水の中の空気
( 2001/11/25)
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作者
松川彰
登場キャラクター
ファントー、ラス
『もともと、精霊が何かを考えこむような者は精霊を扱うには向いていない』
感性ならそちらのほうが鋭いようだから、と。そう言ったのは黒髪の半妖精だった。いつでもおまえの靴のなかには虫が3匹くらいいるんじゃねえのかと聞い てみたくなるような仏頂面。
おまえは考えなしだと言われているようで、少しばかり不愉快だった。
確かに、考え込むような性格の奴や、理論を追及するような奴は精霊使いには向いていないとされている。素直に、率直に。自然のなかにあふれる精霊の力を あるがままに受け止める者が精霊使いたりえると。エルフどもはそう言った。
じゃあそういう意味では、俺は精霊使いに向いているとは言い難いのかもしれない…と。そう思ったことはある。理屈や理論、そして親父が言っていた、精霊 使いとしての義務。そういったものを時々、つらつらと考えてみたりするからだ。
考えてしまうのは…理解したいからだろう。精霊たちをより深く。
「……なぁ? 結局、正直なとこ、おまえは今、何をどこまで出来るんだ?」
目の前で、何だか微妙に複雑な表情で、それでもかしこまっているガキに聞いてみる。
このガキを拾ったのは昨夜だ。夜中になっても戻ってこない飼い猫を探しに行った雑木林で、こっそりと精霊魔法の練習をしていた少年。名前はファントー。も うすぐ15才になると言っていたが、人間の標準よりはやや発育が遅いほうなのかもしれない。小柄で細身な体格。どちらかと言うと、華奢と表現してもよさそ うな骨格…のわりには、すんなりと伸びた手足。無造作に伸ばした焦げ茶の髪をこれまた無造作に束ねている。多分、もう5年…いや、3年もすればいっぱしの 男にはなるんだろうが。
「え? えーと……何をって…つまり、精霊のこと…だよね?」
自信がありそうでなさそうで。……ひょっとしたら少しばかり萎縮してるのかもしれない。近い将来のことは置いとくとして…今はただのガキか。
俺を見上げるその瞳が、不安げに揺れる。
「……あのな? 何ひとつ出来ませんって言っても怒りゃしねえから。それならそれでイチから教えるだけだから。だから、正直に言え。クソくだらねえ見栄な んか張るんじゃねえぞ?」
「み、見栄なんて張らないよっ!」
俺が泊まっている宿、古代王国への扉亭。そこの裏庭で、シルフの姿を探すように、ファントーが一瞬、視線をさまよわせる。
多分、昨夜のことを思い出してるんだろう。
夜の雑木林は静かだった。時折、シルフが足元に積もった落ち葉を舞い上げる音がするだけ。たどたどしく呼びかけたファントーの周りで、シルフがからかい半 分、うれしさ半分で舞っていた。ただ、呼びかけた本人がそれに気づいていない。猫よりも先にその光景を見つけて、思わず観察してしまっていた俺のところに も、シルフはからかいにやって来た。微妙に変わる風向き。はっきりとは姿を現していないシルフが、それでも“力”と共に移動しているからこそ、風が移動す る。
見ていた俺に気づいて、シルフが応えてくれないとファントーがうつむく。彼女たちの力はそこに感じるのに、応えがないと。
………そんなわけがあるか。シルフたちはからかっていただけだ。
俺が言ったその言葉にシルフが応える。
<いい子よ、いい子。私たちはあの子が好き。素直で可愛い。あの子の持つ空気が好き>
だったら、姿を現して、そう言ってやれ…と。言い終わらないうちに、シルフがファントーの前に降り立つ。
一瞬、言葉をなくしていただろう。
<は、はじめまして、はじめまして。あ、いや、ホントは前にも何度も呼んだんだけど>
慌てて、シルフに挨拶をするファントーを見て、俺は自分が初めてシルフを“見た”時のことを思い出していた。
風に漂う、薄青い半透明のエルフの女性。浮かべた微笑み、耳に届く精霊語、たおやかでしなやかなその仕草。全てに見とれた。言葉をなくしてただ見入った。 挨拶しようと、慌てて口から出た言葉はエルフ語だった。ちゃんと精霊語を使ったあたり、ファントーのほうがあの時の俺よりもまだ冷静だ。
幾つかの会話のなかで…ふと、思いついて俺はシルフに尋ねた。
<俺の傍は、おまえたちにとって……幾らかでも心地よい場所か?>
そう尋ねた俺に、シルフは笑った。そんな会話をずっと見守っていたファントー。その瞳を見て、思わず、口をついて出た。
