花と水と風と
( 2001/10/19)
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作者
松川彰(挿絵:宇都宮振一朗)
登場キャラクター
ケルツ、ロエティシア
チャ・ザ神殿前の広場。その片隅で、詩人が 月琴を奏でていた。その唇から紡がれる言葉をシルフが運ぶ。そして、月琴の音がそれを追う。中性的な容貌ではあるが、弦を弾く指は細いとは言え、男性の持 つものである。柔らかく張りのあるその声も、低くはないが、女性のものではない。
やや華奢なその身体を包むのは闇色のローブ。肩に流れ落ちるのは、濡れたような黒髪。夕闇の迫る広場では、さして目立つ色合いではない。だが、詩人の周 囲には人垣が出来ていた。
やがて歌を終えた詩人の足下に幾つかの銀貨が投げ込まれた。一礼してそれを受け取る詩人に、小さな女の子が歩み寄る。
「お歌、ありがとう」
頬を淡く染めながら、少女は手にしていた野の花を詩人に手渡した。それまで無表情だった詩人の頬がわずかにゆるむ。わずかな微笑とともに花を受け取っ て、詩人があらためて礼を述べようとした瞬間、少女は身を翻して駆けていってしまった。
「………せっかちな」
ぼそりと呟いて、詩人が苦笑する。暮れかかる秋の陽が、詩人の瞳を残照と同じ色に輝かせた。
そこへ、横合いからの声。
「恥ずかしがっているのであろう。………それにしても、粋な歌代ではないか」
わずかに笑みを含んだ、細い声。聞き覚えのあるその声に詩人が振り返った。
「ああ……貴女もそこにいたとは。偶然だな。近くで仕事を?」
目の前に立っている、小柄なエルフの姿を認めて詩人は微笑んだ。詩人の名はケルツ。そして、その目の前に立ったエルフはロエティシアという。ともに、オ ランで吟遊詩人を生業にしている者たちである。
「いや、少し前に偶然通りかかって…おまえの歌が聞こえてきたのでね。思わず時を忘れて聴き入ってしまったというわけだ。ああ……先の少女のように粋なも のではないが、私も楽しませてもらった礼をせねばならぬな」
ロエティシアは微笑んで、ケルツの手に数枚の銀貨を握らせた。ケルツが苦笑する。
「同業の貴女から歌代をもらうとはね」
「同業だからこそ。歌は我らの誇りであり糧。そうでなくとも、この耳を楽しませてもらったことは事実だよ」
ケルツとは対照的に、白に近い淡い色のローブをまとったエルフが笑む。手に持った小ぶりのリュートは、今は布にしっかりと包まれている。仕事をしていた わけではないと言うのは、本当のようだ。
「もちろん遠慮などはせぬさ。ただ、貴女に代をいただけるのはやはり嬉しい」
「そう言ってもらえるなら私も嬉しい。……さて。この後は? まだどこぞで仕事でも?」
「いや。今日は昼過ぎからずっと歌っていたのでね。そろそろ仕舞いにする頃合いだ。仕事は抜きで、どこか酒場にでも行こうかと思っているがね」
そう答えたケルツにうなずいて、ロエティシアは空を見上げた。
「ああ……いい夕闇だな。………どうだ、付き合わぬか? 貴族街の外れに、いい庭がある。月の光を受けて良し、闇夜にあってもなお良しという庭だ」
「なるほど。雲の動きを追いながら口にするワインというのも、なかなかに食指をそそられる。……だが、先ほどからシルフが運ぶ風に、ウンディーネの気配が 混ざっているが……」
ロエティシアと同じように空を見上げながらケルツが呟いた。そんなケルツに視線を戻して、ロエティシアが微笑む。
「心配は要らぬよ。雨が来るやもしれんが……その庭には四阿(あずまや)もある。多少の雨風はしのげよう」
「ならば付き合おう。……しかし。最近は、庭園によくよく縁があるらしい」
少し前のレックス探索を思い出して、ケルツは苦笑いした。7の月の終わりに、彼は仲間たちと共にレックスを訪れていた。
「ああ……そういえば、精霊庭園と呼ばれる場所に行ってきたのであったな。その話も聞いてみたい。ならば、おまえの口に羽根が生えるように、良いワインと いささかの食料を仕入れて行くとしようか」
