才能の芽吹き( 2001/10/28)
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作者
紅蓮
登場キャラクター
ネラード、ルミナス




登場人物
ネラード(ネラード・ヴォーケイン):
銀髪の人間男性。作中では9歳になったばかり。エレミア郊外の森の近くに捨てられていたところをルミナスに拾われ、以後彼女に育てられる。
ルミナス(ルミナス・シェアウィンド):
ネラードの育て親で半妖精。エレミア郊外の森の「護り人」。まだ若いが優れた魔術師であり、また精霊使いでもある。



 それはネラードがこの世に生を受けてから九度目の夏を迎えたある日のことだった。
 朝食後のひとときを読書で過ごしていた彼の前に、分厚い書物を抱えたルミナスが現れたのだ。
 彼女はネラードにその本を手渡すと、静かに微笑みながら、貴方がずっと欲しがっていた本よ、と答えた。
 その台詞を聞いた瞬間、ネラードの表情が歓喜のそれに変わった。
 彼がずっと求めて止まなかったもの、それは魔術の書だったのだ。
 今まで、ルミナスから様々な言語や一般常識を学んだり、森での暮らし方や荒野での生存術を習ったりはしていたが、こと魔術に関しては……精霊との接し方 も含めて、一切教えられてはいなかった。
 一度だけそれについて質問した事があったが、時が来れば必ず教えると言われてからはその話にも触れず、ひたすら我慢してきた。
 その努力が今報われたのだ。彼は嬉々として早速書を開いた。その向こうには文字通り彼の知らない、新しい世界が広がっていた。
 下位古代語で隙間なく書き連ねられたその本は、ネラードには全くと言っていいほど読めなかった。所々、頁の端に書かれた注釈と思われるエルフ語の単語が 辛うじて、内容は分からないが読めると言う有様だった。これではこの本が本当に魔術の本なのかも分からない。
 困惑したネラードが顔を上げると、それを待ってたかのようにルミナスは淡々と話し始めた。

 今手渡した本は「試験」に使うものだということ。自分はこれから一週間ほど森を留守にすると言うこと。それに、「試験」の内容は自分の留守の間に手渡し た本を『彼自身のもの』にすること……などが語られた。
 無事試験に合格すれば、その時点でネラードを魔術の弟子として迎えるという。 だが、もしも試験を合格できなかった場合は、これから一切「魔術」に関し て諦めてもらうという、厳しい条件が伝えられた。
 しかし、彼は話を聞いた上でその条件を受け入れた。元々ある程度の覚悟が伴わなければ魔術を学ぶことは不可能だと言うことは、今までの生活の中でルミナ スが時折見せていた、研究に苦労する姿……そこから感じ取っていた。
 それに、この試験に挑戦することが自分の「可能性」を計る良い機会だとも思っていた。
 決意も新たに気合を込めるネラードに対し、ルミナスから「試験」の条件が追加された。
 それは、今の生活のリズムを崩さないように試験課題をクリアすること……流石にこの条件はネラードも面食らった。時間のない状況で、今までの生活を保っ たまま課題を乗り越える……かなり無茶に思えた。
 しかし、既に全ては伝えられた。もうやるしかないのだ。
 幸い、家にある書物は自由に使って良いと言う。最後に、ルミナスは彼の試験合格を願うと、そそくさと支度を済ませて森を出て行った。
 そして、ルミナスのいなくなった家で、彼の「試験」が始まった。


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 彼は悩んだ。「自分自身のもの」とは一体どういう状態をいうのか。貰ったから自分のもの、という理屈は通じまい。それなら最初の時点で試験自体が終わっ ている。
 それならばどうするか。肌身離さず、食事や寝る時も常に傍らに置いておく……それならお気に入りの娯楽小説でやった。どうやらこれも違いそうだ。
 あまり悩んでいても仕方ないので、ひとまず本を開くことにした。
 中身はやっぱり読むことが出来ない。注釈のエルフ語にしても、読めても意味がさっぱりといったものがほとんどだ。しかし読めるということは何かの手がが りにはなるので、まずは書物から全てのエルフ語を抜き出すことにした。
 しかしそれも長く続かなかった。朝の仕事の時間が来たのだ。とは言っても、自給自足の生活なので何処かに働きに出ると言うわけではない。つまり、家事や 洗濯などの「仕事」である。
(今の生活のリズムを崩さないように……)
 ルミナスの言葉が脳裏を過る。仕方なく作業を中断し、ネラードは仕事に取り掛かった。