「シルフと同じように…他の精霊とも友達になりたいか? 弟子なんぞとるような身分じゃねえが、俺が知ってることくらいなら教えてやれるけど?」
「えと…精霊の姿をあそこまではっきりと見たのは…昨夜が初めてだった。でも、精霊たちの“力”のことはわかるよ。どこにどんな力が働いてるのか…それは ちゃんとわかる。じっちゃんも、それでいいって言ってくれた」
「おまえの爺さんって、有名な精霊使いだったんだっけか」
「うん。エストンの山の中で、“山の主”をやってたんだよ。オレが着てるマントもじっちゃんの形見なんだ。じっちゃんみたいな精霊使いになれるように…。 じっちゃんは…もう死んじゃったけど、オレはじっちゃんのようになりたい」
爺さんのことを話す時は、ファントーの目はいきいきと輝く。気持ちは……わからなくもない。誰だって、自分の最初の師匠には尊敬と憧れの気持ちを抱くもの だろう。それが身内なら尚更に。ただし、俺の最初の師匠は、血縁じゃないエルフ野郎だったから、かなりひねくれたものではあったけれど。
「じゃあ、精霊魔法の基礎は、その爺さんから教わったか?」
「うん。教わった…………けど………えーと…そのー……」
「はっきり答えろ」
「あ、う、うん。じっちゃんは教えてくれて…オレも…その………」
─── うぜぇ。
「……………はっきり、と…言わなかったか? 俺?」
「わーっ! 待って! 何で、そんな目して近づくんだよっ!?」
「いい加減、知ってるだろうが、あらためて教えてやる。俺は気が短い。野郎相手にする時は、女性相手よりも、大幅に気が短くなる。それを踏まえて答えたほ うがきっと身のためだ」
「う、 うん! わかった…っ! えと……じっちゃんから習ったのは…ほんとに基礎の魔法だけなんだ。シルフとかノームとか…ウンディーネとか。山で、じっちゃん と住んでた家にブラウニーはいなかったから…ブラウニーはまだ触れたことがない。それと……サラマンダーもちょっと苦手」
ようやく答えたファントーの言葉を考えてみる。基礎はあるし、精霊使いに一番必要だと言われている、精霊に触れることの出来る力、それもある。
「……なるほど。十分だ。今まで、はっきりと精霊の姿を見たことがないって言ってたけど、魔法は使えるんだろ?」
「うん…初歩の魔法なら何度か使ったことあるよ。試してみただけだけど。成功率は……えと…半々より少し少ないくらい……かな?」
「光の精霊とか闇の精霊は?」
「挑戦したことは……ある。けど…うまくいかなくて……」
「…ああ、わかったわかった。だいたい想像はつく。………どうせ、呼んでも応えてくれないか、中途半端にぼやーんと姿が見えただけ……ってところか」
なんでわかるんだよ、とファントーの目が訴える。どうしてわかるのかと言えば、昔の俺も似たようなもんだったからだ。歩み方の違いに多少の差はあって も、歩む道そのものはあまり違わない。
とりあえず、無言の訴えには、笑みだけで返しておいた。
「………一生懸命に、見ようとか感じようとか…そういう感情は心に壁を作る。自分の意志を掲げるよりもまず先に、周りの意志を感じとることだ。集中力の問 題じゃないんだから」
宿の裏庭を流れていく風。降り注ぐ午後の陽射し。秋の色に染めた葉を風に乗せて振り落とす年若い楓の木。物質界と重なり合った精霊界の力が、そこかしこ に感じられる。
30年以上も昔、親父に言われたことをそのままファントーに伝える。半々の確率とは言え、曲がりなりにも精霊魔法が使える以上は、こいつは少なくとも精霊 たちに認められてはいる。ただ、自分でそれを認識できていないだけだろう。多分、自分の力を制御するだけで手一杯で、そこまでの余裕がない。
「集中力じゃないって……そうしたら、精霊魔法を使う時に集中する必要はないってこと?」
「そ うじゃねえさ。自分が持つ力を制御するのには、ある程度の集中力は必要だ。高位の魔法を使う時には特にな。自分が呼び出した精霊に振り回されないように、 精霊たちの力を借りる自分が、その力をちゃんと制御できるように。ただ、純粋に精霊たちを感じる時には、集中力は実は必要ない。……おまえも感じてるはず だろ? この世界はいろいろなもので出来てる。物質界に寄り添うように…いや、包み込むように存在する精霊界。それはそこに存在してる。実際に在るものを 見るのに、集中力は必要ねえだろ。どっちかっていうと、ゆとりとか余裕とか…そういったモンのほうが………」
