友人(中篇)
( 2001/09/10)
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作者
タルノ
登場キャラクター
アジハル、プラユーン
日光を遮る、薄暗い天幕の 中。
家具はほとんど見あたらず、様々な角度に突きたつ、支柱が目立つ。いくつかの鉢や壺、臼とすりこぎなど、まばらに置かれている小物類は、どれも使い込ま れ、黒ずんだ地肌の上に細瑕を作っていた。
珈琲の入ったポットの口から湯気がたちのぼり、辺りの空気は香を焚いたように匂う。
波打つ敷物の上に、アジハルは座していた。
右目と、身体のいたるところを真新しい麻布の包帯で覆っている。開いた傷口によって一部の布が変色しているところも見受けられ、負った傷の深さがうかがい 知れた。
向かいで二人の男が、彼の様子を見守っている。
「飲みなされ、客人」
淡い藍色の、ゆったりとした衣服をまとった男が言った。
アジハルは、座した姿勢のまま、膝の上に乗せた碗に目を落とし、打ち固まっている。
「どうした。遠慮することはない」
だが、彼の手のひらは膝頭を抱えたままだ。
「ちぇっ、飲みたくなきゃあ、飲まなきゃいい」
主人の横の男で膝を立てている、三十がらみとおぼしき男が言った。西方で採れる貴石の首飾りが、胸元で光っていた。
アジハルは黙り込んでいた。
琥珀色に透き通った液体を無表情に眺めていたが、ほどなくして両の手で碗を持ち上げ、それを飲み干した。
風が、彼の纏った黒色のトーガの裾をはためかせた。
包帯の巻かれていない方の目で、地平の彼方を見晴るかす。
周囲には小高い植物の樹が群生し、ヤギの毛皮で出来た天幕が彼の後方にある。
「なぁ、なにしてんだよ」
ターバンの両端を腰まで垂らした少年が歩いてきて、彼に問いかける。
「なんて名前だっけ…おっさん」
「アジハル」
駱駝のように、口の中でもぞりと呟く。
「砂嵐にやられて、大変だったなあ。あんなとこで、何してたんだ?」
「……名前しか、思い出せない」
少年は、大袈裟な驚きの表情を作ってみせる。
「へっ、びっくり。おいらの名前は、サマディ。忘れないでくれよな」
「…………」
彼の瞳は彼方を眺めている。
◇◇◇◇
「揺らめく炎」の戦士プラユーンとの闘いの決着を、大規模な砂嵐によって妨げられたアジハルは、砂に生き埋めになるところを、遊牧をしながら、ナツメ椰子 や香木を採って旅をしている家族に助けられた。
家族は、家長である初老の男、ボンサフンと、その孫、サマディ。家長の息子であり少年の叔父のウラットの三人であった。
彼らは民族的に混血しており、浅黒い肌から、砂漠の民の血を引いていることがわかる。
家長は特に、雰囲気を強く持っていた。
アジハルは、全身に傷を負うとともに、同時に記憶を無くしていた。身に付けていた一族の武器も紛失し、正体の知れない彼を、家長は厚く遇し、客人として迎 えたのだった。
ボンサフンは、怪我が治るまで、アジハルを旅の道連れにすることを提案するが、これをウラットは苦く思っているようであった。
そうした状況のもとで、居候として生活する日々がはじまった。
「ふん、やっぱ親父はあれだな、アンタを見て、砂漠に住んでたじいさんの代を思いだしたんだろうぜ。そんなだから老け込むんだ。この時期にできるだけ樹林 を回らなきゃならんのに、人間一人を長く世話する余裕なんて、本当はないんだがな」
ウラットは、天幕の縁側の敷物に腰を下ろし、憎まれ口を叩いていた。その口が暇になると、水煙草をくわえる。
彼の近くで、甥子と居候は生活作業をしていた。
アジハルは、三つに組まれた柱から下げられた皮袋の端を、両手で揺すっている。
彼に割り当てられた仕事はバター作りで、山羊や駱駝の乳を煮沸して作ったヨーグルトを山羊の皮の中で変質させる作業である。黙然として、右、左と手を動か していた。
その隣りでは、少年が額に汗しながら、弓に弦を張ろうとしている。しなりの強い樹の枝と、動物の腱を使うものだが、ものがあり合わせなだけに、実用に耐え るものを作るには技術がいる。
ウラットは、それらの光景を眺めるのには早々と飽き、あくびをして立ち上がった。そうしながら思いだしたように言う。