 2日が過ぎた。作業は一向に捗らない。それも当然、家の仕事や他の勉強との平行作業では思うように行くはずがない。ただ、あれからの作業で、本から抜き 出したエルフ語の単語の意味を幾つか解明していた。
 しかしそれでも、この本の内容は分からない。予定通りなら後五日でルミナスが帰ってくる。
 ここが瀬戸際だった。このまま言い付けを守って生活習慣を守りつつ本に取り組むか。それとも、不合格になる危険を冒してでも敢えてこの本の謎を解明する のに全力を傾けるか。
 ふと、一つの言葉が心の中を駆け抜けた。
<この本を『自分自身のもの』に……>
 後からもう一つ、言葉が口をついて出た。
「今までの生活を保って……」
 暫く考えた後、ネラードは決意を固めた。
 彼はルミナスの言い付けを破ることにした。


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 ネラードに「試験」が言い渡されてからおよそ十日後、森が濃い朝霧に覆われる中、ルミナスは帰ってきた。
 中にいるであろうネラードを起こさぬよう、彼女は静かに玄関の戸を開けた。
 家の中に一歩踏み入れた瞬間、彼女は部屋の様子に愕然とした。
 そこら中に散乱した衣服や食器、それに様々な内容の書物……椅子の一つは何か強い衝撃でも受けたのか、足の一本が折れていた。
 書斎の中も酷いものだった。本棚に納まった本は僅かしかなく。残りは全て床や作業机の上に散乱していた。
引出しという引出しも全て開け放たれ、中に入っていたものが床の上に投げ出されている。
 ルミナスは表情をこわばらせ、寝室を覗いた。部屋の中はやはり散らかっていたが、寝台の上にネラードの姿はなかった。
 ここまで来て初めて、彼女は不安に駆られた。もしかしたら、留守の間に無法者が入り、家を荒らした挙句にネラードを攫ってしまったのではないかと言う考 えが心の片隅で大きくなり始めていた。
 しかしその反面、冷静な心の部分がまだ多く残っており、彼女は家を出ると精霊に語りかけ、ネラードの居場所を突き止めるために動き出した。

 そこは薄暗い場所だった。一日の間に日を浴びることはほとんどなく、周囲には背の低い木が生い茂り、地面は湧き水が薄く覆っている、森の中でもこの場所 にしかない特別な花が咲いている区域だった。
 その区域の端っこ、地面が盛り上がって辛うじて水が届いていない僅かな空間に、天幕の出来そこないのような小さな布の塊があった。
 ネラードはその中にいた。僅かな食料と数冊の書物を携えて。その中には勿論「試験」の本もある。
 彼はルミナスに見つかると、ばつが悪そうに僅かに舌を出しただけだった。


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「ネル。貴方の今回の試験は不合格です」
  ルミナスの台詞を聞いたネラードはえらく落胆した。結局、彼は生活を保つことをせずに本に取り組んだのだったが、それでも本の全内容を知ることは出来な かった。それでも、僅かな手がかりから本の一部内容が、森のある場所に咲いている花について記されていることを知り、花の咲いている場所まで直接赴き、花 を研究・観察しながら日々を過ごしていたのだ。
 ネラードが下を向いてしゅんとなっているのを見て、ルミナスは僅かに微笑みながら後の台詞を続けた。
「かと言って、このまま貴方に魔術を諦めてと言っても、貴方はいつか再び今回のように生活をかなぐり捨てて、無理やりにでも魔術について学ぼうとするで しょう。その度に私が探しに行くのも大変ですからね……。だから、今回は特別に弟子入りを許可します」
 最初ぼーっと聞いていた彼は、最後の台詞を聞いた途端に飛び上がらんばかりの勢いで喜んだ。
 その様子を見ながら彼女はこれからの生活に想いを廻らせていた。
 今回、彼は与えられた「試験」には不合格だったが、もう片方の、彼に伝えていない「本当の試験」には見事合格していたのだ。
 他の全てを捨ててまで知識を得ようとする貪欲な好奇心、一つの事柄に何時までも留まらず、常に新しい道を見出す応用力とその才能……これらがなければ、 人間の短い命では魔術を扱うのはまず不可能だ。
 なまじ魔術を習得できても、それを正しい方向に昇華できるのは一握りの者達だけだ。
 ネラードのはその片鱗がある。魔術を扱い、正しい方向に導き昇華させるだけの才能の芽が彼にはあり、今それが確実に芽吹いてきている。
 ただその芽も今はまだ小さい、どんな形にも変化してしまう不安定な芽だ。それを正しく「才能」の花として咲かせる事は一人では出来ない。それを成す為に 自分がいる。
「これからが大変なんですからね。覚悟しておくのよ、ネル」
 涙まで流して喜びを噛み締めているネラードに対し、ルミナスは満面の微笑を浮かべてそう言った。






  


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