風の精の唄う声( 2001/10/30)
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作者
かけい
登場キャラクター
アイリーン




ココニイルヨ
イツモ、キミノ ソバニ


声が聞こえた気がした。呼ぶ、声が。
彼女は暗い部屋の中で立ち上がり、窓を押し開けた。
さぁ、と月の光が射し込む。
それに照らされたのは、15歳くらいの線の細い少女だ。後ろで結んだ黒く長い髪に、濃い色の瞳。その顔にはまだあどけなさが残るが、決して弱々しくはな い。
闇に慣れた目には月明かりですら眩しく感じられたのか、彼女は目を細めた。
「誰ですか…?」
そっと外に問う。
返事は無く、クスクスと笑い声が聞こえた。
けれど少女はそれで納得したのか、笑みを浮かべる。
「こんばんわ。綺麗な月ですね」
少女の視線の先で、透明な風の精が応えるように舞った。


風花亭の一室、開け放った窓の縁に腰掛け、アイリーンは外を眺めていた。
その手には珍しく竪琴が抱えられている。
今は夜明けも近く、先刻まで下の階で騒いでいた冒険者もようやく寝静まったようだ。
月明かりが街を照らす。
今、この街で起きている物も少なくはないが、音はしない。
アイリーンもそれに倣い、音をたてようとはせず、ただ竪琴の弦に触れる。
近くに来た風の精霊が不思議そうに首を傾げた。
「月の光と、今ここにいるアナタ達へ。あたしも曲を奏でられたら良かったのに、ですね」
アイリーンの口元には微笑みが浮かんでいたけれど、その言葉は何処か寂しそうに響く。

キミハ アタシ達ヲ 見エル……見テクレル
ソレデ イイヨ。 ソレデ 嬉シイヨ


「ありがとう、ございます。あたしも嬉しいです」
自分を覗き込んできた風の精霊に、アイリーンは笑みを返す。
それでも、と心の中で思った。


『初めて精霊くんが見えた時の事、忘れられないよね』
それは酒場で知り合った精霊使い、イゾルデが言っていた事。
あたしもずっと、忘れられないです、確かそう答えたと思う。忘れる訳がないと、思った。忘れられる訳が無いと。

随分前の、けれどその時のことは今でも鮮明に思い描ける。


「急がなくていいのよ」
柔らかい笑みを浮かべ、黒髪の女性は幼い娘を膝の上へ抱き上げた。
「だって…」
「精霊は、逃げたりしないわ。焦らないことが大事」
けれど少女は聞こえない、というように首を振って頬を膨らませる。
「リィンには、母さんにはできない事が出来る。それでは駄目?」
再び少女は首を振り、母親の傍らにある竪琴に小さな手を伸ばした。
「これも、弾けないもん」
少女が弦を引っ張り、放す。
ビィン、と弦が鳴いた。
女性は今度は苦笑したようだった。同じ道を歩むことはないと、得意な何かを見付けられればいいと、そう言ったのはまだ幼い娘には難しかったようだ。
母親を困らせたと思ったのか、少女は竪琴に触れてその顔を降り仰ぐ。ねだるように母親に身を寄せて、
「歌、聞きたいの」
女性は微笑むと、竪琴を手に取った。小さく音を鳴らし弦を調整する。

ぽろん、と一際大きく音が響き、曲の始まりを告げた。少女は今は膝から降りて座り、待ち遠しいというように、一生懸命母親を見上げている。
女性の手が優雅に、けれど力強く弦を弾く。
紡がれるのは、優しい音色だ。
女性は微笑みの形に保っていた口元から、言葉を滑り出す。

いっしょに踊ろう?きっと楽しいよ
舞うように軽く、いっしょに
一人よりきっとその方が楽しいから


少女は首を傾げた。それは歌が、いつも歌われている言葉ではなかったから。

君は何を見ているの、探してるの

声に、もう一つ、細く透明な声が重なった。

遠く、でもトテモ近く
ソウ すぐ近いところ

ねぇ、忘れナイデ ここにいるから
忘れないデ

ここにいるヨ
いつも、君ノ側ニ


「あ……」
少女の呟きに、竪琴の向こう側で歌を口ずさんでいたものが振り返る。
その透明な女性は、少女と目が合うと、小さく舌を出して照れたように笑った。いたずらをしたのが見つかった小さな子どものように。
その女性はふわり、と流れるように移動し、少女の頬にそっと唇を寄せた。
風が少女の頬を撫で、髪を揺らした。

それは母親との大切な思い出、そして精霊との初めての出会い。


いつも、君の側に…。寂しくなったら呼んで、思い出して。
みんなで踊ろう? 君が笑顔でいられるように

アイリーンは、歌の続きを精霊語で呟いた。
今目の前にいる風の精に、意味が通じているのかは分からない。人と精霊の感覚は違うから。
それでも、伝わっていればいいと思う。その中の願いや想いだけでも。
そんな事を思いながら、アイリーンは竪琴にそっと触れた。
母親が使っていた、今はもう風の精霊が宿っていないそれを。






  


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