せせらぎたちの 行方-2-( 2001/10/17)
MENUHOME
作者
入潮丸
登場キャラクター
ダウリガンガ、リヴァース




*******************************

最悪だ。

「実に、利己的も極まる。なんという醜悪な精神だ。」

「なんたる無知。おまえ達は自然が何たるかをまったく知らない。ただ、自分たちの生活が良ければそれで良いのか。」

「なんと独善的な。自分たちの利便の為なら、何を犠牲にしても良いと考えているのか。」

「自然を手中に収められるとでも思っているのか。まったく傲慢だ。」

非難轟々。

新王国暦513年春。
歌声の街道と異名をとる、ベルダインとタラントを結ぶ細い山道から、さらに山中の細い徒歩でしか進めない谷筋の道を分け入ること数日。クロスノー山中にそ の深い森はあった。
冷たい冬の気配をはらんだ風乙女から開放された陽光が、薄い色の葉を潜り抜けて降り注ぐ。凍りつく寒さから開放されて、生き物全てが、活気付く季節。
しかし、二つの人影を取り巻く周囲の剣呑さは、その漱がれるような清清しい感触を拭い去って、再び冷たい冬の帳で包みこむのに、余りあるものだった。

次々に、周りを取り囲んだエルフたちから、強い言葉が吐きつけられている。
長い耳まで、紅調している者もいる。叫ばぬ者たちも、互いに見合わせ、顔をしかめながら、怒りと反感の言葉を紡いでいた。

強欲。短慮。野蛮。貪婪(どんらん)。自惚れ。蒙昧。粗野。低俗。驕慢。倣岸。放縦。浅薄。愚鈍。卑劣。下等。……。……。

よくぞまぁ、論理的なエルフの言語で、そこまでの非難文句が出てくるものだと思う。
これらの言葉が全て自分に向かってきている、ということに、妙に現実味が無い。
ある者は眉間に深い縦皺を刻み、ある者は眉を天の方向に吊り上げて。言いたい放題に、非難の言葉を投げかけている。
静かで抑揚の無いトーンでありながら、そこには怒りの精霊が渦巻いているのが、おそらく精霊使いでなくても、ありありと受け取ることができるだろう。

それを受け流そうとするかのように、半妖精はため息をついた。リヴァースという名を名乗る暇もない。
未だ、弓をけしかけられ、矢ぶすまのようになっていないのが不思議である。
いつも面白みがなさそうに結んでいる仏頂面は、半眼になってどこか間抜けた表情になっている。黒曜の眼には光がない。頭痛がしてきたというように、絡まっ た漆黒の髪をぼりぼりとかきむしった。しばらく洗っていないせいで、フケが肩に落ちる。

ここは森のエルフの集落の中央にある、小さな広場だった。数件の素朴な家がすぐ傍を取り巻いている。壁や屋根は麦藁やゴムの木の皮など、珪質の多い植物で 出来ている。これでは冬に風通しが良すぎて寒いだろうにと思うが、エルフは自然との接点が少しでも多い方を好むのだろうか。

「まったく、最悪ですねぇ。」
間延びした声で、人事のようにうんうんと肯いたのは、隣に立つ人間だった。口をあまり開かないしゃべり方でしゃべるために、もごもごと声がくぐもってい る。くぼんだ頬と日に焼けて荒れた肌、まだ若いというのに後退しつつある麦藁色の頭髪が、貧相な印象を与える男だ。杉のようにひょろりとしている。背筋は 伸びていて姿勢は良い。糸のように眼を細めているのが、表情をわからなくさせている。
名を、ダウリガンガといった。今回のリヴァースの雇い主に当たる。

西部諸国、タラントの酒場にで酔客を相手に口論をしていたリヴァースに、物好きにも口を挟んだのがダウリガンガだった。どんな内容だったのかは、リヴァー ス自身も酔っていたのであまり覚えてはいない。
それから、互いの地図にある情報を交換した。旅人にとって地図は欠かせないものだ。リヴァースの持っていた地図に対してしきりに薀蓄をたれるダウリガンガ を訝しみ、何を本職にしているのか尋ねた。すると、彼は、役所勤めをしており、クロスノーの谷あいの、エルフの住む森の周辺に、地図を描くための調査に行 くということだった。

