ザーンの魔術師 ( 2001/12/08)
MENUHOME
作者
松川彰
登場キャラクター
シタール、ライカ、フェリクス






 黄昏亭。その店は、琥珀通りと呼ば れる通りの片隅にあった。色街とまではいかないが、十分に繁華街と呼べる通りである。酒を供する店が軒を連ね、そこで働く男女と、そしてそれ以上に、そこ を訪れる客たちで賑わう通り。その通りの中心からやや離れた位置にあるのが黄昏亭である。決して寂れた店ではないが、建てられてからそう短くはない月日を 経て、その店はどちらかというと落ち着いた雰囲気を醸し出している。
 店の名前の由来なのか、それとも名前にちなんだか。店内の照明は、柔らかな橙色である。ハザードを染める黄昏の色と評する客もいた。


  そして今、店の奥に据えられた舞台では一人の詩人が演奏をしていた。おおかたの酒場と同じように、黄昏亭でも何人かの吟遊詩人と契約している。彼らがその 技を披露できるようにと設けられた舞台は、あまり大きくはない。いや、小さくもないのだが、今、その上で演奏している詩人の体格と比べるならば、舞台はや や小さく見えてしまう。
 詩人と称するには、やや大柄な体。そしてその体格に見合うように鍛えられた筋肉。癖の強い黒髪は短く整えられていて、少 なからず日焼けしているその肌によく馴染んでいる。飾り気のない東国風のゆったりとした衣装も、その詩人の生気の強さを隠す役には立っていない。どちらか というと、楽器を携えるよりは、戦斧を振り回すほうが似合うのかもしれない。その姿形だけを見るならば。
 だが、一見武骨とも見えるその指先は、きめ細やかな音を紡ぐ。雄々しい叫びを想像させるその声は、柔らかな声に変じて聴く者の耳へと滑り込む。
  シタール、というのがその男の名前であった。楽器と同じ名を持つこの詩人が演奏している楽器は、『シタール』ではない。以前はリュートをよく使用していた が、今はその愛用のリュートは宿に大切に保管されている。その代わりに、彼が奏でているのは、オランではあまり馴染みのない楽器だ。2本の弦、長い首、小 さな胴。弦の上を柔らかに滑る弓。鼓弓という名を持つその楽器は、詩人にして戦士でもあるシタールの生まれ故郷、ムディールの楽器だ。か細い音にも聞こえ るが、不思議と耳に馴染む音でもある。シタールの手元で、柔らかく震え、精霊の息づかいにも似た有機的な音を紡ぎ出す。ややかすれたシタールの声と鼓弓の 音が、絡み合って酒場に響く。それは、詩人の見た目を裏切りもし、また納得もさせる歌だった。荒れ狂う波よりも、むしろ、黄昏の光を受ける凪の海を思い起 こさせる。
 凪の海に、拍手という波を立たせ、シタールは演奏を終えた。座っていた小さな椅子から立ち上がって、几帳面な挨拶をする。


 楽屋に戻ると、彼を待っていたのは恋人であるライカだった。プラチナの髪とルビーの瞳を持つ半妖精の女性である。学院に顔を出してきた帰りなのか、魔術 師の杖を傍らに置いていた。
「おう、ライカ。来てたんなら、酒場のほうで飲んで待ってりゃよかったのに」
「いやよ、ざっと見たら酔っぱらいが多かったんだもの」
 にべもなくそう言って、ライカは、シタールが傍に置いた鼓弓にふと視線を移した。その傍らに置かれた弓をそっと手にとって、そこに張られた弦に白い指を 沿わせる。
「いつ聴いても……不思議な音よね。なんだか懐かしい気持ちになる」
「懐かしいったって…おめえ、中原の出だろう。これはムディールの楽器なんだし」
「馬鹿。違うわよ。だから、不思議って言ったでしょ。昔聴いたことがあるから懐かしいっていうんじゃなくって…なんて言うのかな。これ聴きながら眠った ら、いい夢見そうな感じ」
  やや乱暴な口調とは裏腹に、優しい手つきで弓を卓の上に置く。何にでもおおざっぱ、という形容が似合う恋人が、楽器に関しては別人のように優しい扱いにな るのを知っているからだ。楽器に嫉妬…とまでは思わないが、新しい歌に夢中になって、取り憑かれたように譜面と楽器に向かうシタールに寂しい思いをさせら れたこともある。お茶でも…と話しかけた言葉を無視されたことも1度や2度ではない。それを本人に向かって怒ると、シタールはいつだってその大きな体を出 来る限り小さくして謝るのだ。決して、無視をしようとしてしているわけではない。ただ、夢中になっていて聞こえなかっただけだと。
(…まったく。男って子供みたいなんだから)
 怒りというよりも、呆れに近い感情がわき起こる。それでも、シタールが練習した新しい曲を、一番最初に聴くのはいつだってライカだった。照れくさそう に、それでも堂々と歌い上げるシタールの声を聴くと、返事をしてもらえなかった怒りはどこかへ消えてしまう。
「前に誰か…ああ、ラスか。似たようなこと言ってたな。危うく眠りかけたとか何とか。まぁ、詩人にとっちゃそれも誉め言葉だ」
 シタールの笑い声を、その少し尖った耳にとらえて、ライカが弓から恋人へと視線を戻す。シタールが名前を出した友人の言は、わかる気がする。同じ部屋に 暮らしていて、鼓弓の音とシタールの声と…その2つに導かれるように、眠りの精霊の誘いを受けたのも何度もあるからだ。
 