最後の残照が街並みに消えてゆく頃、2人は荒れ果てた屋敷の前に立っていた。一応は、貴族街の片隅とは言え、人に見捨てられてから少なからず年月が経っ ているらしい。それとも、周囲に人の目があまりないことを利して、夜盗たちが悪用したのかもしれない。
「……ここ、か?」
沈んでいった夕陽の代わりに、東の空に姿を見せ始めた月。それが投げかける弱い光を受けて、ケルツがぼそりと呟いた。その隣でロエティシアがうなずく。昼 の光のなかでは金色に見える淡い色の髪も、月の光の下では銀色に近い色合いを放っている。その、森を映した瞳で、ケルツの夕闇の瞳を見つめた。
「おまえは、私が森で学んだもの以上の、精霊使いとしての力を持っている。……ならば、気づくであろう。屋敷の奥に漂う、異質なるものに」
「ああ……そうだな。生ける者とは相容れぬ力がそこにある」
「その通りだ。……だが、案ずることはない。ここに宿る亡霊は危害を加えるものではない。……私は何度かここを訪れたが、それでも無事だった」
ぎぃ、と錆びた門扉が音を立てる。湿り気を帯びた風に揺れて。
吹きすぎる風が、雲を押し流す。差し込む月の明かりは、流れていく雲に遮られ、ひどく不安定に揺れ動いた。
「晩秋にふさわしい夜、か。亡霊がすすり泣くにはもっとふさわしい夜だ。その亡霊に、月琴を聞かせるのも悪くはない」
微笑んだケルツに、ロエティシアも微笑んだ。
「……ようこそ、ケルツ。亡霊の泣く庭へ」
そこは屋敷の中庭だった。ケルツの目には懐かしく映る造作の庭だ。もともとの持ち主がムディールの出身だったのかもしれない。庭園には白く光る小石が敷き 詰められ、所々に大振りの岩が配されている。岩と岩との間には、小さな水の流れもあった。ムディールの上流階級ではよく見られる造作だ。芝生を敷き詰め、 花を植えていく西国風の作りとは正反対ではあるが、不思議と寂しさは感じない。石が多くはあるが、緑も決して少なくはないのだ。草よりも樹を。花よりも水 を。決して柔らかくはないが、それ故に透明な景色がそこにあった。
「……荒れてなおこの空気。亡霊が住み着く気持ちもわかるな」
庭の片 隅にあった石造りの四阿で、同じく石造りのベンチに腰を下ろしながらケルツが言った。その向かい側では、ロエティシアも同じように、ベンチに腰を下ろして いる。2人の間にある、石で出来た卓の上に持ってきたワインと食料を並べた。籠の中から、陶製のゴブレットを2つ、銀のフォークを2つ。それぞれ、自分と ケルツの目の前に置いて、彼女はワインの栓を抜いた。
「ザインの赤だ。508年のものは、安い割には味が良い」
「……ロエティシア? 目的は?」
「さて。亡霊の泣く庭で、ワインを口にする。そして、精霊庭園の話を聞く。そういえば、先日はエレミアまで足を伸ばしたとも聞き及ぶ。その折りの話を聞く のもよい。…目的はそれだけだと言ったら……?」
悪戯っぽく笑むエルフに、ケルツがわずかに苦笑した。
「それだけだと言うならば、うなずこう。だが、それだけではないと言われてもうなずける」
「さすがに冒険者だ。…………そうだな。巻き込んだことは済まなく思う。だが、無理に解決する必要はないのだよ。時がくれば解決法を思いつくやもしれぬ。 ただ…私ではない者の意見も聞いてみようかと思っただけでね」
風が、鳴った。
湿り気を帯びた風が、中庭にある木々を揺らす。吹きすぎる小さな嵐には、深まる秋の気配がある。
「そろそろ……頃合いだな」
ゴブレットの中の液体を一口飲み下して、ロエティシアが呟く。だがその呟きを耳にする以前に、ケルツは気づいていた。中庭の中心に異質な気配が現れたこ とに。
現れたというのは間違いかもしれない。気配はあった。それが流れてきたのだ。そして、中庭の中心で、形を成した。
「若い女性……か。こうも間近で見るには……いささか気配が冷たすぎる」