深い森の中では容易に方向を見失う。測量にも人手が必要だ。森で育ち勘が確かなのならば、協力して欲しいということだった。彼の後見人は役人でも地位の高 い人間であり、金の出所は保証されていた。懐の中身が万年欠乏しているリヴァースは、二つ返事で引き受けた。

問題は、その目的だった。
単に地図を作るだけかと思いきや。

ダウリガンガはタイデルの国に雇われ、人工的に湖を作る計画を立てるための調査を行っていた。
川を塞き止め溜め池とすれば、灌漑により収穫を増加させることができ、また、洪水を防ぐことができる。
その土地にもたらされる便益は、人間たちにとって計り知れない。

しかし、自然に流れ行くはずの水を塞き止め、人為的に閉鎖された場所に留め置けば、水は濁り、水霊たちが狂うかもしれない。自然に手を加えることを、精霊 使いは嫌う。

そして何より、その場所が問題だった。
計画が実行されれば、エルフの森が、水没する。
森を棲家とし、生きる舞台とし、そこにある木々を友としながら生きるエルフにとって、それは、死よりも残酷なことだった。
理知的な種族を激怒させるのに、これほどに適する行いはない。

ダウリガンガの話の内容は、簡潔だ。
森が貯水池に沈む。水質の劣化を防ぐ為に、多くの木を切らねばならない。
そして、ちょうどこのエルフの集落がその水没地に当たる。
ゆえに、この森から立ち退いて、移住をしてもらいたい。

その旨をダウリガンガは、たどたどしいエルフ語で説明した。おそらくこの日のために必死に覚えたものだろう。

リヴァースは憮然とした。そのようなことをエルフが了承するはずがない。
ダウリガンガが期待していた半妖精の役割は、エルフを説得することだった。
それを知らされたのは、今しがたのことだ。
そんなことに力が貸せるかと。怒りが沸くよりも、ただ、呆れるしかなかった。

案の定、森の妖精たちのあふれんばかりの憤慨に曝され、リヴァースにはなんら反論の言葉も浮かばなかった。のほほんとしたこの男に対する嫌味しか出て来な い。

「良かったことが二つあるぞ、人間。
ひとつは、非常に希少な瞬間に立ち会えたことだ。理知的なエルフが、あんなに感情を露にして怒りの形相をしているところなど、なかなかに御目にかかれるも のじゃない。
もうひとつは、おまえ自身が精霊遣いではなかったこと。精霊の声を聞くことができたら、ヒューリーの雄叫びに、鼓膜を破られそうな思いをしていただろう て。」

かなり誇張を含めたが、このぐらい言わないと、この非難囂々の中で、正気を保てない。

「なかなかに、余裕がありますね…。その調子で、彼らをなだめていただけないでしょうか。」

「余裕じゃない。単なる諦めだ。」

力ないダウリガンガの言葉に対して、即答する。
いずれにしても、このまま収まりそうな雰囲気ではない。

「森を傷つける人間は、殺して身体をばらばらにし、血肉を木々の肥料にする、という部族もあるそうですねぇ……」

いつ武器に手をかけるかわからないエルフたち。数々の憎悪の視線で射抜かれるのに後ずさりしながら、冗談ともつかぬ口調でダウリガンガが言う。

「ターシャスの森のやつか。良く勉強しているな。…わたしのほうは、生きながら解体される、と聞いた。噂というものに尾ひれはつき物だが、本体だけでも御 免こうむりたい。」

エルフたちの声を聞き流しながら、こうなるといいかげん、呑気とすらいえる。リヴァースにエルフを説得する気は皆無だった。返ってきたのはため息のみで あった。

ふと、それまで中心で一人黙っていたエルフの女性が、右手を上げた。制止の合図だ。
口々に反感の意を口にしていたエルフたちの声が止み、一瞬の静寂が訪れる
周囲の者たちの振る舞いからして、この森の長のようだ。

