ドーガの旅立ち (過去話)
( 2001/12/07)
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作者
穴蛇
登場キャラクター
ドーガ、某有名剣士
若者は深い森の中を疾走して いた。
真っ直ぐに立てば見上げるような長身に、バランス良くついた筋肉が、その内にある力を十二分に発揮して、巨体に合わない速度で、ぐんぐんと地を蹴ってい く。
若者ははやる気持ちを押さえきれないでいた、心の内からくる衝動がそのまま身体に伝わった様な躍動感だった。
右手に大人の身長程もある長弓と矢筒を背負い、木々の間を獣の様に走り抜ける。
ハァハァと荒い息を立てながらも、速度は衰える様子は無い。
木々を抜けると次第に開けた場所に出た、周りに人影は無く、頭上にそびえ立つ針葉樹の隙間から陽光が差しこんでいる。
「ハァ、ハァ…いない!、…何処だ!」
呼吸を整えながら注意深く当たりを探っていると、馬のいななきが耳に入った。
途端に弾かれた様にその聞こえた方向へ走り出す。
生い茂る丈の高い草を分けて走り出た時、視界に一匹の馬と、背をこちらに向けた男が見えた。
距離はおよそ70歩、ひらけた場所で遮る物は何も無い。
若者は素早い動作で矢筒から数本の矢を引きぬくと無造作に一本を番える。
見るからに強靭そうな長弓が一気にたわわんだ。
射つ。
その瞬間、背を向けていた男が振り返りもせず、咄嗟に身を伏せた。
まるで何かが爆発したかの様な弦鳴りと共に、飛来した矢が馬を繋いでいた木の幹に突き立った。
幹の表面が弾け、巻いてあった手綱を矢は切断していた。
突然の事に繋がれていた馬が暴れだし、狂った様に何処かへ駆け出す。
若者は既に新しい矢を番えていた、その矢は今度は背を向ける男の方に向けられた。
「まずは馬を逃がした、…もう、逃げられないぜ、あんたが走り出したら、遠慮無く撃ち抜かせてもらう、…背中をな」
若者の弓の腕は木の幹に巻いてある手綱を射貫く程、洗練されたものだ、より広い面積を持つ背中はより容易く射貫ける。
男はゆっくりと立ちあがった。
きわめて軽装だった、鎧らしい物は一切身に着けていない。
ただ、その厚手の衣服の上からでも、その中の引き締まった筋肉が分かる。
その男が有する肉の圧力だ。
その時若者は気が付いた。
男の手に何時の間にか長剣が握られている事に。
なぜ?、何故に剣を?コイツは狙撃手ではないのか?
若者の心に生じた一筋の迷いは、浮かんで直ぐに消えた。
やはり、コイツは、あの男なんだな…。
「おい、…そいつを捨てろ」
弓は既に引き絞られ、不動の態勢で男を捕らえている。
「………捨てろよ」
その時、男が広い背中越しに若者を見た。
剣は握ったままだ。
濡れた黒い長髪、鏨で鉄の塊を削いだような、強い意思を漂わせる整った風貌。
そして、男の両眼が、強い光を漂わせて、若者を見ていた。
「……………夢かよ」
薄ぐらい寝室、ドーガは呟いた、まだ夜は明けていない。
すぐ顔の近くで恋人のカローナの寝息が感じられる。
彼女の柔らかな重さが心地よかったが、心臓の鼓動が彼女を起しはしないかと心配だった。
暫くは鼓動は収まらなかった。
彼女を起こさない様に左腕をそっと毛布から抜く。
窓から射し込む月光に照らされた左腕にうっすらと跡が見えた、それは肘のすぐ下をぐるりと円を描いていた。
「8年か…、もう、消えないな、恐らく」
あの時…、8年前の…、あのレイドの戦いで全ては変わった、…しかし、だからこそ、今の俺がいる。
暗い宙に拳を握り締める。
「…どうしたの?」
「悪い、…起こしたな」
カローナの視線が腕へと移る。
「これは…傷?、深いわね、…でも、それにしては肉が盛り上がってないわ」