精霊使いとしての視力を持つケルツとロエティシアの目には、黄色い光となってそれは映る。この世界での命を持たぬ不死者である。
「サリエスティーナ・ディエル・スフラン。10年ほど前に亡くなった人物で、この屋敷に住まっていた家族の1人だ」
「……ふむ。あのような姿になってこの世に留まるとは……どんな未練があるのか。それとも恨みか」
中庭の中心で、黄色い光は人の姿をとった。風に流れる雲が作り出す、月光の明と暗。その中で、淡い姿をぼんやりと保っている。
四角く切り取られた中庭を、斜めに横切る水の流れがある。人工的に配されたせせらぎの源は、ハザードから地下を通って引き込まれたものらしい。ひときわ大 きな岩が置かれたすぐ傍には、小さな池が出来ている。そこから、緩い傾斜をたどって、水は流れる。もう一方の池へと。池…とは言え、夏の日照りで水は少な からず干上がり、今は泥溜まりに近い様相を呈してはいるが。その池の底から水は再びハザードへと戻っていく。泥のなかから、何かの植物が葉を伸ばしている のが見える。つぼみをつけた幾つかはおそらく蓮であるのだろう。その脇には、石をくりぬいた手水鉢。
せせらぎの中程には、小さな仕掛けが用意さ れていた。せせらぎから導かれた小さな流れが、側面を棒で支えられた竹の筒に注がれる。斜めに切り取られた口に水が流れ込み、一定以上の量が溜まると、水 の重さで、竹の筒は下方へ傾く。が、筒を支える棒のバランスによって、傾いた筒は、中の水を流しきるとまた元の位置に戻る。戻る時に、下に敷かれた石を竹 の筒が叩く音がする。ムディールの庭園では時折見られる仕掛けである。
その仕掛けを視界にいれて、ケルツがロエティシアを見る。
「あの仕掛けは……動かないのか? 少ないとは言え、水は流れているのに」
「ああ…あれか。どこかが壊れているらしくてね。そら…あの……竹、と言ったか。あれが上手く動いてくれぬのだ」
「竹だな。ムディールではよく使われる。屋敷の持ち主は、東国出身らしいな。あの仕掛けそのものも、東国のものだ。野山から庭に紛れ込もうとする、鹿や猪 などを驚かせるのが本来の目的らしい。“鹿(しし)おどし”、と言う」
ワインを口に運びながらケルツがぼそぼそと呟いた。庭を漂う不死者に怯えてではない。これが本来の口調なのだ。
その彼のゴブレットに、ワインを注ぎながらロエティシアが微笑んだ。
「ほう、名前までは知らなかったな。存外に博識だというおまえの評判は、間違いではなかったらしい」
「博識などではない。東国にはいささか縁がある。……それだけだ。それにしても……あの亡霊は何をしている?」
ケルツの視線の先では、不死者が漂っている。ふわふわと漂い、せせらぎの源になっている池に近づいて、そこを覗きこむ。しばらく、水面に手を差し伸べ て、ふと諦めたように首を振る。そして池を気にしながらそこを離れ……またしばらくの後には同じ事を繰り返す。
「何かを探しているらしい。……だが、何を探しているのかがわからぬ。いつ来てもあの調子だ。いっそ鎮魂歌で無理矢理に、とも考えた。あの姿は、正しき生 命の姿ではない。負の生命の力を感じるのは不快だ。………だが、それ以上に、彼女の未練がどこにあるのかが気になる」
「言葉は失っているのか?」
「それすらわからぬ。……と言うのも、彼女は我らを見ていない。彼女にとっての未練…多分、池に関係することであろうが…それのみが現世への執着になって いるらしい。たとえ近づいたとしても、彼女は我らを関知しないだろう」
「……憑依することすら忘れるほどの未練か」
「おそらくは。………だからこそ気になる」
同時に溜息をついた2人の視線の先で、不死者はまた池の水面を見つめていた。
そのとき。
荒れ果てた屋敷のほうから、わずかに足音が響いてきた。かすかに、足音を忍ばせようとして失敗したような音。おそらくは1人分だろう。
「……誰か人が?」
問いかけるケルツにロエティシアが首を傾げる。
