人いきれと薄く漂う紫煙がラ
ンプの明りを透かして漂う店内に鈍い光沢の緋色が加わる。
・・・・・・からん・からん♪
入ってきたのは、重厚な作りの板金鎧を着た一人の女だった。
なによりも、その人の目を引きつけたのは、鈍い光沢を放つ鎧と薄く、限りなく銀に近い髪の毛のコントラストだった。
一瞬、酒場のざわめきが途絶えるが、女が鎧をガチャつかせながら奥のテーブルに軽く挨拶を送ると、自然とざわめきが戻って来る。「よう、アンジェラじゃな
いか?こっちの店じゃ久しぶりだな」
金髪の優男が手を上げて答える。
耳が多少とがっているところを見るとエルフの血が混じっているのだろう。
傍らに座っていた浅黒い肌をした童顔の男も持っていたジョッキを上げて応える。
「ええ、お久しぶり。今日は二人に仕事の話をしに来たのよ。私に雇われてみる気はない?」
その言葉に二人の顔が幾分真剣なものに変わる。
「ここじゃなんだし、そこの個室で話すわ。」
カウンターに佇む宿の亭主に向かって大声で部屋を借りる事を告げる。
2、3人も入れば狭苦しさを感じる部屋には大事な商談をする時に使われる部屋らしく蜜蝋の甘い香りが漂っていた。
アンジェラはワインで唇を湿らせ、二人を等分に眺めながら話を切り出し始めた。
「リ
グリア紛薬って知ってるかしら? ・・・・・・・そう、その顔は二人とも知らなそうね。無理も無いわ、滅多に出回らない珍しい薬ですものね。精神のね、病
気に効果がある薬で、リュンクスって黄金の獣からほんの僅か取れるリグリア石って石から作られるそうよ。そのリュンクスをエストン山脈で見たって情報が手
に入ってね。貴方達、二人にはリュンクスを狩る手伝いをして欲しいのよ。前金で2,000、後金で3,000払うわ。どう? 受けてくれるかしら?」
残りのワインを飲み干し、二人の返答を待ちうける。
金髪の優男、ラスがいつになく真剣な表情で答える。
「そ
うだな・・・・・・・金額は申し分無いが・・・・・・・リュンクスだったっけか? その獣が捕まるまで山を降りないつもりか? それに、そいつの特徴は?
それに言いにくい事だけどなアンジェラ・・・・その薬が手に入ったからってウォレスが良くなるって保証は無いんだぜ?」
どうやら、いささか結論を急ぎすぎたようだ。アンジェラはラスの質問に苦笑いで答える。
「期
間は・・・・・そう、一月ってところよ。もちろん、リュンクスが捕まらなくても後金は払うわ。リュンクスの特徴は、黄金の猫ってところかしら? もっと
も、熊ほどの大きさがある猫だけど・・・・・・・そして一番の問題は魔力を秘めた瞳ね。リュンクスの瞳は岩さえも見通すと言われてるわ。」
最後の質問については・・・・・・・・・・・・アンジェラに何が言えたというのだろう?
ただ、弟(ウォレス)によくなってもらいたい。例え、それがどんなに確率の低い事でも・・・・・・・・。
その思いが渦巻き返答に詰まる。
そんなアンジェラの様子を見たラスが、若々しい顔をほころばせ安心させるように言う。
「いいさ、その条件で雇われるよ。その値段で一月だったら、妥当な所だからな。お前もそれでいいよなカレン?」
その相棒はテーブルクロスのレースをフォークで刺すという気晴らしをしていたが、ラスの声に顔を上げ静かな口調で言い沿える。
「ああ、俺もその条件でいいよ。それに、ウォレスが良くなるんだったら俺も手伝いたいし。」
「ありがとう、二人とも・・・・・・・・・・・じゃあ、これ前金ね。出発は1週間後になると思うわ。」
ずしりと重い革袋をテーブルに放るアンジェラ。
立ち去りかけたアンジェラに向かってラスが声を掛ける。
「仕事は受けたがな、俺達二人ともそんなに森に詳しいわけじゃないんだぜ?俺は確かに森で育ったけどさ・・・・・」
エルフの森でと付け加えるべきだろうか? 森に詳しくないのは確かだったので、それは言う必要も無い事だろう。
「大丈夫、それについては当てがあるから」
自信たっぷりにそう宣言すると、髪の毛を翻し、その狭い部屋から去って行った。
一刻後、アンジェラはなじみの酒場に来ていた。
その酒場はオランでは珍しい木造建築で、木の香りが微かに漂っている点がアンジェラの気に入っていた。
店内に入り、顔見知りに軽く挨拶を返しながら目当ての人物を探す。
はたして、目当ての人物はカウンターで駆出しらしい冒険者の若者に何事かを語っていた。
話から察するに仕事のアドバイスをしているようだ。
言葉の端々に高望みだの分不相応だのといった言葉が聞こえる。
やがて、その若者は肩を怒らせながら店を出ていき、後にはやれやれといった表情のマスターが残った。
「こんにちわ、春先は駆出しの相手が多くて大変ね」