「皆に、率直な意見を露にするよう伝えました。そのほうが、そなたらにも、われわれの森に対する思いが伝わりましょう。」

そう、穏やかな口調で彼らに述べた。長といっても、老いを知らぬエルフのこと。若者たちといくらも顔格好は変わらない。しかし、周囲に溶けこみながらも身 体の内側から光を発しているような、はっきりとした存在感がある。大気に溶けこむような静かで低い声に、強い意思が込められていた。

「われわれにとって、木を切るというのは、友の首を自らの手で切断するのと同じことだ、というのは、理解しておられましょう。」

ダウリガンガは肯いた。
リヴァースは無言で、無表情に、森の長を見つめる。

「立ち去るが良い。異邦のものたちよ。今ならば危害を加えることはいたしませぬ。」

静かでありながら力の篭った言葉だった。
さてどうしたものかと、リヴァースはダウリガンガの様子をうかがう。

「…わかりました。お騒がせをいたしました。どうか、ご容赦を。」

ダウリガンガは驚くほどあっさりと答え、一礼をした後、きびすを返した。
そのあきらめの良さに、思わずリヴァースは呆気に取られた。



「まぁ、こんなものですかねぇ…」
森に注ぎ込む川を目指して歩きながら、焦りのないのんびりとした口調で、ダウリガンガが言った。
ダウリガンガの態度には、どうにも違和感があった。
あれでは、あまりに無謀で無知だといえる計画だ。
このまま無言で置き去りにして街に戻ろうかとも思ったが、それにしてもリヴァースには釈然としないものがあった。

「呆れましたか?」
後を追ってくる半妖精を振り返りつつ、ダウリガンガは尋ねる。

「一つ、聞きたくてな。なんというか…あれでは?まりに先が見えている。あえて、明らかに反感を買うようなことを述べるのであるから、なにか理由があるの か、と思った。」
ダウリガンガの言った内容は、エルフに対する暴虐もはなはだしかった。しかし、彼に、エルフに対する知見が無いとは思えなかった。もっと根回しのしようも あるだろうに、なぜに正面からあきらかに拙いやり方を取ったのか、それが気になった。

「いやはや、まったく、難しいものです。どうしたものでしょう。」

直接は答えない。それに裏を感じる。
そういえば、エルフたちの警戒も強すぎという感があった。最初から敵対的だった。
政治の敏腕を持って鳴るタイデルIV世が、無謀な計画を推し進めることを許可するとも思えない。

「国に泣きついて、軍隊でも派遣してもらえばどうだ? 200やそこらの兵がいれば、これしきの集落の連中を追い出すことくらい、造作もないことだろうに」

惚けた返答に、リヴァースは肩をすくめ、突き放すように言い放った。

「そ れでは、近隣はおろか、大陸中の森の妖精たちから、反感を買うことになります。そのエルフに同調する人間も少なからずいることでしょう。といっても、人間 がエルフを大切に思っているわけではなく、反抗に都合がいいからです。何かの体制に抵抗すること自体を目的にする方々は、どこにでも居ますから。そして、 それは、国の未来にとって良いことではない。諸国にも国民にも、非難の格好の口実と、要らぬ脅威を与えることになるでしょう。納得せぬ者を力づくで屈服さ せるほど、下策ありません。
今、もっとも簡単で手っ取り早い手段というのは、しばしば、もっとも拙い手段でもあるのです。」

思っていたよりも先を見据えたダウリガンガの穏やかな薄い笑みが返ってきて、リヴァースは鼻白んだ。

鳥の声が頭の上から降り注ぐ。
森の下生えの中歩みを進めながら、ダウリガンガは、計画の内容について、詳しい説明を始めた。

溜め池を作ることにより、エルフたちの森は破壊され、生活は奪われる。しかし、それにより生まれる便益は計り知れない。水を制御し、各々の季節で安定して 水を使用できることほど、その土地にすまわう生き物にとって心強いことはない。