「そのような話は聞いていないな。もとより、この屋敷には、所有者がいる。そしてその所有者本人が屋敷を取り壊すためにあの亡霊をどうにかして欲しいと 言ってきたのだからな。………夜盗の類とは思えぬな」
「…… そうだな。さっき通ってきた時に見たが…屋敷は本当に取り壊す寸前らしい。ここが貴族街でなければ、雨風をしのごうとする輩がいても不思議はないが……。 私の耳には足音は1人分しか聞こえない。いや、訓練も受けてはいないし、正直、耳はあまり良いとは言えぬから自信はないが」
ほとんど聞こえないという右耳を押さえてケルツが言う。
「私は森にいた折りに兄たちに幾つかの教えは受けたが……技は未熟でね。私にも足音は1人分しか聞こえぬ。1人でうろつく夜盗というのもあまり聞かぬ が……さて、夜盗ではないとすれば、この屋敷に一体何の用か」
「………ロエティシア? 楽しそうに聞こえるのは…気のせいか?」
「ふふ…なに、おおっぴらに楽しんではいないがね。嵐の夜、庭では亡霊がすすり泣き、詩人が2人で酒を嗜み……そうして、そこに新たなる闖入者。なかなか 面白い趣向だとは思わぬか」
「やはり……楽しんでいるではないか」
そう呟いたケルツの頬にもかすかに笑みが浮かんでいる。
双方とも、精霊に助力を請える者たちである。いざとなれば逃げることくらいは出来るだろうとの考えもあった。
足音は、中庭へと入ってきた。
「ここ……か…っ!」
はぁはぁと荒い息づかい。乱れた足音。周りの景色にも気づかぬほどの余裕のなさがありありと見て取れる。
中庭の奥の四阿も彼の視界には入っていないだろう。乱れた息を整えつつ、額に浮かんだ汗を拭う仕草を見せたのは、みすぼらしい中年の男だった。
まっすぐに、脇目もふらず中庭を進む。男の視界に、庭を横切る水の流れが入ったであろうと思える頃、男は息を呑んで立ちつくした。そしてその一瞬後には足 を速め…そしてついには駆け出す。男が駆けだした先は、池である。水の流れが最終的にたどり着く場所。今は泥で埋まっている、その池。
「……これ…が…」
男が呟く。
男が見ているものは、池ではない。その脇に据えられている手水鉢であった。実用よりも、装飾的な意味合いで設置されたものだ。もちろん、実用として十分に 使えるものでもあるが。大きな1つの石をくりぬき、そこに水を溜められるようになっている。庭の造りの性格上、芝は植えられていない。敷き詰められた白い 小さな玉石は排水にも役立ちそうだ。もともと、水があることを前提とした庭の造りなのだから。
よほどに真剣なのか、それとも目でも悪いのか。水 の流れの上流、奥に位置する四阿とそこにいる2人の詩人に男は気がついていない。月光が厚い雲に遮られ、時折揺れる木々が人の気配を隠す闇夜だからなのか もしれないが。すすり泣いていた亡霊は上流の池の上を漂うばかりで、新たな闖入者を気に留める様子もない。
ケルツとロエティシアは無言で男の様子を見守った。精霊使いである彼らの目には、男の姿が見えている。
男は水をたたえなくなって久しい手水鉢の脇に膝をついた。そして、懐から幅広の短剣を取り出す。闇夜にあっては、足元の白い玉石も光を跳ね返さない。そ れでも短剣が持つ禍々しい光だけは、どことなく場違いに輝いた。
逆手に持った短剣を、男は祈るように両手で捧げ持った。何を祈るのか、誰に祈るのかは知らない。それでもその短剣は、紛れもない硬さを誇っている。
男が短剣を振り上げた。
「……っ!!」
振り下ろされた先は、玉石である。いくつもの石を跳ね飛ばし、男は剣を振るい続けた。地面に突き立てる刃は、回を重ねるごとに深く突き刺さる。
がちん。
何度目かに振り下ろされた刃が、今までとは違う音を立てる。その音に、一番最初に反応したのは亡霊であった。
「……いかん。逃げろ…っ!」
声を荒げたのはロエティシアである。ベンチから腰を浮かせ、男に向けて叫ぶ。その隣でケルツは精霊語を紡いでいた。
「
闇を司りし漆黒の友よ…
」
ロエティシアの声にびくりと振り向いた男の目に亡霊が映る。
「…ひ…ぃ…っ!」