カローナは指を腕に残る線に沿わせながら、気だるそうに身をドーガに預ける。
女性にしてはかなりの長身だが、ドーガとなら釣り合いがとれる。
右手でカリーナの肩を抱き寄せると、己が左手を見つめたままドーガは呟き始めた
「あれは…、俺が18の時だった…」
15で冒険者の道を歩みはじめて、3年、そろそろ、腕に覚えがついた頃だった。
そんな時、レイドがロマールに戦争を仕掛け、ロマールは辺りの傭兵を手当たり次第かき集めていた。
俺もその中にいた。
歳は18の若造だったが、弓に関しては、ずば抜けた才能を持っていた。
これだけは言える事だが、どんなに稽古を積んでも人には生まれもった天賦の才という奴がある。
特に剣や槍と違って、弓だけは経験よりも才能の有無が技量を決めると言っても過言じゃないんだ、…もちろん、全てはそれを磨く事を前提としてだがな。
当時の俺にはそれがあった。
大の大人が引いても、びくともしない剛弓を引ける筋力、そして飛ぶ鳥をも捉える動態視力、そして躊躇わずに撃つことが出切る集中力、…俺は弓を弾くため に生まれてきたと半ば本気で思ってたくらいだ。
そして出た戦場では多くの騎士を葬ったよ。
いつしか、俺はロマールの最精鋭の傭兵部隊に入っていたが、そこでも俺の戦果は飛び抜けていた。
俺は敵の部隊の指揮官を主に狙っていて、それに呼応して、こちらの騎士隊や傭兵隊が殺到するという寸法さ。
指揮官がいなくなった軍ほど脆いもんは無いからな…。
金は唸るほど入ってきたよ、だが、俺は満たされていなかった。
元々、金に対しての執着はあまり無かった、その代わり、誰にも負けない名声が欲しかったんだ。
闇雲に殺しまくった、敵指揮官を撃ち、それに次ぐ指揮官を撃ち、少しでも腕の立ちそうな奴を相手の手が出ない遠間で射殺す事が俺の戦い方だった。
そうやって殺せば殺すほど、…自軍での俺の立場は悪くなっていった。
戦果は目を見張るものがあったが、それを心良く思わないロマール騎士連中が多くいたからだ。
所詮、戦場の主役は騎士なんだよ。
その騎士達にしてみれば、身体を張って突入したら、一番の手柄はいつも、かっさらわれてるんだからな、不満もあるだろう。
また、騎士道では飛び道具は卑怯な行為に当たる、たちまち俺は悪者さ。
俺の実力を認めてくれてたのはローランドっていう指揮官だけだったよ。
いつの頃からか、傭兵には金貨を、騎士達の方に名声をという図式が出来はじめた。
俺が射った敵指揮官はロマール騎士が討ち取った事になったんだ、矢は致命傷ではなかったと言ってな。
だがそれでも名の有る騎士が活躍すれば此方の士気は上がる。
軍全体を考えれば正しい事なんだろうがね。
俺には指揮官を討つ度に多額の金貨、他の傭兵たちならそれでも良かったと思うかも知れ無いが、当時の俺は若かったよ。
そんな時だ、レイド軍に一人の傭兵が雇われたと言う噂が流れ始めた。
その男の名はルーファス、まだ若い傭兵らしいが恐ろしい剣の腕前だと言う評判が立った。
俺はいつしか、顔を見た事も無いその男が妬ましくなった。
同じ傭兵という身分にもかかわらず、片や、その名はレイド、ロマール両軍に知られわたっていると言うのに、俺は自らの功を喧伝する事すら出来ない。
悔しかったね、あの頃は、戦果は誰にも負けないという自身過剰な若造さ。
俺は戦場で伝え聞くルーファスの面相を探そうとしたが、出会う事は無く、戦いはロマールは勝ち続け、レイドは負け続けた、そして、俺の懐には金貨が積み 重なっていった。
そして、事件が起きた。
ロマールの指揮官ローランドが城塞の展望台で射殺された。
その現場近くを仲間と哨戒中だった俺は対岸の岸壁から立ちあがった男を見た。
無造作に伸ばした長髪、逞しい長身、狙撃者は側らに、たった今使用したクロスボウを投げ捨てた。
ルーファスなのか!?