灌漑を行い、定期的に水を供給することができれば、穀物の生産は増加し、それだけ、少ない土地で多くの人間が豊かに生きることができるようになる。安全な 水を求めるために一日の半分を費やすことも、悪い水を飲んだために失われる命も少なくすむようになる。水を求めて人々が争うこともなくなる。また、洪水に より大地の表土が剥がされることもなくなる。土壌は豊かに肥える。

溜め池から流れ出る水の力を利用して水車を回せば、それに生まれる力により、粉を曳き、油を精製することができる。産業を興すことができれば、人々の生活 はずっと豊かなる。最小限に生きていけるラインよりも生活が楽であれば、心も豊かになる。争いは少なくなる。干害や起こりうる諍いによる損害を考えると、 利水による福利には大きな意味がある。

変化により生まれる利益と、守られる生命は、一時的な損失がもたらすものよりも、長い目で見れば、ずっとずっと大きくなる。
乾燥した気候であり、干害が起こりがちなタイデルやラバンにとって、受ける恩恵ははかりしれない。

「ある程度の損失も、後々の多くの自然と生命を守ることと、多くの幸福に繋がるとしたら。それは、必要な道程ではないかと思っています。それを評価する、 トータルなバランスで見る眼が大切なのではないでしょうか。」

そう述べたダウリガンガの目は、真摯なものだった。

「それは為政者の視点だな。その理屈でいけば、戦争だって正当化されるだろう。」

ダウリガンガの言葉に宿る力が、自分を蝕むのを感じながら、それに抗うように、リヴァースは言った。しかしそれは、子供の負け惜しみのような、投げやりの ものだった。


そのまま、黙りこんだリヴァースを一瞥し、ダウリガンガは木漏れ陽に手を翳しながら、言葉をつなげた。

「私の故郷は、このように、みずみずしい自然に覆われているところでは決してありませんでした。
『悪意の砂漠』と呼ばれる乾燥地帯の外側に位置し、栄養分の少ない、がちがちの砂と岩に覆われた、誰が見ても、荒野と形容するところです。羊やヤギ、鶏な どの家畜は宝であり、財産であり、生命線でした。
雨季と乾季がはっきりと分かれ、乾季には、大地も生き物も、全ての者がカラカラに干上がります。乾いた細かい砂が煙となって宙を舞うので、外に居る時はい つも目を糸のようにすぼめていなければなりません。
逆に、雨季は、バケツをひっくり返したような土砂降りが続きます。大地の表土は流され、川は氾濫します。洪水に出くわしたことはありませんか?」

リヴァースは首を振った。
土砂崩れの現場に居合わせたことはあっても、水の災害に苦しめられたことはなかった。

「水 の力は恐ろしいものです。我々が数年数十年をかけて築きあげたものを、即座に流し去ってしまいます。大渦があちこちに沸き起こり、泥水が全てを押し流しま す。いくら泳ぎの達者な者でも、一たまりもありません。猛る水霊たちに、溺れさせられ、飲みこまれていきます。穀物も家畜も流され、奪われます。一年分の 糧が一瞬にして失われます。その後どのように過ごしたらいいのか、途方にくれるよりほかはありません。

それでも、それらの季節が、安定して毎年やってくるわけではありません。我々の地方では、4年に一度は、雨季でもほとんど雨の降らない旱魃がやってきま す。その年にうまく穀物が育ったといって、次の年にも同じものが得られるとは決して限らないのです。だから、非常に、計画が立てづらい。作物も草木も枯 れ、大地は死んだ老人の肌のように乾きます。草が足りず多くの家畜が死に、人々が飢えます。

部族間の争いが起きるのも、そんなときです。少なくなった土地と作物を新たに手に入れるためには、奪うしかなくなるのです。自分の命がかかると、人に容赦 という感傷は失われます。他の命を犠牲にしても生きなければならない動機というものは、すさまじく大きい。
そして、100年に一度は大災害がやってくるといいます。祖母の話ではそれを凌駕するほどの酷いものでした。平和は、自然が寛容であって初めて成り立ちま す。

