行は一度目の探索を終えた。
「ため息なんかついちゃって、どうしたんですか?」
丁寧な言葉なんか使わなくていいと何度も言ったにもかかわらず、そう声をかけてくるのはシオンだ。鍋の中でスープの煮えるのをぼんやりと見ていたヴェイラは、声をかけられて少しばかり驚いて振り返る。
「珍しいですね。ヴェイラさんがぼーっとしてるって」
シオンは何事もなかったようににっこりと笑う。
普段からそれほど話さないケルツはともかく、ラスまでが押し黙ったように静かだとパーティの雰囲気はどこか静かになる。素直で素朴なこの少女には今のぎくしゃくした状態に耐えがたいのか、さっきから気を使っては他の面々に声をかけている。
シオンが不自然なパーティの間の沈黙に気付かぬ風に振舞っているのがヴェイラにはかえって痛々しい。元凶の二人に彼女の気遣いようを見せてやりたいところだが、ケルツもラスも先程から姿が見えない。
「昼間緊張しすぎたんだよ。ボク、遺跡ってあんまり潜ったことないしさ」
「私も初めてです」
そういって手に持った薪を下ろし、シオンがヴェイラの隣に腰をおろす。そう背の高くないヴェイラよりも、シオンは更に小柄でこの身体の何処から大剣を振り回す力が出るのだろうとヴェイラは不思議に思う。
「どうしたんですか?」
問われて、ヴェイラはまたはっとする。取りあえず、言い訳を考えて――何の言い訳かヴェイラ自身よく分からないけれど――適当に話をあわせる。
「うーん、ほら、いろいろ凄い庭園だったなぁと思って」
「ほんと、凄かったよねぇ」
ほぅと息をついて、それでも少し声を潜めて感嘆の声をあげたのはレイナだ。精霊使いたちの不機嫌さとは裏腹に、彼女は魔術師らしく庭園を思い出してはため息をついている。手元にある羊皮紙に、薄暗くなった中でもランタンやかまどの火を頼りにしきりに何か書き付けている。どうやら彼女なりにこの遺跡のことをまとめているらしい。
「これだけありゃ足りるだろ」
そういってシオンの積んだ薪の上に更に薪を重ねるのはロビン。珍しく真剣な表情を浮かべているせいか、精悍な顔が引き締まっている。
「やっぱ俺も凄いと思ったな。いろいろ旅してきてるからああいう風景が不自然だってのは分かるし、ラスとかお前とかの不機嫌さも分からなくはねぇけどさ」
何時の間にか戻ってきていたケルツに直接言うあたり、ずいぶんいい度胸をしている。レイナは今の会話を聞かれなかったかと少しどきりとする。それに気が付いたのか気が付かないのかケルツはといえば、いつも通り何を思っているのか無表情だ。
付き合いの長い者なら彼が自分の大人気ない態度に少しばかり恥じ入っているのだと分からなくもないかもしれない。
「不自然な状態で保たれてるってのが、お前らの言う精霊がふぬけた顔してるとか、無理やり縛られてるとかそういうことが原因なんだろ?」
答える代わりに頷いて、しばらく悩んだ後、口を開く。
「・・・だから、彼らを開放したいと思う」
「開放するってったってさ」
がさっと彼らが先程出てきたばかりの遺跡から、不穏な物音がする。そして聞きなれた、何事も面白がるような口調のラスの声。
「開放するんだよ。あいつらをちゃーんと元の世界に返してやらねぇとな」
「こら、ラス!ちょっと勝手につままないでよ、ちゃんと数決めて作ってるんだから」
頬を膨らませ、やたらと抗議してみせるヴェイラにも午前中の陽気な表情が戻っている。それを見てほっとしたように笑うシオンに、相変わらず無愛想な声が「悪かったな」と降ってくる。
声の主は、それを見てにやにや笑うロビンに釘をさすことも忘れない。
「・・・弟子だからな」
「俺が言ったのは弟子の面倒見ろってことだろ。弟子に面倒見られててどうすんだ」
「分かった・・・今度、お前の師匠にも伝えておこう。あらゆる面できっちり弟子の面倒を見てくれとでも・・・」
「そりゃあ、ねぇだろ・・・」
心底げんなりとしたようにロビンが呟く。
「それで、開放するって、どうやって?」
不思議そうにレイナがラスを見上げる。
「それよりもまず食事だな。腹減ったし」