そこまで話して、ふと目の前のファ ントーの視線に気がつく。必死に理解しようとはしているが、実感がそれに追いつかないといったような視線に。頭での理解は必要ない…と言っても、多分、無 理だろう。俺たちは精霊じゃない。言葉の意味を考えてしまう。目の前の現象を、筋道たてて認識しようとしてしまう。説明がつかない現象は不安だ。その不安 を少しでもぬぐい去るために、俺たちは理屈をつける。
俺の口が止まったのに気がついて、ファントーが慌てて手を振ってみせる。
「い、いや! あのね! わかる……と思うんだけど……うん、わかる。………………多分」
苦笑が漏れる。目の前のガキの『多分』が、手に取るようにわかってしまう。そう、確かにわかるとは思う。言葉の意味に戸惑うほど難しい言い回しをしたわけ でもない。ただ、言われた言葉を噛み砕いて認識して、さらにはそれを自分の知識として吸収するために、時間が必要だと…そういうことなんだろう。
「そうだな。………ん〜…っと」
ふと思いついて、あたりを見回す。ドライアードの微笑みにつられて、傍に立つ楓の木を選んだ。
「そこに楓の木があるだろ。見えるよな?」
「あたりまえじゃないか! すぐそこにしっかりと立ってるんだもん、見えないわけないじゃん!」
馬鹿にしてるのか、とでも言うようにファントーがうなずく。
「そう。当たり前だな。そこにあるんだから。じゃあ、その楓の木を本気で見ようとして、集中してみろよ」
わずかに首を傾げながら、ファントーが楓の木を見つめる。シルフがファントーの着ているマントを揺らした。爺さんのものだというそれを、揺らすのが好き だったと昨夜のシルフが言っていたのを思い出す。ファントーの爺さんは、よほど精霊に好かれていたらしい。“山の主”だという、その職業自体は、俺が育っ たあたりにはない風習だったが、生半可な力で名乗れる職業ではないだろう。すでにこの世にはないというその爺さんに、会ってみたかった。
楓の木をじっと見つめるファントーに、声をかける。
「よし、もういい。こっち向けよ」
「……なに? 今のでいいの?」
「なぁ? 楓の木の脇に桶があっただろ? その桶のなかに何があったか覚えてるか?」
俺の言葉に、一瞬ファントーが口を開けた。その口を一度閉じてから、あらためて言う。
「……え? え? 桶? あ……だって、木を見ろって言ったじゃないか、ずるいよ!」
「ずるいも何もあるか。木の脇に桶はある。……見てなかったか?」
「見て…ないよ。だって、楓の木を見てたんだもん」
「同じ場所にあるのに? 別に隠してあったわけじゃない。すぐ脇に桶はある。そして、その中では……ほら、俺が昨夜探してた猫が昼寝をしてる」
俺が指さした場所をあらためて見て、ファントーがうなずく。
「…………ほんとだ」
「まぁ、 俺の考えだから、他の精霊使いがどう考えるかは知らねえけどさ。楓の木だけに集中すれば、桶が見えなくなる。確かにそこにあるのに。シルフだけに集中すれ ば、ノームやドライアードが見えなくなる。……そこに確かにいるのに。そして、シルフはそれだけで存在してるわけじゃない。あくまで、精霊界の一部とし て、ここに姿を現すんだ。他の精霊たちも同じだけどな。何かひとつの精霊だけを、見ようとか感じようとか……今みたいに集中ばかりしてると、他のものが見 えなくなる。精霊界全体を、自分の肌で感じて、そのなかにシルフの存在を探すんだ。シルフを見つけることは、シルフを探すことじゃない。精霊界のなかに在 るシルフの力を感じることだ。…………これで、さっき言った意味がわかったか?」
「それも、昨夜言ってた、『お馬鹿なお子さま向け』ってこと? …………うん、でもわかった。だって、確かに俺は楓の木しか見てなかったから」
幾分悔しそうに、それでも理解できたことは確かな喜びとして、ファントーがうなずく。……なるほど。シルフが評した通りだ。クソ小生意気なところはある が、素直なんだろう、このガキは。おそらく、精霊使いには向いている。俺よりもずっと。
「そ うだな。昨夜言ったのは…精霊魔法は操る魔法じゃなくて、受け止める魔法だってことだっけか。精霊魔法は、他の魔法と同じように確かに力だけど、その力 は、精霊を操って手に入れるものじゃない。精霊の意志と力を、精霊使いが受け止めて、はじめてそこで魔法になり得る。精霊の意志を自分が受け止められな きゃ魔法は成立しねえ……と、そう言ったよな」
「うん、そう。そして、俺がわかんない顔してたら……お馬鹿なお子さま向けに説明しなおしてやるっ て言って…オレが精霊のこと好きで…そして、精霊たちのほうもオレのこと見てくれてて。友達って呼べる存在を、力で無理矢理どうこうしようなんて思わない なら、お互い納得の上で力を貸し借りしたいだろうって。それなら、自分が呼びかけるだけじゃなくて、精霊たちが何をしたいのかを感じ取ってやれって…そう 言った。