かすれた悲鳴を上げると同時に逃げようとした。だが、瞳から入り込んだ恐怖は男の足から自由を奪う。亡霊は近づいただけで何の魔法も唱えてはいない。た だ、恐怖。それだけで男をとらえる呪縛となり得た。
ケルツが呼び出した闇の精霊が、亡霊に吸い込まれていく。一瞬、黄色いオーラが歪むのが精霊使いたちの目に映った。そして亡霊が振り向く。精霊使いたち のほうを。
亡霊の反撃を予想して、ロエティシアも闇の精霊へと呼びかける準備を始める。だが、亡霊は振り向いただけで、何も仕掛けては来ない。腰を抜かした中年の 男は、何やら呪詛めいた言葉を呟いてはいるが、怯えのためにそれは言葉にはならない。
尻餅をついたままの姿勢で、男が後じさる。亡霊は、男が明け渡した場所へと近づいた。そして手水鉢の下へと膝をつく。いとおしげに両手を伸ばし、そうし て諦めたように首を振る。
「……………貴女は…何を求めている? 貴女をこの世界に縛り付ける鎖は何だ? 正しき生命の精霊の営みから背を向けて…そうまでして、貴女は何を求めて いる? ……サリエスティーナ・ディエル・スフラン」
近づきつつ…それでも水の流れを間においたまま、ロエティシアが問いかける。そのすぐ傍には黒髪の詩人。
「あんた……あんたたちは……いつからそこに……」
ようやく、中年の男の言葉が形を成した。
「最初からいたよ。おまえが気づかなかっただけだ」
無機質な表情でケルツが応えた。
掘り返された白い玉石の下には、わずかな空洞があるようだった。素焼きのかけらみたいなものがそこに混ざっている。ひざまずいたままの亡霊に、ロエティ シアがわずかに首を振る。小さな溜息と共に、中年の男に向き直った。
「……おまえは? この屋敷にゆかりの者とも思えぬ。が、夜盗にも見えぬ。何が目的で、ここに来た? …………その玉石の下には何がある?」
「俺 は……俺は……昔、この屋敷の近所で働いてて…噂ぁ聞いたんだ。この屋敷の中庭に、宝石が埋まってるってのを……ちょっと前まで別の街にいて…帰ってきた ら、この屋敷は荒れてるっていうから…取り壊すっていうから……それなら、ひょっとしたら宝石が残ってるかもって……」
しどろもどろではあるが、男の説明は理解が及ぶ。嵐の夜ならば人目もないと判断しての行動だったのだろう。
「………宝石? ロエティシア、そんな話は…?」
「ああ、私は聞いてはいないよ。私は、彼女の話しか知らぬ」
彼女、と視線の先は亡霊である。
「何がなんだか………」
呟いてケルツは溜息をついた。そして、ふと顔を上げる。
「…………あの手水鉢。水を汲むものがないな」
「……なに? 水を汲む…もの?」
ケルツの視線の先を追いながら、ロエティシアが問いかける。ああ、とうなずいてケルツが説明をした。
「手 水鉢というものは…あそこの窪みに水を張って…そうして、普通ならそばにそれを汲む小さな碗のようなものが置いてある。この庭園のしつらえなら…おそらく は、竹で出来たひしゃくか、それとも石の碗か……。それで汲んだ水を手にかけて、手を洗う。零れた水は玉石の下の空洞に吸い込まれていく。辺りを水浸しに しないための工夫だ」
「そして…水が流れていく仕組みになっている、その空洞に宝石があるはずだとおまえは言うのだな?」
ロエティシアが中年の男に問いかけた。いまだ亡霊の姿に怯えたままの男が何度も小刻みにうなずく。
ケルツの言葉を聞いているのかいないのか、亡霊は手水鉢の下の空洞に愛おしむような視線をしばし向けたあと、また上流の池へと戻っていった。
それを見送って、ケルツが玉石に膝をつく。掘り起こされた空洞を覗きこんだ。
「……暗かろう。
真白き光、無垢なる魂の同胞よ…
」
ロエティシアの呼び出した光の精霊が、ケルツの視線の先を照らした。
「ああ、すまない。…………これは……水琴窟(すいきんくつ)か?」
「水琴窟…? なんだ、それは? ………またしても私の知らぬことばかりだ」
苦笑するロエティシアに、ケルツも同じような表情で返した。
