せせらぎたちの 行方-4-
( 2001/10/18)
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作者
入潮丸
登場キャラクター
ダウリガンガ、リヴァース
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夜明けを待って、彼らはエルフの集落に戻った。雨が上がり、雲が水の精を全て浚っていったらしく、薄青い空からやわらかな陽射しが降り注いでいる。しか し、その健やかな空を振りかえっている暇も無かった。足元はぬかるみ、負傷したイジュマーを抱えて運ぶのは難儀である。
まんじりともしない夜を過ごし、疲労と睡眠不足で、2人とも足元がおぼつかない。川に入ったときの濡れが昨夜の雨のせいでまだ乾かず、湿っていて冷え、 足がだるい。
イジュマーは意識が途切れ途切れで、自分で歩くこともできない。怪我以上に心に深く孔が穿たれていた。姉の凄惨な様が頭の中にこべりついており、自分も ああなるのだと確信しているようだった。
夜に一度報告に帰ると言っていたイジュマーが戻らなかったので、エルフの集落は騒然としていた。彼らが姿を見せると、みな、藁葺の家より顔を出す。しか し、直接近寄ってくる者はいなかった。
イジュマーの父母らしい者がかけつけてくる。ぐったりとした彼を見て、蒼白になり、彼らが息子を殺めたのかと、父親が剣に手をかけ詰め寄った。
「…森の魔物にやられています。持ってきていただきたいのは、弓矢でも剣でもありません。熱い湯と毛布です。魔物の毒に冒された上、雨に濡れ、身体が冷え 切っています。熱もあります。寝床を用意してください。」
彼を殺めたのは自分たちではないことをあらかじめ表明する為に、ダウリガンガが先手を取って言う。
イジュマーの両親は顔を見合わせた後、熱っぽい息子の体をひったくるように取り戻して、家のなかに連れていった。幾分冷静な父親が、不本意そうな表情な がら、頭を下げる。
彼の家は、粗末ながら、きっちりと丈夫な葉材で壁が覆われ、たくさんの小物がおかれていた。彼の姉が編んだというものだろう。
横たえられたイジュマーの身体は、今は小康を保っているが、放っておくと、悪化の一途を辿りそうだった。胞子が彼の身体の中に無数に巣食っている。昨夜よ りさらに、繊維質のかさついた菌糸が、間接や喉など、皮膚の弱いところを中心に広がっている。やがてこれらが、茸になるのだろう。
自分では手を施すことができないイジュマーの母親の懇願をうけ、長がやってきた。
彼の姉が茸の魔物に冒され既に死んでいたこと。同じ魔物の胞子をイジュマーが吸い込んでこうなってしまったことを、二人は説明する。
「どうしてこんなことに…。人間が森に持ちこんだ穢れのせじゃないのですか!」
娘を失い、今、息子まで瀕死の姿を目の当たりにした母は、不条理なことを口走った。 イジュマーは魘され、じっとりと珠の汗を浮かべ、意味の取れないう わ言を呟いている。
集落のエルフ達はみな、ある者は家の中から伺い、ある者はイジュマーの家の周囲に集っていた。
「植物の力が歪に強まっている。茸が菌糸を張り巡らせようとしていて、それに対抗しようと、身体の中の火霊が強まっている。わたしには…抑制することはで きない。」
リヴァースが伝える。生物の中、体内の精霊の流れは、自然以上に、複雑極まりない。通常の病とちがって、意思を持った茸がその身体を蝕もうとするのを、 外部から止められるとは思えなかった。
「それが見えるだけで十分です。手伝ってください。」
長は言う。イジュマーは数少ない森の若者の一人だ。成人したばかりの彼を、失うのは集落にとって痛手であるし、長には森の者を守る義務があった。