……オレ、言われてわかったんだ。オレさ、精霊は友達だと思ってる。だから、力尽くでなんて思わなかったし、じっちゃんもそう言って た。でも、自分の言葉が精霊たちに届くなら、どうにかして言葉を届けたいって…そればかりを考えてたみたいだ。精霊たちに力を貸してもらうには、自分が力 をつけなくちゃって…そのことばかり気にしてた。オレの呼びかけに精霊たちがどんな反応を示すかってよりも、呼びかけそのものを届かせようって…そればっ かり」
不安げに、ファントーが呟く。
「……あのな? 間違っちゃいねえと思うぜ? 力のある精霊使いの周りでは、精霊たちは安心して姿 を現せる。だから、自分が力をつけようと思うのは間違いじゃない。ただ、そこで周りを見る余裕をなくしてたら、せっかくすぐそばに精霊界が広がってるの に……もったいねえじゃん」
そう言って笑った俺にファントーが笑う。
「……そうだね。うん、もったいない。昔、じっちゃんが、精霊界と物質界は隣り合わせなんだからって言ってたけど……今はわかるよ。精霊たちの力がそこに あるってこと」
「ああ。そういうことだ。まぁ……そうだな、世間で言う“師匠”らしく、多少語ってみるなら……。
精霊が、物質界に姿を現す……それは、俺たちが水の中に潜るのと似ているかもしれない。魚と違って、俺たちは水の中で呼吸なんかできやしない。もちろ ん、ウンディーネに頼んで、水中での呼吸を確保することはできるけどな。
俺たちが水の中に潜る時、潜る先の水底が砂地だろうと岩場だろうと、その居心地には関係ねえだろ? どちらにしろ同じ水の中だ。呼吸できないことに変わり はないんだから。精霊たちが物質界に来る時も同じだと思う。街のなかだろうと森のなかだろうと関係はない。そこは精霊界じゃないんだから。
だか ら……うん、だから思うんだ。俺たちが水の中で呼吸したくてウンディーネに頼むように、精霊たちは精霊使いの傍にいることで、物質界での形を保つ。精霊た ちにとっての精霊使いは、俺たちにとっての水の中の空気であるように、と。……それはひょっとしたら自己満足…いやただの自惚れなのかもしれない。自分の 存在そのものを精霊たちに少しでも見てもらいたいと思う気持ちの表れなのかもしれない。それでも、精霊たちが俺の呼びかけに応えてくれる限りは、多少は自 惚れてても許されるかな、なんてな」
「あ…だから、昨夜、シルフたちに聞いたんだね? 自分の傍は幾らかでも心地よいかって。オレ…シルフたちが 何て答えるのか、すごく興味があった。だって…ラスは、オレなんかよりずっと精霊に呼びかけるのは上手だろ? そんなラスでも、不安になるのか…とか、シ ルフたちがそれを否定したら、オレなんかもっと下手くそなのに…とか。でも、シルフは大丈夫って言ってくれたから……」
昨夜の、シルフとの会話を思い出して、ファントーが呟く。
<大丈夫。貴方の傍で舞うことを“つまらない”なんて思ったことはないわ>
…シルフの返事を思い出す。おそらくはファントーと同じタイミングで。
不安になったわけじゃないと…言おうとしてやめた。多分、間違いじゃない。不安ならいつだってある。そしてそれ以上に自信もある。それでも、確認せずに はいられなかった。
「そうだな。精霊使いの傍に在る限り、精霊たちが狂わずにいられるなら…少しでも、“つまらなくはない”と思ってくれるなら、嬉しいと思う。……なぁ? 狂った精霊に会ったことあるか?」
「ううん、まだない。……すごく怖い存在だって、じっちゃんが言ってた。怖くて怖くて…それでも可哀想な存在だって」
「あ あ。……可哀想だよ。さっきの例えで言うなら、俺たちが水の中で岩に足をとられたり、何かのアクシデントに遭ったり…そうすれば、必死にもがくだろ? そ こから逃れようと、死にものぐるいにもなるよな。精霊が同じように物質界でアクシデントに遭えば、精霊界に戻ろうと必死になる。それが、狂った精霊だ。水 の中での空気のように、精霊使いが傍にいて制御できるなら、狂うことはない。…狂った精霊たちは、そこらのモンスターと同じ扱いをされることが多いが、実 際は違う。本当なら……精霊たちには、物質界のものを害する意志なんかないんだ。ただ戻りたいと願う気持ちだけだ。ここが物質界だから。精霊界じゃないか ら。狂った精霊たちに相対した時に、まず感じるのは不快感だ。皮膚の内側…皮膚と肉との間に砂を詰め込まれたような感覚。そして、その砂の一粒一粒が、精 霊たちの哀しみや怒り、戸惑いを伝えてくる。……最初の不快感が過ぎれば、自分のなかは精霊たちの感覚に同調してしまう。戻りたいだけだ、と。精霊たち の、その気持ちを感じ取ってやれるなら、精霊使いの端くれとしては放ってはおけない。わかるよな? ………出来るなら、そういう事態には出くわしたくな い…っていうか、そういう事態になって欲しくないんだけどな」
