睡蓮の刻む時( 2001/12/08)
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作者
かけい
登場キャラクター
アイリーン




せめて、この場所を忘れな い。
詩人として歌う事はできなくても、語り継ぐ事はできる筈。



花のつぼみが開き、ゆっくりと赤と白の色が広がる。
森の中にある小さな湖の上。水面に散らすように華が浮かぶ。

四半時ほど、その花は咲くと再び水中へと沈む。
そして湖には再び静寂が訪れた。


全ての花が水中へと戻ったのを確認し、少女は小さくため息をついた。腰までの長い黒髪を後ろで結んだ、青灰の目を持つ少女だ。一見大人しそうな風貌だが、 その瞳に宿る光のせいか、儚い印象は受けない。
彼女――アイリーンは、最近はオランを中心に活動する冒険者である。
ここはオランからは3,4時間離れた森の中だ。しかしこの辺りは薬草や動物も少なく、人は滅多に立ち寄らない。
水場であるのに動物を見ないというのは、不思議な話ではある。野伏と呼ばれる人々でなくとも、彼女にもその位の知識はある。
――何か、精霊力がおかしいのを…動物さんたちも感じるのかも、ですね…。
声には出さずに呟き、アイリーンは辺りを見回した。
木立に囲まれた小さな湖、葉の影が水面に映り、陽光がきらめいている。
綺麗な湖だ。けれど、綺麗すぎて何かが違う。

此処を見つけたのは本当に偶然だった。
森の中へ薬草を取りに行った途中で、ふと迷い込んだ場所。
その時は花は咲いていなかったけれど、何かが違うと思った。
精霊はいる、けれど彼女達は此処ではないいつかを見ていた。
話しかけても、言葉が届かない。向こうの声も聞こえない。見ているのに触れられない、ガラスの中の景色に似て。

「墓…みたいだね。『最愛の人へ捧ぐ』そう添えてあるよ」
文字を写した洋皮紙を見て、とある魔術師は言った。
――墓、ですか…。
精霊の力をこれだけの時を経ても、支配できる力を持った魔術師。
そんな彼でも死者を甦らせる事は叶わなかったらしい。
これだけの長い時間、友達…精霊の時を塞ぎ縛りつける事が正しいとは思わない。それでも。

その古代文字が刻まれていた石の横に座り、アイリーンはそれにそっと触れた。
ひんやりとした感触、今の時期には冷たくて気持ちがいいけれど、下に眠る者にとっては重く、寒いのかもしれない。
いや、重く寒いと…この墓を作った人は思ったのかもしれない。ならばせめてもの手向けに、とこの場所を作ったのだろうか。
アイリーンは複雑な表情で目の前に広がる湖に視線を向けた。
水の精霊と風の精霊が触れ合って笑い、水面に波紋が広がる。植物の精霊が次に空気に顔を出す時を待って、一時の休息を味わっている。
こんなに普通に、楽しそうに見えるのに、彼女達と自分は違う空間にいるのだ。
時間軸が違うのか、空間が微妙にずらされているのか。その仕組みは分からず、ガラスの向こうの世界に触れることも叶わない。
何も、変えられない。…ただ此処でその存在を見ているだけ。
けれど、と思う。
もし自分に此方と向こうとを繋ぐ力があっても、それを使っただろうか――使えただろうかと。
…母を亡くした時、誰かに側に居てあげてほしいと思った。自分はいられないから。
魂は精霊界へ逝く。此処にあるのはただの器だった肉体で、母はもう此処にはいない。分かってはいたけれど。
けれど、側にいたかった。寂しくないように、何かに側に居てあげてほしかった。
その時の事を、思い出してしまったから。そして、もしかしたらこの場所を作った人も同じ想いだったのかもしれない、そう思ってしまったから。
自分の為の墓を作る人はいない。
それならば、墓は…遺された者の為にあるのかもしれない。
自分の中に二つの想いがある。どちらが正しいのか、どうすればよいのか分からない。
けれど、知ってしまった以上は、忘れて何も考えないことなどできそうにもない。
アイリーンは、そっと溜め息を付いて膝を抱えた。



――後日、これは彼女の望まない形で決着する事になる。
謎解こうとしたのか、それとも偶然か墓石の近くに立っていた祠が壊されたことによって。

今は、その場所には周りの森と同じ時が流れている。






  


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