エルフの長は、自然の病と違い、体内の精霊に呼びかけイジュマー自身の回復力を助けるだけでは、この悪魔のごときの茸を抑えつけることは不可能であると 知った。
躊躇い無く、イジュマーのもとにひざまずき、長は息を吸いんで、精霊の呪いを始めた。
「…名も無き命の精霊、光りまばゆき白き者。全ての精霊たちのバランスを司る大いなる気高き精霊よ…その生命の輝きもて、この者に巣食おうとする歪なる命 を取り除く、健やかなる力をもたらしたまえ……」
淡い月の光に似たものが、詠唱の印を切る長の手に宿る。長い長い詠唱。
神聖さすら感じさせる長の気高い姿に、リヴァースは息を呑んだ。しくり、と下腹が痛み、憧憬と切なさのない交ぜになった視線を漂わせる。
長の呼びかける命の精霊の力を受け、イジュマーの身体が、淡く光を放った。
イジュマーが眼をあける。汗を拭く手から、ぽろぽろと、菌糸や茸が剥がれおちる。
母親が泣きながら、彼に抱きついた。顔色が落ちつき、母親に、微笑む。それから、すぐに、力尽きたように、イジュマーは深い眠りについた。
相当の集中を要したらしく、長は疲労の影を浮かべて、息をつきながら、その光景を見守った。
ダウリガンガたちは外へ出て、これまでの経緯と、長の魔法によりイジュマーが助かった旨を、周囲のエルフ達に伝えた。長が動いたのもあって、集落のほと んどのエルフ達が、集まっているようだった。無用な混乱を沈めようと、長も、皆の前に出てくる。
「そのような不自然な存在が生まれるなど…。森に魔物が入りこむなど…これまでになかったことだ。人間が森に侵食しようとしているせいではないのか。」
一人のエルフが、うめくように言った。
「いえ、あれも自然の枠組みの中の生物です。」
対してダウリガンガは、イジュマーとリヴァースに述べたことを再び説明した。集落のほとんどの者が集い、長の立ちあうこの場は、彼らの説得の、絶好の機 会だった。ここぞとばかりに、付け加える。
「自 分にとって都合のよい、美しいものを『自然』とみなし、都合悪いものを『不自然』という。その在り方は果たして正しいものでしょうか。あなた方も、住居を 作るために木を切り、草を刈り、生きる為に、命あるものを食むでしょう。我々が生きていけるように、すこしだけ、自然に姿を変えてもらう。まわりの命に犠 牲になってもらう。それと同じことです。」
「違う。魔物や人間と違い、命を絶やしてしまうようなことはしない。一本の樹を切り倒すような ことは決してしない。たとえその幹を貰い受けることがあっても、我々の命を支える為に犠牲になる木に、感謝と尊厳の意は決して忘れない。最小限のものをい ただき、かならず、再生が可能であるあり方を行なう。」
「人間のように、短い視野に基づいた行動は、行なわない。奪って終わりではないのだ。」
ダウリガンガの言葉が、彼らの感情に火霊を招いた。火がついたように、若いエルフたちが反論する。最初に訪れたときの、二の舞になりそうだった。
「我 々の志すことは、貴方がたと変わりはありません。ただ、その最小限の規模が、我々と貴方がたでは違うのです。土地も、資源も、人間が生きていこうとした ら、自然から奪わねばならない。集団を作って、自然から身を守らなければならない。自然を加工し、食料と暖かさと水を得なければならない。
ある程度の規模の人口を養う必要がある場合などには、生活に必要な水の得られる河川の近傍に住居を設けねばならない。
川の近傍の低湿地に集落を作れば、水害は必至であり、それへの対策を行わなければ、生活や生産は成りたたないのです。」
再び彼は、治水の必要性について述べた。そして、溜め池のために、この土地がどれほどに重要なものかを語った。彼らの犠牲により生まれる利益が、いかに 人間達には大切なものかを説いた。その代替案も呈した。
しかし、彼らの頑なさは、まったく変わり無かった。
