些細な事
( 2001/09/03 )
|
MENU
|
HOME
|
作者
未記入
登場キャラクター
蛇(暗殺者)二人
暗がりが占める安普請の宿の 一室。
1人は初老の男。
1人はまだ成人してから幾年も過ぎていない頃合の男だった。
初老の男は下腹から夥しい量の血を流し、
若い男は震える手で濡れた短刀を握りしめ、地に伏した男を凝視していた。
初老の男は荒い息の中、額に玉結ぶ油汗を気にも止めず悠然と微笑をうかべ、
若い男は暗闇の中でも分かる程あからさまに狼狽と怖れを顔に出していた。
若い男は擦れる声でようやく(何故だ)と一言だけ漏らした。
圧倒的優位に立ちながら、震えを止めることの出来ない自分に。
自分や近寄ってくる死に抗うこともせずただ笑みを浮かべつづけている男に。
相手に間も無く死が訪れる事は広がりつづける黒い染みと細くなる息遣いで容易に見てとれる。
人の死に対面するのは何も始めての事では無く、むしろ暗部に住まう”蛇”と呼ばれる人種である若者にとっては日常茶飯事と言えた。
それでも、目の前の男の姿、雰囲気は若者を戸惑わせる。
初老の男も、かつて若者と同じ世界に住まう人間だった。
名を馳せる事こそ無かったが、それは長い年月をその世界で過ごし、仕事をこなしてきた人間にしてはかえって類の無い話だった。
その男が突如暗闇から抜けだした。
もちろん許される筈も無く、すぐさま手は打たれたが、かろうじて掻い潜りながら逃げ延びて来た。
初老の男は伏したまま目の前の若者を見上げた。
自分の長い逃亡生活に終止符をうたんとしている青年は、未だ短刀を握り締めたまま立ち尽くしている。
「お前の年頃なら・・・私の首でも手柄になるだろうな」
初老の男の声に、若者は弾かれたように後ろに跳んだ。それから、自分の立場さえ忘れて内に蟠る恐れをぶちまけるように喚き散らし始めた。
「何でだ!!何故そんな顔が出来る!?死ぬんだぞ!?苦しいんだろ?命乞いしろよ!・・・何時も俺らが送ってる奴等みたいに・・・ッ」
若者の喚きの間、初老の男はさも可笑しそうに唇の端を吊上げて見せていた。
死に瀕している様でなければ大声をたてて笑っていたに違いない。
その相手の態度に、興奮し息を荒げていた若者は口を噤んだ。
心の内を出した為幾分気分も収まったのだろうか、やがて先程までの態度が嘘のように暗がりに気配を溶け込ませると初老の男に近寄り、喉元に短刀を突きつけ た。
「遺言代わりに答えて逝け。何故仕事を遂行せず逃げ出した? 何故俺ごときに簡単に討たれるような真似をする!?」
その台詞には若者特有の好奇心が如実に現れていた。
本来ならば有無を言わさず止めをさすのだろうが、今回の相手は青年にとって興味深すぎる。
「・・・・お前、茶に甘味を入れるか?」
「!?」
初老の男の言葉に、青年は僅かながら動揺し、眉を動かした。
余りにも質問とかけ離れた答えが返ってきたからだ。
はぐらかされた怒りに思わず手に力を込めるが、寸での所で思いとどまる。
--どうせ死に行く人間の言葉だ。意識が既に朦朧としているのかもしれない。
その青年の思いを知ってか知らずか、初老の男は仰向けに床に転がったまま擦れる声で言葉を続けた。
「俺は度が過ぎるぐらいの甘党だった。茶を飲む時は匙できっかり5杯。必ず入れた。」
引きつりにしか思えないほど、酷くくぐもった笑いが男の喉をついて出た。
青年は既に冷静さを取り戻しており、ただ相手の言葉が尽きるのを待ってやろうと構えているだけだ。
「標的として指定された相手も、そうだった・・・。奴め、私が忍んでいる目の前で、一匙・・・一匙・・・すくってはやはり5杯。
それを見たとたんに何時も飲んでいるその甘い茶の味が口内一杯に広がるのを感じた。
・・・奴は、美味そうにそれを飲み干した。
・・・・・・それだけだ。それだけで、私は標的を殺すことが出来なくなった」
青年は、ただ呆然と独白を続ける男を見詰めた。
からかわれているのかと危惧すら覚えたが、地に転がっている相手にそれほどの余力があるとはとても思えない。
「・・・切欠など、些細な事・・・全てな。 驚くぐらい馬鹿馬鹿しくて、些細な・・・」
台詞の最後で、男は血の塊を吐き出した。
残された命はあと僅か。
男は青年を見上げようとしたが、血の通いが無くなり濁り始めたその眼球は既に像を結ぶ事を放棄しており、視線は焦点を合わさず宙を彷徨った。
「2つめの質問も・・・そうだ。お前が私と同じ型の短刀を使ってさえいなければ・・・いや、・・・逃げつかれた・・・だけ・・・。
ここまできて、漸く・・・休める・・・か・・・」
言葉どおり、男の顔に苦痛の色は浮かばない。
青年には、まどろむような、むしろ安らかな表情にすら見えた。
些細過ぎて1人の人間の行き先を変えてしまった切欠。
--自分にも、そんな物が訪れたりするのだろうか?
そんな思考が青年の脳裏を僅かに掠めた。
馬鹿笑いしたい気分だった。
(C) 2004
グ ループSNE
. All Rights Reserved.
(C) 2004 きままに亭運営委員会. All Rights Reserved.