苦笑した俺の言葉が通じたんだろう。ファントーが、似つかわしくもない神妙な顔でうなずく。
「そっ か…うん……そうだね。オレも出来るなら、狂った精霊には会いたくないけど…でも、出会っちゃったら……なんとかして精霊界に戻してあげたいと思う。少し でも早く苦しみが終わるように。オレたちが生きてる物質界が、精霊たちにとっては苦しいだけの世界だなんて、思って欲しくないし。自分の傍にいる精霊たち には、いつも笑ってて欲しいんだ」
そう言って、ファントーが周りを見る。足元に目を留めて、ふと微笑んだ。
「…ねぇ? ここのノームはなんだか気分がよさそうだね。すごく…あったかい感じがする」
「そうだな。今日は天気がいいから…陽射しを浴びてノームもくつろぎに来たのかもな。オランは、石畳の街だ。街なかじゃ、あまりこういう感覚はないけど、 土が剥き出しの場所ってのはやっぱり、精霊使いにとっても気分がいい」
「やっぱり、街なかはノームも嫌いなのかな。オレさ、山ん中にばっかりいたから、ノームの感覚がない場所ってのが今ひとつ馴染めなくて。でも、あの石畳っ て、オレたちは歩きやすいけど…ノームが嫌ってるんなら……」
「ン なことねえだろ。確かに、石畳に覆われてれば、ノームは出てこられない。街なかじゃ、ノームの気配は薄いしな。でも、ノームが嫌ってるとか怒ってるとか… そういうことじゃない。物質界のことを、精霊たちはそんなに気にしてねえよ。石畳くらいで怒るほど精霊は狭量じゃねえさ。もともと、別の世界の奴らなんだ から。精霊界にまで影響を及ぼすような……たとえばものすごく魔力の強い何かとか、精霊界と物質界の“通り道”みたいなとこに、クソでかい建物ぶち建てる とか。そんなことでもない限り、精霊たちは変わらない。河原や雑木林や…この庭でも、ノームは変わらないだろ? 石畳でノームが怒ってるんだとしたら、こ んなに穏やかな気配はないよ。
精霊は、位相が違う生き物だと俺は思ってる。つまり、物質界の出来事や感情なんかには、左右されない者たちだって ことだ。精霊界から物質界へ、精霊が意志を持って形を成すのは、精霊使いが呼んだ時だけだ。普段はその力だけが、物質界に満ちている。全てに宿り、全てを 司る精霊たちの純粋な意志がそこにある」
「えと……えと……」
後半の、位相云々に戸惑うファントーには構わないことにした。いつかわかる。急ぐことなんてないんだ。ただ、いつか、あの時のはこういう意味だったの か、と。そう思う瞬間がやってくるならそれでいい。
「… たとえば、善悪、好悪。そういった、物質界ではごく普通の感情は、精霊たちにはあまり関係がない……とは思ってる。それでも、精霊に好まれる場所や精霊使 いは存在する。確実とは言えない。精霊たちは、物質界の生き物とは違いすぎる。それでも、少しでも好まれているなら嬉しいと思うし、好まれたからこそ今の 自分があるとも思う。それは多分おまえも同じだろう。昨夜のシルフは、おまえを好いていた。それは、精霊使いにとっては、何よりの誇りでもあるし、精霊使 いたり得る何よりの資格だ」
戸惑いながらも、最後の言葉にはしっかりとうなずいたあたり、やっぱり見所はあるかもしれない。
「……ねぇ。お願いがあるんだけど」
「あ? なんだ?」
「精 霊を……呼んでみてくれないかな。精霊たちが、ラスの周りではどんな風に振る舞うのか…それが見てみたい。オレ、自分が呼ぶと……どうしても呼ぶことだけ に集中しちゃうけど、呼ぶのを見るんなら、少しは余裕があると思うからさ。あ、えと、もちろん、いつかは自分でも余裕を持って呼べるようになりたいと思う んだけど、えと、その……」
「わかったわかった。………んで? 誰を呼んで欲しい?」
「ん〜〜……じゃぁ……ノーム…を」
にへ、と笑いながら、ファントーが見上げてくる。それにうなずいて、俺は地面に視線を移した。俺が精霊語を紡ぐのを心持ち緊張気味にファントーが見守っ てる気配がする。……なんで、緊張する必要があるんだ?