「土地が許容量を超えるというなら、どこか別の場所を探せばよいではないか。なぜ、無理やり、生存が難しいその土地にこだわる。」
始まった…と、リヴァースは唇を噛む。今言わなければ。今、主張せねば、ならない。しかし、エルフの言葉を紡ごうとすると、抑圧の思いがのしかかってく る。言葉が喉の奥に詰る。
そのリヴァースをよそに、エルフの問に、間髪いれずダウリガンガは答える。
「住むのに適した場所には、たいてい、既に先住民がいます。彼らから土地を奪おうとすると、たいていは野蛮きわまる戦いになる。ボーアやザンティはその歴 史です。
同じ土地に多くの者が住もうとする場合、土地の活用と食料の増産は不可欠です。」
口論は続く。
「増えなければよいではないか。何ゆえ、必要以上の繁栄を志す。出産を制限し、今と同じ数を維持すればよい。」
「数十人の集落ならまだしも、数千、数万の生殖を制限することなど、不可能です。いったい、だれが、その生物の本質にかかわる行為を監督できるのですか。 できたとしても、暴動が起きます。」
ふぅ、とダウリガンガはため息をつく。分かってはいたが、互いの性質が根本的に違う。水掛け論になりそうだった。
ふと、背後で、なにかいいたげにしているリヴァースに気がつく。半妖精の目を覗きこんで、促すように、ダウリガンガはうなずいた。
こくりと唾を飲む。今、言わなければ、なにも始まらない。心臓が、早鐘を打つ。
「人間は…」
そして、沈黙を裂いて、口を開く。それは、長い時間の帳を破って開かれる、エルフの言葉だった。
「人間は、神から、不完全な世界を託された。
自ら増えながら世界を変えていくように、人間は創造されたんだ。それは、人間にそのように形作った神と、生命を与えた世界樹の意思だ。
未完成な世界、かわり行く世界に対応する為の、人間の性質。それを抑圧することこそが、不自然きわまることではないか。
本質がゆがめられた精霊は狂い破壊をもたらすのと同様、人間も、本質的であらねば、いずれ、ひずみが溜まり、何かが壊れる。
本質を否定するのではなく、そのものたちが一人でも多く、少しでもいい状態で、豊かに安心して良い生活ができるための、その解答を求めていくべきだ。そ れにより、生まれるひずみを予想し、その対処法を模索するのが、知恵だ。」
口に出してみれば、それは驚くほど、あっけなかった。胸に詰っていたものが、すらすらと流れ出る。
エルフたちはしかし、受け入れなかった。
「良い生活、豊かさというが、それをもたらして人間がどうなるというのだ。」
口を開いたのは、集落のなかでも年嵩の、長の補助役を務めるエルフだった。彼は、幾度も、人間の街を目の当たりにしていた。
「私は、城や館に住む、奢侈で彩られた貴族と、棲み家なく路上で身を寄せ合う者たちを見た、その違いはなんだ。富は公平に分配されるわけではないわけであ ろう。
そもそも、人間には、独占欲、羨みという感情が強い。豊かさをもたらすと必ず、それを一人占めしようとする者が生じる。
そして、いったん、快適さ、便利さを知ると、貪欲にそれを求め始める。決して手放したがらない。際限なく手にしようとする。そして、弱き者はその犠牲にな る。強き者、富める者は、平気で弱き気者の上に胡座をかく。愚かなことに、そのことに気がついてない者がほとんどではないか。」
みな、頷く。エルフの賛意が集う。口々に、その言葉を受け継がれる。
「人 間は、他者と比べることによって、自分が貧しいか、豊かであるのかを知る。水を治め、産業を興し、富をもたらす。それは、持てる者、持たざる者の差を生み 出すだけではないのか。知らなければ、もともとあらねば、人は自分が貧しいとは感じない。しかし、富める者が生まれると、羨み、自らも欲する。知らねばそ れまで豊かだった心が、知ることにより、貧しくなる。
富をもたらすことは、同時に貧しさをもたらすことだ!」
