せせらぎたちの 行方-5-
( 2001/10/18)
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作者
入潮丸
登場キャラクター
ダウリガンガ、リヴァース
もはや長居は無用であるとば かりに、2人は荷物を纏め、帰途についた。日が沈みきる前に森の奥から道沿いにでようと、急ぎ足を進める。木々は長い影を投げかけていた。
「また、何か策がある訳じゃないのか?」
未練がましく、リヴァースはダウリガンガに言った。
「万策尽き果てましたねぇ。たしかに理論武装はしておりましたが、残念ながらもともと計画じたいは、あまり奥行きのあるものではないのですよ。いかなる理 屈の槍でも、エルフたちの緑に覆われた鎧を貫き通すことは、不可能だったようです。」
諦観したダウリガンガの返答に、リヴァースはうつむき、眉を絞って、強く唇を噛かみ締めた。
「私より、あなたのほうが、悔しそうな顔をしていますね。」
そんな半妖精の子供っぽい様子に、苦笑しながら、ダウリガンガは言う。
「おまえがあえて言わずに胸の内に秘めておいたことを、感情にまかせて口にしてしまった。わたしのせいだ。…すまなかった。」
忸怩たる面持ちのまま、リヴァースは頭を下げた。
「いえ。悪いのは、予測のできなかった自分…ですね。ここまでエルフが頑なとは思いませんでした。」
そういってダウリガンガは、苦い笑いを漏らした。
結果として、彼らの意思を動かすことができなかった。貯留池を作る計画は頓挫するか、一から練り直しになるだろう。内容がどうであれ、彼が報告すること は、エルフたちを移住するための説得ができなかったということであり、ひいては責任を果たすことができなかったという事実一つだ。結果は残酷なものであ る。
あとは、無言だった。風にゆれる梢の音が、虚しさの送別歌を送っていた。
河岸に再び出て、野営する頃には、茸は大量にあったが、エルフを養分として育ったものから産まれたものかもしれないと思うと、とても食べる気になれなかっ た。人は自分に近い種の肉を避け、それに関連するものに禁忌に似た感慨を抱く。不思議なものだった。
狩をする間もなく、湿った薪の、すぐに吹き消されようとする頼りない火を囲みながら、細々と保存食をかみ締めた。清らかな水の流れの音が、なんとも、今は わびしい。
夕焼けの帳が森にかかり、空が火霊の息の色に染まった頃。
不意に、ガサリ、と背後の藪が動いた。
狼か赤膚鬼かと、武器を持ち振り向く。
「今度は、弓をけしかけたりはせぬ。剣を置いてくれ。」
若いエルフの声。
イジュマーだった。よほどに急いで走ってきたのか、息を急き切っている。
「もう、足はいいのか?」
まだわずかに、イジュマーは足を引きずっていた。その膝で、自分たちを追ってきたというのは、驚きだった。
長は決断を下したが、彼らが去ってから、その後、エルフ達はひたすらに討議が続いた。納得がいかない者を残したままでは、終わりとは言えない。それか ら、長い長い議論が催された。エルフの意見は様々に分かれた。
ダウリガンガ達との論争を、イジュマーは寝床のなかで、じっときいていた。少しの間とは言え、彼らと行動を共にした若いエルフは、初めて、部族のなかで 自分の考えを主張した。もっと、人間達のことを、学ぶべきなのではないか、と。
長が最も重視したのは、部族でもっとも若いイジュマーの意見だった。
「長は、若い目で判断せよと仰った。外部の者の言うことを間に受けるだけでは、部族の決断はできない。だから…私が見極めてくる。人間たちがほんとうに、 我々の森を託するのに値するかどうかを。」
未だ、人間の街にも足を踏み入れたことの無かったイジュマーが、初めて知った人間と半妖精。彼らの持つ余りにも自分たちと違った思想に、最初はただ戸惑っ た。しかし、考えてみるほどに、自分がたった一つの側面しか知らないことに気がついた。姉の死は確かに事故だった。自然には事故がありうるということを 知った。全てを把握し共に生きてきたはずの森。それすら、変わり行くということを感じた。自然はあまりにも多角的で、自分たちがいくら叡智を深めても知り 得ない面がある。そして、それらに正面から取り組んできたのは、森と共存する妖精ではなく、人間だった。