何故かそう思った、抜群の視力を持つ俺の目でも遠すぎる距離であった、だが根拠の無い確信が心中を駆け巡った。
そう思った時、ルーファスは追っ手を尻目に、躊躇無く、岸壁から湖へ身を躍らせていた。
咄嗟に俺の隣にいた精霊使いの男が「水面歩行」の呪文をかけた。
俺はルーファスに向かって弾かれた様に走り出した、他の兵士は湖を大きく迂回している、追いつく事は不可能だ。
仲間の精霊使いも走ってきたが、装備の差か、魔法を使った疲労感のせいか、だいぶ出遅れ、また差が開いていく。
一瞬、仲間の事を考えたが、敵は恐るべき速さで湖を渡り、森へと駆けていく。
仲間を待ていては逃げられる、…俺は一人で森へと入って行った。
「おい、…やる気か?」
男は剣を手放す様子は無い。
ドーガの心に小さな焦りが生まれていた。
背中を撃つとは言ったが、ドーガにそのつもりは無かった、…抵抗する様だったら、脚か肩を撃ちぬく、そして、おっとり刀で駆け付けて来る兵士達を待てば いい。
それでも動ける様なら、3本、4本と脚に矢を撃てば良い、実際に、両足に合わせて5本もの矢を撃ち込んで敵の密偵を捕らえた事もある。
まして相手は自軍の指揮官を殺した敵、生かして捕らえるのが本来の目算であった。
男は肩から鋭い視線を投げかけながら、ドーガに対して背を向けている。
一挙一動なにか起そうものなら躊躇無く、撃つ。
……正し、脚、もしくは肩をな。
しかし、そう心で反芻する度に不安は色濃く、広がっていくように思えた。
なんだ…、この感覚は…、俺は今圧倒的に優位な立場だろう?
背を向けた相手に矢を向ける、この態勢で他に何を望む?
ドーガが感じている不安、…それは男から発せられる威圧感を、ドーガの戦闘本能とも言うべき感覚が鋭敏に感じ取っていたのかもしれない。
もし、この男が、この矢を避けたならばどうなるか?
集中すれば熟練の戦士は、こちらの撃つ呼吸次第で矢を避ける事が出きる。
実際にドーガは三年もの間、そういった矢を避ける様な戦士と共に冒険をしていた。
自分に矢を撃たせ、指と弦が離れる瞬間を見逃さず、身を転じて矢をかわすのだ。
目の前の男は背を向けている、避けられるわけが無い。
しかし、男の目はこちらの呼吸をつかもうと探りを入れているように思える。
先ほど、馬の手綱を撃った時、この男は背中に目があるかの様に、咄嗟に身を伏せたのを思い出された。
ドーガは思う、この矢をかわしたとして、男と自分の距離はかなり開いている、奴がどんなに俊足でも、二射目の動作に入る余裕は十分にあるし、自分の技量 を持ってすれば三射目の動作にはいる自信もある、…だが、しかし。
ドーガは胸中にある蜘蛛の糸ほどの、わずかな不安だけが弦から指を離すことを躊躇わせていた。
…避けられかもしれない。
心の水面に、すっと浮かんできたあるまじき思念、その時、男がこちらの心の内を読んだかの様な絶妙なタイミングで振りかえった。
速くも無く、遅くも無い自然体の動きだった。
「……っう。」
射れない、完全に意識の裏を欠かれた。
例え撃っても射手の意識が散漫になっている時、矢は当たらない。
今度は対峙して男を見る事になる。
正面に向かうと改めて相手の力量が伝わってくる。
言葉で言い表す事の出来ない威圧感が重苦しく、ドーガを圧してくる。
「ルーファスってんだろ、アンタの名は…」
「…………。」、男は答えない。
相手にしてみれば、今が死と生の境界線だ、俺に討たれても、ましてや、剣を捨てて降伏しても、待っているのは死だ。
射るしかない、このような状況になったら、この男は殺すしかない。
さもないとこっちが殺される。