補助役の言葉に、賛同の拍手をするものまで、生まれた。
「その愚かさは、認めます。それが人間の過ちであり、神から付与された性質故にうまれる、原罪です。だからこそ、我々自身が、全体を律する視点が必要なの です。
…そして、その同じこと、富める人間の無知さを、貴方がたは同様に、持っています。」
エルフの主張が終わるまで待っていたダウリガンガが、反論を始めた。
「貴 方がたも、我々のものを取り入れている。今朝食べたスープを作った鍋は。パンを焼いたかまどは。どこから来ているのだとお思いでしょうか。人間や大地の妖 精が、掘り出し精製した鉄です。鉄は自然に放っておくと、必ずさびとなって土に帰る。それを自然から繋ぎと止めているのは人間とドワーフの技です。
大抵の場合、鉄を掘り出す労働者は、日の当たらない洞穴の中で長い時間の労働を強いられ、劣悪な環境を強いられています。彼らの犠牲の上に、皆の便利さが 成り立っています。鉄がなければ、料理は短調になり、畑を深く耕し収穫を得ることも、野獣や魔物から身を守ることもできないのが、現実です。貴方がたは鉄 を嫌うのは知っています。けれど、その恩恵には、この世界の知能ある者皆が、あずかっているのです。
それを知らず、鉱山から排出された水は、自然を汚すと、暖かいスープを飲みながら言うのは、いかがなものでしょうか。それは、資源を利用する、人間もエ ルフも、共に、考えていかねばならないことではないでしょうか。」
その問の投げかけに、エルフ達はざわめいた。
「 既に、我々の歪さを、貴方がたは共有しているのです。
他にも例をあげるなら、貴方がたの家のなかには必ず人間の伯爵の顔が彫りこまれた銀貨があるでしょう。貨幣は瞬く間に、あらゆる種族に広がった。森で門を 閉ざす貴方がたのところにも、です。人間の富の傾きを、もっとも顕著に表すものです。そして、人間と統一した価値観をあなた方も必要としているのです。こ れが、流れです。」
ダウリガンガの言葉に、エルフ達は押し黙った。
「…もうひとつ、例がある。イジュマーとその姉は、ほぼ同時期に生まれた。この森に、ここ100年でどれほどのエルフが生まれた?その数は、ここ千年で まったく変わっていないか?」
リヴァースもまた、問い掛ける。
「…たしかに…これまでになく、若木が実を結んでいる。」
「エルフの出産数が増えている。そして、一説によると、逆に、エルフの寿命が短くなっている、と述べる者もいるんだ。…もしそれが事実なら、エルフの生態 が変化を始めている。人間に近づこうとしている。」
徐々にであるが、確かに、集落の人口は、増加していた。その変化を思いやって、一人のエルフが呟く。しかしそれは、単に、森の恵みのもとで自分たちがう まく生活をしている証であると思っていた。
「そ してもう一つ。100年200年という単位では、これまでより、街でエルフを見かけることが多くなったという。日常の生活用品を購入するためだけではな く、街に住むエルフも、ごくごく少数ながら、いる。数百年前には見られなかったことだろう。これは何を意味しているのか。…考えてくれ。」
貨幣経済を取り入れたエルフ。外に向かい森を出る、ほんの少数の「変わり者」たち。旅の中で幾度もその存在を目にしてきていた。そのたびに、リヴァースの 中には違和感が浮かび上がってきていた。しかしそれを否定していても始まらない。確かに彼らは、いる。存在している。そしてそれには、何らかの意義があ る。その答えが、今、必要だった。
基本的にエルフは自給自足である。しかし、少数ながら、交易を行なうために街に出てきたエルフは、この集落にもいる。年々、その数は増えている。
「…人間達の多様性を、我々は受け入れ始めているというのか…」
街に足を踏み入れたことある若いエルフが呟いた。彼の呟きをきっかけにして、エルフに考えこむ表情を浮かべる者が増えた。