水はとても貴重なものです。乾季には、安全な水を求めて、水を汲むのに、一日の1/4を歩くことに費やします。小さな子供も、頭にバケツをのせて、灼熱の 太陽の元、ひたすら歩きます。
汲み置きしていても、すぐに水霊の力は細り、虫が巣食って、悪い水となります。そういう水を飲むと必ず、腹を下し、嘔吐し、何も食べられなくなって、熱と 悪夢に苦しむ夜が続きます。 私の父も誤って悪い水をのみ、それで亡くなりました。」

水の大切さは、潤い恵まれた地方で育った者たちには、なかなか理解できないものだ。
数年前、砂漠の部族の元に身を置いたときに、水汲みの重労働を課せられる女たちのために、水場から、簡易な竹細工とポンプを用いて、集落まで水を引こうと した。リヴァースなりに、その場に受け入れられようとした必死の工夫だった。
しかしそれは、完成間際になって、部族の族長の息子、アジハルの手で壊されてしまった。

そして、叱責された。
人間が安易に水を使うようになったら、すぐに水場を枯らせてしまう。水は全て生けと者にとって、不可欠なものだ。人が水を使いすぎると、水を汚す。それ は、他の動物の命を奪うことになる。大型の動物は特に乾燥に弱く、最初に死ぬ。すると、それに捕食されていた小型の動物が増える。草は食べられすぎて大地 は痩せて丸裸になる。そうすると水は保水されることなくして尽き、全ての動物は死に絶える。それは、自らを死に追いやる行為である。
そのような簡単なこともわからぬのか、と。

「 旱魃の状態が、数年、続くこともあります。
飢えと乾きで、みな、枯れ木のようにやせ細ります。
母親は乳が出なくなります。その為、赤ん坊はミルクの代わり、サトウキビの絞り汁を飲みます。確かに甘いのですが、赤ん坊の成長に必要な栄養は、ミルクほ どありません。そしてそれが毎日になると、赤ん坊の生えかけの歯は虫歯になり、歯が溶けて、歯の根までボロボロになってしまいます。そうすると、永久歯も うまく生えてきません。

村の、私と同世代の者たちに、まともな形の歯をしている者はいません。そういったものは硬いものが食えないので食が細り、抵抗力も弱まって、まともに育ち ません。
……小さい頃は、歯の激しい鈍痛で、まともに眠れた記憶がありません。いつも泣いていて、母親を困らせていたと思います。母も一緒に、泣いていました。」

そういって、ダウリガンガは、唇を少し開いて、不揃いな方向を向く、細い、爬虫類のような歯を露にした。
もともと、口を開かないしゃべり方なのだと思っていた。いびつな歯を恥じて、わざと隠すようにしていたのだろう。プロミジーの者にはそういうしゃべり方を する者は多いが、それは極寒の地で熱を逃がさないようにする為であった。

「あ なた方は、故郷というと、まず、生まれた土地の山や川や森といった、自然の風景を思い浮かばせることでしょう。けれど、私たちの場合は、まず、家族を思い 出します。そして、家族の属していた氏族を。…自然は、多くの場合、敵でした。『砂漠の沙漠』…その悪意を持っているのは他ならない自然だ。まだ恵まれて いるはずの潅木地帯に住んでいた私達でも、そう思わざるを得ないような土地でした。砂漠自体に住む遊牧民の苦労は、押して知るべしでしょう。洪水。旱ば つ。竜巻。病。どの季節にも、危険が潜んでいました。その過酷さの中で生きていく為には、家族や部族で団結する必要があったのです。」


ダウリガンガの厳しい生活の話に、同情心は浮かんでこなかった。むしろもっと別の感情…、根本にあるものに対する憧れのようなものが浮かんできていた。
彼の話は、アジハルをはじめとした砂漠の人間、『黒く灼ける陽』の部族の者たちを彷彿とさせた。部族の繋がりと神への絶対的な恭順。強烈なまでの自律と価 値観。
自らの血肉となったもの、土台を構成する意識について、あの男はまばゆいばかりの確たる信条を持っていた。圧倒的な自然の力に晒され、過酷な状態で行きつ づける者たちほど、自分を強くする巌の信念と、すがるべきものと、純粋な血を求める。風と、渇きと、砂と、常に戦ってきた者たちであるからこその強い強い 精神の力を示しつづけてきた。