「言っ たろう。たまたま、東国に馴染みがあるだけのこと。水琴窟とは……見ての通りの仕掛けだよ。地中に、底に穴を開けた瓶を伏せて埋める。その下に玉石を敷き 詰めて。……上から、手水などが降りかかると、瓶の中で、落ちた水が共鳴する。……その音がちょうど…ほら、私が持っている月琴によく似ているので、その 名がついた」
「……なるほど。弦の音をシルフが運ぶのと同じように、その共鳴音をウンディーネたちが鳴らすわけか」
「そうだな。……だが、そこの男が掘り返したせいで、瓶が割れてしまっている。これでは音は出ないだろう。……それに、どうやら使われなくなって久しいよ うだ。乾ききっているし…下に敷き詰めてある石が砕けている」
「砕けて? そこの愚か者は、そこまで深く掘り返したのか?」
「いや…どちらかというと、乾ききって砕けたかのような…………宝石とはまさか、これのこと…だろうか」
首を傾げるケルツのもとに、ロエティシアが歩み寄る。自身が呼び出した光の精霊に照らし出された空洞を覗きこんだ。
「……これは…いや………確かに宝石だよ」
空洞の下から、細かく砕けた石の残骸を指でつまみあげ、ロエティシアが苦笑する。
「ほ…ほんとうだったのか…っ!?」
上流の池を漂う亡霊を気にかけながらも、男が声を上げる。
興味深そうにロエティシアの手元を覗きこむケルツと、その男にロエティシアが説明をする。
「あ あ…これは……おそらくはオパールだろうな。ウンディーネの好む石だ。水の加護を受けたこの石は、水の力がなくなるとひどく脆くもなる。ケルツ、聞いたこ とはないか? 贅沢なしつらえの笛には口の部分にこの石を配するものがある。口に含まれ、体内のウンディーネの力に触れた石は、笛の音をより華麗にす る。……そして、楽士が笛の練習を怠けると、水の加護を失った石は力を失う。石の力を保つことが、笛を奏する楽士の矜持でもあると」
「そうか…その笛の話は耳にしたことがある。………貴女とて知識は十分ではないか。私は宝石のことなどほとんど知らないに等しい」
ケルツが苦笑する。その顔を見てロエティシアが楽しそうに微笑んだ。
「……互いに、たまさか持っていただけの知識を披露しあう、か? さて……あとはあの亡霊をどうするか…か。最初の問題に立ち返ったな」
「そのことだが……彼女は、碗を探しているのではと…思ったのだが…」
「碗…とは、手水鉢の水を汲むものか?」
「ああ。彼女が水琴窟を見る目が…そう思えた。愛しいものだったのだろう。水琴窟が奏でる音に何かの思い入れがあったのかもしれない。その碗を……ひょっ とすると、あの池でなくしたのでは…と」
あの池で…と、ケルツは上流の池を指さした。そのすぐ傍を亡霊がたゆらに彷徨っている。どこか哀しげに。
「ふむ……ならば……おい、そこのおまえ」
逃げだそうとしかけていた中年の男を、ロエティシアの声が引き留めた。びくびくと振り向いた男が、上目遣いに尋ねる。
「は……あの……? い、いや…俺は…ただ……」
「ああ、わかっている。おまえの罪は未遂だ。だから官憲に突き出すような真似はしない。私たちの要望を聞いてくれるならの話だが」
「……要望?」
「おまえ、あの池をさらって、碗を探せ」
エルフはさらりと言い放つ。
「へ? いや……ば、馬鹿言わないでくれよ、こんな嵐の晩に池さらいだなんて……」
「ロエティシア…ふと思ったんだが……他人の所有する屋敷に無断で入り込むのも立派に罪だったはずだが…」
無機質な声で黒髪の詩人が言う。
「ああ、そういえばそうだったな。ならば…衛視を………」
「わかった! わかりましたっ!」
夜明け間近。ずぶぬれの男の手には、小さな銀の碗があった。銀製とはいえ、魔法がかかっているわけでもなく、ミスリル銀製というわけでもなく。年月のせ いで、碗は黒ずんでいた。
「……これ…っすかねぇ」
男がいぶかしげに、手元を見る。が、その答えは2人の詩人ではなく、亡霊から得られた。男の手にある碗に引き寄せられるように亡霊が近づいてきたのだ。