「そういや、アジハルよ。おめェ、助けた時に、何かウワゴトつぶやいてたんだが」
「…………」
居候は作業の手を休めて、相手の顔を見た。
「おお、そうだ。『プラユーン』だったか。誰かの名前っぽいけど、おめぇの身寄りか友人か、そんなじゃねえのか?」
それを耳にして、彼の顔色が変わった。
「う……それは」
「お、どうした?」
「……それは違う、きっと違う」
アジハルは、瞳に尋常ならざる光をたたえ、深くうなだれた。
皮袋が頭に押しやられて揺れる。
「おい……ちっ」
相手をするのに疲れたのか、ウラットは天幕の中に引き揚げていった。
十四歳の少年は、腱を結ぼうとする手を休めて、アジハルの方を見た。
「大丈夫かよ?」
「ああ…ちょっと頭痛がしたのだ。だが、もう収まった」
「叔父さんさあ。性格悪いけど、あれで良いところもあんのさ。腹を立てないでやってくれよな」
「問題ない。……お前の両親は、ここにはいないのか?」
「ああ、死んだけど。流行り病で」
そうか、と答えたのち、会話は途切れてしまった。
アジハルは、すでに自分の作業に興味を失っており、視線が行くまま、サマディの仕事ぶりを眺める。少年は、思ったとおりに弓を張ることができず、悪戦苦闘 を続けていた。
彼はその光景をしばらく見守っていたが、
「貸してみろ」
「え?」
「巻き付けながら長さを調節して、強く張る。端に穴をあけておいて、結び方はこうする」
困惑する少年から仕事を取って、アジハルは見事に弓を完成させた。
弦を指先で触れると、びぃんという音を立てて、震えた。
「うわ、おっさん。いんやアジハル。やるじゃん!」
「ああ、ふと、やり方を思いだした」
「へえ、きっとその道の名人だったんじゃねぇの?」
「そうだな、そうかもしれん」
彼は安堵したような笑みをもらした。
◇◇◇◇
ア ジハルと一家は、順次、オアシスの牧草地に寄宿して、旅を続けていく。ボンサフンとウラットの親子は、目的の宿営地につくと、たびたび、天幕の留守をアジ ハルたちに任せ、樹木林に出かけていった。アジハルとサマディは、二人で過ごしているうちに、会話する回数も増えた。そういうとき、細かな、ふとしたきっ かけによって、アジハルの記憶は断片的にではあるが、想い出された。
すでにアジハルは、おぼろげながら、自分が砂漠の民のどこかの部族に属す戦士であることを自覚するようになった。だが、「黒く灼ける陽」と「揺らめく 炎」、彼の復讐に直接関わる記憶は、未だ、頭の中で閉ざされているのだった。
想い出される記憶にしたがい、彼はあるとき、サマデイに狩りのやりかたを教えた。
一日かけ、餌を食べに集まる鳥たちを弓で狙う。
「やっぱりこんなん、無理だって。あんなに動きが早いのに」
「俺ができるのだから、お前もできるようになるはずだ」
「おいらとアジハルじゃ歳が違わない?」
「言い訳は無用」
「はー、なんでこんなことしなきゃいけねぇのか」
「お前は長男だ。一族を背負うべき定めだろう。こういうことも覚えておくがいい。それとも、努力して働いている者に全て任せて、生きるつもりなのか」
アジハルの口調が熱を帯びた。
「そんなこと言うけど、無理は無理だし」
「やりとげるのだ。…できなくば、努力するがいい。努力もできなければ、それを恥と思うことだ。それが責任というものだ」
サマデイは唇を斜めにしつつ、弓を強く引き絞った。
「アジハルさあ……どんな人間なの?」
「思い出せない」
「…ぷっ」
それで肩の力が抜けた。
弓から放たれた矢は、狙いあやまたず、大鷲の身体の中心を射抜いたのだった。
「やったな」
額に滲む汗を拭い、サマデイは、にやりと歯茎を見せた。
「暑ちい〜。もう辛抱たまんねぇ…。早くエレミアにかえりてェ」
ボンサフンとウラットの親子は、駱駝の背に揺られながら、馴染みの樹木林を目指していた。彼らはすでに、都エレミアでは名の知れた商人であるが、彼らが成 功に至った秘訣は、質のよい椰子や、乳香が取れる季節と場所を知悉していたことが大きい。
「エレミア帰ったら、品物売って儲けた金で一月ぐらい、ゆっくりするぞ。果汁たっぷりの果物…。涼しげな香の匂い…。お姉ちゃんはべらせてだなぁ」
目的の場所にたどり着く前に、ウラットの水筒の中身がなくなり、彼は喉の渇きを訴え始めた。