最初から生かして捕らえられる様な男ではなかった。
それに気が付いた、そして気付いた時、ドーガの心中から不安が消えた。
殺すという単純な方向性を与えられた時、戦士としての本能が胸中の蜘蛛の糸を、ぷつりと断ち切った。
そして行動は常に迅速だった。
ビィン、再度、鳴り響く弦の音。
突然、男が稲妻の様に横に動いた。
それまで立っていた場所を唸りを上げて、矢が通り過ぎて行く。
やはり避けた!、…だが、もう一射をどう避ける!。
こちらも神速の速さで次の矢を番える。
男が来る、片手にだらりと剣を提げ自然体、しかし黒い風の様にこちらに向かって疾走してくる。
こい!、あと5歩走れば、横に飛ぼうが、身をしゃがませようが絶対にはずさん。
4歩、3歩、2歩…、今!。
まさにその時、ドーガが必殺のタイミングで指を弦から放そうとした、その瞬間、…何かが激しくドーガの顔面を打った。
謎の痛みと衝撃、思わず仰け反る顔、一切理解できない。
何が起こったんだ!?
仰け反りながらも必死に目を開いた時、ドーガの目が何かを捉えた。
宙を飛ぶ石、何処にでも落ちている石。
ドーガは理解した。
しまった!、あいつは石を投げたのか!!
まだ、顔に当たって宙を飛んでいる石を見て、まずドーガは自分に何が起こったのか理解した。
…しかし、何時握ったんだ、そんな素振りは…。
頭に浮かんだ疑問はすぐに思い当たった。
………そうか、あの時だ。
馬の手綱を射った時…、あいつが最初に伏せた時に握ってたんだ。
俺は剣にばかりに注意が向いて、奴が石を拾った事に気が付かなかったのか。
これを奴は狙っていたんだ。
奴が矢を避ける最後の手に、…俺はハまったんだ。
実際に時間にすれば一秒にも満たない時間が、ゆっくりと流れる様にドーガには感じられた。
必殺のタイミングを逃さぬ様に極限まで高めた集中力がそうさせていた。
何もかもが止まった世界、全ての音が交じり合い耳鳴りが聞こえる。
ドーガの鋭敏な意識の中で、さっき当たった石がようやく地面に落ちた。
身体が重い、沼にはまったかのような感覚だった。
現実感がまるで無い、意識と感覚だけが完全に身体の動きを超越していた。
…危険だ。
あの男は…何処だ。
奴は…、
奴はいま何処に・・・。
「ルーファスだ」
すぐ目の前で低い男の声がした。
その声と同時に一気にパニックが回復し、感覚が通常に戻る。
仰け反った顔を戻すと男は目の前にいた。
剣を片手にさげ、自然体で立っている。
どうして、俺を斬らないんだ…、
実際の時間にしてどれほどほどの時間だろうか、…完全にやられていたタイミングだ。
なぜ俺を…。
「…俺の名はルーファスだ」
男はもう一度いった。
ああ、そういう訳か、
これがこの男の矜持なんだ。
俺が後ろから狙わなかったから、問答無用で切り捨てる事はしないという訳か。
奴が剣を振れば俺は死ぬ。
だが、俺も矢はまだ番えたままだ、…引きは8分、距離が近い。
剣は斬るという一動作、俺は弓を起こし、相手に向けて、放つという三動作、同時に動けば奴が断然に有利。
様々な条件が脳裏をよぎる。
だが、やらねば元も子もない、この状態が何時まで続くか分からない、ルーファスにしてみれば一刻も早くこの場を立ち去らねばならない身である。
いや、いっそ逃げるか?…しかしそれは相手次第だ、こちらの動きに相手が反応して斬られるかも知れない。
………覚悟を決めた。
死ぬかもしれないな、…いや、俺は生きてやる。
この男を射る、射てみせる。
…ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!