丁度良い具合に料理の香りが立ち込めて、体力も精神力も使った遺跡潜りの一行は翌日の力を蓄えるべく賑やかに食事へと取り掛かった。
いくつもの魔法陣と水晶の煌き、上下左右から精霊の囁きが魔法陣の中心へと注ぎ込む。立ち並ぶ木々の間から漏れる明かり。すべてが彼、いや彼女の座る玉座を取り囲み、そのきらびやかな楽園を祝福する。幸せだと思う。何か大切なことも忘れている気がする。それでも彼らは、彼は幸せだと思う。
精霊の囁きから狂気があふれていても、立ち並ぶ木々と見えるものがただの木の根だとしても。座る玉座が実は自分をも取り込もうとする根のかたまりだとしても、彼は幸せなのだ。
そこは狂った精霊の坩堝だった。精霊達は地上から、巨大な木に張り巡らされた魔法に無理やり地下へと誘い込まれ、意識を磨り潰されながら“楽園”の奈落へとおちていく。二人の“楽園”を彩る為に。
“還りたい”
“川へ、海へ・・・還りたい”
“もう一度空の中を・・・”
“私達の世界へ”
精霊の嘆きも、楽園の主には聞こえない。彼の耳には、いや、もとから彼女の耳には精霊の声は聞こえない。だからその体の中で生きる彼にも、精霊の声は聞こえない。その耳に、久しく聞くことのなかった人の声が届く。その意識は首をかしげる。そちらに振り返ろうとして、足にまとわりつくものの存在に気が付く。
骨だ。骨と、それに纏わりつくような色あせた緑色の布。そう考えて否定する。この“楽園”にはそんなおぞましいものは存在しない。繊細で美しいものだけを配したのだから・・・。
魔術師の私室の天井の亀裂を作り出したのは、地崩れでもなけれは、壁材の石が脆くなっていたせいだけでもなかった。
亀裂部分を土霊に頼んで広げてもらい、その穴から顔を出した彼らを迎えたのは不可思議な空間だった。まず、目の前に一抱えほどもある木の根。固い石の床を――それは魔術師の部屋の天井でもあったわけだが――押し付け、長い年月をかけて亀裂を生じさせたものの正体はこれだろう。
その根を踏み越えた先には洞窟が広がっていた。天井を木の根が支え、それに抱かれるようにどうにか空間が出来ているといった方が正しい。太い木の根の一部はそのまま洞窟を上から下へと貫いて伸び、お陰で見通しは悪い。もっとも根や天井の至る場所に掲げられた魔術の明かりが眩いほどに射している為、洞窟は明るく保たれている。また、時折きらりと反射する鋭い光があるところを見れば、木の根の至る場所に鏡かガラスの様なものが取り付けられているらしいことも分かった。
広さは、おそらく魔術の魔術師の私室だけでなく精霊庭園を覆っても余りあるだろう。それを考えればその上に立つ木々がどれほど大きなものかも容易に想像がつく。少なくとも、古代王国の時代からこの地に根をおろしていたに違いない。もっとも、その頃にはこの空間に根を下ろす木の根の数も少なく広々としていたのだろう。
地霊に頼んで開けてもらった大穴をロープ使ってどうにかよじ登ってくるレイナを引き上げ、ロビンが悔しげに呟く。
「天井に隠し扉って邪道だよな・・・」
「でもまぁ、気がつけたんじゃねぇの?俺がだって気が付いたんだしさ」
茶化すのはラスだが、何か言いたげに目を向けるケルツに気が付いて付け加える。
「俺らの場合、精霊の力がむちゃくちゃに働いてるから気付いたってほうがでかいんだけどな」
いつも通り軽く話しているがその顔色はかなり悪い。優れた精霊使いであることで、精霊の思惑と反響しあう部分が大きいせいだ。精霊の声の聞こえない面々にも、この空間の空気が重くのしかかるような気配を感じる。
「・・・あ、でも、確かに、魔術の・・・明かり、きゃぅ!!」
ぐいと引き上げられたレイナが涙目でロビンを見上げる。
「あ、悪ぃ」
しきりに謝るロビンと誤られるレイナの足元で、穴がゆっくりとまた閉ざされていく。石臼を引くような、もっとも音だけではそれよりもよほど大きな響きを聞きながらヴェイラが呆れたように二人を見る。
「ほら、さっさと立って。変なもの出てきたって知らないよ。こっからさきは未踏の・・・」
声が終わるか終わらないかの内に、シューシューという不気味な音が耳に届く。
「蛇!」