カウンター越しに声を掛けるアンジェラ。
「んん? ああ、アンジェラか・・・・・・駆出しに危険な仕事は任せられないし、かといって、簡単な仕事だと報酬が低いだろ? 難しいところだよ。今日
は、仕事探しかい? 残念ながら”紅い鎧”に回せるような仕事は何も無いよ。」
そう言って不精髭のある顔を苦笑させる。
「ううん、そうじゃないの。貴方に手伝ってほしい事があってね。話だけでも聞いてくれないかしら?」
アンジェラは先ほど”古代王国への扉亭”でラスとカレンに語った事をマスターにも話す。
マックスはアンジェラの話を黙って気いていたが、話がリュンクスのことに及ぶと僅かに眉を動かしたがそれ以上の反応は示さなかった。
アンジェラが静かに語り終えるとマックスはいささか難しい顔をして考えこんでいた。
まさか、仕事の斡旋を生業にしている自分に仕事の依頼が来るとは・・・・・・・思いもしなかった事態に多少の驚きは禁じえなかった。
それに今は、春先から初夏にかけて駆出しと呼ばれる農村部から冒険者を夢見てオランに出てくる若者が多い時期だ。
店の顔とでも言うべき自分がその大事な時期に一月も店を空けるのは歓迎しかねた。
”俺は宿屋の主で、店で出す料理の味も決めなきゃならん・・・・・・・・”
でも、とマックスは思う。
この時期のエストン山脈か・・・・・・・・・・山歩きもしばらくやって無いし、新緑の中を歩くのはさぞ気持ちの良いものだろう。
それにリュンクスを狩ってリグリア石を手に入れると言う事は、おそらくウォレスの事だろうと見当がついた。
噂でしか知らないが、彼が精神を病んで治療中と言う話は聞いた事があった。
そうかなるほどとマックスは思う”紅い鎧”にして弟の事になるとこんな表情も出来たのかと。
不精髭を掻きながらあごに手を当て更に考えこむマックス。
リュンクスか・・・・・・・・・・タラントにいた頃でさえもリュンクスを見たという噂は出たが狩ったという話はついぞ聞いた事がなかった。
まさか、自分がその幻とさえ言われる獣を狩りに行くこととなろうとは、そう思い苦笑するマックスだったが、宿屋の主の責任感よりも生来の気質である未知の
物に挑む冒険者の気質の方が勝った。
「どう? 私に雇われてくれないかしら?金額は前金で4,000後金でもう4,000払うわ、どうかしら?」
返答を促すアンジェラ。
マックスの返答は決まった。
「まぁ、一月くらいならいつものことだ。」
「よかった・・・・・・貴方に断られたらどうしようかって思ってたわ。だって、この街で山に詳しい人ってマスターしか知らなかったから・・・・・・」
よほど安心したのだろうかアンジェラの瞳は微かに潤んでいた。
数度またたきし、目の湿りけを振り払う。そして、マスターの手をしっかりと握り銀貨の詰まった革袋を手渡す。
アンジェラが店を出て行きしな、マスターが声を掛ける。
「魔術の使い手がほしいところだな……」
マスターは背を向けかけたアンジェラに言葉を投げた。彼女の動きが止まる。マスターの言葉は、彼女の心にもあったことであった。
アンジェラは、考え深げな表情で訴えるような眼差しをマスターに向けた。
「魔術師がほしいのはやまやまだけれど……」
「確かに、戦士や盗賊とは違ってそこらにいるものじゃないからな」
ルーンマスターと呼ばれる古代語魔法、精霊魔法、神聖語魔法を操る人々はフォーセリアの世界にもごくわずかにしかいない。
冒険者の店を覗いても魔術師はお目にかかることが少ないのだ。いたとしても学院の研究生であったり、冒険ごとの危険きわまる行為には同行できないという
腰抜けばかりでもある。
それでもまだ首都オランはマシな方であった。辺境の街や小国では見かけることすらできないこともある。
アンジェラには頼ることができる魔術師の知り合いがいないのだ。訴えかける眼差しを向けたのは、マスターに紹介してもらえないかということである。
彼女の視線をしばらく受けた彼は、一人の女性の名を挙げた。リュンクス狩りに適当な魔術知識と度胸のある人物を。
「交渉は自分でな」
「判っているわ。でも本当にいいの?」
「なに、報酬はちゃんと払うんだろ? オレは仕事の斡旋をしているだけさ。これで彼女が引き受けたら、報酬の5%は仲介料としてちゃんともらうぞ」
羊皮紙に用件を書き終えたマスターは、それを丸め、鑞で封をする。印を押したあと竹でできた筒にそれをしまい、アンジェラに手渡す。
「ありがとう」
どことなく声が震えている。魔術師の援助が得られるならば、随分と助かるからだ。彼女も長い傭兵や冒険生活で古代語魔法の力の有利さは痛感していた。
それに加え、豊富な知識はマスターとは別な知恵を授けてくれるに違いない。