草がまばらに生えた原にさしかかる。右手に、瑞々しい緑の葉を繁られた林が現れはじめ、空気の湿りが肌で感じられた。
「親父、ここらで休んでいこうや。水場がありそうな気配だ」
「ああ、ここは」
ボンサフンが駱駝を止め、緑林を一瞥する。
「奇遇だのう。儂はここを知っている。泉が中にあることも。…だが、そこへゆくことはまかりならん」
「なんでだよ?」
「泉の周りには、毒や、薬などが群生していてな。儂が砂漠にいたころ、部族にとって秘奥の場所とされていたのだよ。一族の暗殺者以外、立ち入ることは許さ れない。まして、すでに部族を離れた身としては、わきまえるべきだ」
「けど、飲める水があるっていうのに、つらいじゃねェか」
「我慢しなさい」
目線で息子を戒める。
「万が一、彼らに出くわせば、寛容にはしてくれんだろう」
息子は軽く首を振り、苦笑を浮かべた。
ウラットは、幹の太い林の中に分け入り、まばらに草の生える地面を進む。結局、父親の諫めをかわすことに成功した。
家系の者たち、今は縁の切れた者たちに対する配慮の気持ちなどは、あいにく持ち合わせない。非合理的な考え方は、聞いていて背中が痒くなった。
さっさと水を汲んで戻ればいいと思った。脇を見れば、すでに林を抜けた先の視界に池の水面が見えている。
喉を鳴らし、歩みを速めた、その刹那だった。
一瞬、辺りの空気が震えたように思う。こめかみが痛むような感覚に自然に反応し、唾を飲み込む。
耳に言葉が飛び込んできた。低音の共通語である。
”止まれ。何の用あって、この林に入る?”
「だ、誰だ?」
うろたえ、辺りを見回すが、影さえも見あたらない。
”我は砂漠の民『揺らめく炎』の者。ここは我らの縄張りよ。疾く去れ”
ウラットは緊張し、ついてないと舌を打った。
「どこにいるんだ……不気味だな。まあ、話し合おうや、俺っちは少し、水を汲ませて貰いてえだけで」
”悪いが、お前がうまく発語できんほど喉を涸らしておっても、乗れん相談というものよ。早く引っ返せ…そのまま進むと、えらいことになる”
「別に、俺は」ウラットは、声の主を探して、一歩前に進んだ。
草地が、踏んだ途端、大きく陥没した。
ウラットは小さく叫び声を上げ、深い穴の底に飲み込まれる前に、縁にしがみついた。
穴から這い出て荒い息をつく。よろめいて歩いた先にも、罠が仕掛けられていた。
環状の木製の刃が脚に食いつき、締め上げた。
「……ってえええぇっ!! 痛えっ!」
必死の努力で脚を引き抜いた彼の元に、再び声が降りかかってきた。
”毎日暇つぶしに、仕込んだ結果さ。そこからあまり動かん方がいいぞ。砂地には落とし穴、林に吊り木と仕掛け弓……いちいち数は覚えておらん”
不気味に声が響く。
目の前に閑として広がる林を見つめ、ウラットは額に汗を滲ませた。
プラユーンは、褐色の裸身を陽にさらして、胡座をかいて座っていた。 その右手に、指先二本を立てた、独特の呪印が結ばれている。
そばに置かれた平坦な石の上には、濃緑色をした植物と、その他こまごまとした物体が載せられていた。
ウラットが去っていった気配を感じて、彼は肩をすくめた。そこでようやく、右手の呪印の形がほどかれた。高度な呪によって支配した風霊に見張りをさせ、侵 入者に対してはそれを媒介に通信、警告を発する。念の入った防りである。
深い皺の刻まれた皮膚の上に、幾つもの赤黒い傷がぱくり、口を開いてのぞく。枯れかかっているが、まだ治癒るまで時間がかかりそうに見えた。
「出歯亀は断りたいものさ」
白く粘りのある葉肉を、傷口に擦り込みながら、片目を閉じて頬笑む。
彼はおもむろに左手で小石を掴み、石棚の上に振り下ろす。そこで今つぶれたのは何匹もの黒サソリだ。二度、三度、それを細かく砕いて、指先に取って舐め た。
作業の傍ら、空いている手が再び別な形の印をつくりはじめる。
「出逢ったのか。言わんことでない」
「ああ、俺って運がわりいや、つくづく」
擦り傷の痛みに顔をしかめながら、ウラットは言う。
「『あれ』と同族だってところから、嘆きたくなるぜ」
つづく
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