なにかを叱責するようなシオンの声。ヴェイラが、ラスが、振り返る。木の根にまきつくように這い、黒々とした瞳で一同を見下ろすのは確かに蛇だ。剣を構え、魔術師のレイナをかばう位置に移動するのはロビン。レイナはその後ろで何時でも詠唱を始められるように杖を構える。
戦闘体制へと入る面々を、しかし蛇は何をするでもなく眺めている。ぬらぬらと水に濡れたような光沢の白い、銀色の大きな蛇だ。しかし、かちゃとシオンの剣がなると同時に、それは威嚇するように首をもたげ根を伝い降りてくる。
ヴェイラが何処から出したのか細いダガーを手にし、狙いを定める。いつもからは思いもつかぬ大人びた声で、低く高く、レイナが詠唱を始める。
「万物の根源たるマナより生まれし唸り轟く《光の矢》よ」
刃物のきらめきと、白く輝く魔術の矢が蛇へと襲い掛かる。
「闇を司どりし友よ、漆黒の友よ・・・」
いつものように闇霊を呼びかけたケルツが一瞬何かを見定めるように眉根を寄せ、ぴたりと詠唱を止める。舌打ちをして、別の精霊を呼び寄せようとするが目の前の光景を見てそれも止める。木の根に縫いとめられた蛇は腐肉をその身から剥がされてもはやぴくりとも動かない。見るからに生きていた動物ではない。不思議に、悪臭はしない。その様相にはっと思い出してシオンが声をあげる。
「これ、昨日の!ガラス瓶の動物と同じ」
まだ怯えたように剣を構えたままではあるが、好奇心がうずくのか蛇へと近づく。警戒は怠らない。体の中ほどの肉がごっそりと爛れおちている中で、瞳だけが先ほどと変わらない炯々とした光をたたえている。
「気持ち悪い・・・」
「元から生きてねーしな」
ラスが地面へと落ちた蛇を見聞して言う。彼の目は先ほどから、生命あるものに纏わる精霊を捕らえてはいない。同じようにそれを眺めつつ頷いてレイナも口を出す。
「どんな命令を出されていたのか分からないけど、やっぱりゴーレムだったみたい」
「なぁ、こっち!」
大きな声で呼ばわるのはロビンだ。見れば下の部屋で見たのと同じようなガラス瓶がここにも幾つか並べられている。こちらは割れているものは少ない。蛇と同じように原型をなさない動物が水に沈んでいるものもある。
「気持ち悪い!」
ヴェイラが珍しく悲鳴をあげる瓶には小さな栗鼠が水の中からこちらを覗いている。他にもいくつか、兎や猫といった小動物の類が静かに緑色がかった水の中に浮かんでいる。生きているのか死んでいるのか分からないが、誰も蓋を開けようとするものはいない。
「魔術師さんは・・・」
あまりガラス瓶を見ないようにしながら、シオンが呟く。
「魔術師さんは、この動物達を庭園にでも放そうとか思ったんでしょうか」
その言葉で思い浮かんだ庭園の様子に、皆顔をしかめる。永遠に同じ風景をとどめる庭園、歪んだ精霊、ゴーレムとなって悪さも死にもせずにそこで暮らしつづける動物。魔術師と蛮族の娘。
「何が“楽園”だ・・・」
吐き捨てるように、誰に言うでもなくラスが言う。
「魔術の道も、恋人への愛もどっちも取れなかった男の身勝手じゃねえか。どちらを選ぶ権利も持ってたくせに、てめぇの優柔不断に他人まで巻き込むんじゃねぇよ」
他の冒険者達も、同じ思いだった。遺跡のいたるところにはりついた魔術師の甘え。“楽園”は魔術師の為の楽園だったのだろう。我が意を得たりとばかりに眉を吊り上げてヴェイラが洞窟の中心と見えるあたりを睨む。
「いこう、魔術師野郎の独り善がりをさっさと片付けちゃおうよ」
ロビンがにっと笑って、そうだなと短く言う。
木の根を潜り抜け、あるいは剣で道を作りながら中央へと進む。所々で水晶や奇妙で複雑な文様が地面に飾られ、あるいは根に取り付けられている。
進むに連れ、ラスが軽口を叩く回数が増える。額には脂汗。耳に届くという精霊の叫びとその気配に彼の精神も感応しているせいだ。それがわかっている為、誰もが彼の不自然な様子をあげつらわない。もう一人の精霊使いケルツはといえば、こちらはいつも通り押し黙ったままやはり青い顔をしていたが、不意にその顔を上げる。
「先生、どうしたんですか?」
気を使ってシオンが声をかける。レイナも緊張した面持ちで見つめる。先ほどまで魔力感知の術を使っていたのだが、魔法装置があまりに多すぎるせいで今ではそれをあきらめている。