<ノーム。若い精霊使いからのご指名だ。ちょっと来てくれ>
俺の声に応えて、ノームが姿を現す。姿かたちは、灰色の肌をしたドワーフといった感じだろう。そこはかとなく頑固さを感じさせるものの、それよりも、そ の穏やかな風貌に安心させられる。
<ふむ……お呼びかの。精霊使いたちよ。我ら、大地の者。おぬしらは我らの意志と力を感じ取る者。望みがあれば従おう>
ふと、隣に立つファントーを見る。
「……おい。こら待て。なんで、そんな…あからさまにがっかりした顔してんだ?」
「え? だって……」
「ノームの見かけが気に入らないのか? 確かに昨夜のシルフほどの美人じゃねえが、もともと精霊の見かけなんてもんは……」
「わー! 違うよ! そうじゃない、そうじゃないんだ! ただ……ラスの呼びかけが……」
「へ? 俺が何か?」
「だって………もっと…こう…威厳とか荘重さとか…迫力っていうか……そういうのが…」
「……………つまり、俺の呼びかけが、あまりにも気軽だったのが期待はずれだと…そう言うのか?」
「う ん。………怖い顔しないでよ。だって、そういうもんだと思ってたから。でも…そうだよね。友達に呼びかけるのに形式も何もないよね。実は、前にさ、エルフ の詩人っていう女の人に言われたことあるんだ。長々と、儀式めいた呼びかけをするよりも、短くてもいいから心から呼びかけろって。………こういうことだっ たんだね」
形式に添った…というか、ある程度、自分の力を表現しやすい呼びかけというのは確かにある。ただ、今は、ノームの姿を呼び出すだけの ことに、そこまでの必要を感じなかっただけで。……とは言え、俺は他の精霊使いに比べれば、呪文は短いほうだろう。多分……戦闘してる時に精霊に呼びかけ る言葉を知れば、このガキはもっとがっかりするのかもしれない。とりあえず……少しは期待に応えてみるか。
<…優しく賢き大地に宿り、それを司る者、ノーム。我が声を聞き、我が呼びかけに応えし者。おまえたちの力にはいつも感謝してる。……こっちのガキは、お まえもわかるだろうけど、若い精霊使いだ。そのうち、おまえたちの力を借りることになるだろう>
俺の呼びかけに、ノームが笑う。
<ふぉっほっほ。どうした、精霊使い。“柔らかき垣根を持つ者”よ。そのようにきちんと呼びかけるとは珍しい。若い者の前で格好をつけておるか>
<………うるせぇ>
<まぁよい。そちらの若い精霊使いは我らも見知っておる。その血縁に連なる者は我らを導く者でもあった。“彼岸と常世を繋ぐ者”よ。良き使い手に従うこと は我らの喜び。“柔らかき垣根を持つ者”に従うこともまた>
精霊語で話しかけられて、ファントーが慌ててノームに向き直る。
<あ、えと……初めまして! お世話になって……いや、あの、お世話になります! ……って、オレのこと知ってたの?>
興奮を抑えようと努力するファントーに、全てを知る祖父のような表情でノームがうなずいた。
<知っていた。我らが司る大地の上に寝ころび、我らへと届く言葉で呼びかけていたのも知っていた。おまえが、我らを認めるその前から。我らはおまえに触れ ていた。昨夜の、風乙女への名乗りも我らの耳には届いていた>
「どうした。まだ、惚けてやがんのか」
宿の中に戻って、カウンターの片隅でふと、隣を見る。ホットミルクを手にしたまま、ぼうっとしているファントーを。
「…………………へ? え、あ! あ、いや、その!」
俺の視線に気がついて、慌ててホットミルクを口に運ぶ。あちち、と顔をしかめて、ファントーはマグをカウンターに戻した。ついさっきまで外にいたせい で、まだその焦げ茶色の髪は少し乱れている。それにも気づかず、ファントーは小さく息をつく。
「何て言うか……オレ、何て言ったら…」
「何が? ノームは美人じゃなくて残念だとか?」
「わーっ! いや、そうじゃないってば! 何か……そう……精霊界って、本当に重なってたんだなぁって…あらためて…」
とりあえず、茶々入れはやめて、ファントーが言うのを黙って聞くことにした。俺が頼んだ紅茶はまだ熱い。とてもじゃないが、飲める温度じゃない。
「今 までも…うん、もちろん。じっちゃんも精霊界のことは聞かせてくれたし、じっちゃんに教わって魔法を使うときも、すぐそこに精霊の存在っていうか…… “力”の存在、みたいなもの……かな。そういうのは感じてたんだけど…やっぱり、今までのオレって、ラスが言ったみたいに、余裕がなかったみたいだ。さっ きみたいに、一歩離れて…落ち着いて見てみれば、すごく……なんていうか…ああ、言葉が浮かばないや。あふれてる、って感じが…さ。深くて、柔らかくて、 あったかくて……いい匂いのする真綿のような感覚っていうのかな。…あ! “世界”っていうものに、あんまりふさわしい例えじゃない…よね?」
言葉で説明しようとして必死なんだろう。自分の言い回しに自信がないような表情で、俺を見つめてくる。上目遣いにこちらをこっそりと窺うその瞳に、なん となく懐かしさのようなものを感じながら、俺は笑った。
「ばー か。ふさわしかろうが、そうじゃなかろうが、おまえがそう思ったんなら、自信を持ってそう言え。それに、あながち的はずれってわけでもねえさ。俺たちが持 つ、“感覚”は普通の感覚とは少し違う。普通の言葉で説明しきれるものでもない。目や耳に届くものよりも……そうだな、匂いとか手触りとか…そういう、 “気配”のような感覚だからな」