圧倒的に鮮烈な帰属意識。
周りのエルフ達から否定され、受け入れられたいのに何も授けられなかった、排斥の中で育ち、変える場所のない自分にとって、それを持つ者に、どうしようも ない憧憬を感じていた。

一歩街から離れると、自然に身をゆだねることが、そのまま「死」を意味する部族は、世界にすこぶる多い。彼らは、乾くまえに、凍えるまえに、水にのまれる まえに、ほんのわずかな可能性を見出し、知力を尽くして活路を切り開いている。
皆、旱魃の年も、大雨の年も、家畜を飼い、何世代にも渡って、時には戦い、時には慰められながら、人間は自然と付き合ってきた。自然が過酷であればあるほ ど、彼らは知恵を凝縮させて、システムを複雑にして、それに対抗してきた。

ダウリガンガの話はまた、 それはほんの些細な日常においても、身をもって理解できることだった。

雨季で水霊が染みとおったドロドロの土の中を、腿まで泥に埋まりながら一日中歩いてみたら。
泥水で汚れきった足が蒸し、悪い水霊が付いて気が狂いそうな痒さに悩まされたら。
刺に覆い尽くされた藪や、背丈より高く生い茂った青々とした刃物のような葉を、傷だらけになりながら掻き分け掻き分け何日も進まねばならなかったら。
毒のある蛇や昆虫、病気をもった蚊に常に気を配っていなければならなかったら。湿地の瘴気が毒気となって身体を蝕みはじめたら。高熱と朦朧とした意識の中 で、毒抜きを探すのに死に物狂いにならねばならなければならなかったら。

それを考えると、人の手が入り、石で舗装された道や、城壁で囲まれた街は、涙がでるほどありがたいものだ。
そこに快適に存在しようと思ったら、まず自然をやりこめなければならない。人間にとって、自然は切り開く為にある。自然の力を弱めることを代償として、人 間は、生きる力を得ていく。
木を切り、石を積み、水路や水門を作り、壁を作り、街を作って城壁で覆い、外界と身を隔絶し、大地を耕し、なんとか身の周りの自然を御しようと、生き延び ようと、切磋琢磨している。
それが人間の「自然」な姿なのだろう。

あふれてくる思考に黙りこんだリヴァースを見つめながら、ダウリガンガは低い声を、春のなだらかな大気に溶かし込ませ、話を続ける。

自然は、そこに住まう者を、暖かく庇護してくれる反面、時には悪魔のように牙を向く。
氷原や沙漠、氾濫地など、精霊の力がときに強まり、弱まり、交錯する過酷な条件の元では、自然を為す精霊たちは、常に、生命を脅かす、乗り越えねばならな い敵である。

自然と共生できると考えているのは、穏やかで豊かで恵まれたところに、「たまたま」産まれることができた者たちの、思いあがりにすぎない。


――― 安穏と豊かな森の恵みに甘んじてのうのうと生きているエルフが、先祖代々から知恵を凝縮させ全力で自然と戦いつづけてきた人間たちのことを、自然を知らぬ 連中だなどと、どうして言えるのか。

「…それが本音なのですけれどね。それを口に出してしまうと、亀裂の修復は不可能かもしれません。彼らの誇りを無碍にすることでありますから」

何かを言おうとして、リヴァースの唇が空を薙いだ。瞬時に、それに対する答えを口にすることはできなかった。ダウリガンガの言うことは納得できる。彼は必 要とされることに対しての目的を持っている。その行いが何を意味するかも理解している。しかし…。
首を振ってから、せきあふれるものを吐露するように、リヴァースは言葉を続けた