怖かった。あまりにも広く深い世界。自分たちがそれから取り残されていくのではないかいう疑問が湧いた。それが、怖かった。彼は、種族の未来について、 怯えた。
人間を知りたいだけではない。自らの行く末を、知りたくなった。イジュマーそう、長に伝えた。
人間と半妖精が落としたしずくによる波紋は、彼を中心とした若いエルフたちの水面に、確かに波を立てていた。
長は、その意見を認めた。次の百年はもはや、前の百年ではありえない。それはたしかに、彼女が不安として、感じていたことだった。
そして、彼に伝えた。
ならば、変化を、自らの目で見、枝でその風を感じてくるべし、と。
「叡智ある森の妖精達。その決断を、人間として、歓迎します。」
ダウリガンガは、細い目をさらに細めて笑い、右手を差し出した。
「……?」
イジュマーはそのしぐさを訝しげに見詰める。
彼らの集落のエルフにその習慣はなかった。
「握手、ですよ。付き合いを持とうとする相手への、親愛の情を示す、言うならば軽い儀式です。『手を携える』…その言葉の示すあり方への、第一歩、といえ ば大げさですけれども。人間の世界では、関係の最初において最も重要な動作です。ぜひ、覚えておいてください。」
戸惑う表情を見せた後、イジュマーは細い手を差し出し、節くれだったダウリガンガの手を握り締めた。
そして、彼はきびすを返し、集落へ戻っていった。その背中は小さかったけれど、それに自分たちの希望を託すより他はなかった。
「影響はゼロではなかったわけだな。まぁ、先が思いやられることに、に変わりはないけれど。」
イジュマーの背中が見えなくなってから、ひやかすように、リヴァースは言った。
たった一人のエルフを森から出す。結果だけ見れば、それだけに過ぎなかった。
「槍ではなく、針の先が刺さったと、それぐらいかな。」
「これで痛みにいらついて、それを抜き取ろうと、鎧を脱いでくれればいいんですけれどねぇ。」
「部位にもよるな。指先なら簡単に抜かれてしまうが、心臓の上当たりに刺さったのなら、そうなってくれるだろう。何処に刺さったのかを知る術はない。」
後のこと、こればかりは、祈るより他は無い。彼らの残した一条の針。それがどういう影響を与えるのか。結果が現れるのを待つしかない。
「長くかかりそうですねぇ。」
ダウリガンガのその口調は、楽しげであった。 穏やかな笑みをもらしつつ嘆息する。
円ではない。世界は螺旋を描いている。循環を持ちながら、確かに何かの方向へ動こうとしている。ただ、そのスピードは、生き急ぐ人間たちにとっては、本当 に遅い。親子の間、祖先から子孫、歴史の流れでようやく認識できるものにすぎない。
「 鳥は、巣を作るのに小枝を一本ずつしか運べない。しかし、時間を惜しまずに、立派な巣を作り上げる。今は小枝を一本つかんだに過ぎないかもしれない。けれ どいずれ、巣作りを怠らないかぎり、住み心地のいい棲み家ができあがる。そう、信じよう。」
我ながら、偽善めいているかもしれないと思いながらも、そうリヴァースは言った。彼の為そうとすることに共感した限りは、それが無に帰することを認めたく なかったのだ。調子のいいものだと、言ってから、自らを鼻で笑った。
しかし、その意図を汲んでか、ダウリガンガは、にぃこりと微笑んだ。
「私の行動にも、ちゃんと影響があったわけですね。…エルフにだけではなくて。」
その意図したところを受けとって、リヴァースはむくれたように唇を尖らせた。
「疲れたな…」
話をそらすように夕闇の迫る赤紫の空を仰ぎながら、リヴァースは嘆息した。
「本当に疲れた。価値観と信念のぶつかり合いが、こんなに消耗することだとは思わなかった。…遺跡や原野で、正体不明のモノを相手に遣り合っている方が、 よほどに楽だ。」
それは大げさかもしれないが、確かに、本音の部分から生じた言葉だった。
そんなリヴァースを見て、ダウリガンガは日焼けした頬を引っかきながら、にぃま、と笑った。