「何より…私の存在がその証なんだ。」
頭の布を取り払い、とがった耳を露にした。
人間とエルフが、交じり合った結果の産物。自分の存在を武器にするようなことはしたくなかった。できなかった。望まれて生まれてきた存在ではなかったか ら。それを口にすることは、欺瞞だった。違う、と叫びたかった。しかし、それでも、このごに及んで、言わずにはいられなかった。武器にできるものなら、何 でも利用したかった。
ダウリガンガも、驚きの視線を投げかけた。
再び沈黙したエルフ達に、リヴァースは、言葉を紡ぎ続ける。
「人間は自然を破壊する。しかし、人間も自然に抗いつつ、自然に内包されていることを知りながら、共に生きている点で、あらゆる生き物と同じだ。
ただ、10年後のことより、今日のことに、視点が向かってしまうだけだ。
今日の薪を得るために、1000年生きる木を倒してしまう。それは一見、下賎なことだろう。しかし、今日を生きるために必要なものなのだ。
しかしそれは、視点が、今日にあるのか1000年先にあるのかの違いだ。価値の置き所が違うだけだ。今を生きることに精一杯なだけだ。
安住すれば未来を考える余裕もある。豊かで余裕があるならば、持続可能な在り方だって目指せる。
しかし、今だけを見なければ生きていけない者がほとんどなのだ。
今日を見る視点と、百年先を見据える視野。どちらが大切かということを限定することはできない。百年は今日の積み重ねの末に得られるものだから。
今日に余裕があって初めて、百年先を見えることができる。
どうしたら自然を守れるかを考えるのは楽なことだ。放棄すれば良いだけのことなのだから。しかし、どうしたら生活が守れるか。それを考えるのが、とても難 しい。
植 物は刺をつけて触れた生き物を傷つけるし、他よりも陽光を受けようとして背を伸ばす。 自然にある生き物はみな、利己的だ。生存しようとして他より有利な条件を常に求めている。他の生き物を利用し、騙し、搾り取る。森は大地の恵みを奪う存在 であることを忘れたわけではなかろう。
ただ、程度の問題で、人間などは自然に抗う力を大きく求めすぎる。自然から身を守ろうとする行いが 時に、行きすぎて、自らに跳ね返ってしまう。それは、エルフの視点から見れば、愚かなことだとおもう。けれど、だからこそ、そうならないように、妥協の解 答を見つけることが必要なのだ。精霊使いと、技術者が、共に考えなければならないことだ。
変化すべき人間に与えられるのは、試練だ。
人間は、神々の導きを失い、世界を手渡され、戸惑っている。
そして、急激な変化に耐えるように、過ちを繰り返しては、悔い改めていく。
それが、未完成な世界を託された人間の仕事であり、義務だ。
そのことを、自らの殻に閉じこもり、恵まれた森の中で安穏としているエルフの、誰が責めることができる。
それを愚かだとして拒絶し、否定することこそ、目標を持ち邁進する生命たちへの冒涜ではないのか。少なくとも、理性のある光の種族の仕業とは思えない。
森に篭り、たまに目にする彼らの至らなさを、視野の短さを、見下しなじるだけなのは、争いの種になることでありこそすれ、世界にとって益することではな い。
利便さの追求、生きること。繁栄。
この世界は、潮流にのりどこかへ進んでいる。人間を中心として。
種というものは、そもそも、利己的なものだ。それは、前提だろう。
そこを責めても、諍いにしかならず、お互いの為にはならない。
必要なのは、互いの利害が一致する点を見つけて、どうすれば両方の望みを達成させるか、それを求める姿勢ではないのだろうか。
そして、エルフにはエルフにしかできない長い視野に基づいた価値判断がある。森の妖精にしか持ち得ない自然の本質への理解がある。