「 おまえたちのやろうとしていることは、どう言葉を飾っても、生活を奪う、その事実に他ならない。森と大地と共存した、千年の財産を抉り取ることだ。彼らに は彼らの先祖から受け継ぎ、子へ渡していく、変わらぬ確固とした生活の舞台がある。それは彼らの根であり、幹と枝を育てたもので、非常に重く、不可侵で、 尊いものだ。それを、他の人間の都合によって奪っても良い事なのか。」


変わらぬ生活の舞台。根を張り巡らせる土壌。己を育てた母なる場所。魂の帰属する道標。そして還る場所。それは、リヴァースにとって、もはやいくら望んで も得られない、失われたものであった。そして、旅の中で触れていくにいっそう、憧憬が募るものであった。子々孫々受け継いできたその土地ならではの平凡の 中にこそ、最高の幸せがある。それを感じるたびに、傍観者にすぎないアウトサイダーの自分にやるせなさを感じていた。
故にいっそう、それらを他者から奪うことは、この上のない罪悪に感じられていた。

「私の視点から言わせていただけば、それは……幼稚な考えであり、単なる感傷です。」
対し、ダウリガンガは、あくまで控えめに、しかし、凛とした光を眼に浮かべ、言いきった。

「 壊すのは良くない。奪うのは罪だ。…それをみなすのは、感情です。変化による痛みに同情することは誰にだってできる。刹那の感情に従い、善悪を判断するこ とは、楽で簡単なことです。誰もが味方するでしょうし、『善い人』になれることでしょう。
しかし同時に、それは、稚拙なことでもあります。綺麗事にすぎません。
変化には、必ずひずみが生まれる。痛みがつきものです。何かを変えてよい結果だけを残すことなどできやしません。ひとときの損失をなくして益はありえな い。それが現実です。」

苦み走った笑みを浮かべながら、ダウリガンガは答えた。
リヴァースは、ふと、とても嫌な感覚に襲われた。自分の中にある何かが否定された。この男の言葉が、身体の中に侵入してきて、血管の中をかき乱してような 気がする。やがて骨も肉もぐちゃぐちゃになって、一から作りなおされていくような、奇妙な予感。

「 最初は…私もずいぶんと悩みました。できるものなら、いつも守る側に立ちたいです。けれど、保護するだけのことが、常に、最善の方法ではありません。優し さや同情が起因する行動は、多くの場合、ありがたがられたい、必要とされたい、という、自己満足を求めているにすぎません。『善い人』であることを盾に、 自分の行ないを正当化し、自分に価値を見出したいだけであるのです。

それが悪いことではありませんが、非難されても、石を投げられても、後々の眼で見れば、それがそこの人と土地にとって善いことだった、ということも多いの です。
私たちは常に水と戦ってきた。それを御する術を身につけたいと心から願っていました。
父は、能力や財産は人の為にあるのだといつも言っていました。私の仕事は、一人でも多くの者に安泰な生活をもたらすことです。

水利というものは、多くの人の生活と根本から絡む故に、全ての人が望みどおりになるように満たすことはできません。重要なものであるほどいっそう、それを 利用する者たちの間に軋轢が生じます。
ただ、誰もがより利用しやすい形に、全体の状態を底上げするための解答はあります。それに必要なのは、どうやれば誰もにとって妥協でき、かつ、最終的には 今よりも良い状態になるかを探す、全体を底上げすることのできる客観的な視点です。

水というのは、もっとも生命に基本的な、取り組むべき課題です。どう流れ、どう季節で変化するのか。人間はずっと、水について学んできました。
エルフは確かに自然と共存してきた。それは、性質と環境が、たまたま、共存できる状態にあったからにすぎません。」

強い意思が込められながらも、あくまで平坦なダウリガンガの声。それに聴き入りながら、リヴァースは思考の海に沈んだ。
彼の言うことは、納得できる。人間と比べ、本質としての水の事を、水霊の働きを通して知っているのは、エルフだろう。しかし、エルフが、この世界における 水の役割をすべて熟知しているのか。・・・否。そうではない。