「そっか……うん。そうだね。……ねぇ? さっきノームが言ってた、“柔らかき垣根を持つ者”って、ラスの名前の意味?」
適温になったらしいホットミルクを啜りながら、ファントーが尋ねてくる。
「ああ、もとはエルフ語だ。正しくはラストールド。………ただし、そう呼ぶんじゃねえぞ」
「えー? なんでさ。かっこいい名前じゃん!」
「長くてうぜぇから。おまえのは…昨夜も言ってたな。“常世と彼岸の間にできた裂け目を塞いで繋ぐ者”とか言ってたっけ?」
「そう! じっちゃんがつけてくれた名前なんだ。オレの大切な名前だよ。意味はまだよくわからないんだけど…でも、常世ってのは物質界のことだろ? 彼 岸ってのが、精霊界のことなら、2つの界を繋ぐ存在に…って、そういう意味なら嬉しいな、と思って」
そう言って、少しだけ照れくさそうにファントーが笑う。ようやく口をつけられる温度になった紅茶を、それでも口元で冷ましながら、ふと聞いてみた。
「なぁ? おまえ、精霊は昔から感じてたのか? 昔ってのは…えーと、今よりもっとガキの頃から?」
「なんだよ! 今もガキだけどって、あからさまに言ってるじゃんっ!」
むっとしたようにファントーが言い返す。そこにこだわるところが、ガキなんだろうと言うのはやめた。
「大人じゃないことは確かだろ。で?」
「ガキじゃないってば! ちゃんとオレ、仕事してるもん! ………で? あ、精霊のこと? えーと…うん、じっちゃんの影響もあるんだろうけど、小さい時 から感じてはいたよ。それをじっちゃんに話したら、精霊のことを教えてくれたんだ」
なるほどね。だいたいの精霊使いはそんな感じか。
実際、羨ましいと思ったこともある。俺は、そうじゃなかった。いや、もちろん、存在そのものを意識のどこかでとらえてはいた。それでも、それが精霊とし て自分の感覚の中で形を成すまでに3年はかかってる。
気づいたら傍にいる存在だったとか、子供の頃から精霊を感じていたとか。そういう話を聞く度に羨ましいと思った。それこそが、おそらくは正しい精霊使いの 在り方なんだろうと思うから。……いや、在り方ってのは違うか。今、在ることじゃなくて、始まりだけの問題なんだから。
このガキも同じだ。何も わからずに、まず精霊をとらえてた。そして、おそらくは爺さんにそのことを尋ねた。緑のなかに感じる微笑みは何だ、と。今まで、精霊の姿をはっきり見たこ とがないと言ってはいたけど、それは…どうだろう。多分、こいつは見ていた。何よりも、肌で感じ取っていた。爺さんの影響があったとは言え、感じ取ってい たからこそ、精霊使いになろうと思った。
「なに? どうしたの?」
「……いや? ちょっと羨ましいなと思ってね」
笑いながら言ったその言葉を、ファントーは信じてないようだった。
「なんだよ! そんなわけないじゃん! オレよりずっと上手なラスがオレのこと羨ましいなんてさ。………ねぇ、ラスって幾つ? どのくらい修行したら、ラ スみたいになれる?」
羨ましい云々には答えず、後半の問いにだけ答えることにした。
「えーと…こないだ22才になった」
今日は、隣で『馬鹿』と突っ込む相棒がいないのをいいことに、そう言ってみる。
「22才かぁ。オレが14…もうすぐ15だから、あと7年。そうすればラスみたいになれるかな」
「さてね。何年かかるかなんて、人それぞれだ。そういうことは、俺に聞くより精霊たちに聞け。ただし、奴らは時の流れに無頓着だから、答えてはくれないだ ろうけどな」
「そっかぁ…」
これから先の時間に思いを馳せているのか、それとも死んだ爺さんでも思いだしてるのか。ファントーがおとなしくなる。ややしばらくして、飲み干したホッ トミルクのマグをカウンターに置いて、小さな声で呟く。
「えと………その…今日は、オレ……」
「なんだ、聞こえねえぞ」
「いや……うん、だから…その……」
「…………さっき言っただろ。もう忘れたか。俺は気が短い」
「わーっ! 待って! えと、だから……今日は………」
「…………。さーてと、夕方からちょっと用事があったんだった」
立ち上がりかけた俺の服の裾を掴んで、ファントーが慌てて口を開く。
「待ってってばっ! 今日は……どうもありがとっ!!」
言い終えた直後に、照れくさそうに下を向く。素直にならざるを得ない自分が悔しいような、もどかしいような、そんな顔で。
「……精霊たちほどじゃねえが、長い付き合いになるんだ。いちいち、そんなに力使ってたら、身が保たねえぞ」
掴んでいた服の裾を離して、ファントーが小さくうなずいた。
立ち上がって、ファントーの頭をぽんぽんと軽く叩く。
「用事があるのは本当だ。悪いが、もう出かける。…………おまえを見てると、30年前の自分を思い出すよ」
「うん、行ってらっしゃ………って、30年前…? さっき…22才だって…」
首を傾げるファントーを残して、店員に出かける旨を伝えて歩き出す。
「嘘つきっ! 意地悪エルフっ! 騙したなぁっっ!」
俺はエルフじゃないと…何度言えばわかるんだ、あのクソガキは。まぁいい。その件に関しては次回に持ち越すとしよう。手近な店員を捕まえて、俺の年を聞 き出そうとしてるらしいファントーの声を背後に聞きつつ、俺は宿を出た。