マスターに依頼を引き受けてもらえた安心感と、魔術師の紹介状を手にしたアンジェラの足取りは軽く、くるりと身を翻すと小走りに店を出ていった。
翌朝、早速彼女の家へ訪問する。この時間であれば、まだ出かけていないはずであった。
古めかしい作りの二階建ての家であり、通りに面する壁には煤で汚れたあとが残っている。その汚れに疑問を抱きつつも、重厚な扉にノックを二度慣らすと、
すぐさま扉が開かれ女性が出てきた。
身長は高い方であったが、アンジェラよりは若干低く、歳もやや上くらいではないかと思えた。もっとも魔術師の年齢はあてにならないことは知っている。
しかし、彼女には大きな一人息子がおり、歳も30半ばを迎えていた。魔術で若さを保っているのか、それとも元々若く見えるのか、その丹念に解かれたと思
われる短く綺麗な黒髪と、自信にあふれた瞳からは魔法の力だと想像することは困難だった。
機能優先とされた服装は、魔術師特有の袖の長いものや、ぼったりしたローブなどは身につけておらず、体のラインが判ってしまうほど軽快なものであった。
突然の傭兵風の女性の来訪を受け、彼女の眉が僅かに動いた。
「なにか御用ですか?」
事務的に伝える彼女の言葉には、明らかに歓迎していない様が伺えた。思わずアンジェラは一歩下がりそうになった。これがマスターの紹介してくれた女性な
のかと。
「あなたがレスダルさん?」
気持ちを改め、出来るだけにこやかに「きままに亭のマスターの紹介で来たのですが」と続ける。手にしていた筒も一緒に差し出すが、アンジェラ自身、彼女
に対して気後れしている自分を意識せずにはいられなかった。
これが年の功なのか、それともこの魔術師の経験の賜なのか掴みかねていた。
レスダルは、その筒を受け取ると中から紹介状を取りだし、丹念に鑞印を調べた。本物であることを確認したのか、それを空けるとざっと内容を確認する。
そして文末にあるマスターのサインをも丁寧に確認すると、ようやく彼女に笑みが生まれた。
「ええ、私がレスダル・ビストランです。あなたは?」
彼女の笑みと共に、周りに張りつめていた緊張の糸が氷解していくのが判った。差し出された手を握りながら、自分の名を名乗る。
玄関先のやり取りが終わると、アンジェラを部屋の中へ通し、席を勧める。
「あまり時間がないのだけれど、マスターの紹介じゃあね」
レスダルにそう言われては手短に話すしかなく、彼女は端的にリュンクス狩りの同行と、その必要性を伝えた。
アンジェラの弟の心を治療するために、姉である彼女は何を賭してでも達成しようとしている様を見て、ふとレスダルは息子リンとその親友アドルのことが思
い出された。
彼女の息子リンも親友を助けるために法を破り、貴族に刃を向けた経緯があった。幸いにも死刑こそ免れたが、国外追放とされ、今どこで何をしているか判ら
ない。
それでも息子が親友を大事にした想いは大切にしてやりたいと思う。決して人様を傷つけるこは賞賛できないが、親友を助けるその気持ちは判ってやりたかっ
た。
「お願いします。報酬もお支払いしますので、どうかお力を貸してください」
立ち上がったアンジェラは深々と頭を下げて頼んだ。
その姿を見て、弟を思う姉の愛の温かさにレスダルは胸をうたれた。
(あの子にも姉弟がいたら違っていたのかもしれませんわね)
目を細めたレスダルは、静かに立ち上がりアンジェラの頭を上げさせた。
「喜んで協力させてもらうわ」
レスダルの言葉に、アンジェラは再びは頭を下げた。
1週間後、アンジェラは真新しい黒革の鎧に身を包み、手には、とねりこの木より削り出した槍を携えオランの北門に立っていた。
この門より北に旅路をとれば、二日でエストン山脈の裾野に辿りつく。
目指す、リュンクスが目撃された村までは5日の旅程になるはずだ。
後ろに控える、冒険の道連れを振りかえる。半妖精の精霊使いラス、その相棒のカレンはどちらも軽い皮鎧を身に着け談笑していた。
この一行のもう一人の女性であるレスダルは朝の日の光の中、白っぽい革の服がアンジェラの黒革の鎧と見事な対照をなしている。
そして、アンジェラがこの冒険でもっとも頼りになるだろうと考えているマックスは家族に別れを告げていた。
「お父さん、お土産買ってきてね」と舌足らずな口調でせがむ娘に相好を崩す、マックスがなんとなく微笑ましい。
アンジェラはぐるりと、回りを見まわすと仲間に声をかける。
「さあ、みんな、もう準備は良いかしら?出発しましょう。」
こうして、一行はマクシミリアン家の人々に見送られ、エストン山脈への旅路についたのだった。
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