「う…わわわっっ!!」
男が逃げる。
「サリエスティーナ。しばし待ってくれ。……貴女はその碗だけが目的であったのか?」
ロエティシアの言葉に、哀しげな瞳で亡霊がたたずむ。
「水琴窟の音を……蘇らせることはかなわないだろうな。瓶は割れ、オパールは砕けてしまっている。……どうするつもりだ」
ケルツが問いかける。ロエティシアは小さく溜息をついた。
「……仕方あるまい。割れた瓶は戻らぬ。………ケルツ、月琴の音によく似た音だと言っていたな」
「果たしてこれで代理になるのかどうか……」
男から碗を受け取り、ロエティシアは手水鉢のもとへと戻った。わずかに水が流れるせせらぎから、水をひとすくい、汲み上げる。手水鉢の下、玉石の上へとそ れを振りかけるが、音は響かなかった。わずかに形が残った瓶の奥で、小さく共鳴する音はあるが、琴の音と言うにはあまりにも味気ない音でしかない。諦める ように小さく首を振って、白い玉石の上に碗をそっと置く。
「……貴女が望んだものは、すでにこの世界にはない。生き物がいつしか死ぬように、物とていつしか壊れゆくのだから。代わりになるかはわからぬが……貴女 が愛した水琴窟の音によく似たものがある」
ロエティシアの視線を受けて、ケルツは月琴を包んでいた布をほどいた。
「嵐の宵、シルフとウンディーネが、貴女の愛した音に似せてくれるのなら嬉しいと思う。……そしてかなうならば、この世界での貴女の苦しみが終わればよい が」
言いながら、ケルツが月琴を鳴らす。
木々を揺らす音が一瞬、鳴りやんだ。か細い月琴の音はやがて強まり、周りにあった音を圧倒する。
それは音の大きさではなく、弾き手の技量とそこに込められた心であることにロエティシアは気がついていた。そして、多分そのことは亡霊の彼女も気づいて いる。
響き渡る美しい旋律に、亡霊は穏やかな表情を見せた。彼女の形を成している黄色いオーラがゆるりと溶け出す。
ケルツの隣で、ロエティシアもリュートを包んでいた布をほどいた。
途中から、するりと伴奏に加わる。歌はない。ただ旋律だけが中庭に響き渡った。優しく、緩やかに。あたりに存在するのは、シルフとウンディーネ。月琴の 音とリュートの音を、彼女たちは優しく運んだ。
水琴窟の音が響いた懐かしき日々。銀製の碗がまだ黒ずんではいなかった遠い昔。サリエスティーナはそこで微笑んでいた。
その遠い日々に届くようにと、音は響く。
弦は、遠い日々の笑顔をたどり、響く音色は水琴窟の音へと変じる。
それは、呪歌ではない。だが、紛れもなく魂を鎮める音であった。
サリエスティーナの姿がぼやける。優雅な笑みをたたえて、彼女はこの上なく優美な礼をした。生まれながらの貴族にふさわしい仕草で。
そして、亡霊は消えた。
亡霊が消え去った後に、小さな淡い紅色のものが残った。リュートを弾き終えたロエティシアがそこに近づく。
拾い上げて、振り返る。
「……ケルツ、またしても粋な歌代だ。これは…蓮の花か」
微笑んだエルフの手には、花が1輪。
それを受け取りながら、ケルツはふと呟いた。
「彼女の想いは……何だったのだろうな」
リュートを抱えたまま、ロエティシアが首を振る。
「……さてな。過ぎた日々のことはわからぬよ。過ぎ去りし日々の…その日々そのものが大切な何かだったのやもしれぬしな」
「何を想って、この世に留まったのかは、彼女自身にしかわからぬことか。………しかし、残念だな。その水琴窟の音は聴いてみたかった」
微笑むケルツにロエティシアがうなずいた。
「ああ…そこの愚か者が壊さなければ……いや、オパールは崩れていたか。10年前に知っていればこの屋敷を訪れただろうに」
「お……俺は別に………なぁ? もう…帰ってもいい…か?」
先ほどの魔法を見ていたせいで、わずかにびくつきながら男が問う。2人の詩人がうなずいた。
「ああ。勝手にするといい」
「そうだな。追うことはすまい。ただ……今夜の件はあまり口外しないでもらおう。雇い主の貴族の体面もあるのでね」