低い唸り声が自然にのどの奥から漏れていた。
行くぞ!
「ルーファス!!!!」
俺は奴の名を吼えた。
ルーファスの眼光が炎を噴上げた様に、らん、と輝いて見えた。
紫電が駆け抜ける様に跳ね上がってくる剣。
それが一閃した時、俺の命は奪われるだろう。
くぅ!!
だめだ、やはり奴の剣の方が速い!
自分の不利を悟り、迫り来る剣を避ける事に気持ちが切り替わる。
しかし、ドーガには接近戦の技術があるわけではなかった、あくまで彼は射手であり、咄嗟に脚が出るわけではない、体が硬直し、不様に首から上だけが後ろ に仰け反るのが精一杯の行動だった。
ドーガは強張った表情で、迫り来る死を告げる白刃を両眼に捕らえていた。
死に際の集中力、…またも意識と感覚がその切っ先に注がれて、ドーガの時間がゆっくりと流れる様に過ぎて行く。
脚よ、動け!、後ろに飛ぶんだ!。
身体が硬い…、筋が張っていて、ええい!力が抜けない!
だめだ、…こんなに俺の身体が遅くては、…とても避けきれない。
死…。
その時、突然、何か衝撃が身体にぶつかってきた。
ずっしりと重い肉の質量。
脚に踏ん張りが戻った、身体が無意識でも反応し、渾身の力で地を蹴る。
後ろに飛びながら様々な物が視界に入ってくる。
ドーガの放った矢はあらぬ方向へと飛んだ、
ルーファスの剣は一閃して、何かを斬り飛ばした。
ルーファスの驚いた表情。
そして何かが宙を飛んでいるのを見た。
腕だ、筋肉質な太い腕、ドーガには見慣れた腕だった。
…何でだ?
…なんで俺の腕があんな所にあるんだ?
ドーガは雑草が生い茂る斜面を転がっていた、…途端に現実に引き戻される。
斜面を転がって、そして川へと落ちた。
背中に衝撃が来る、ドーガは水面に倒れていた、水中歩行の効果がまだ働いているのだ。
「しっかりしろ!、おい、ドーガ!、こっちを見ろ!」
丸顔で髭を生やした中年がしきりに名前を呼びながら、頬を叩いている。
どうやら、俺は斬られる瞬間、仲間の精霊使いに助けられたらしい。
ルーファスと対峙して集中していた為、仲間の存在に気が付かなかった。
彼の体当たりが無かったら、腕だけでは済まなかったに違いない。
「奴は…?」
「それ所じゃねぇ、じっとしてろ!」
仲間が手馴れた仕草で腕に布を巻きつけて行く。
そこから、おびただしい量の血が噴き出している。
「…奴は、逃げたみたいだ、…馬の諦がする、…ちっ、帰ってきたのか、主人思いの馬だ………」
次第に視界が暗くなった、仲間が大声で叫んでいる様だったが、あまり聞こえない。
ドーガの意識は暗い淵へと沈み込んでいった。
「…で、気が付いたらロマールへと退却する馬車の寝台にいたわけさ」
カローナはじっとドーガを見つめたままだ。
いつの間にか、外はうっすらと明るくなっていた。
ドーガはベッドから身を起し、床に散らばった衣類を身につけ始める。
「腕はどうしたの?」
「…知り合いのコネで、チャ・ザの奇跡を依頼して治してもらった」
遅れてカローナも立ち上がり、クローゼットから服を取り出す。
「腕は元に戻ったが…、代わりに失った物もある」
「なにを?」
ドーガはベッドに腰を下ろすと使い古されたブーツを履く。