  こんこん、と、ノックの音がした。ここは楽屋と言っても、さほど大仰な作りではない。ただ、酒場の厨房と、従業員の着替えの部屋との隙間に作られた、ひど く小さな部屋でしかない。たまたま、他の詩人が今は出入りしていないため、シタールとライカが腰掛ける余裕があるというだけの部屋だ。
「はい? どなた?」
 返事をしたのは、シタールではなくライカだった。その声に応えて、古ぼけた扉が開く。
「あ、どうも。お邪魔します」
 挨拶とともに姿を見せたのは、長身の男だった。彫りの深い顔に、癖の強い黒い髪。手には布の包みを抱えている。
「ん? あんた、誰だ? 見たことねえ……よな?」
 楽器を片づけようと、布を手にしたままシタールが問う。現れた男は両手を広げてそれに応えた。
「ええ、初めてお目にかかります。フェリクスといいます。先ほど、酒場であなたの歌を聴いてたんですよ。いやぁ、素晴らしかった。心に染みいる音、という のはこういう音を言うんですね」
 フェリクスの賛辞に、シタールが照れ笑いを見せる。
「おう、ありがとよ。なんか…面と向かって言われると照れるぜ。……あんた、まさかそれを言いにここまで来たのか?」
「ああ、もちろんこれを言うのが主な目的ではあるんですけど。……先ほど、店員の方に伺ったんですが、えーと……シタールさん?でよろしかったですか?」
 フェリクスに名前を確認されて、名乗ってなかったことを思い出す。あらためて、シタールがうなずいた。
「ああ、名乗りが遅れたな。そう、シタールってんだ。んで、こっちは…連れのライカってモンだ」
 現れた客を観察しながら、ライカが小さく頭を下げる。フェリクスはにこやかに、ライカに微笑みかけた。
「おや、恋人ですか。こんな美人とは…うらやましいですねぇ。……あ。それで、店員の方に伺ったんですが、シタールさんはオランには長いと」
「あ〜…っと、そうだな。生まれ故郷は別だが、オランも短くはねえ。そこそこの事情は知ってるぜ? 聞きたいことでもあんのかい?」
「ええ……とある詩人を探してるんですよ。女性の詩人なんですが…こう……髪が長くて……あ、いえ、それよりもこれを見ていただければ早いのかな?」
 持っていた包みを開きながら、フェリクスが説明する。その詩人が書き留めていたものだと言って、数枚の羊皮紙をシタールに見せた。シタールが受け取った それを隣からライカが覗きこむ。
「へぇ……こりゃぁまた……」
  シタールの目が真剣さを帯びた。羊皮紙には、歌詞の他にリュートを演奏するための楽譜も添えられていた。譜を辿ることで演奏することは出来そうだ。鼓弓用 の譜というものが、オランでは殆ど見かけないため、そして、もとはシタール自身もリュートを演奏していたため、リュート用の譜で鼓弓を演奏することには慣 れている。
 知らない曲、そして示された譜面。吟遊詩人を名乗る者として、食指が動く。歌詞を読めば分かることだが、これは男の歌う曲ではないことには気づいてい る。典型的な女歌だ。それでも、譜面を辿る視線は止まらない。
「…………変わった詩ね」
 ライカがぽつりと呟いた。これでも彼女にとっては控えめな表現だ。初対面の人間が傍にいるせいで遠慮しているのかもしれない。シタールと2人きりであっ たならば、すっぱりと言い切っているだろう。『暗くてイヤだわ』と。
 ライカの心持ちを、何となく感じながらも、魅惑に屈してシタールはフェリクスに問いかけた。
「ちょいと……演奏してみていいかな。……あ、いや……曲を聴けば、その詩人のことも思い出すかもしんねえし」
「ええ、かまいませんよ。と言うよりも、シタールさんが演奏してくださるんでしたら、是非とも聴きたいですねぇ」
 両手を広げ、フェリクスは大きくうなずいた。その彫りの深い顔立ちに満面の笑みを湛えて、シタールが鼓弓を手に取るのを見ている。
 これ、演奏する気?と、視線で雄弁に語るライカに苦笑を返しつつ、シタールは譜面をもう一度確認する。さほど難しい曲ではない。それに…いっそ、初見で 弾くくらいのほうが面白い味が出そうだった。幾つかの音を、弓を滑らせて確認すると、シタールは軽く咳払いをした。
 息を吸い込み、2人の観客の前で歌い始める。









  


(C) 2004 グ ループSNE. All Rights Reserved.
(C) 2004 きままに亭運営委員会. All Rights Reserved.