その言葉に2、3度うなずいて、男は走り去っていった。
その背中を見送りつつ、ふとロエティシアが呟く。
「オパールは…少し惜しかったな。あのように劣化してしまっては、本来の輝きはない。……乳白のなかに漂う、淡い色彩はとても美しいのだが。脆く崩れやす い宝石だ。だが、傷を抱え込んでそれを色となす。だからこその美しさ……まるで人の子のようだな」
それを受けてケルツが呟いた。すでに消えた亡霊がいた場所に視線を投げて。
「その脆さが、時にはこの世に自らを縛り付ける未練ともなるのだろう。……おそらくは彼女も」
「あのような亡霊を見ると、自らの生き様も気にかかるな。果たして死すべきときに、私は一切の未練を持たずにいられるだろうか、などとな」
「それは……だが未練を持つということは、幸せに生きた証でもあるような気もする。喜んで死にゆく者などいまい。ただ……ああ、そうだな…死ぬ時に満足で きるか、ということならば……」
月琴を布に包み直しながらケルツが囁くように言う。その顔を見上げて、ロエティシアが悪戯っぽく微笑んだ。
「おまえは最近…未練が増えたようだが? 可愛らしい弟子がいるとの噂も聞いている」
「……よくそれでからかいの種にはされるがね」
ケルツが苦笑する。
「その割には、さほど困った顔にならぬな。………さて、帰るとしようか。済まなかったな、巻き込んで。あまり高額ではないが、貴族から報酬も出る。あとで それを渡すよ」
「ああ。………ふと思ったのだが……あなた達エルフは、よく自らを樹々に、人の子を草花に例えるが…樹としての思いを抱いていても、死にゆく時のことを考 えたりはするのか?」
「それが不思議か? 樹も寿命はある。そのほとんどは我らエルフよりも短い寿命だ。……エルフとて同じだよ。寿命はある。不老ではあっても不死ではない。 それは決して、永遠ではないのだから」
「永遠を…欲していたと?」
無機質に問うケルツに、ロエティシアが微笑む。
「さて…ね。永遠を欲しているのか、一瞬を欲しているのか……自分でもわからぬよ」
「こう言っては…なんだが。私のような人の子からすれば、あなた達エルフは永遠にも近い。さながら、地を這う虫が私たち人間を、巨大で永遠だと思っている のと同じように」
「だが、人の子は地虫ではなかろう。草花に例えるのは……人の子がしなやかでしたたかで…そして美しい花を咲かせると思うからだ。……森の同胞たちは、私 によく言ったものだ。すぐに死んでしまう人の子たちを何故そんなに愛おしげに見るのだと」
「……貴女は何と答える?」
ロエティシアが微笑みを深くした。
「これを…エルフが言うのは傲慢やもしれぬ。だが……例え、すぐに枯れてしまう花であっても、その美しさに心を向けぬ理由にはなるまい? すぐに枯れてし まうのなら、なおのこと。美しさを止め置いている間だけでも、その美しさを愛したい。……だから私は人の街にいる」
「……花の美しさ、か。ああ…そうだな。納得できる話だ。………私は人の子として、花が咲くのかどうかは知らぬが…」
「どんなところでも花は咲くよ。そして、美しくない花など存在しない」
そう言って、ロエティシアは先刻、ケルツに手渡した花に視線を転じた。淡い紅色の花びらにそっと手を触れて言葉を続ける。
「……………蓮は、泥のなかに咲く花だ。おそらくは、だからこそ美しい」
それを聞いてケルツが頬をゆるめる。
「………願わくば、私も蓮の花のように。咲き誇りたいとは思わぬがね」
「おまえなら、さぞかし美しい花になろう」
くすり、と笑って、ロエティシアは先に立って歩き始めた。ケルツもそれに続く。
のぼり始めた朝日が中庭に光を投げかける頃には、中庭の嵐の気配は消え去っていた。
2人が立ち去ったあとの庭で、曙光を浴びた蓮のつぼみが緩やかにうごめく。
ぽん、と。音を立てて花が開いた。
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