夕暮れ近い通りを歩きながら、ふと思い出す。
『シルフの運ぶ風から、精霊界の空気を少しでも嗅ぎ取る…精霊使いはそれを忘れてはいけない』
そう言ったのは俺を指導していたエルフだ。
通りの両側に植えられた何本かの木が、秋の色に染まった葉を落としている。氷乙女の吐息が吹く風に混じり始めている。タラントはもうとっくに、白く染まっ てるだろうか。タラントの街なかはともかく…エルフの森は、白い雪に包まれているかもしれない。少なくとも、秋の恵みに感謝する儀式はもう終わってるはず だ。
『物質界に在ってなお、精霊界との交信を果たすためには、より精霊界に近い存在でなくてはならぬ』
あのエルフは、長い銀髪を揺らして、もったいぶった口調でそう言った。そしてそう言った直後に口元をゆがめた。
『……ただし、それはエルフであってこそ可能なこと。おまえに混ざる卑しい血がそれを阻むやもしれんな』
いつもそうだった。エルフとしての心得だの論理だのを押しつけて、それ以外のものを何ひとつ教えないくせに、最後には、エルフなら、と付け加える。じゃ あ、エルフじゃないならどうすりゃいいんだと、その問いに答えてもらった記憶はない。俺もいつしか、それを問うことはやめていた。エルフに、エルフ以外の 価値観を尋ねても無意味だからだ。奴らはその答えを持ってはいない。
精霊界に近い存在で在りたいと……そう思ったことはないと言えば嘘になるだろう。それが正しい道だとずっと教えられてきたんだから、そう願うことは自然 だ。
ただ、今の自分は精霊界に近い存在ではないと思う。そして、そんな自分でも精霊たちは認めてくれる。それなら、無理に精霊界に近づくことはない。
精霊界……エルフは物質界での生を終えれば、その魂は精霊界に還るという。それがファントーの言う、“彼岸”なんだろう。本当かどうかなんて知らねえ。今 までに、エルフだった頃に知り合いだったという精霊に会ったことなんかないから。死して後、自分が還るべき場所……それなら、生きているうちからも近く在 るのは当然なんだろう。それでも、死んだあとに行く場所を教えられた時も、最後には決まり文句がくっついてきた。……ただし、エルフであるならば、と。
じゃあ俺は? 死んだ後に行く場所なんか知らない。そんなことは死んでみなきゃわかんねえんだから。ただ、その選択肢のひとつに精霊界があるなら、それ はそれで悪くないような気もしてくる。
─── こうして、街なかとは言え、風に吹かれていると、余計にそう思う。悪戯っぽく笑いながら、シルフとドライアードが手を組んで、俺の上に黄色くなった葉を降 らせてたりなんかすると…な。
精霊界に近かろうが遠かろうが、風は吹くし水は流れる。それなら……構いやしねえ、なんて。
そう思いかけて、気がついた。……なるほど、確かに俺はリヴァースの言う通りなのかもしれない。
俺が考えることは、自分の持ってる力や、自分に関わってくる精霊たちに関してだ。今までにあったことへの説明を、あとから自分で理由付けしているに過ぎな い。理論を組み立てて、その理論によって精霊に近づこうとする奴らとは違う。結局は、俺もファントーと同じなのかもしれない。理屈よりもまず感覚が先にた つ。理屈はあとからついてくる。ただ自分の納得のためだけに。
ああ……そうだ。去年もそうだった。俺が気づいてすらいなかったことを、精霊のほうから話しかけてきた。自分を呼べとヴァルキリーのほうから告げにき た。
<世話かけて悪いな>
思わず、苦笑とともに精霊語でそう呟く。精霊たちは何も言わずに…ただ微笑みの気配だけを返した。
精霊界に近づこうとは思わない。自分は…ただの緩衝材だ。親父が俺につけた名前、ラストールドの意味は、“柔らかき垣根を持つ者”だと言う。何かと何かを 区切る枠だの垣根だのは、消えはしないし、消えても困るものだろう。ならば、それは必要な時には乗り越えることが容易なように、できるだけ低くて柔らかい ほうがいい。エルフと人間を区切る枠、そして物質界と精霊界を区切る垣根。
……一瞬だけ目を閉じて、別の感覚を持って目を開く。重なり合う世界がそこに見える。物質界と精霊界。降り積もる落ち葉の上でくるりと舞うシルフ。それ を優しげに見ているドライアード。
皮膚の内側に、自分の一部になって馴染んでいる感覚。五感とは別のこの感覚は、精霊使いだけが持ち得る感覚だ。全ての感覚に似ていて、全ての感覚とは違う もの。目を閉じても耳を塞いでもこの世界だけは消えない。俺たちの…精霊使いの感覚にだけは、精霊界と物質界を区切る垣根は存在しない。そのことを、心の 底から誇りに思う。
エルフの言葉で学んだ精霊魔法を、俺は今、人間の言葉で人間に教えようとしてる。若い精霊使いに助言めいたものをするのは初めてじゃないが、ファントー の感覚は自分にとっては新鮮だった。
精霊から妖精に授けられた魔法は、妖精から半妖精に伝わって、そして人間に伝わる。願わくば、その境に存在する垣根が、より低く柔らかいものであるよう に。
─── シルフが、微笑んだ。
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