炎、水、樹木・・・各々の精霊界は、殻に包まれた、いろんな種類の卵のようなものだと自分は考えている。中身は核とともに、殻に守られて、それぞれと隔て られている。その殻は時にはやわらかく、他の精霊界と混じったりしているところもある。たとえば、恐怖という精神をつかさどる精霊は、同時に、闇の精霊界 とも行き来をしている。森の樹木の精霊たちは、同時に、心の安らぎを司る、といった具合だ。ただ、そういうのものはあくまで例外であり、それぞれは隔てら れている。
しかし、物質界は、その殻が全て砕かれて、どろどろに混ぜ合わせられている。
各々の力が強いところは存在する。しかし、ほとんどの場合は、いろいろな精霊の力が、あまたの相互作用をしあっている混然とした状態だ。

精霊の力を、物質界に紡ぎ出すエルフたちは、個々の分離された状態を、本質のままに取り扱う術には優れているだろう。
しかし、純粋ではない、混じったものはどうか。
混じったもの、干渉しあう姿こそが、物質界の主役なのである。
現実は、色とりどりの網目模様の綾なす織物だ。精霊を遣うことは、相互作用の網目を紐解いて、純粋な精霊の糸を引き出すことに他ならない。


物質界に、本質というものはない。あるとしたら、無限の多様性、という性質だろう。 そして、それはそのまま、人間に当てはまる。

人は、古代の魔法にすがりつづけるよりも、剣の力で世界を作る道を選択した。
世界を創造するのに用いた神の言葉に依存するだけではなく。自らの知恵と力で世界を受け継ぐことを選択した。
全体をどこかの方向へ進ませる為に。
複雑で大きなシステムの中で、細部を変更させながら、時には失敗し時には停滞しながら、切磋琢磨し、変化の中で揺れ動く。
それが人間なのだ。

泡のように思考が沸いては、明滅する。

「だが、恵まれた土地には恵まれた土地のやり方がある。過酷な場所のやり方をそこに持ちこみ、自然を征服する対象と考えることが、成功するとは思えない。 豊かさに感謝している者であるからいっそうに、それを損ねるものを拒むだろう…。」

ぼこぼこと胸のうちが沸騰しているような感覚を押しのけるように、リヴァースは、無難ともいえる力ない反論を試みる。

「無論、それで一時の破壊を正当化してよいという法はどこにもありません。千人が便益受けるのだから、百人が苦しんでもいい、という理屈のもたらす結果 は、つたないものです。損失は必ず、同時に別の場所で今以上の価値あるものによって、埋め合わせされねばならない。多くの選択肢の中から、破壊を最小限に 留める手段を選び、かつ、それを補償するものがあって初めて、その論理は受け入れられます。」

それは、ダウリガンガにとって、長年噛み砕いてきて搾り出した答えであるらしかった。
何かが形として凝縮しつつあるのが感じられる。この男は、世界で生きていく上での何かの解答を持っている。リヴァースは固唾を飲んだ。

「話してわかる相手だと思っているのか?」

「わかってもらえないのであれば、悪いのはエルフたちではありません。悪いのは、彼らの土台を理解しない自分であり、それに見合った手段を考えられない自 分の至らなさなのです。
…エルフを理解し信頼することができない人間に、どうやって、エルフからの信頼と理解を得ることができるでしょう?」

ダウリガンガは、にぃまりと笑った。
自分の浅はかさを見咎められたような気がして、リヴァースは息を止めた。


ニヒリズムに浸れば、ひとまず格好は保てる。それを矢面にして、最初からあきらめていなかったか。

それがあまりにも幼稚で、恥ずかしいことのように思われた。

思いつめるように虚空を睨み、唇をかみ締めるリヴァースを、ダウリガンガは心配そうに覗き込む。その人間の瞳を、黒曜の光のぎらつくアーモンド形の眼が見 据えた。

「――協力しよう。」


闘いの宣言するように、半妖精はそう言った。
それは、リヴァースにとって、なにかから、脱皮した瞬間だった。

(続)






  


(C) 2004 グ ループSNE. All Rights Reserved.
(C) 2004 きままに亭運営委員会. All Rights Reserved.