「 よく主張してくださいました。同じ事を言うにしても、妖精の血を持つ貴方が仰るほうが、彼らにとっては、まったくの異種族の人間の私より、はるかに効果的 なことでしょう。」
誇張を含んだ表現に、どうかな、とリヴァースはくすぐったそうに首をかしげた。
「人間にしかできないこと、妖精にしかできないことがあるのと同様、半妖精にしか為し得ない役割があるのだと…あなたはずっと信じたかった。違います か?」
そんなダウリガンガの言葉に、きゅ、と眼を細めながら、リヴァースは流れの行き先を眺めた。
「みな、この川のようだといいのにな。幾多にも分かれた水が、地の導きのままに流れて合流していく。海に流れ込みひとつになる。大地に根ざす水。」
一滴のしずくは、垂水となり岩走り、せせらぎとなって、無数の道筋を経て、川となる。
枝別れした川は一つになって、いずれ大河となる。
いかように分かれていても、いずれ交わり、流れていく。
はじめの心がいかようなものでも。どちらからともなく、交じり合っていく。
「半妖精の存在は、いわば、そのせせらぎたちの合流点なのでしょうねぇ…。」
その言葉に、何かがリヴァースの胸の内で、ぶわりとはり裂けそうになった。
そこでは流れは乱され、渦を巻き、乱流となって、時には逆流する。
それは、いずれ悠然たる大河となるためには、不可避な混乱。
異物同士が交わり合うと、必ず衝突が生まれる。違いがある限りそれは避けることはできない。
ほんの時折、異種族間で心から愛し合う者が生まれるが、それは、一時の恋心のもたらす熱に酔っぱらっているだけである。寿命の違いうんぬん以前に、価値観 や習慣の根本、土台がまったく違う。
感情に浮かれていられる間は幸せだ。しかしいずれ、周囲の軋轢が生じる。そして本人同士の感情に齟齬が出る。なぜなら、違うからだ。大抵の場合、違いは、 最初に憧憬を生み、後に諍いを生じさせる。良いところを見せるのは簡単で、付き合いが深まるごとに欠点が目に付いてくるものだからである。ましてや、対立 と分立は人間の性である。
一度結ばれた絆の糸は、その色や質が異なっているほどに、ちぎれやすい。
ゆえに、エルフと人間が一生を共にするなど、賞賛できるはずがない。エルフと人間。避けられる接点はできるだけ避けるべきだ。
どんなことがあっても、障害を糧にして相手を守れる。そう信じていられるのは、多くの場合は、最初のうちだけだ。ほんのたまには、二人の子が愛され守られ 幸せになる奇跡があるかもしれない。しかしそれはあくまで例外に過ぎない。ごくごくの少数の良い例があるからといって、大多数の不幸を正当化することなど できやしない。異種族の協調を祝福して正義漢を振舞えるのは、それが成功するのが圧倒的少数であるからにすぎない。自分だけは種族を乗り越えて愛せると意 思を堅く持つ者には、楽観的過ぎると嘲ざるを得ない。
調和とか協調とか、甘ったるい言葉のもたらす幻想に浮かれながら、善人面を曝せるほどに、おめでたくはなれない。
ハーフエルフ同士が結びついても、生まれてくる子供はかならずしも半妖精になるとは決まっていない。人間が生まれたりエルフが生まれたりする。種族として 確立されていないのだ。なんのために、こんな歪な存在があるのだろう。
我々は、神の失敗作にすぎないのか。世界からの拒否感を感じることばかりが積み重なっていく。
悲しみの精霊を彩る、惨めさと、やりきれなさと、無力さ。もし感情が絶対量で測れるのならば、生み出されるそのネガティブな感情は、ほんの少数の幸せを押 し流して余りある。
融和など、必要以上に志すべきではない。
ただ、それは自己否定だった。何より自分自身が、望ましくない交わりの産物であったから。
協調に賛意を表せない自分を知覚するたびに、自分の存在を自分で否定していた。
何よりも自分を認められないのは自分だった。だから苦しかった。
それが自分に深く根付いている土台であるだけに、変えようの無いもの。自己否定は生きている限り、こべりついて回る。
けれど…けれど。
今だけは。今この一瞬だけは。
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