「まずは金、戦場でかせいだ分を全部な」
「そんなに」
「あと弓の腕だ、俺は勘を失っていた…。」
「儀式は成功し、腕は再生したよ、…だが、いつの間にか、俺の弓の勘は狂いまくっていた」
けげんな表情のカローナに、ドーガは微笑んでいった。
「弓は才能で弾くんだよ、そして俺はそいつを失った。」
矢を射る事を生業として生きてきたドーガにとって、それは射手としての死刑宣告であり、人生の転機を強要する事となった。
「暫くして槍に鞍替えした、最初は慣れないんで苦労したがな、…でも、ルーファスの事を恨む気持ちは無かったな」
「何故よ?」
「何故って…、そうだな、…弓が引けなくなって暫くは自暴自棄になっていた時も確かにあったよ、だがね、そうして荒れた生活をしている時、俺は再び、… あの男を見たんだ…。」
レイドの捕虜が列をなしてロマールの群集の前を歩いている。
人の群れから物が飛び交い、捕虜の上に降り注ぐ。
中には握り拳大の投石を浴び、地に伏せる捕虜もいる、途端にロマール兵が槍の石突で突き、無理やり立たせる。
そんな光景があちこちで見られていた。
レイドとの戦争にロマールは勝った。
そして、ここを列して歩くのは、戦場で生き残ったレイドの兵であり、これから絶望的な戦いを観衆の娯楽の為に繰り広げなければならない剣奴隷達である。
戦場で彼らの命が助かったのは、チャ・ザの気まぐれだったのかもしれない。
いっそ死んでいた方が幸運だったと思うほど過酷な人生が待ちうけているに違いないのだから。
群集から少し離れた壁にドーガがいた。
手には酒瓶を握り、目にはどんよりとした影が掛かっている様に見える。
ドーガの腕は神の奇跡により、復活した。
しかし、その腕には以前の神業的な弓の才は宿っていなかった。
失った勘を取り戻す為、幾日も弓を弾きつづけたが、感覚は戻らない。
その内、酒に手を出し、弓を弾く事もしなくなった。
たった一つの才覚を失って、ドーガは人生の敗北者同様の男に成り下がった。
毎日を酒と暴力で浪費する。
その日はたまたま大通りを通りがかかって、ぼんやりと列に目を向けているだけに過ぎない。
「こいつらも俺と同じだな…、負けて生を拾っても、その時既に人生は終わっちまってる。」
民衆のざわめきの中、ぼそりと誰にも聞こえない声で呟くと、口に酒瓶を運ぶ。
安酒が喉を焦がす、不味いが飲まずにはいられない。
ドーガの視線がまた列をゆく男たちを漂う。
びくりと酒瓶を持つ手が止まる。
霞がかった眼が次第に見開かれ、列をゆく一人の男を捉える。
手から酒瓶が滑り落ちた。
「ば、馬鹿な、なんでアンタがいるんだ…」
ふらふらと酔いどれの足運びでドーガが歩き出す。
以前なら容易に押しのけられた人壁が酒に溺れた身体ではなかなか前に進めない。
見知った男が人垣の向こうを列の中を歩いていた。
「間違いない…、あいつだ…。」
はっきりと確認するとドーガは激怒した。
不満、怒り、悲しみ、妬み、失意…、そういった感情が身体中を駆け巡って、男に殴りかかりたくなった。
弓を…、俺から弓を…奪っておいて、貴様が其処でなにをしている!