エルフがただ安穏と、この世界で、自然の豊かさを享受しているだけとはわたしは思わない。変化するのが物質界の性質であるからいっそう、変化しないため のたゆまぬ働きかけを続けているはずだ。そしてそれこそが、自然に背を向けがちな人間に必要な、視野であり感覚なのだ。
人間たちとは別の視点で、長い目から見た本当に大切な、千年の持続しうるものに対する価値観をもって、彼らの行いを方向修正していくこと。
それこそが、最終的に、各々の種への利益につながることではないのか…!」
リヴァースはいつしか、硬く拳を握り、頬を紅調させていた。堰を切るように、熱を帯びた言葉があふれる。
その言葉が衝撃を与えたことに対しては、確信があった。波紋はざわざわと、若いエルフを中心として、広がる。
「 エルフは、神の手前勝手な戦にて、神々より妖精界からこの世界に引きずり出され、そのまま取り残された。故郷である世界へ帰る術を失った。それが事実だろ う。
しかし、神はそんなに愚かではないと思う。
あなた方が物資界に残されたことに、創造主たちは、意味を与えた。
変化を求めるあまり、自然から剥離しがちな人間たちを、自然との健やかなる調和を忘れぬような解答を示しながら、導く。自然と人間が疲弊しないように、世 界を緩衝させるために、エルフがいるのではないか。
それが、エルフたちが今ここに『在る』という意味であり、役目ではないのか。」
そうしてリヴァースは口を閉じた。いいたいことは言い終わった、といわんばかりに。周りのエルフに、答えを求めるように一人一人を見つめる。
「そして、エルフも…あなた方も、世界を託された我々と同様、この世界に来て、ずっと、戸惑いつづけているのではないでしょうか。
種としての不安。
それがあなた方を、森の中に閉じ込めているのではないでしょうか。
かつてすまわった妖精界に最も近い空間に潜み、甘んじ、外を恐れている。
それは、この世界に拒絶されることを、怯えていること。
そうではありませんか?」
対し、引き継いだダウリガンガの静かな低い声は、森閑とした中に染みとおっていく。
「 …しかし、あなた方は、来訪者でも異端者でも取り残された者でもない。
あなた方も、この世界に根をおろした住人です。…物質界に必要とされている者たちなのです。
そして、人間も…私も、あなた方を、必要とします。」
祈るようなダウリガンガの声に、答える者はいない。エルフを見るとみな、深く、自ららの内側と向き合っているかのように、思いつめた眼をし、無言だった。 あたかも、神官が、神への啓示を伺おうとしているような真摯さだった。
やがて、エルフのなかでも、彼らに同調する意見を口にする者が出てきた。
別の森に根を張ってもよいのではないか。そう、若いエルフが呟くと、年嵩のエルフたちが、やはり一斉に批難した。
エルフに、多数決はありえない。その概念自体が存在しない。それは、永きに渡って一つの価値観を共有する彼らゆえの性質だ。意見が分かれた場合は、全員 が納得するまで、とことん話し合う。
多くの思想を許す多様さがあれば、変革が来ても、柔軟に対応できる。しかしあくまでも一つであることを前提とする社会は、脆い。
長い討議の後、やがて、皆の視線が、長に集まった。
前回と同様、長は、これまで、議論に一言も口を出さなかった。皆で話し合い、最も妥当な意見が、自然に全体の意思となるのが、これまでだった。
しかし、今回に限っては、彼らでは、なにが良いのか、決められなかった。その際に決定権を持つのは、もっとも長い時間を生き、英知を養ってきた長であ る。その判断には、だれも、逆らうことはない。
実際は短かったのかもしれない、しかし永遠にも等しいと感じられる長い時間が過ぎる。時の糸がぴぃんと張り詰める。
そして、熟考の末に紡ぎ出される答え。
森の種族の長の、静かな声。
「我々の存在に対し、意味を付加してくれたことに関して、まずは、礼を言います。」