「精霊達が、変だ」
狂った精霊だからだろうとか、具体的に話してくれと言いたいのをとどめて次の言葉を待つ。もっともそれを待つまでもなかった。ロビンが四度目か五度目かの根の塊を切り裂いた時、突然視界が開け、彼らと彼女は対峙した。
それは褐色の肌の娘だった。長い黒髪には砂がからんではいるものの、レースと宝石をあしらった髪紐で丁寧にまとめられている。身にまとうのは、やはり薄いレース地の布を何枚も重ねた豪奢なドレス。真珠や宝石をいったこちらも高価そうな飾りがついていて見るからに動きにくそうだ。
どちらも、彼女には似合っていない。生きていれば簡素な服を身につけて動き回ったほうが見栄えがするに違いない。もちろん彼女が生きていて、なおかつ、今その純白の衣の胸に飛び散った血潮がなければの話しだ。血の通わぬ手で、古びた槍を握り締めている。血の気の引いたその姿は、ガラス瓶の中の動物達を連想させた。
「誰だ?」
しかし、響いた声は女のものではなかった。しゃがれた老人の声。
明らかに敵意をむき出した死者にロビンがいち早く足場を得て剣を向け、ラスはこの状況の中、自分の従う精霊の姿を求める。
「ここに、他の蛮族を入れることは禁じたはずだ・・・また私の言うことにそむいたな」
娘の姿をしたアンデットがそう吐き捨てる。
「おまえ達は誰だ?」
空ろな目をしたまま、そう告げる声にロビンがにやりと笑う。プレッシャーに押しつぶされそうな、乾いた笑みではあったが。
「てめぇこそ何もんだ?」
娘の顔は変わらない。ただ、声に嘲りが含まれたのを誰もが感じる。
「そうか、おまえ達、またエルメスにでも頼まれたのだろう。この楽園はまだまだ完成に程遠いのだ、あの娘にももうしばらく待ってもらおう。女は我侭なものだ。これでもまだ気に入らんとは・・・・」
どうやら娘の体に宿っているのは魔術師の魂らしい。見れば彼女の足元にはもはやもとの色もわからぬほどに変色したローブと人骨。死して死にきれず、愛した娘に宿った怨霊。声からすれば、魔術師と娘の年は相当はなれていたのか、それとも娘が死んだ後も魔術師だけが生き続けたのか。娘の胸にこびりつき変色した血の後を見れば娘の死が自然なものでなかったのは明らかだ。
誰が娘を殺したのか?シオンが恐怖に目を見開いて一歩退く。
「エルメス、私の楽園はまだ出来上がってはいないのだ。それともお前が!やはりお前とあの女とは・・・」
もはやこちらが誰とも分からず娘の体に宿った怨霊が喚き散らす。ロビンが剣を構えなおし、大きく息を吸い足を踏みだした。ラスとケルツ、レイナの詠唱が、ヴェイラの飛びナイフが、そしてシオンが泣き出しそうな目をして、続く。
娘の屍骸を丁重に葬り、いたる場所の魔法陣をすっかりと壊してしまった頃にはもうその日も真夜中に近かった。皆、一様に疲れきり、満身創痍で何よりも口数が少ない。
「ここ、どうなるんだろ・・・」
ぽつりとレイナが呟く。
「精霊は開放されたしな。あの庭園ももう終わりだろ」
「・・・・魔術師の骨も女の死体も木の根に埋もれて土に還る・・・」
ケルツの声に、シオンがひっそりと微笑む。
「詩、みたいですね。でも、そのほうが自然でいいと思います」
「ボクも、同感。愛ってさ、あんな不自然なものじゃないよ」
ね、ロビン君。そう振られて一瞬なんともいえない表情を浮かべるロビン。
「ま、いいんじゃねぇ?」
大人びた表情をくしゃっと崩して付け加える。
「ところでさ、ほんと1ガメルも儲からなかったよな・・・」
一同は顔を見合わせて、今までで一番重いため息をつく。何もないどころか傷ついた装備の修理などの為、かえって出費ばかりがかさむ。一日やそこらの労働で贖いきれるものでもない。それでも、悪くはなかったと結論つけて寝ることにする。
何しろ彼らには、まだ明日があるのだ。遺跡に埋もれた恋人達とは違い、今日一日で生きている分すっかり疲れきってしまうことも出来ないのだから。
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