ドーガは群集を押しのけ、前に出ようとするが、なかなか思うように前には進めない。
だんだんと男とドーガの距離が離れて行く。
待て!、おい行くな、…邪魔だ!、どけぇ、こいつら!
ドーガの叫びは雑踏の中の一人でしかなく、辺りの喧騒にまぎれて聞こえない。
男は気付かず離れて行く。
どうにも前に進めないドーガはあらん限りの声を振り絞った。
何日振りだろうか、こんな声で叫ぶのは。
いや、戦場にいた頃にも、冒険者の頃にも無かったかも知れない。
腹の底から搾り出した声だった。
列をゆく、ただ一人の男に届けと一心。
全身の力を込めて、喉から発せられた言葉は…。
それは列をゆく男の名だった。
ドーガが叫んだその時、辺りの喧騒は一層激しさを増し、ドーガの叫びは無残にも掻き消された。
周りにいる者達だけが何事かと頭一つ高い薄汚れたゴロツキを見上げただけだ。
…駄目か。
あきらめかけた時、列をゆく男がぴたりと歩みを止めた。
一隊の列の歩みが滞る。
そしてフッと肩越しにドーガの方を覗き見たのだ。
奇しくも、最初に対峙した時と同じ様に肩越しの出会い。
一瞬、過去と現実が交差したような感覚にドーガは襲われる、男の眼が初めて会った時と同じ強烈な眼光を放ちドーガを射すくめたからだ。
びくりと身体を震わせて、ドーガは一瞬、身構えそうになった自分に気付いた。
男がまた歩き出し、列はまた歩み始めた。
熱いものが込上げてきた、男の後姿がぼやけて見える。
「………そうか、…あいつは変わっていない、…まだ戦っているんだ」
相手にとってドーガはただの戦場での敵に過ぎなかったかもしれない、そして、 お互いに声を掛け合う間でもない、ただドーガが一方的に名を呼び、男がそ れに振りかえったというだけなのだ。
だがそんな事はドーガにとって重要な事ではないのだった、ただ男が振りかえるだけで、現在のどん底からドーガは救われたのだ。
激しいまでに心臓が高鳴っている。
今までの怠惰な日々を恥じるかの様に、忘れ掛けていた血の猛りが全身を駆け巡り始めた。
眼に滲んだ物を素早く指で拭うと、もう遥かを行く男の背中にそっと呟いた。
「ありがとう……ルーファス。」
一人の巨漢が宿の入り口から姿を現した。
所々板金で補強された硬革鎧を着込み、布を巻いた長槍に背負い袋を適当に括り付けている。
「んじゃ、そろそろ行くぜ、…元気でな」
ドーガはカローナの額に軽く口付けした後で、ふと、柄にもない事をしたなと笑いをこぼす。
「今度はドコまで行く気だい?、また西方にでも行くの?」
髪を掻き揚げながらカローナは視線を合わせない。
いつか一緒になろうというのが二人の約束だった。
まだ、その約束は果たされていない。
「いや、今度はオランへ行こうと思う、一度は行ってみたかった街だしな…」
「へぇ…、今度は遠いじゃないか」
スラリとした長身のカローナは並の男よりも頭一つ分高い、性格も男勝りで冒険者の店を切り盛りする女主人にふさわしいものが有る。
そんな彼女の声も少しかさついて聞こえる。
気丈な女も男が旅立つ時だけは少しだけか弱さを見せる物、カローナの場合、不自然に怒ったり、動作がぎこちなかったりといった形を取る。
「まあ二年もすれば戻ってくるぜ、…その時は」
「はいはい、お決まりの台詞はもう聞き飽きたよ!、ささと行っておいでよ!」
あくまで視線を合わせないで背中を押す様に、出発を促す。
「じゃあ元気でな」
押されて踏み出した1歩を最初にドーガは歩き出した。
ドーガがオランへと到着し、ある木造建築の冒険者の店に立ち寄るのは、その年の7月になってからの事である。
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