空色の瞳を閉じた後、エルフの長はゆっくりと、含み聞かせるように、言の精を染み渡らせる。
「…しかし、それは人間にとっての都合の良い見方であります。生活を脅かそうとするだけではなく、勝手な活動の後始末をすることが、我らの役割であるとい うのは。
実際に人間は果たして努力しているのでありましょうか。その日の享楽のほうを優先させる口実をもっともらしく紡いでいるだけではないでしょうか。
体を鍛えるのがよいこととわかって、全ての者が日々鍛錬しているのですか。知識をつけるのがよいこととわかって、全ての欲望を振切ってわき目もふらずに書 に打ち込むことができるのですか。技術を身につけることが必要とわかっていて能力を磨くための行いを皆が実施しているのですか。
人間は欲目の前に美食があればまずそれに飛びつくものでしょう。 たしかに一部の者は、向上意識を持って自己を高めておるのは窺い知ることです。しかし、多くの者は、目の前に誘惑があればまずそれに耽溺するものではあり ませぬか。
そして、与えられた瞬間に、それがある状態を当たり前のものとみなし、それ以上のものを貪欲に求めます。
たとえば、富。それは、自然からの供給を貪り尽くします。
たとえば、名誉。それは、人に嫉妬し、人を陥れ、協調を破滅させしめます。
たとえば、愛欲。それは、無責任な種族の繁殖を導きます。
人間にも、先を見つめて、己を律する者が居るのは存じております。しかし、事実として、欲を優先させる弱き者のほうが多いのです。人間の歴史がそれを証明 しているではありませぬか。
これからそれを繰り返さぬという保障がいったいどこにありましょう。
その尻拭いを、我々にせよとおっしゃるのは…自分勝手も甚だしいことです。」
決定的な長の言葉に、賛意に目を輝かせる者、うつむく者。周囲のエルフの反応はさまざまだった。しかしそれに意を唱える者は、もはや、いそうになかった。
否定的な結論に、リヴァースは唇を噛んだ。
「あなたたちが森を守りたいのと同じように、人間も、自分たちの土地と生活を守りたい。そして今、その二つの、守りが今、ぶつかり合っている。必要なのは 妥協だ。
もはや、孤立してはありえない方向に世界は進んでいる。他を愚かと詰り、自らの種族と、その価値観のみを重視し、全体を顧慮しない。それは、木を見て森を 見ていないのと同じことなのではないか!
……っ自分勝手な子供はどちらだ!」
言葉が溢れるままに、言い放った。
しばしの沈黙。
そして、しまった、と思った。
責めるような口調になった。感情がこもってしまった。それは交渉や議論において、物事をうまく進められるものではありえない。善悪の判断を込めるような内 容は、有利に働かない。握り締めた手に浮かんだ汗が、冷たくなった。
案の定、長の端正な表情が頑なに引き締まる。
「だからこそ、棲み分けをするしかないのです。貴方がたに、我々の住む地を明渡すことはできません。…我々は、森を守ります。」
その意思は断固とし、もはや揺るがせるものではなかった。リヴァースの唇が、宙を切る。
ダウリガンガが深く息を吐くのが聞こえた。
頼む。何か言ってくれ。この局面をひっくり返すような、鮮烈な思想を呈してくれ。
祈るような気持ちで、すがるような視線で、リヴァースは、ダウリガンガを見やった。
「もう、無理でしょう…ね。ここまで言って駄目なのでしたらば…」
しかし、帰ってきたのは、あきらめの声だった。
世界が一瞬色を失って、目の前が灰色になり、ぐらぐらと揺れた。必死に固めていたものが、さらさらと、風霊の無慈悲な浸食によって粉になった。
駄目だったか…。肩を落とした。
なにも知らぬかのような無垢な鶺鴒の声だけが、寂然とした周囲にこだましていた。
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